3-8 夜明けの海岸
・・・・覚えているのは、迫り来る7匹目のグールを斬り殺したところまで。
巨大な親グールの攻撃は大樹を根っこからなぎ倒していき、逃げ惑う俺達の足場さえも奪ってゆく・・・
ひとり・・・またひとりと悲鳴が聞こえ、ドラゴンの堅い骨が噛み砕かれる音も聞こえた。
地獄と化すその場からイリスを逃がす為、俺は彼女の体を後ろへと突き放す。
その瞬間だった・・・死角からの親グールの砕爪により、俺の意識はそこでぷっつりと途切れる。
最後に聞いたのは、俺を呼ぶイリスの声・・・だがそれも、すぐに聞こえなくなった・・・
それから、何時間が経ったのだろう・・・・
奇跡的に俺が目を覚ましたとき、そこは薄暗い森の中だった。
「クウゥ・・・」
「カフ?」
生い茂った木の上で、下手くそに干された洗濯物のように横たわる俺の体・・・
カフが足を引っ張り、必死に木から降ろそうとしてくれていた。
「・・・・い、いた、痛いよ。」
後頭部がズキりと痛む・・・・なぜ?思い出せない・・・
俺は一時的な記憶のショートを起こしていた。
しかし、額に触れ、ポロポロと落ちてくる黒い塊が自分の「血」であると気が付いた俺は、まるで頭に洪水が流れ込んでくるかのように、一瞬ですべてを取り戻す。
そして息をするのも忘れ、俺は気が狂ったかのように走りだし海岸へ向かった。
だんだんと鮮明になってゆく数時間前の記憶が、俺から理性を奪い去ってゆく・・・
そしてちょうど森を抜け海岸に戻ってきたところで、俺の足はもつれそのまま岩地に転げ落ちた。
ーズキンッ・・・また頭が痛む・・・
恐る恐る顔を上げると、そこにはたくさんのグール達の足跡と、砕けた岩や木の破片。
そして俺の・・・母さんの剣。
俺の手から離れたそれは、崖っ淵で誰にも拾われる事なく置き去りにされていた。
あの剣で、俺はグールをたくさん斬った。それも、数えきれないほど・・・なのに、
・・・・・なんで・・・何もないんだ。
所々の岩肌にこびりついた不気味な血痕以外は、何もない。美しい朝焼けの見える海岸だった。
その控えめな朝の白光を全身に受け、俺の頭は急速に回り始める。
そうだ・・・きっとみんな無事逃げられたんだ。だって俺がたくさんグールを殺したし、そりゃ親は斬り損ねたけど、十分時間は稼いだ。カフの破壊砲だって撃った。「逃げろ」と喉が破ける程叫んだ。
みんなもきっと森の中に隠れているんだ、早く探しに行ってやろう・・・
そう思い、俺が剣を拾おうと手を伸ばした瞬間・・・
見覚えのある鮮やかな色彩が、俺の眼に飛び込んできた。
・・・・・・・え?
鼓動がだんだんと速まり、視覚から入ったその情報を俺の脳まで運び込む。
それは朝焼けと同じ色をした、淡いオレンジ色の毛髪。それが束になって、地面に散らばっていた・・・
・・・・血がついている。
妙に癖づいた曲線を保ったまま血で固まっているその髪を、俺は震える手で丁寧にすくい上げた。
そしてその明るい色味とは裏腹に、それは残酷な事実だけを俺に知らせてくれた。
「・・・・・・イ、リ・・ス?」
信じようにも信じがたい、恐ろしい出来事が俺の中で鮮明に描かれる。
俺はその髪を握りしめたまま、光に背を向けるようにしてうずくまった。
きっと朝日のせいでこんな色をしているんだ・・・そうに違いない。
そう、信じたかった・・・
そして、吐きだす・・・俺は絶叫していた。
声にならない嗚咽を漏らし、ただただこの事実を否定する言葉だけを吐き続けていた。
それから涙が遅れるようにやってきて、深い悲しみが俺の心を支配する。
「・・・・・・・・うっ・・」
その時、どこかで誰かが呻くような声が聞こえた。森の入口からだ。
俺はすでに棒っきれのようになった足で立ち上がり、ほとんど滑り落ちるようにしてその声に駆け寄った。
そして一瞬、希望のようなものがチラついた後、それは俺の頭の中をかき乱し小さくなっていく。
「・・・・・サンタ。」
「・・うぅ・・・た、助けて。」
その柔弱で細い体は、あちこちを打ちつけ関節という関節が壊れていた。顔面は真っ黒。血だらけで、生きているのが不思議なぐらいだった。
「サンタ・・・い、生きてるのか・・?」
尋ねると、サンタは涙ぐんだ眼で必死に訴えてくる・・・痛い、助けてくれと。
まるで地獄にいるような気分だった・・・
俺はサンタの横に崩れ落ち、まだ握ったままのイリスの欠片を一瞥した。
何度目を凝らしてみても・・・たしかに、そしてどうしようもなく、それはイリスの毛髪だった。
「ハル!?いた、こんなことにいた!!」
「・・・・・フィアナ。」
「心配してたのよ、朝起きたらいないから。一体何があったの?」
シルヴァーノの背から降り立ったフィアナは、その場に横たわるサンタと俺とを交互に見やった。
そしてそのただ事ではない様子を瞬時に感じ取ったのか、息を止め呆然と立ち尽くす。
「フィアナ・・・サンタが・・・早く手当てをしてやって・・・」
「・・・・え・・ちょっと、ハルしっかりして!」
そこで俺の意識は再び途切れ、次に目を覚ましたとき、そこは夜の礼拝堂だった。
そこで毎晩祈りを捧げていたイリスの姿は・・・もうない。
そしてそこには、俺の身を案じ涙を浮かべるフィアナと、全てを分かったように頷くティオスの姿があった。
「・・・・・ハルくん、すまない。すべて僕の責任だ。」
「・・・・・・・・・。」
「僕がちゃんと気をつけていれば・・・」
「・・・・ティオスのせいじゃないよ。」
そう、悪いのは俺だ。
脱走計画の事をこの二人に相談せず、自分だけで止められると過信した・・・俺のせいだ。
「・・・・親グール、見たんだ。」
「!?」
俺はまるで感情を押し殺すように、フィアナがいるのも気にせず事後報告を始める。
「真っ赤な鱗で・・・体は普通のグールの数倍大きかった。そして・・・最初にその爪でやられたのは、」
その先を話そうとした時、治癒魔法をかけてくれていたフィアナが、俺の腕をがっしりと掴んだ。それ以上何も言うなというように・・・
「本当にすまない。君達を守ると約束したのに・・・」
「お前のせいじゃないって言ってるだろ・・・悪いのは俺なんだ。それよりも、今は親グールの事が先決だろ。」
そう言うと、ティオスは少し驚いたような眼で俺を見ていた。
「なんだよ・・俺なにか違う事言ってるか・・・?」
「あ、いや・・・そうだね、その事はまた明日にでも話そう。僕はサンタ君の治療を手伝ってくる。クラウスさんは、ハル君を見てやっていてくれ。」
「・・・・・分かってる。」
ティオスが去った後、静まり返った礼拝堂には、俺とフィアナの二人だけ。
俺は目を閉じ顔を伏せたまま、体の痛みが徐々に和らいでいくのを感じていた。
さっきまで体の至る所に激痛が走っていたのに・・嘘みたいに治ってゆく・・・
「・・・フィアナ、疲れてるじゃないか。もういいよ、ありがとう。」
「・・・いいの、やらせて。」
風が吹き抜けるここはずいぶん冷えるというのに、フィアナの額は汗でびっしょり濡れていた。
「・・・俺が気を失っている間、ティオスに何か聞いた?」
「・・・・・うん、聞いたよ。」
「・・・そっか。」
沈黙。
フィアナは何も聞かず、ひたすら治療に専念している。
「カフ、お前は先に向こうで休んでろ。」
俺がその鼻先を優しく撫でてやると、カフは外へ出て寝床の確保へと向かった。
これは俺の推測でしかないが、気を失った俺を森に隠してくれたのはカフだ。
グールに見つからないよう木の上に乗せ、自分も茂みに息を潜めていた・・・そうでもなければ、あの状況で俺が助かるのはありえない。
カフはああ見えてとても賢い奴だ。小柄な自分では俺一人を助けるので精一杯だと分かっていたんだ。
・・・だとすると、カフも知らないのだろうか。
・・・・・・イリスの最期を。
「ねえハル・・・・これ。」
「ん?」
治療を終えたフィアナが、ゆっくりと立ち上がりポケットから何かを取り出した。それは丁寧に折り畳まれた白い紙。
「・・・なに、これ?」
「・・・ここのね、礼拝堂の神前に置かれてあったの・・・ごめん。中、見ちゃった。」
俺は緊張間の中その紙を受け取った。フィアナがこっちを見ようとしない・・・なぜだ。
恐る恐るその紙を開いてみると、そこには5行ほどの短い文章。
そしてその中に・・・俺の名前。
「勝手な事をしてごめんなさい」
「今まで守ってくれてありがとう」
そして、「さようなら」と「またね」
その言葉を断片的に拾い上げた俺は、震える手で紙をくしゃりと握った。
「・・・・・・イリス。」
その置き手紙は、俺への謝罪と感謝、別れ・・・そして再会を約束したものだった。
それは同時に、俺がこの島を生きて出られる事を信じた言葉・・・
「フィアナ・・・これ・・・」
「ハル、わたしの前でまで、無理してそんな顔しないで・・・お願いだから。」
そう言ってくれたフィアナは、目の下を少しだけ腫らし今にも泣きそうな顔をしていた。
そして、優しく諭すように俺に言った。
「・・・・守ってくれてありがとうって、書いてあるのよ。」
「・・・・・うん・・・」
・・・だけど、俺はイリスを守ってなんかいない。結局俺は、最後まで彼女の気持ちに気付いてあげられなかったのだから・・・
毎晩ここで祈りを捧げていたイリスが、本当は不安で押し潰されそうになっていた事。
その恐怖から逃れるため、わざわざ俺に何気ない会話を持ちかけていたこと・・・
どうしてあの日・・俺はここで、彼女の不安を拭い取ってあげる何かが言えなかったのか・・・そうすれば、きっと何かが変わっていた・・・
押し寄せる後悔と自分の愚かさに、俺はその場でみっともなく泣き崩れた。
そして、わななくような声でフィアナに事実だけを伝える。
「・・・・・なんにも、なかったんだ。」
「・・・うん。」
「イリスも、シェスカも・・・・誰もいない。これしか・・・無かったんだ。」
俺がポケットから取り出したのは、海岸に落ちていたイリスの毛髪。
「・・・俺は・・守ってやれなかった・・・」
「ハルは頑張ったよ・・・こんなに傷だらけになって、ずっとみんなを守ってきた。」
「・・・うっ・・・うぅ・・」
何かが外れたように弱音を吐き続ける俺を、フィアナは朝方までずっと抱きしめてくれていた。
誰かの死を受け入れるなんて、そんなのは綺麗事だ。
俺はきっと、ずっと彼女の死を否定しながら、他の何かに縋って生きていくしかない。
・・・・・そう思っていた。
しかし、その腕の中の優しい温もりは、そんな俺の心を少しずつ癒していくとともに、まだ俺には守るべき大切なものが残っている・・・そう教えてくれている気がした。




