第六話 512BB
皆様ご想像くださいませ。
時は現代、所は日本。
うららかな日差しの午後の住宅街を、
みなさんご存じのあの男、衝撃屋が歩いておりました。
灰色のスーツに灰色の鳥打ち帽。
平べったい黒い皮の鞄を片手に下げて、
背中を丸め、あごを突き出し、
やせ細った躰。
口角の上がった薄い上唇、
分厚い下唇。
つり上がった細い切れ長の目は、
笑っているようでもあり、
泣いているようにも見えました。
さて、そんななんとも怪しい風体の衝撃屋。
今日はどうやらこの住宅街で
衝撃のセールスに励んでいるようでございます。
衝撃屋のセールスとは一体どんなものでしょう。
ちょっと様子をみてみましょう。
衝撃屋はいつも規則正しく歩いています。
その動きはまるで機械仕掛けのようでもあります。
あ、今、ある家の前で立ち止まりました。
ゆっくり玄関のほうへ向き直り、
躊躇することなく玄関のチャイムを押しました。
「ピンポーン」
「はい、どなたでしょうか?」
昼間の住宅ですと、こういう場合、
家にいらっしゃるのは、たいてい奥様でございます。
インターホン越しに衝撃屋が奥様と会話をはじめました。
耳を澄ましてみましょう。
「わたくし衝撃屋という者です。
決して怪しいものではございません。
唐突ではございますが、奥様は今の平穏無事な日常にご満足されてますか?
もしご不満がございましたら、あなた様にぴったりの、
とっておきの衝撃をお届けいたしますが、
ご入り用ではございませんか?」
どうやらできるだけ印象を好くしようと、
つとめて明るく口上を述べているようです。
しかし衝撃屋の思いとはうらはらに、
怪しさは増すばかりのようでございます。
最近の家のチャイムにはカメラが付いており、家人が玄関から出てくることはめったにございません。
そうでなくても、こんな怪しい人物の前に姿を表すご婦人はそういません。
「間に合ってます。お引き取りください」
やれやれ、断られてしまったようでございます。
でも衝撃屋は表情ひとつ変えません。
あきらめて次の訪問先へ向かうようです。
衝撃屋は毎日毎日、何軒も何軒も、
こんなやりとりを繰り返しているのでございます。
さて、再び何処へともなく歩きだした衝撃屋。しばらく歩くと、
平日の昼間にしては珍しく車を洗っている50歳ほどの男性が目に入りました。
衝撃屋は次に、この男性に声をかけたのでございました。
「こんにちわ」
「ああ、こんにちわ。
どなたでしたか?」
「はじめまして、
わたくし衝撃屋という者でございます」
「衝撃屋さんですか?
初耳のお仕事ですね。
建築関係かなにかの?」
「いえ、私はセールスマンでして、
最近自分の人生が退屈だな。とお感じの方に、
ご予算に応じた衝撃をお届けして、
刺激的な気分を味わっていただくサービスをお届けしております」
「ほお、めずらしいお仕事ですね。
しかし生憎わたくしには必要ございませんな。
わたくしは、我が愛車のフェラーリと共に刺激的で充実した毎日を送っておるのでね。
間に合っておりますよ。
ほら、ごらんなさい。この素晴らしい車を」
そう言われて衝撃屋は男が洗っている車を眺めました。
車は大きくて格好良く、真っ赤でピカピカでございました。
「この車がフェラーリというのですか。
はじめて拝見いたします。
真っ赤で格好いいものですね」
「でしょう。わかりますか。
これはフェラーリ512BB。
通称ベルリネッタボクサーといわれる、
名車中の名車ですよ」
「名車中の名車でございますか。
しかし残念ながらわたくしは、自動車には疎い人間でして、
このお車の良さがよくわかりません。
普通の車とどこが違うのでございますか?」
「そこらへんの車と一緒にされちゃ困りますな。
この車は5000cc12気筒。
最高速度302kmの怪物ですよ。
ちょっとエンジンをかけてあげましょう。
あなたの勧める衝撃より、
よっぽど衝撃を受けますよ」
そういうと、男は運転席に座り、
慣れた操作でエンジンをかけたのでございます。
ブオオオオオン。ブオォン。
オンオンオンオンオンオン・・・。
閑静な町内に響きわたるすごい爆音。
運転席で満足げな主人と、
車の横で細い目を少し丸くする衝撃屋。
「どーですー?
しーびれるでしょー。
これが5000cc12気筒のぉー・・・」
「申し訳ございませーん。
よく聞き取れませーん」
「ははははははは。
こんなもんじゃありませんよー。
レッドゾーンまで叩き込んだこの車のエンジン音はもはや神ですよー」
車の主人はそう叫ぶと、
フェラーリのアクセルを踏み込んで、
さらに爆音を轟かせました。
ブオオオオオオオオオオオオ、
オンオンオン、ぶおおおん、ブオオオオン
それはもう破壊的な音でございました。
近所の家の窓ガラスをガタガタ振動させ、
衝撃屋の体にも、その強烈な振動が伝わりました。
そのあまりにも強烈な音と振動で、衝撃屋は一言も話せません。
運転席の主人は高笑いをしているようです。
しているようというのは、表情だけで声は車の爆音に消されてしまっているからです。
その時、向かいの家の2階の窓が開き、中からその家の奥さんが顔を覗かせました。
「ちょっとっ!いいかげんにしてください!静かにしてください!病人がいるんですよ!」
向かいの奥さんはとても怒っていらっしゃいます。
衝撃屋は運転席の主人の耳に顔を近づけて話しかけました。
「ごしゅじーん!向かいの奥様がお怒りですよー!」
「かまうもんかー!はーはははははは」
そして次に、このフェラーリの主人の家から、
彼の奥様が慌てて飛び出してきました。
奥様は衝撃屋を押し退けて運転席の窓に顔を突っ込んで叫びました。
「あなたー!やめてください。
なんでこんな近所迷惑な事するんですか。
お願いです。
やめてください」
「うるさいなぁ」
ブオオオオオオン!
主人は一際大きくアクセルをふかせると、
ようやくエンジンを切りました。
ピシャアァン!
エンジンが止まると、
向かいの家の窓が勢いよく閉まる音がしました。
その音には、いかにも怒りが込められておりました。
住宅街には再び静寂が訪れました。
しかし肩で息をしているフェラーリの奥様の心は穏やかではありませんでした。
「もう、本当にいい加減にしてください。
年甲斐もなく、こんな派手な車買って。
そんな車が持てるほど、うちに余裕があるっていうんですか!
まだ若いのにリストラされて、
退職金、全部車に使って、それどころか貯金まで使って、
子供の大学だってまだまだお金が要るのに。
その上ご近所にまで迷惑かけて、
ここ出ていかないとならなくなったら、私たち一家、どーするんですか!」
「うるさい!いちいち男のすることに女が口を出すんじゃない!
俺の退職金だ、貯金だって元は俺の給料じゃないか。
ずっと家族のために仕事一筋でやってきたんだ。
ヨボヨボになって退職金もらったって何の使い道があるってんだ。
自分の葬式代か?
まだ元気なうちに会社が辞めれて良かったんだよ。
長年の夢がこうやって叶って、
しがない中産階級のサラリーマンがフェラーリ手に入れることができたんだ。
お前だって最初は助手席に乗って喜んでたじゃないか。
それがこの頃はなんだ。
文句ばっかり言いやがって」
「なんにでも限度ってものがあるでしょう。
お向かいのおばあさんはこの車のせいで
すっかり寝込んじゃったのよ。
町内会でもうちの車の事は問題になってんの。
人の迷惑を考えなさいって言ってんのよっ!」
「うるさい!うるさい!うるさい!」
主人はすっかり取り乱してしまいました。
そしてお向かいの家に向かって叫びました。
「おい、ばあさん。
あんたもう寿命なんだ。
自分の寿命を俺の車のせいにすんな!」
「あなた!なんてこというの!」
「おまえも文句があるんなら、
子供と一緒に出て行け!
ここは俺の家だ」
「なんですって!?」
「窓も、屋根も、茶碗も、
お前らの服も、靴も、飯も、糞も、全部俺の金で買ったものだ。
自分勝手はどっちだー!
出て行け!今すぐ出て行けー!」
「ああ、そうですか。
あなたと話してると頭がどうにかなりそうですよ。
ちょうど隆志の下宿先も決まった事ですし、
隆志のとこか実家へでも行かせてもらいますよ。
何十年も家の事は、わたしに任せっきりだったあなたに、
家事の何ができるっていうの。
家にいてもずっと仏頂面で、ほんとつまんない人生だったわ。
なんでもっと早く出て行かなかったのかしら」
「負け惜しみ言いやがって。
出てけ、出てけ、出てけー!」
「はいはいはいはい」
奥様はそういうと家に戻ってゆきました。
衝撃屋は興奮して顔を赤らめた主人に声をかけました。
「よいのですか?
奥様出て行かれますよ」
「あ、これはこれは、お見苦しい所をお見せしてしまいました。
ご心配には及びません。
わたしにはこのフェラーリがあります。
この車はわたしに文句を言ったりしません。
わたしが尽くせば尽くすほど、その輝きで感謝してくれるんです。
永遠に美しいわたしの女房ですよ。
これからはこいつと二人で楽しくやっていきます」
「それは良かったですわね。
その車に下の世話もしてもらうといいですよ」
さっき家に入った奥様がもう出てまいりました。
手にはスーツケースを一つ。
でもさすがに姿は着の身着のままでございます。
「なんだ、えらく支度が早いじゃないか」
「こんな事もあろうかと、
大事な物はまとめておいたんですよ」
「ふん。計画的犯行じゃないか。
離婚したって慰謝料なんか払わんからな」
「そうはいきませんよ。
後日、弁護士を通して私の要求を伝えますのでお楽しみに。
ところで、そちらの方はどなたですの?
あなたが辞めさせられた会社の方?」
「いえ、わたくしはただの通りすがりでして、
衝撃を売り歩いております、衝撃屋です」
「衝撃?えらく物騒なものを扱っていらっしゃるのですね」
「衝撃と申しましても爆発物とかではございません。
気持ち的なものでございまして、
お暇で退屈な方に衝撃的な情報をお届けして、
ハリのある日常を取り戻していただくサービスでございます」
「ふぅーん。
でも今の顛末をごらんになったでしょう。
私どもには必要ありませんね」
「どうやらそのようで」
「出て行くんならさっさと出て行け!」
「出て行きますわよ。
衝撃屋さん。その衝撃っておいくらするの?」
「お買い求めで?」
「ええ、最後に主人にプレゼントしてあげようと思って」
「ご自分のじゃなくて、ご主人の衝撃でございますか?」
「ええ、ダメかしら?」
「はい、高度な個人情報ですので、
たとえご家族といえどもご本人のご承諾がないと・・・」
「承諾もなにも、今そこで全部聞いているじゃない。
あなたぁ、いいわよねぇ」
「俺はびた一文出さねぇぞ」
「はいはい。最後の最後までセコい男だこと。
衝撃屋さん聞いたでしょ。
私がお金を出すから買うわ。いくら?」
「はい。衝撃の軽い順に、
50円からとなっております」
「そう。
でも、この人にはよっぽど思い知らせなきゃダメよ。
超頑固人間が改心するほどの衝撃っていくらくらいするの?」
「そうでございますね。
レベル6ですと生命の危機に相当する衝撃がございますが、
10万円となります」
「高いわね。もっと安くなんないの?」
「レベル5ですと1万円です」
「それはどの程度の衝撃?」
「そうでございますね。
なかなか正確には申し上げにくいのですが、
命に別状はない程度の強い衝撃です。
ご参考までに、レベル5の衝撃をご経験された方の結果を申し上げますと、
失明をされたり、手足を失われたり、刑務所にお入りになった方もいらっしゃいます」
「誰がそんなものを1万円も出して買うの?」
「わたくしもそう思いますが、
時折、お求めの方はいらっしゃいますね」
「そう、でもいいわ。それにする。
はい、1万円」
奥様はそう言うと財布から1万円札を取り出し
衝撃屋にわたしました。
「確かに頂戴いたしました」
すると衝撃屋はフェラーリの横にたたずむ主人のほうへ向き直りました。
「それではご主人。奥様からのお届け物、
レベル5の衝撃でございます」
「ちょっと待ってくれ衝撃屋さん。
それ、受け取り拒否とかできんのかね」
「はい。できません」
「だったら1万円で買い戻そう。
それだったらどうだ、あんたはぼろ儲けじゃないか。
その衝撃1万円で買うから、どっかそのへんに捨ててきてくれ」
「あなた、なんて往生際が悪いの。
素直に受け取りなさいよ」
「うるさいっ!黙れ!」
「それではまいります」
「ひいっ!」
「ご主人。次その車に乗ったら事故しますよ」
うららかな日差しの午後の住宅街を、
みなさんご存じのあの男、衝撃屋が歩いておりました。
ブオオオオオン! キキーッ! ドーーーン!
「あなたー!あなたー!」
ピーポーピーポー、ピーポーピーポー・・・
【あとがき】
わたくしの少年時代にはスーパーカーブームというのがございました。
カウンタック、フェラーリ、ポルシェ、ロータスヨーロッパ、
ミウラ、イオタ、マセラティボーラ、
格好良くて美しく、速くて力強い、見たことも無い異国の名車。
そんな手の届かないはずのスーパーカーが、
スーパーカーショーなどと銘打って、
街の空き地にある日突然やってきた事がございました。
その時の感動は今もわたくしの中に残っております。
つい最近まで乗っておりました、マツダファミリアアスティナも、
わたくしの心の目には、フェラーリデイトナに映っておりました。
今は軽自動車に乗っておりますが、
人生の目標はランボルギーニカウンタックLP500を手に入れることでございます。
ちなみに色は白。