~世の色を守るために。~
遡ること十数年前。王国に忍び寄る『色なし』に思い悩む親子。はたして彼らは……
王街の中心部からやや外れたところにある、まだ真新しい庭園の中ほどにある、石造りの建物の一角。
そこでは二人の人物が、意識してかしらずか少し距離をとりながら、話をし始めたところだった。
「急に呼び立てしてしまい申し訳なかったな。本来ならば使いを立てて正式に呼ぶべきところだが、時が時なだけにな……」
「いいのです、父上。こういったことでもない限り、なまなかお会いすることも叶いませぬ身。ゆえに嬉しゅうございました。して、さっそくご用向きをお教え願えますか? あまり時間をお取りなられると、ご迷惑となってしまいかねません」
「うむ……しかし変わらぬな、お前のそういった直截的な物腰は」
「……はい。特にあちらでは強き意志を持ち、自らを律さねば堕ちてしまいかねませんから」
そう言った男の顔はまだ若く、血気にはやりがちな年頃と言ってもおかしくはない。だのにその瞳は暗く深淵を映すかのように、濃い闇の色を小揺るぎもさせなかった。
「そうだな、今のお前が身を置く場所からしてみるとな。うむ、お前にはこのところ起き出した、『色なし』の件を調べてほしいのだ」
「土地から色が失せ、それと共に力をも消えて死んだような地になる、あの現象ですね。危惧はしておりましたが、やはり広まっていたのですね……」
あごに手を添えて、考え込んだ後に応える。
「うむ。今はまだ主立っておるのが直轄地、対処もどうにかは出来ている。しかし漏れ伝わる話によると、北の地にて大事が起きているようなのだ」
そう言う人物は壮年にさしかかった短髪の偉丈夫で、青年とは似て非なる無骨な印象を与えていた。
「北の地というと、クバール、もしくはウラヌールですね。ウラヌールと言えば、近年異界の地と『船運び』により繋がり注目を集めたばかり……もしや?」
青年がはっと父親を見遣る。当の彼は懊悩するように顔を歪ませながらこう言い絞った。
「そうは思いたくないのだ。思いたくはないのだが……」
「分かりました、父上。これより疾く調査に当たることにしましょう。つきましては、お願いしたき議が」
「すまぬな、お前にはもっと心砕いてやりたいところなのだが、あれの手前そうもいかぬ。ゆえに出来うる限りの便宜は諮ろうぞ」
青年はなにかを堪えるようにし、そして顔を上げて言った。
「かたじけのう存じます。つきましては王国内を自在に動けるよう、巡察府の新設を願います」
前々から考えにあったかのように、よどみなく申し述べる。
「人選はお任せ致します。ただ、賢者殿はお付けくださるよう」
「うむ? 賢者殿か。確かに彼の者は従前より、『力』の乱れについて進言していたな。なによりお前と、お前の子の師匠にあたる使い手。よかろう、許すとしよう」
「ありがとうございます。それでは今すぐに、支度に取りかかることに致します」
そう言い残し、青年は深く一礼をしてその場を去った。
一度として、父に名を呼ばれることもなく。
「なぜじゃ、なぜ堕ちたのじゃ! あれほど強く言い含め、『繋がる力』を信じるのだと言うたではないか! だのになぜ貴様ほどの使い手がいとも容易く取り込まれおったのだ?」
周囲を巡察使の中でも『力』の太い者で囲い込み、完全に押さえ込めていたものが、ものの見事に覆されてしまう。
不敵に笑うその顔は、既に戻れないところまできてしまっているのを如実に表していた。
「ぬははは! なにを言うかと思えば、相も変わらず薄っぺらいのう。ぬしの言っておったのとは違い、今のわしは力漲っておるわい。幽世の『力』など、なんとはない。わしを高みへと誘う馳走であるばかりじゃぞ。ずるいのう、わしに喰わしたくなかっただけであろうに。いけずじゃのう」
そう言い放ち、おのが姿に闇を纏わせる怪老。
「ゾーンよ、それはまやかしじゃと何度も言うたであろうが! なぜにわからなんだ? おぬしは幽世の持つ負の属性に惑わされ、戻れぬところまで堕ちてしもうたのだ。もうわしにでも引き戻すことは適わぬ。かくなる上は……」
手に持つ長杖の先端には、紫紺の色合いを強くする水晶が嵌められている。その杖を全面に翳しながらじりじりと歩を進めるが、重く立ち込め始めた暗い帳に杖を持つ手が、小刻みに震えていた。
「おお? いかがした、ゼファー。かつての我が師よ。ぬしの『力』はそんなもんじゃったかの? 細い。細いのう、やはり闇の前では色など無用、すべては無に帰すべきなのだ。そうでなければならぬと彼の方も仰っておられたぞ。ぬしも聞いたであろう? 『色なし』の世こそあるべき姿、虚無の混沌、万々歳じゃ!」
闇の濃度が高まり、紫紺の色を飲み込む。とても抑えきれたものではなくなりゼファーと呼ばれた者の額には、玉のような汗が浮かんでは地に落ちていく。落ちる先から汗は、色を失っていく土に吸い込まれていった。
「ぬうっ、させぬ、させぬぞ……おぬしが言うそれは擬い物じゃ。始原を喰らいすべての繋がりを失わせるための甘言に過ぎぬ……うう、保たぬ。わしが持ちうる色ではもう……」
ゾーンが纏っている闇を打ち払えず、押し返すことももはや難しい。もうどうにもならない状況を変えるには、自身の身を賭ける他手段が見出だせない。もはや一刻の猶予もない。決断せねばと、ゼファーは声をふり絞った。
「皆の者、よう聞くのだ……皆の力を合わせ、彼奴の身と『色なし』の力とを切り離すのだ。さすればわしが……強制的に幽世へ彼奴の身を移し封じてくれようぞ。もはや猶予ならん事態ゆえ……早う動け!」
ゼファーのかけた決死の声音に、周囲で固唾を呑んで見守っていた者のうち幾人かが素早く自身の得物を構えて、『力』を込め出した。中には歌だろうか、抑揚をつけて声を響かせる者もいた。
しばらく拮抗した状態が続いていたが、次第にゾーンの纏う闇が揺らぎ薄らいでいく。はっきりと姿が見られるようになったゾーンは、皆が知っていた姿見からは大きく変容していた。全身が干からび、まるで血の通わぬ木乃伊のようであったが、その目だけは異様に赤く輝いている。周囲の知った者は一様に、その姿を見て動揺を隠せないでいた。
「信じぬぞ、わしは信じぬ! なあにが繋がりじゃ、始原じゃ! わしはかようなぬるい教えなどいらぬし、色など不要! 人など優しい振りをして、裏ではなにを考えておるかわかったものではない。嘘偽りが常、信じるものか! よかろう、ゼファーよ。ぬしに我が現身は進ぜよう。幽世で後生大事に封じておれば良い。その間にわしはあちらに参り、繋がる世ごと崩してまわるとしよう」
そう言い終えたゾーンは、薄れながら嫌らしい笑いだけを残し、やがてすっかり消え去ってしまった。辺りには、色を失い地の力のなくなった光景が広がっていた。
『皆、彼奴の言いし通りにさせてはならぬ。よってわしは本身を使って幽世では彼奴を封じ、心身にてあちらに移り動向を探ろう。どうか後をよろしゅう頼んだぞ。修行を怠らず、負の『力』に堕ちることなく正義を貫くのだ。ゆめゆめ忘れるでないぞ……』
ゼファーはゾーンを追うように姿をなくしながら、声音だけを残した。
残された者は力なく肩を落とし、蹲っては涙した。そのような中、きっと顔を上げて声を震わせながら皆を鼓舞する者がいた。
「師匠の仰った通り、我らがここで挫けていてはいかん。これまでの努力が無にならぬよう、更なる研鑽を深めていかなくては。我らは巡察使、ロストールをあまねく巡り、生きとし生けるものを守る心の拠り所たらん。良いな!」
皆が涙を拭い、顔を上げて立ち上がる。
時間はかかるが、色を失った地もやがて立ち直るだろう。これ以上の被害は、師匠と呼ばれたゼファーがゾーンを抑えきることが出来れば増えはしないはずだ。しかしそれに甘えるだけでは済まない。より多くの『繋がる力』を結集し、ゾーンの復活を見過ごすことのないよう、新たな脅威が現われぬよう目を光らせていかねば。
「父上。私が師匠様の本身の安全と、ゾーン様……あ奴の封じ込めを監視いたします。師匠様以外、私にしか出来ぬことです、真の幽世に出入り出来うるのは」
巡察使をまとめる者に、まだ若い、いや少年と言ってもおかしくない年頃の男子が言うのへ、
「……お前には優しい言葉も、安穏とした生活も与えてやることが出来ぬ。すまない、カ……」
「よいのです、父上。私にはわかるのです。いずれこの世のみならず幽世にも、真の光が差し込み平和が訪れる。そんな予感めいたものを感じるのです。ですからそのような辛いお顔はなさらずに」
互いに目を見つめながら、強く手を握り合う。若者は少しきざったらしい笑みを浮かべた後、一言つぶやいてその場から掻き消えた。
『開け、闇夜の宝石』
お読みいただきまして、ありがとうございます。
作中の内容が一部、第一部に既に記されておりますが、よろしくご容赦願います。




