第4章 リアルとバーチャル
「耕太くんおはよう」
朝、家を出るなりさくらから声をかけられた。さくらの家は俺の家の隣にある。小さい頃からよく遊んでいた。同い年の子どもがいるとあって親同士も仲が良い。
「おう! おはよう!」
特に時間を合わせている訳では無いが、タイミングが合えばこうやってよく一緒に登校している。
「耕太くん何だか今日はちょっと嬉しそう。いい事でもあった?」
勘の鋭いさくらにぎょっとしたが、悟られないように平然を装う。
「今日は何だか打てそうな気がするんだ」
バットを構えるフリをする。
「へーいいじゃん。そういや昨日の夜、耕太くんのお母さんの怒鳴り声が聞こえてきたけど何かあったの?」
実は昨日の帰宅後、こっぴどく叱られた。俺は自主練を頑張ってたんだと嘘をついた。いや、あながち自主練も間違いではない。イメージトレーニングなんだから。今日もしよう。
「よくある反抗期だよ」
「え~お母さん大事にしてあげなよ」
俺は笑いながら学校へ着いた。
野球部には朝練がある。授業が始まる前、朝7時に練習が始まる。練習時間は1時間程だ。そのため、軽めの練習が行われる。今日はティーバッティングと呼ばれる、トスをあげてもらってネットに向かって打つ練習だった。
昨日の感覚を思い出す。カン、カン、コツン。あれ? おかしいな。ネットに当たる打球はどれも弱々しかった。試行錯誤しても変わらない。そのうちに朝練が終わった。
授業中はずっと朝練の事を考えていた。BBEではあれ程の打撃をしていたのに、なぜ朝練では打てなかったのか。午後練ではもっと本気を出そうと思った。
午後練は授業が終わった時間から夜まで行われる。ここでは本格的な練習もする。今日は実戦形式での総合練習だった。俺の打順が回ってくる。BBBを思い出せ。あれ程勝っていたじゃないか。
投手が球を投げる。外角低めのストレート。カクカクした髪型の男が投げてきた球だ。フン! 空振りだった。2球目はカーブ。ジャガーズの入団テストでセンター前ヒットを打った球だ。フン! またもや空振りだった。なぜ……なぜ打てないんだ……。3球目は真ん中付近のストレートだった。最後にホームランを打った球だ。カツン。バットに当たった打球はフラフラと上がり前進してきたショートがキャッチした。俺は言葉を失ってしまった。
午後練が終わった。時間は18時、いつもより今日は早めに練習が終わった。ゲームセンターへと向かう。途中、さくらが一緒に帰ろうと言ってきた。断る元気も無いのでいいよと答えた。
「今日の練習どうだった?」
「見ての通りだよ。ダメだった……」
「そっか……。でもきっと打てるようになるって!」
「そうだね……」
そこからは無言が続いた。時々さくらは話しかけてきたが、一度や二度、言葉を返すだけで会話は続かなかった。
しばらく歩き、ゲームセンターへ行くための曲がり角まで来た。
「ちょっと寄りたい所あるからここで曲がるよ。また明日」
さくらはこちらを向いて答えた。
「そうなんだ……またね」
「おう! また来たのか!」
ゲームセンターへ入るなりおじさんに声をかけられる。
「BBEしてもいいですか?」
そういやお金多めに持ってきてたかな。少し財布を気にする。
「もちろんいいぞ。1時間100円な」
「え?」
それなりの値段を覚悟していたが思っていたより安く拍子抜けしてしまう。これならお小遣いでやりくりできそうだ。
「え? って何だよ。特別サービスは昨日だけだぞ~」
「いや、思ってたより安いなぁって」
「そりゃワンプレイに1,000円も2,000円も取られたら遊ぶ人居ないだろ」
それはそうだが、ワンプレイが100円とは良心的な価格設定である。いや、ワンプレイ1時間って長すぎだろ。大丈夫なのかこの店。
「4時間程遊びたいので400円払います」
俺は財布から400円を渡した。
「はい、まいどあり」
おじさんは笑顔で受け取った。俺は奥の部屋へと行きボタンを2回押した。
気が付くとチュートリアルを受けたホテルの前に立っていた。BBEへ入ると最初はここに出てくるのか。ジャガースタジアムへと歩いて向かった。
「おいお前! 今日は負けねえぞ!」
カクカクした髪型の男にまた話しかけられた。
「BBBするよな?」
懲りない奴だ。
「分かった」
景色が野球場へと変わる。
「奮発してグローブを強いヤツに変えたんだ! 昨日とはひと味違うぞ!」
男は相変わらず口数が多い。バッターボックスへ入りバットを構える。ふと今日の練習が脳裏によぎる。打てるだろうか。
「喰らえ! 俺様の本気!」
ストレートだ。コースは外角低め。昨日と同じ。でも練習では打てなかったコース。バットを振る。芯に当たった。打球は鋭く伸びていく。センター方向だ。そのままバックスクリーンに飛び込む。ホームランだ。何故だ。
「なにぃぃぃぃぃ! ……覚えてろよ!」
男は去って行った。ここでは打てた。ここでは……。
「よく来たな」
ジャガースタジアムに着くと、キャプテンに話しかけられた。
「昨日は急にログアウトしてたがどうしたんだ?」
BBEから現実へ戻る事をログアウトと言うのか。
「実はゲームセンターの閉店時間が22時みたいで電源を落とされてしまったんだ」
「そうだったのか。公式戦の際はそれを念頭に置いて起用しないといけないな。そういや名前を聞いてなかったな」
「俺の名前はコータ 。よろしく頼む」
「コータか。こちらこそよろしく」
キャプテンと握手を交わした。
「キャプテンちがうよ~。コータ だよ!」
「ん? ノノくん一体何が違うんだい?」
「スペースが必要なの!」
ノノは一生懸命俺の入力ミスを説明していた。
「なるほど。だが変な間があると連携プレーの時に支障が出そうなので俺はコータと呼びたい。良いか?」
「別に構わない」
そう答えるとノノは少し驚いたような顔をした。
「わ、私はコータ って呼ぶからね!」
ちょっとプリプリしながらノノはそう言った。悔しいがかわいい。
「お好きにどーぞ」
人が揃ってきたあたりで試合前のミーティングが始まった。
「皆お疲れ。これからミーティングを始める。今回は新加入のコータも居るのでプロ野球リーグの説明からしたいと思う 」
キャプテンの言葉に皆耳を傾ける。
「今の所BBEには4つのプロ野球チームがある。それぞれ東西南北で別れた4つの地区に1つずつ存在する。ちなみに、ここは西地区にあたり、皆”ジャガーズ”と呼んでいるが正式には”ウェストジャガーズ”という」
へえ、そうだったんだ。
「他の地区にはそれぞれ”ノースベアーズ””イーストスワンズ””サウスコアラズ”が存在する」
南地区のチーム名がちょっと面白い。思わず吹き出してしまう。
「コアラズってちょっと気の抜けた名前に感じるな」
「笑っていられるのは今のうちだぞ。コアラズが今は首位だ」
思わぬ強豪で息を飲んでしまう。
「と言っても2位3位のベアーズスワンズもそれ程差はない」
あれ? 西地区がいない。
「ジャガーズは?」
「ぶっちぎりの最下位だ」
「実はまだ1勝もできてないの……」
ノノがそうつぶやく。「全然勝てなくて弱いの……」という昨日の言葉を思い出した。
「元々ジャガーズは創設当時から弱かった。更に拍車をかける事が起きた」
キャプテンは天井を見上げた。
「それは一体」
「選手の引き抜きだ」
キャプテンは少し黙ってから話し始めた。
「BBEはまだ出来て日が浅い。そのため、まだ制度の整備がされていない。その事をいい事に他球団はジャガーズの有望株に声をかけた。”うちの方が強いぞ。来ないか? ”と。確かに強い方が楽しいだろう。元ジャガーズの中には弱い事に不満を思っていた選手も居た。ルール違反とならない以上、止めることはできない」
「まず最初にプロ野球選手となる仕組みもまだ入団テストしかないしね」
ノノがいつになく真面目な口調で言葉を挟んだ。
「次に今日の試合についての話をしよう。今日戦うコアラズの先発投手はスナイダーという男だ。速球と鋭く落ちるフォークが武器だ。今ではコアラズのエースと言っていいだろう。そいつは元ジャガーズだ」
チーム内が重い空気に包まれる。ジャガーズの弱い理由が思いのほか深刻であると知り言葉が出ない。
「皆そう落ち込むな。新しくコータも来たじゃないか」
キャプテンは自分に言い聞かせるように言った。
「おっと! そういやコータのポジションを聞くのを忘れていたな。どこなんだ?」
野球部でのポジションでいいか。慣れてるし。
「俺は外野が本職だ」
「おお、良かった。ちょうど外野も人が抜けた所だったんだ。今日はセンターを守ってくれ」
「分かった」
「まもなくコアラズ対ジャガーズの試合が始まりまーす!」
試合開始10分前、球場内にアナウンスがかかる。
「へえ~。ちゃんとアナウンスとかあるんだな」
「一応プロ野球だしな」
思わず出た一言にキャプテンが答えてくれた。ベンチからグランド内に降りてみる。観客が360度ぎっしり埋まっていた。先程、ミーティングの後に準備運動やノックなどを行ったが、その時には観客などいなかった。そんな一気に観客が増えるもんなのか。
「キャプテン、観客が一瞬で満員になってるぞ」
「ああ、それなら本物ではなくホログラムだ。雰囲気作りってやつだろう。よく見てみろ。ホログラムの観客に被って半分ぐらいしか見えない人が居ないか? それが本物の観客だ。ちなみに、観客からそのホログラムは邪魔にならない程度に見えるらしい。よく出来てるよ」
確かに、バックネット裏を見てみるとホログラムの観客に被るように座る少年が見てとれた。プロ野球選手らしく手を振ってみる。あれ? どこかへ行ってしまった。
「それではジャガーズのスターティングメンバーを発表します! 一番 セカンド ノノ~!」
球場内にアナウンスがこだました。
「すごい! 本物のプロ野球そのものじゃないか!」
「やっぱりこの瞬間はテンション上がるよね!」
ノノが嬉しそうに反応をしてくれた。二人で聞き入る。俺の番だ。
「四番 センター コータ !?」
アナウンスがスペースを上手く読めず言葉に詰まる。大爆笑をする俺とノノ。アナウンスは人がやっているのか。
「コホンッええ~続きまして、五番 サード ダン~」
「お前ら聞き込んでないで試合の準備しろよー」
ベンチ内からヤジが飛び「悪い悪い」と言いながら守備につく準備をする。ジャガーズの本拠地での試合なのでジャガーズは後攻だ。つまり、ジャガーズは守備から始まる。
ベンチを飛び出しセンターへ向かう。漂う土の香り、ほほを撫でるそよ風、観客たちの歓声(ホログラムだけど)、それらは現実の野球場そのものだった。その全てが俺の体を包み込む。いよいよだ。俺のプロ野球選手として初めての試合が始まろうとしていた。