暦600年11月30日11:00~14:00
一、年……!?
山の斜面に、真っ黒で長大な影が落ちる。
見上げれば天光。いや、その身が天の光を反射し、輝いているのだ。
そこらの大樹よりも太い胴。槍の穂先と見紛う鋭い爪。
バサリ、バサリと、その悠々たる翼を大きく翻しながら、その存在は地に降り立った。
「……蛇竜種……!」
初めて見るその威風堂々とした姿は、ただ存在するだけで他者を圧倒する。
「GUOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAA!!」
降り立った蛇竜は次の瞬間、耳を劈く吠え声を上げる。
その声だけで周囲の木がなぎ倒され、地が割れ吹き飛んだ。
そして何の前触れもなく――その長い胴が先程まで俺のいた場所を薙ぎ払う。
「うおっ!?」
前方宙返り気味にそれを避け、風の精霊にお願いをしてすぐさま着地する。
バックステップ。
「いいぞ!! 殺せ、茶ローブを殺せ!」
「やっちまえ! ノインを、ライヒをぶっ壊せ!!」
ヤジを飛ばすファイントの兵士。その目にはありありと恐怖が刻まれている。
「GYAAAA!!」
蛇竜はさらに暴れる。山を壊し、地を割り、誰も近づけなくなっていく。
だが、その様子は痛みにのた打ち回っているようにしかみえなかった。
そしてその力の矛先は、俺だけではなく――ファイントの兵士にまで向かう。
「――ぇ?」
自分たちは安全だと思っていたのだろうか。
囲う様にして見ていたファイントの兵士の一人が、その身に蛇竜の尾を受け、絶命した。
ただの、一撃で。
「う、うわぁああああ!?」
「なんでだよ!? 上の連中は飼いならしたって言ってただろ!?」
「知るか、今は逃げろ! 茶ローブさえ殺せりゃこっちのもんだ!!」
蜘蛛の子を散らすように、ファイントは瓦解した。
厄介ごとの種だけ置いて、逃げる、か……。ロクな連中じゃないのはわかっていたが。
しかし、蛇竜……とはいえ、子竜じゃないか?
さてはコイツら……無理矢理つれてきたな?
目の前で暴れ狂う蛇竜の尾が迫る。
風の精霊たちよ! 俺の身体を軽くしてくれ!
雷の精霊たちよ! 俺の身体に活力をくれ!
すべて思考で願いを呟きながら尾を避け、避け、避ける。
精霊たちを酷使してしまう事になるが……本当に申し訳ない。
「GURRRRRR!」
「相当に怒り狂っているな……傷つけられたか、母親の元から離されたか……なんにせよ、まっとうな理由ではあるまい」
「GYAAAAAA!」
精霊との意思疎通が可能な分、俺の身体能力はあまり秀でていないらしい。
俺が覚えていないいつぞやに比べて体が重い。あくまで対人戦特化……対竜には足りていないのだと思う。
もしくは、この時代の人間がそうであるか、だが。
「なんにせよ、人間の都合で連れてこられた生物を傷つけるわけにはいかんし……それに」
散々、今までの日々で聞いてきた。
俺が竜に対し、何を行ったのか、だとか。
俺がどれほど――英雄だったのか、とか。
俺はこの竜を、決して殺してはいけない。
「構えろ!」
「ッ!?」
突如、ファイント側――先ほど一個師団が逃げて行った方から、真っ白なケツァツコアトルに乗った数人の兵士たちが現れる。
その手には弓を持っていて、その鏃には――あの特有のぬめり、神経毒!
「風よ、守れ!」
「射てぇ!」
俺の方が数瞬早かった。
風によって作られた盾はファイントの兵士たちと蛇竜の間に入り込み、その矢を弾く。
「何ッ……貴様、貴様が茶ローブか! 邪魔をするな! 我らはこの暴走した竜を止める義務があるのだ!」
「お前たちで傷つけ、無理に従わせた竜を――お前たちが止める? それを義務と?
面白い冗談だ。ライヒ王国においてどれほどスラムを探し回っても、それほど下賤な言葉を吐ける輩はそう居まい」
「貴様、ファイントの騎竜部隊を愚弄するかッ!」
背後から迫ってくる風圧。
ま、人間の区別なんかつかないよな。
バク宙でそれを避け、風の精霊に頼んで空中に足場を設置、またも弓を用意し始めたやつらの元へ急降下して、ケツァツコアトルの足を切り裂く。
「くっ……目先の事しか見えぬ野蛮人が! アレが暴れ出したら、貴様らの国とて無事では済まぬのだぞ!」
「生憎と、こちらの国には竜騎士の村や最強の名を恣にする村があってな。このノインの村は、最弱の村の称号をいただいている。そんな村に200年と勝てない大国に竜を任せて何になる」
「……お前たちが、最弱だと?」
「そうだ――これからの200年、お前たちの国には苦難を強いよう。レグレス・ツァイトの名に懸けて――この竜に、指一本触れさせん」
火、水、土、闇以外の精霊たちが、俺の周りに集う。
加護を受けているわけじゃない。
だが、この精霊たちは、俺に力を貸してくれる。
ハイエルフの天敵――確か、アイツらが言っていたな。
「――構うものか! 今ここであの竜を取り返さなければ、この先が我らに訪れる事はない! お前が一時立ちはだかる事よりも――遥かに、重い事実だ!」
「そうでもないだろう。
重い事実を述べるのなら――そうだな。今、お前たちの国では後継争いが起きている。明日の夜までに帰らなければ――現王の隠し子である第三王子、マリウスは死ぬだろうよ」
明確に、兵士の瞳が見開かれた。
俺にとっての、四日ほど前。
誰とも知れぬ送り主から感謝状が届いた。貴方のおかげでさる方を助けられた、と。
「……何を」
「お前が付き人として慕っている少年が、過激派の手によって捕らえられている、と言っているのだ。既にライヒ王国など眼中にないファイントの一部貴族による国盗りのための前準備として、な」
「GYAAAAA!!」
今この場で対面するまで、送り主が誰であるかはわからなかった。
だけど、これほど……これほど、精霊に好かれている純粋な心の持ち主だ。
竜に対する扱いはいただけないが、相手の誠実さくらいは見破れる。
事実的な敗戦を喫した要因である一人の村人に対して、感謝状を贈るようなヤツだ。
「この竜は、こちらで引き受ける。お前は自らが為すべき事を為せ。その為の”白き鎧”、なんだろう?」
「……くっ!」
暴れ狂う蛇竜の尾がファイントの兵士達を襲う――風よ、光よ。
彼ら彼女らを包み込み、離脱させてほしい。
「ッ、我々を守るというのか、茶ローブ……いや、レグレス・ツァイト!」
「お互いに血を流しすぎた……終わりにするべきだと思わないか。お前たちは最高戦力を投入してなお、制御できずに瓦解したのだ。こちらももう、攻め込まれない限りは戦う理由がない」
「GrrrrrrAAAA!」
「……本当に、任せても良いのだな?」
「ああ――任せろ。そしてお前たちは、敗走したのではなく、国の大事を救う英雄となれ」
「……必ず礼をする! 恩に着る――帰還するぞ、お前たち! マリウス様の大事だ!」
何の証拠もない俺の言葉を、ただ瞳を見ただけで信じた。
純粋だ。ファイントにもいい人材がいるのだと知った。
さて。
「grrrr……Guhrrr……!」
「レグレス、加勢に来たぞ!」
「モス。最大火力を撃ち込む。離れて」
ハイエルフ組であるバルクルとケイルが、物凄い量の精霊を引っ提げて現れた。
お前たちもか。
「モス。発射――レグレス!?」
「ばっかお前、天才バルクル兄さんでも放出したあとの精霊術を曲げるなんて出来ないぞ!?」
二人の射線上に割り込み、蛇竜を背にしてローブを展開する。
風の精霊、雷の精霊、氷の精霊、光の精霊。
俺と最も仲がいい彼らに背後の竜の守護を頼み、向かってくる火と水の精霊の説得を試みた。
「GAAAA!」
「ぐ、がっ……ッハッ」
その、背後から。
たたきつけるような頭突き――蛇竜の行動だ。
バルクルとケイルの精霊に退いてもらう事は成功したが、そっちは無理だったか。
「レグレス!」
「モス、雷の槍を使う!」
「やめてください、ケイル! バルクルも……やめてやってくれ」
風の力で無理矢理体勢を立て直し、二人の近くへ着地。
腐っても俺もレグレス・ツァイトだ。この程度で死ぬわけがない。
「……レグレス?」
「モス。精霊が……集まっている」
……か弱いが、大精霊の卵たちが見に来たようだな。
やはり――この竜の子は、殺してはいけない存在だ。
もしかしたら、この三人の総力を結集すれば、あるいはノインの全戦力を投入すれば、勝利出来得るのかもしれない。
それでも、それはやってはいけない。
「あの竜を……治癒することは、可能ですか」
「モス。……何を言っている? そんなことをする意味がない」
「レグレス、アイツは蛇竜だ。怪我している今だからこそ隙があるが、全快したらどうなるかわからないぞ」
「可能か、可能でないか。教えてください」
「……モス。無理。水の治癒は、水の精霊を受け入れる心が無ければ行えない。あの蛇竜は人間もエルフも信用していない。だから、無理。それ以前に、モス。こちらの魔力量では、あの蛇竜の傷を癒すにあまりに足りない」
「天才バルクル兄さんも、お手上げだな。そもそも水の治癒術は応急手当のようなモンだ。加護でもあれば話は別だが、あれほどの傷は……無理だ」
「そうですか」
俺も、水の精霊術は得意ではない。
ふぅ、とため息を吐き……武器を捨てる。
「レグレスっ」
「GAAAAAAA!」
そしてそのまま、歩き出した。
当然襲ってくる蛇竜。その尾を、まともに、受けた。
「モス、狂った!? え?」
「……ありえねえ。今、精霊の力を使っていなかったのに……」
まともに受けて、吹き飛ばされない。
俺は昨日、無事だった。骨折もしていなかったし、四肢の欠損もなかった。
であるならば、俺が今多少の無茶をしたところで、この体の持ち主に何の影響もない。
俺が今日、何をしても……結果は定まっている。
であるならば、その結果に合わせるような力が何か働くはずだ。
「グ、ギャ……? GYAAAA!!」
「安心してほしい。君を傷つけるつもりはない……君の身体に、一つの魔法をかけさせてほしいだけだ」
「GIIIIAAAAA!」
攻撃が熾烈になっていく。
だが、歩みは止めない。折れないことを知っている身体で、受け止める。
「俺の名は、レグレス・ツァイト。
君を助けたい。君の身体は水では癒せない……だから、君の傷が癒える時まで、休んでいてほしいのだ」
「Gurrrr……」
知識として知っている事ではない。
だが、必ず行えるはずの魔法。
「君が傷を癒している間は、俺がそばにいよう。俺が君を守り続けよう。俺は各町に存在することになるはずだ。故に、君がその体を癒し――龍へと至るまでの間を、このレグレス・ツァイトが見届ける事としよう」
「……」
「良い子だ」
――願う。
俺の魂に根付いた精霊よ。
この子を――明日へ。
時計の針が出現する。
十二の色を持つ時計盤が、蛇竜の足元で回転を始めた。
「レグレス、なんだ……この精霊は、知らないぞ!」
「モスッ、八精霊の、どれでもないっ! これは、有り得ない――」
それはゆっくりと……明日の方へ、回っていく。
風が巻き起こり、周囲の木が軋む。
歓喜のようで、悲鳴のようで。
「――【時の愛し子】/『時を遡る旅人』」
瞬間、三人の目の前から――蛇竜の姿は、消え去っていたのだった。
『今のは……何が起きたんだ?』
『……時の力を感じました。それも、未来へ向けての』
『ふむ……毎日を一時間だけ経由し出現させる事で、当人……当竜の苦痛を極小に抑え、その身を癒し、外敵を寄せ付けず、さらには齢を重ねさせる事で龍へと転化させる、か……』
『うふふ……面白いことを考える子もいるものね。それに……戦いが、終わったみたいだわ』
『言葉を交わして、ファイントの兵士を返したってマジすごくない? だって二百年続いてたんよー?』
『……そしておそらく、功労者たる彼は、報われないのでしょう』
『ああ、ありゃ間違いなく時の加護じゃわい。今のわしらのようなちっぽけな力でない――もっと、強力な』
『僕、興味が出ちゃったなー』
――まだ名もない彼らの、秘密の話。




