暦2050年12月22日10:00~12:30
リヒトは食堂の中をずっとふよふよしてます、レグレス君の視界から外れたり、レグレス君の視界に入ってる客にちょっかいかけたり、ビュルガーさんを通り抜けてみたり。
木製のスプーンを、揺蕩う海のようなカレーに沈める。力強い抵抗感に、スプーンを傾けることで対応する。抵抗の少なくなったスプーンがカレーをかきわけ、具である野菜にぶつかった。この感触は――にんじんか。スプーンをにんじんの下へ素早く潜り込ませ、スプーンを水平にする。そこから、急上昇だ。まるでくじらが海面へ顔を出すかの如く、カレーが描き分けられる。浮上。スプーンの皿の上に乗せられた、カレーにまみれたブロック塊が出現した。木製スプーンの柄の部分――勿論ここも木製だ――に力を込め、口に運ぶ。カレーが舌に触れる。やわらかい、暖かな味。ビュルガーさんの気質がそのまま込められているかのようだ。そのまま、ブロック塊を口内へと誘う。口を閉じて――一噛み。驚き、疑問。そして納得。感触だけでにんじんと判断したソレは、果たしてにんじんではなかった。正体は――ブロッコリー。茎の部分だ。だが、ブロッコリーとは、こんなに太かっただろうか……。こんなに、歯ごたえがあっただろうか……。味はブロッコリーなのに、頭が混乱する。ふと、横でニヤニヤと笑っているビュルガーさんに気付く。
「あんたそりゃあ、エラフ産のブロッコリーだからねぇ。そんじょそこらのものと一緒にされちゃ困るよ。」
エラフ産。料理を、ある程度まで極めた者ならば誰しも聞いたことがあるだろう。エラフ産の野菜は常識を超えると。交易の無いエラフの街の情報だから、みんなホラ話と真面目に聴くことはなかったのだが……、まさか、本当だったとは……。これが、エラフ産――!
「いい加減、現実逃避してないで話してくれないかねェ。あぁ、別にいいんだよ? ソレ全部食い終わってからでも。その代り昼時までには喰い終わってもらうけどね?」
いや、もうすでにギブ気味っす。鍋て。
「はぁ、話すと言われましても……。どうにも昨日の記憶が曖昧で、自分でもなぜこの宿に泊まっているのかさっぱりなんです。」
半分嘘だが半分本当だ。昨日の記憶はほぼはっきり覚えている。だが、この宿に泊まっている理由はわからない。状況から推理すれば、リヒトの所に辿り着いた事で瘴気が晴れ、ビュルガーさんが意識の失った俺を運んできてくれた、というのが一番ありそうなんだが。
「はぁ? 覚えちゃいないのかい? 仕方ない客人だねぇホント……。あんたは闇の祭殿で倒れてたんだよ。昨日の夜、闇の祭殿の清掃に行ってみたら、祭壇の前で仰向けになった人間が倒れてるじゃあないか。そのままほっとくにゃ大精霊様にも失礼だし、その辺に捨てるのも後味悪いから泊めてやったんだよ。あたしが聞きたいのは、なんであんなとこに倒れてたのか、ってことなんだけどね。」
やっぱりビュルガーさんは良い人だ。だが、聞き逃せない言葉があった。
「清掃? あの、瘴気はどうなったんですか? 完全に晴れたのでしょうか。」
俺がそう尋ねると、ビュルガーさんは少しだけ眉間にしわを寄せた。
「瘴気だって? なんてこというんだい、縁起でもない。大精霊様の祭殿に瘴気? もしかして、あんたも闇の大精霊様が瘴気の根源なんて噂を信じる馬鹿の一人じゃあないだろうね? あたしだったからいいけれど、もっと信心深いエルフの前でソレを言ってみな? 半殺しにされるよ。」
静かにであるが、ビュルガーさんは確実に怒っていた。確かに、闇の大精霊が瘴気の根源だと主張する一派が人族にはある。それは、エルフにとっては信仰を汚されることと同義だろう。瘴気とは、人間の悪意の塊なのだから。
「いえ、俺はそんな事は思ってませんよ。何もなかったんならそれでいいんです。祭殿で倒れていた理由ですが、やっぱり記憶が曖昧で思い出せないんです。すみません。」
「ふふふ、それは簡単な事よ。レグレス・ツァイト。あなたが私の元に辿り着いたことで、『瘴気が発生していた』という事実が消え去ったというだけの話。あなたのおかげなのだけれどね?」
「そうかい。ま、悪さをしていたとかじゃ無さそうだし、いいかね。まぁ八精霊の加護がついた人族が悪い奴なわけないんだけどね。昨日背負って帰った時も思ったけれど、珍しいくらい精霊に好かれているね、アンタ。一つ二つと加護がある奴はちらほらみかけるけど、八属性すべてはエルフにすらいないよ。今は大分消えかかっているけどね。」
「あら、あらあら。フォイアルやヴァッサが時々人間に保護魔法をかけていたのは、そういう意味だったのね。保護魔法がかかっている人間は、自分のものだって言いたかったのね。ふふふ、いいわ! レグレス・ツァイト。あなたは私の友なのだから、私と対等な存在として扱わないといけないわよね。ふふふ、人間が見ても、精霊が見ても、神が見ても、レグレス・ツァイトが光の大精霊の友だって確実にわかるようにしなければいけないわね! ふふ、うふふふ。」
それは後にしてくれませんかねリヒトさん。今かけられたら絶対大事になるから。後生だから。
「八属性の加護……。あぁ、すべて消えたと思ったのに、まだしっかり俺を護っていてくれたんですね……。」
少し遠い所を見るような感じで目線を上げ、眼球に魔力を集中させ涙を造る。流すほどじゃなくていい。にじませるくらいで十分だ。早くこの場を離脱しないと、リヒトが何をするかわからない。というかさっきからチラチラ視界に入ってこないでくれ! 仮にも美女だからそっちへ目線が言って、訝しまれているじゃないか。
「何か思い出したのかい? あ、あぁ、いや。話したくないならそれでいいんだよ。無理に聴くことはしないから。」
くっ、この優しい人をだますのは心苦しいが、昨日あなた方にかけてもらいました、なんていっても信じてもらえないだろうからな。俺も説明できないし。
「ありがとうございます。優しいんですね、ビュルガーさんは。」
そろそろカレーも食えぬ。いい話の流れで離脱を……ッ!
「うん? あたし、あんたに名前教えたっけか? その名前は、街の長としての時しか明かさないんだが……。あんた、どこかであったか?」
はいやらかしたー! だよなぁ、エルフ達に接するだけならともかく、一応ここは他の種族も持て成すんだ。宿の女将の時だけの名前があってもおかしくはない。
「それも、リヒトに聞いたんですよ。なんでも長と女将を兼業しているらしいじゃないですか。」
教えて☆光の大精霊! すまない、リヒト。これくらいしか言い訳方法を思いつかないんだ。言い訳する必要もないかもしれないのだけれど。ビュルガーさんが昨日教えてくれたんですよ、って言って信じてもらえるかどうか……。今までの経験からすると、確実に無理だけど。
「ふふふ、レグレス・ツァイト。友が友を頼るのは当たり前の事でしょう? レグレス・ツァイト。そうでなくとも、あなたには恩があるのです。名前を使われることくらいどうということではありませんよ。ふふふ、あなたがそうして、私の友人であることを人間に広めれてくれるのです。私は精霊たちから始めていきましょう。ふふふ。レグレス・ツァイト。私の友だち。」
良いらしい。それとリヒト、友だというのならば、恩とかそういうのはナシにしてくれ。少なくとも俺は何もしてないからな。あとフルネームじゃなくていい。レグレスでいいから。
「へぇ……。光の大精霊様にあたしのことまで伝わってる、っていうのかい? 流石に信じきれなくなってきたが……。あたしゃただの一エルフなんだけどねぇ。」
「ふふふ、レグレス・ツァイト。友がそう呼んでほしいというのならば、そうしましょう。ふふ、レグレス。レグレス。良い響きね。それから、恩を無かった事に、でしたか? ふふふ、わかりました。ただ、私も大精霊としての矜持があるのです。他の大精霊に、友とはいえ人間を好きなように扱き使った、なんて思われるのは嫌ですからね。そう、そうね。後で私の祭殿に来なさいな。そこでついでに、さっき言った私の加護も授けましょう。うふふふ、今から楽しみになってきたわ。」
うっ……、流石に怪しまれてきたか。なんか証明するモンでもあれば……。証明も何も嘘なんだけど。いや、半分くらいは嘘じゃないからいいか。
「あー、なんか証明できるものがあればいいのですけどね……。生憎俺は手持ちも何もなくて。」
「そんなこたァ運んできたあたしが一番よく知ってるよ……。ホントになんであんなとこにいたのかねェ。……うん? そうだ、証明というならいいのがあったね。」
ビュルガーさんが何か思いついたようだ。無理難題というものでなければいいが。
「あんた、光の祭殿へ行ってみなよ。この街は多重構造で住民でも迷うことがあるんだが……、光の大精霊様の友達なら、場所わかるだろ?」
サブタイトルからわかりますが、レグレス君は朝から昼までずっと鍋カレー食べてました。途中から虚ろな目で、手は動いてるけど食べてない、みたいな状態だったので何時間もかかってます。




