第0話:草食少女の小さな決意
本作品は身内企画のシェアワールド設定を用いて執筆した作品です。
各作品で設定を同じくしてありますが、個々の作品単体でも楽しめるように執筆しております。
同じ街を舞台としていても、それぞれ違った観点からつくられていく世界観を楽しめるので、是非、友人達の力作も楽しんでいただければ幸いです。
このアカウントはシェアワールド企画用のサークルアカウントとなっていて、作者本来のアカウントはこちらとなっています。
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ああ、困った。
わたしは住居の隣に併設された粗末な物置部屋にてため息を零す。
物置内には大人が寝転がって両手を広げられるほどの、ゆとりのある空間が広がっていた。
工具なんかが申し訳程度に壁に立てかけられている以外、なにもない。
最近めっきりと冷たくなってきた風が物置内に吹き込んで、虚しさを助長する。
……そう、これから本格的な冬を迎えるというのに、物置の中には食糧の蓄えも、燃料の備蓄もないのだ。
さらに言うなら、それらを賄うための金銭もほとんどない。
おまけに収入を得るあてもない。
ないない尽くしでとっても身軽。今ならどこへだって行ける気がするの。
「これは、やっぱりなにかあったって思った方がいいのかなぁ」
現実逃避もそこそこに、独り言を零しながらわたしは小屋へと戻った。
なぜこんな事態になっているかというと、我が家の稼ぎ頭である家主が稼ぎに出ていったっきり帰ってこないのだ。
家主は冒険者家業なんかをしているため、なかなか帰ってこないことは度々あった。
今回もそうだろうと楽観的に見ていたのだが……。
「さすがに四ヶ月は長すぎるよね……。早く帰ってこないと大事な家族が餓死しちゃうぞー」
聞く相手のいない独り言を漏らしていると、なんとなく口元が寂しくなって、テーブルの上に飾られていた花瓶から柑橘系の果実のような香りのするハーブを一つとって口に咥える。にがい。
こういった香草の類も本格的な冬が来れば入手が困難になるだろう。
うーん、どうしたものか……。
ふと、ぼんやりと家の中を見渡していると、視界の端に古ぼけた皮鎧を見つける。
それを見た瞬間、電流が体を駆け巡ったような気がした。
……そうだ、なぜ最初からその考えにたどり着かなかったのだろう。
我ながら妙案だと思う。
わたしは口元に笑み浮かべてその皮鎧を手に取ると、テーブルの上に放り投げて作業を始める。
懐かしいな、この皮鎧。
初めてこの皮鎧を目にした時のことはわたしの脳裏に鮮明に焼き付いている。
わたしの、大切な記憶。
世界が真っ白な霧に満たされている。
とてもお腹が減っているし、体のあちこちが痛いし、手も足も傷だらけで泥まみれ。
そんな空虚な世界をあてどもなく歩いている。
それが、わたしの最初の記憶。
どうしてこんな所にいるのだろう。
靴はどこへいったのだろう。
お腹が減っているのに、どうしてご飯がないのだろう。
こんなにつらいのに、――は、なんで助けてくれないのだろう。
……あれ、わたし、いま誰を思い浮かべたんだろう。
なにもわからない。わからない。
ただ白く染まった世界でひとりぼっち。
「あっ……!?」
尖った石で足裏を深く切ってしまい、転倒する。
どんどんと血が流れるとともに、大切な何が抜け落ちていく……そんな気がする。
このまま動かなければ、苦しまなくていいのかな。
わたしは虚脱感に任せ、うつ伏せに倒れ伏したままゆっくりと目を閉じた。
意識が、深く深く落ちていく。
……どれだけ眠っていたのだろうか。
あるいは、それほど時間は経っていないのだろうか。
依然として立ち込めた白い白い霧が体温を奪っていく。
それに先程からきゅうきゅうと、お腹が全力で空腹を訴えていた。
なにか、食べたい……。
わたしは目に付いた雑草をちぎって口に含んでみた。
「うぅっ……! おえぇ……」
あまりの青臭さと苦味、土のジャリジャリとした食感に、思わず気持ち悪くなり空っぽの胃の中のものを吐いた。
口の中が胃酸で酸っぱい。
なんで……。
なんでこんな目にあわなくちゃいけないの……?
問いかけに対する答えは誰も持ってなどいなかった。
自棄になり夢中で草をちぎり、口に含んで咀嚼した。
吐き気をもよおす味を堪えて必死に飲み込む。
この中に毒草でも混じっていて死んでしまえればいいのに。
そう、思っていた。
「うおっ! なんだぁ? 酔っ払いかぁ? こんなところで寝てんじゃねぇよ!」
不意に、頭上から声が響いた。
虚ろな目でその姿を捉える。
皮鎧に身を包んだ浅黒い肌をした緑色の髪の青年と目が合った。
青年はわたしを見ると、珍しいものでも見るかのように首を傾げる。
「って、子供……? つか、お前のその目、髪は……」
言いかけて青年は何でもない、と首を振った。
そしてわたしが口に含んでいたものを見て盛大に吹き出した。
「ぷっ、ははははは!! おまえ、草食ってんのか! 美味いか? それ」
美味しいわけがない、と口に出そうとしたが、うまく声を出せなかった。
そんなわたしの様子を見て、青年は肩に掛けていた皮袋から水入れと赤いまんまるな果実を取り出してわたしの前に置く。
食べていいのか、と目で訴えると青年は頷いた。
果実に手を伸ばし、ゆっくりと齧り付く。
口の中に爽やかな甘みと酸味が広がった。
……美味しい。
ひと口、ふた口と食べ始めて止まらない。気付けば無我夢中で果実を貪っていた。
あっという間に果実を食べ尽くし、水を飲んでいると、青年が話し掛けてくる。
「おまえ、孤児か。名前は?」
「……わからない」
なにも、わからない。
なぜここにいるのかも、自分が何者なのかも、どこへ行こうとしていたのかも。
青年にそう伝えると困った様な顔をして頭をポリポリと掻いた。
「なんだそりゃ、記憶喪失ってやつか?」
「……わからない」
「あ、そ。まぁいいや。どのみち行くあてもないんだろ? 俺んちすぐ近くだから来いよ。その足、手当してやるよ」
言いながら青年は、有無を言わさずわたしを荷物でも持つかのように小脇に抱えると、歩き出す。
「なん、で……?」
助けてくれるの?
言外に込められた意図をすぐに察して青年が首を傾げる。
「んー、なんでだろうな。とりあえず、草食ってまで生き延びようとしてるなんて、なかなか根性あるぜ。おまえ」
違う。
そんなつもりで食べてなどいなかった。
死んでしまえればいいのに、なんて思っていたんだ。
だが、否定の言葉は口には出せなかった。
「ごめん、なさい」
代わりに出たのは謝罪の言葉。
それは、手間をかけさせて申し訳ないという意味だったか。
真実を告げない卑怯な自分を許して欲しいという意味なのか。
わたしにはわからない。
ああ、そうだ。もう一つこの青年には伝えないといけない言葉がある。
「……ありがとう」
感謝を。
それを聞いて青年は眩しい笑顔を浮かべると、小脇に抱えたわたしの頭をわしわしと撫でた。
その手は乱暴で、無遠慮なものだったが、暖かくて心地が良くて……わたしの中にあった警戒心や、孤独感を溶かしてしまうようだった。
気付けば、ぽろぽろと涙が出ていた。
……髪が長くて良かった。髪が顔にかかっていなければ、泣き顔を見られてしまうから。
「そうだ。ずっとおまえって呼ぶのもアレだし、俺が名前付けてやろうか!」
わたしの頭を撫でながら青年が悩み始めた。
いったいどんな名前を付けてくれるのだろうか。
しばらくあーでもないこーでもないと唸っていたが、やがて青年はわたしの頭をポンポンと叩いて、その名前を告げる。
「うっし、おまえの名前は今からミスティ・グラスフェッドな! 異論は許さないから有難く受け入れろ!」
「ミスティ・グラスフェッド……」
反芻して呟く。
まぁ、響きは悪くない。
ただ、霧の草食いなんて、安直過ぎやしないだろうか。
でも青年の楽しそうな声音を聞いていたら、そんなことはどうでもよく思えてきた。
ああ、そうだ……名前。
「あの、名前……あなたの」
「ん? ああ、俺か! 俺はロック……家名なんて大層なもんはないから、ただのロックでいいぜ!」
それが、わたし……ミスティ・グラスフェッドと、ロックとの出会いだった。
「よーし、できたっ」
夜なべしての作業がようやく終わる。
テーブルの上には古ぼけた皮鎧が仕立て直され、ひと回り小さいサイズとなって置かれている。
徹夜の作業の成果だ。
この皮鎧と出会ってから、もう八年。
結局あの後、なし崩し的にロックの世話となり、この家に居着いてしまった。
彼も孤児であり、幼いころに独りきりになって以来、なんとか独りで生きてきたそうだ。
ロックは冒険者を続けながら、わたしに色々な事を教えてくれた。
冒険者なんていう仕事は、いつ何があってもおかしくないのだから、わたし一人でも生きていけるように、本当になんでも教えてくれたのだ。
そんな中に冒険者としての戦い方や魔法の使い方なども含まれていた。
ロック的にはわたしには普通の子として暮らして欲しかったようだが、ロックも冒険者としての生き方しか知らないのだから、教えられるはずがなかった。
それに、わたしにも普通の生活なんて送れそうもない事情もある。
わたしは仕立て直した皮鎧に袖を通す。
……あれ? 完璧な仕上がりだと思っていたのに、ちょっとサイズがあってない。袖の辺りがぶかぶかだ。
「……ま、いっか」
キツいよりはマシだろう。
まだまだ成長期だしね。サイズは大きめで問題ないと思う。
そして皮鎧の上から革製のマントを羽織る。
腰のベルトには古びたダガーを二本と、頑丈な棍棒に鉄杭を適当に打ち込んだ手作り感溢れる無骨な武器をぶら下げる。
これで少しは様になるかな。
意気揚々と、姿見の前でマントをバサッとなびかせてポーズを取ってみる。
そこには左目が金色、右目が青の虹彩異色の少女が、白色から毛先に近付くにつれ桃花色となる長い髪をボサボサに乱させて、ぶかぶかの皮鎧を着て渾身のドヤ顔でマントを広げている間抜けな姿が映っていた。
……わたしだ。
鎧に着られている感じがすごく恥ずかしい。
あと、髪はちゃんと整えよう。
……この悪目立ちする虹彩異色の瞳と、毛先に近付くにつれて色が変わる妙な髪色……これは、わたしが純粋な人間ではないことの証明だ。
いったいなんの血が混じっているのかはわからないが、これではまともな生活など出来るはずもないだろう。
きっと、わたしが記憶を失ってさ迷っていたのもこれが原因なんだと思う。
別にもう気にしていないけれど。
とりあえずわたしは、徹夜でボサボサに乱れていた髪にブラシを入れて梳かし、旅装を整えていく。
保存食に、地図や松明や寝袋などを適当に皮袋へと詰め込んで、小屋に残ったなけなしのお金も全部持ち出してしまおう。
……ロックが旅先で家庭でもつくって幸せに暮らしているのなら、せめて連絡の一つくらい寄越せとぶん殴ってから祝福してやろう。
だけど、もしもその身になにかあったのならば……せめて遺品だけでも回収してやらねば。
わたしは、ロックのただ一人の家族なのだから。
ロックが向かったのは……ウルティアという街だったはずだ。
まずはそこを目指すとしよう。
わたしは一応置き手紙を書いて、テーブルの上に置く。
仮に入れ違いになったとしてもこれで大丈夫なはずだ。
そして、颯爽と家を飛び出そうとしたところで……その場にへたり込む。
「おなか、へった……」
それと、眠い。
徹夜で作業していたことを忘れていた。
うん、出発は明日にしよう。
そうしよう。
ウルティアの街はまだ遠かった。