~私のいた場所。~
まだ私たちが、宿屋さんに来る前のお話。
玄関の扉が、カランコロンと小気味のいい音を立てて開く。
私は急いで玄関前に行って、元気よくあいさつをする。
「いらっしゃいませ、ようこそ『羽根飾り亭』へ!」
中に入ってきたお客さんに、部屋の種類と宿泊料金の案内をする。他を当たってみると言うお客さんも中にはいるけど、そのまま泊まっていくのがほとんど。
なぜかってそんなのは決まってる。だって私やパパママに、気の良いお手伝いさんがお客さんのために、気持ち良く泊まってもらえるように頑張ってるんだから。
まずお客さんを、玄関から入って正面にあるラウンジにお通しする。いきなり部屋の鍵を渡して、後は知らんぷりなんてことはしないのがうちのやり方。ラウンジのソファーでくつろいでもらって、一息ついてもらう。
ここで飲み物を注文するお客さんもいるから、ラウンジのすぐ横には、小さいけどバーカウンターもある。
お客さんの人数や、その顔ぶれなんかで部屋割りが変わってくるんだけど、出来るだけ好みや希望に合わせた部屋を用意する。念のために状態の確認をして、私かお手伝いさんで部屋に案内をする。大きな荷物なんかは、とてもじゃないけど私には運べない。そんな時は、お手伝いさんに運んでもらう。
宿屋さんの受付は、大体六の鐘が鳴る頃には落ち着いてくる。そこからは、食堂の方が忙しくなってくるんだから上手く出来てるなあって、いつも思う。
うちの宿屋さんは、そんなにたくさんのお客さんが泊まれるような旅館じゃないし、酒場や大衆食堂みたいに広い食堂があるわけでもない。それでも食堂は、お昼時から夜遅い時間まで開けてるし、泊まり客だけじゃなくて町の人たちや、旅の人なんかでも気軽に立ち寄ってもらえるようにしてる。
そりゃあ東や南みたいに賑やかじゃないし、西のように海に面した港が近くにないからそんなに栄えてるわけでもない。でもそこそこは人通りもあるし、美味しい食べ物屋さんや珍しいお土産を扱ってるお店屋さんもある。
町の人たちみんな、仲が良くてとても明るいし、なにより気の良い人たちばかり。この町に生まれ育って、こうして宿屋さんの仕事も手伝えるようになれた。
このまま家族みんなで仲良く暮らしながら、この宿屋さんを切り盛りして。そして好きな人が出来て結婚なんかして、家族も増えて。大変だけど、幸せな毎日が続いていくといいなあ。
まさかそんなささやかな幸せが、だんだん色あせていくだなんて。そして町の人たちや私たち家族に、とても辛くて悲しい出来事が起こるだなんて。この時までは、誰ひとり思ってもいなかった。
「最近町に活気がなくなってきた気がするんだがよ、おいらの思い過ごし、ってわけでもあるめえ? え、どう思うよ、嬢ちゃんよう」
私が注文を受けたエールを運んでる時に、赤ら顔のお客さんに問いかけられたけど上手く答えることが出来なかった。なぜなら、なんとなくこのお客さんの言っている通りになってしまった今の町の様子を、私は認めたくなかったから。そう思ってしまっても口にしちゃいけない、口にした途端、いっぺんにすべてが消え去ってしまうんじゃないかって怖くなったから。
「どこもかしこもみんな、ますますおかしくなっちまったねえ。お天道さまは相も変わらず、四六時中明るいんだけどさ。畑は痩せる一方だし、ほら、あんたも私もおんなじように顔の色が悪いったらありゃしない。ああやだやだ、このまんまどんどん、元気も色もなくなっちまうのかねえ」
嫌なこと、怖いことを口にしないでいたのに、そんな私の気持ちなんてどうでもいいみたいに、町からは賑やかさや楽しい雰囲気がすっかりなくなってしまった。
うちの宿屋さんの食堂でも、仕入れた野菜は細く味の薄いものになって、麦だって穂にはぜんぜん実が入っていなかったりして。そのせいで小麦粉もパンも手に入らなくなっていって、少なくなったお客さんにさえ出せなくなった。魚だって西の港からだんだん届く量が減っていった。
人も、お金も、どんどんいなくなり回らなくなっていった頃、この辺り一帯を治めているご領主様が倒れてしまったと聞いた。なんでも『色なし』とかっていう怖いものが、ご領主様に取り憑いたとかなんとか。
みんながよけいに暗くなってしまってしばらくして。
あの役人の一行がやってくるようになった。
「王国北方ウラヌール領の領主であるフォーヘンド殿、原因不明の不治の病にて領の統治すること能わず。よってここ領都に代官府を置き、代わってこれを治めることとす」
街の広場や大通り沿いには今まで見たことのない役人が、手に持つ羊皮紙に書かれていることを繰り返し伝えていて、それを聞いていた町の人たちが私たちに教えてくれた。
今ではすっかりお客さんも減ってしまったけど、それでもいつ来ても気持ちよく思ってもらえるように掃除は欠かさないでいた。今日もパパは玄関回り、ママはお部屋の掃除をお手伝いさんとしていたし、私は厨房を隅々まで綺麗になるまで磨き上げていた。竈では火亀が二匹、仲良く煤や灰をなめとっていた。そんな光景に、またいつかこの厨房にも活気があふれて、食材を切る音や焼いたり炒めたりする音、食器を並べて盛り付けをする慌ただしさなんかが戻ってくるんだろうかって悲しくなったのを覚えてる。
そしてそんな日が続いていたある日。最近よく来てはパパと深刻そうに言い争いをしている役人が、今までにはないくらいの人数で押しかけてきた。
そしてその日、私たちの宿屋さんだった『羽飾り亭』から、だれもいなくなった。
お読みいただきありがとうございます。
次話より、本編が始まります。よろしくお付き合いください。