第2話:静寂と終焉を司る月眼
……一人の男がいた。
その男は、卓越した武術の腕を持っているわけでもなく、人智を超えた魔法を行使できるわけでもない。
人並外れた怪力を有してもいないし、とりわけ体が頑丈ということもなかった。
そんな、平凡な彼が少女に語って聞かせる冒険譚。
多数の魔物に囲まれて死にかけただとか、罠にハマって危うく大事な装備を全て失いかけただとか、そんな、等身大の泥と失敗にまみれた冒険の日々。
神話に出てくる勇者や、伝説の偉人の物語と比べて、夢や希望に溢れているわけでもない、じつにありふれた、どこにでもありそうな体験談。
だが、それらは世界を知らぬ少女にとって、何物にも変え難い唯一無二の物語であり、その主人公である青年は紛れも無く……英雄だった。
彼の話を聞くのが好きだった。
いつまでもいつまでも、その物語が続いてほしいと思っていた。
だけど、どんな物語にも終わりはある。
もしも……その終わりが認められないものであったのなら。
その時、わたしはどうするのか。
――まだ答えは出ない。
冒険者ギルドと直結した、喧騒に包まれた酒場の片隅で、わたしは疲労感に任せてテーブルへと突っ伏しながら、自分の桃花色の毛先を指先でくるくると弄んでいた。
赤色よりも淡く、桃色よりも赤色に近い……そんな、曖昧な色。
自分の事がよく分からないわたしにぴったりな色だな、と自嘲気味に一人笑う。
日中のうちに街を歩き回りいろいろと聞き込みをしてみたのだが、ほとんどロックの足取りは掴めなかった。
実力は良く見積もっても下の上から中の中くらい……ある意味、一番埋もれてしまいそうな半端な実力であるといえる。
さらに特筆する技能も無く、外観に大きな特徴がある訳でもないロックの捜索は非常に難航していたのだ。
「そんなに目立たないかなぁ……」
ため息を一つこぼして手元にある野草サラダへと手を伸ばし、ひと口食べる。
この酒場の料理はなかなかだ。
ただの野草の筈なのに、調味料や調理法を工夫して食べやすい味へと整えられている。
食べ慣れた野草にもこんな食べ方があったとは。感嘆の声を挙げざるを得ない。
もっとも、わたしの場合そのまま齧るか、精々そのままお湯にぶち込んで茹でるだけというのが大半なので、お店の方も一緒にはされたくないだろうけれど。
……夕食はやはり金銭面で贅沢する訳にも行かず、ふかし芋と野草サラダという安価なものを選んだ。
メニューを一目みてその瞬間に野草サラダに心を奪われた訳じゃないよ。
「はぁ……」
再度、深いため息。
辛気臭いこと極まりないこんなわたしの行動も、今は誰も気にもとめないくらい酒場は賑わっていた。
なにやらギャンブルで派手に盛り上がっているようだ。
荒稼ぎをしているのか、隻腕の女の子の前に沢山のチップが積み上げられている。
……あれだけお金があったらわたしの晩御飯も少しはリッチになるのになぁ。
なんて、ほろ苦い野草をつまみながら一人思う。
今日一日街を駆け回って手に入れた収穫は二つ。
一つはロックが二人の人間と手を組んで、三人組で塔の攻略をしていたらしいこと。
これがわたしの気持ちを大きく落ち込ませている原因だ。
ロック一人なら大して塔の深い所には行けないと踏んでいたのに、まさか仲間を作っていたとは。
完全に予定外だ。
そのロックを含む三人組はここしばらく姿を見掛けられていないらしい。
具体的にいつからかは分からないそうだ。
そういや最近見ねぇな、という感じのふわっとした情報しか入手出来なかった。
そして、もう一つの収穫……わたしは大事に懐に仕舞っていた真新しいカードを取り出す。
わたしの、ギルドカード。
今日、ギルドの受付に居た可愛らしいエルフの受付嬢さんに、ダメ元で申請してみたら僅かばかりのお金と、簡単な身分証明だけであっさりと作れてしまったのだ。
これがあればヒュライドの塔に入ることが出来る。
どの道お金を稼ぐ手段を見つけなければこの街に滞在もできなくなるのだから、明日からはダンジョンへと潜ってみるのもいいだろう。
そうと決まればやることは一つ。
わたしは残っていた野草サラダとふかし芋を一気に食べ尽くすと、席を立って酒場を後にする。
お店を出る時、ふくよかな酒場のママさんに美味しかったと軽く声をかけようかと思ったが、なにやらギャンブルをしていた人達で揉め事があったのか、忙しそうだ。
そっとしておこう。
今日は馬車で酔って気持ち悪くなり、妙な神父に内臓を狙われて、さらには街中駆け回って情報収集……。
今まで小屋でだらだら過ごしていたわたしにしては動き回りすぎだし、いろいろ知らない人と話して精神的にも疲れた。
わたしは昼間のうちにとっておいた町の中心から少し外れた場所に建つ安宿へと入り、少し固めの布団へと潜り込むとすぐに睡魔がやってくる。
そのままわたしは深い眠りへとおちていき、ウルティアでの一日目が終わった。
翌朝、ダンジョンへと突入するにあたって必要なものを買い揃えつつ情報収集をする。
ヒュライドの塔は内部が階層ごとに全く違う環境になっていて、それぞれ違った対策が必用らしい。
わたしは今回、最初の帰還用転移装置が設置されている六層まで行ってみようと思う。
六層までは比較的安全だそうだから、それで厳しいようならなにか他の方法を考えればいいだろう。
しかし……。
「本当にこれで平気かなぁ」
わたしは腰にぶら下げている、やたら無骨な棘つき棍棒を見やって思う。
とりあえず頑丈さだけが取り柄の武器だし、そう簡単に壊れる事はないとは思うけど、塔の魔物に通用するのだろうか。
これが壊れてしまえば、残りは頼りないダガーが二本。
もう少しまともな武器も予備として持っておいた方がいいかなぁ……。
「まぁ、いっか」
いざとなったら現地調達。
塔にはゴブリンやコボルトがいるそうだし、鉄くずみたいな武器くらいならあるだろう。
いい装備を整えるなんて、そんなお金もないしねっ。
わたしは調子外れな鼻歌混じりに軽やかな足取りでギルドを通り抜け、塔の入口へと向かう。
そこには塔の見張りをしているのか、二人の兵士が詰めていて、どうやら彼らにギルドカードを提示することで通してもらえるようだ。
……軽い気持ちでここまで来たけれど、駆け出しがたった一人で塔に入ろうなんて、やはり無謀だと止められるだろうか。
止められたらどうしよう。
塔に入る時だけ、どこかのパーティにお願いして紛れ込ませて貰おうか?
いや、でも塔に入る度にそんなことをしなくてはならないなんて時間の無駄だ。
ええい、悩んでいても仕方ない。
ここは堂々とした態度で行ったほうがいいだろう。
わたしは背筋を伸ばして胸を張り、皮のマントをなびかせながら威風堂々とした態度で二人の兵士へと近寄った。
手馴れた手つきに見える様に、出来るだけ機敏に、スっとギルドカードを取り出して提示する。
兵士の一人が私が差し出したギルドカードを眺めて頷いた。
「はいはい、確かに」
わたしは大物感が出るように無言で一礼してそのまま通り抜けようとする。
そんなわたしの背中にもっとも恐ていた一言が掛けられた。
「ちょっと待った嬢ちゃん、まさかお前さん一人で挑む気か?」
「……あら、それがなにか?」
内心の動揺を悟られないように、優雅にふんわりと振り向く。
余裕たっぷりに見えそうに、口調に気をつけるのも忘れない。
「なにって……お前さん駆け出しだろ? いくら何でも無謀じゃないのか? 仲間の募集ならギルドでいくらでもやってるぜ」
あー……うー……確かに仲間を募ることも考えたけれど、わたしは塔の上層を目指したい訳でもないし、なによりも人と上手くやる自信がないというか……。
だめだだめだ、こんなのが態度に出てしまったら間違いなく止められる。
ここはハッタリだ。度胸、度胸……。
わたしは大袈裟な素振りで肩を竦めて、フッとシニカルスマイルを浮かべて兵士を真っ直ぐに見つめて言い放つ。
「仲間、ね。悪いけど、足でまといは必要ないの」
「お、おう?」
何故だか気圧されてる兵士のお兄さんに向けて、右手でVサインを作って、そのまま自分の顔の前に持っていき、指の間からわたしの金色の左目を覗かせて目立つ様に強調する。
「この左目は静寂と終焉を司る満月眼という魔眼でね……一度発動させると、ひと睨みしただけで万象一切を灰燼と化せるほどの力があるわ。人を巻き込まない自信がないの」
もちろん嘘っぱちだ。そんな大層な力はない。
だがわたしの言葉に兵士のお兄さんは驚き、目を逸らして恐怖のあまりか、ぷるぷると肩を震わせてしまった。
「ぷっ! くく……そっ、そうか……いや、済まなかった、自信があるならいいんだ」
なにやら嗚咽を堪えるかのように時たまくっく、と声が漏れているのが気になるが、いいと言われたのでくるりと反転して塔へと向かう。
……歩きながら自分の発言を振り返る。
うーわー……何が†静寂と終焉を司る満月眼†だ。
途端に恥ずかしくなって来た。
耳とか赤くなってないかな……?
俯いて段々と早足になりそうなのを必死に抑えて、ヒュライドの塔の扉の前へと立った。
何はともあれここまで来られた。
……ロックが向かった塔。
ずっと憧れていた、わたしの英雄が足を踏み入れた場所。
その場所に、わたしもようやく立てる。
さあ、行こう。
わたしも、わたしの物語を紡ぐために。