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一話物

スノウストームーン

作者: 紅月赤哉

「お嬢さん。私の作ったミルクを飲んでくれませんか?」

 家のドアに鍵を差し込んだところで、後ろから声をかけられた。振り向いた先に見えたのは、黒いコートに全身を包んでシルクハットを被った男。

 私の作ったミルクを飲んでくれませんか?

 彼はそう言った。熱いのだろうか、全身から白い湯気が立ち上り、空から降ってくる雪も体に付着する寸前に気化していた。ムンムンと香ってくるのは乳白色の香り。いつも嗅ぎなれた牛乳の匂い。例えばいつも乳製品配り歩いているおばさんみたいな格好しているなら話は分かるし、いらないにしろ考えるけれど。目の前の男は少なくとも牛乳売りには見えない。というか、そのミルク自体どこにも持ってるように見えない。百歩譲って黒コートの中か。

「お嬢さん。買ってくれませんか? ハァハァ……今ならお安く……なってますよ……」

 息も切れ切れ。顔も火照っている。雪はますます強くなってきて、風もあいまって吹雪と化してきた。こっちも着ているのはコートの下に学校指定のセーラー服。スカートの内側に冷気が入り込んできて体が震えた。これ以上ここでずっと立っているわけにもいかない。ひとまず鍵を抜いて扉を開ける。

「入りなよ。ここじゃ寒いからね」

「ありがとう。ございます。むふふ。ぐふふ」

 演技じゃないかと思うほどに桃色の雰囲気をかもし出している。ミルクが牛乳なのかそれとも別の意味なのか分からないけれど、ただ売りにきているとは思えない。

 家の中に男を入れると、靴を脱ぎ、いつでも逃げられるように左手に持って居間へと向かった。後ろに男もついてくる。ちら見するとハァハァ言いながら家の匂いを嗅いでいた。試しに意識して鼻から吸うと、先ほど新品を開封した、柑橘系の芳香剤の香りが漂っている。心を落ち着かせる効果があると何かの本で読んだことがある。この男も落ち着けばいいのに、更にハァハァと息が荒くなってきた。

 居間に入ると同時にコートを脱いでソファに放り投げる。肩を回して心を落ち着かせる中で部屋を見回してみると、小汚く、散らかったものが目に付いた。服や何かの漫画に洗濯物干しから落ちた下着まで。まるでドロボウに入られたみたいだ。

 冬の日では昼の三時になれば暗くなる。だから、普段から昼からカーテンを閉めて電気を点けるんだけれど、今は点けてないから薄暗い。出来れば電気は点けたくなかった。後ろの男に顔をあまり見られたくないし。

「まるでドロボウに入られたようですね」

 後ろの男が思考を読んだかのように呟く。気を悪くしたのかと思ったか、すぐに言い直してきた。

「い、いえいえ。両親は共働きですか? お嬢さんも勉強とかで忙しいでしょう」

「別に帰宅部だし。まあ、ぞんざいではあるよね」

 周囲を見回してため息をつく。ごみが散らかっているところとは裏腹にやけに磨き上げられている床とか気になるところはある。まあ、この惨状はこのままでいいだろう。

「ところで、お嬢さん。そろそろ私の作ったミルクを飲んでくれませんか?」

 背後でガバっとコートが開かれて空気にぶつかる音がした。特に何もしてこないところを見ると、まず全身を視界に入れてほしいんだろうか。まずは思い通りにしてやろうとゆっくりと振り向く。表情は少し引きつり気味で。

 そこにはアバラの浮いた貧相な体つきをした男が立っていた。下着はボクサーブリーフ一つ。普通、こういうあからさまな痴漢は下着までつけていないんじゃないだろうか。変なところで自尊心でも働いてるんだろうか。

 そんなことを頭で考えつつ、「きゃあ!」と短く悲鳴を上げておいた。

 男は調子に乗ったのかニヤついてじりじりと近づいてくる。

「あのですね。どこにあるかといいますとね、ちょうどね、貴方の視線の先からね。出てくるんですよね」

 ボクサーブリーフに注目していたからか、男が言う。あえて直接的な表現を避けて、想像力で卑猥さを増幅させるという手法を使ってくるあたり、常習犯なのかもしれない。同級生でそんなことをさせられた人がいるんだろうか。

「さあ、お嬢さん。蛇口を手にとってください……」

 そろそろ良いだろうか。

「すみませんが、いりません」

「……ここまで来てそりゃねえだろおい」

 男は貧相ながらすごんでみせる。

 俺が女の子だと思っているからだろう。

「俺は男の精液を飲む趣味はありませんから」

 今まで、一オクターブ上の声域でしゃべっていたところから、地声に戻す。

 声質は軽いけれど、さすがにこれなら気づくだろうという声音。

「あ?」

 男が呆気に取られてる間に俺はすたすたっとキッチンに向かった。まな板の上に置いておいた包丁を手にとって男へと歩き出す。

「お、おい。なんの真似だ……?」

「気づかなかったか? 何で俺が靴を片手に持っているか。どうしてここがこんなに汚いのか。どうして柑橘系の匂いが満ちているのか」

 俺の言葉に男は先ほどまでの精神の優位性を崩されて、徐々に後ずさりしていく。顔は蒼白で、それでも心のどこかでは現状から導き出される事実を信じないというような気配がする。

 包丁から液体が滴り落ち、床に楕円の痕をつけたことで「ひぃ!」と喉の奥から悲鳴が漏れた。

「とんだ邪魔が入ったぜ。まさか逃げようとしたところをお前見たいな変態に見つけられるとはな」

「ま……まさか……お前……ころ」

「もう口を開くのは止めておこうか」

 一歩強く足を踏み出すと、男は悲鳴を上げて居間から駆け出していく。俺はその後を追って玄関へと飛び出すと、男は既に扉を開けて外に飛び出していた。吹雪の中でも黒いコートはよく見える。だが、コートは風で翻り、その下の肌色を露出させていた。遠くで雪道を歩く人影が驚いて悲鳴を上げたのが聞こえた。おそらく、このままどこかで逮捕されるだろうか。あるいは逃げおおせるか。どちらか分からないけど、しばらくは警戒したほうがよさそうだ。

 扉を閉めて、鍵をかける。今度はU字ロックもしっかりと。

 まずは着替えるまで誰もいれるわけにはいかない。

「危なかった……」

 キッチンに戻って包丁を元の場所に戻す。トマトを切り終わった後で放置していたから赤い汁が付着していて助かった。明るければ簡単にばれただろうけど、暗さの勝利だ。

 あと、部屋がいつも汚いのも今回はプラスに働いたらしい。だからって片付けないと母親にしかられるだろう。

「やっぱり着替えてから買い物いってこよ」

 後片付けよりも自分の片づけだ。

 自分の部屋へとダッシュで戻り、セーラー服を脱ぎ捨てる。部屋着に着替えてから丁寧にセーラー服をたたみ、洋服ダンスの一番下の引き出しの奥へとしまいこむ。これで見つからないはずだ。

「今までで一番スリルある女装だったな」

 窓の外を見ながら、どこかの誰かに語るように呟く。そうでもしないと胸のドキドキは抑えられそうに無かった。

 変な趣味を持つ俺の存在なんて押し潰すように、外は白い雪が降り積もっていた。

雪が降る日は実はあまり寒くないですね

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