第四話 蟹漁師
それではご想像くださいませ。
時は現代。所は日本。季節は冬。
沖まで続く白い波頭。
磯の岩肌に激しくぶつかり砕け散る波。
石つぶてのような雪が横殴りに吹き付ける激しい吹雪。
鉛色の空は、ビョオビョオと悲鳴のような笛の音を奏で
鉛色の海は、地響きのような低く大きな音を立てて荒れ狂う、ここは冬の日本海。
丹後半島のとある海岸でございます。
そしてこの極寒の真冬の日本海の波打ち際を
寒さに凍えながらあの男が歩いておりました。
背広の襟を立て、背中をまるめ、
帽子が飛ばないように片手で押さえながら、
例の薄っぺらい鞄を大事そうに抱え、
一歩、一歩。
激しい吹雪が男の体温を容赦なく奪い、
打ち寄せる大波が男の足元をすくいます。
やがて日は沈み、辺りは暗くなってまいりましたが、
吹雪はいっこうに止みません。
むしろ酷くなってまいりました。
男は波にさらわれ、何度も海に引きずりこまれましたが、
その都度岸に這い上がり、
また歩み続けたのでございます。
さて、その海岸の外れに一軒の漁師小屋がございました。
漁師小屋とは、漁師が船や仕掛けをしまっておく小屋です。
小屋には灯りがともっており、誰か人がいるようでございます。
小屋の中には一そうの小さな、それでも小屋いっぱいの大きさの漁船があり、
その傍らで一人、一心不乱に網の手入れをしている漁師がいました。
白髪交じりの頭に伸び放題のヒゲ。
頑丈そうな体つき、浅黒い肌。
手ぬぐいを鉢巻き代わりに頭に巻き、
防寒コートを背中に羽織り、老眼鏡をかけ、
慣れた手つきで網を直しておりました。
小屋の明かりは、裸電球ひとつ。
厳しい寒さから身を守るのは、型の古い鉄の石油ストーブひとつだけでございました。
大きな風が吹くたびに小屋は揺れ、
ハメ殺しの木枠の小さな窓の隙間からは雪が入り込み、
トタン屋根やトタンの壁、船を出すための観音開きのトタンの戸は
バリバリと音をたてました。
ビヨオオオオ。
ビヨオオオオ。
ドシーンドシーン。
ドシーンドシーン。
吹雪の攻撃に耐える小屋の悲鳴にまじって
誰かが戸をたたく音がしました。
ドシーンドシーン。
ドシーンドシーン。
「誰やいな、こんな晩に」
漁師は手を休め戸のかんぬきを外し少し開けてやりました。
その瞬間を待ち伏せしていた吹雪が、いっきに小屋の中へなだれ込んできました。
そしてそこに立っていたのは、憔悴しきったあの衝撃屋でございました。
「なんやあんた死にそうな顔して」
「お晩でございます。
ちょっと具合が悪いので、
どうかしばらく休ませてはいただけませんか?」
「まあ入んないな」
「ありがとうございます。
感謝感激、雨、アラレ、いや、吹雪でございます」
「あんた冗談言うとる場合かいな。ほんまに死にそうやで。
ほらストーブの近くに来な」
「ありがとうございます。
おお、暖かい。
生きながらえました」
「あんたずぶ濡れやん。
はよ脱いで、ワシのシャツとパッチでよかったら着たらええわ。
ほんでワシのこの防寒コート着とんないな、
ワシはええで」
「おお、さようでございますかご親切いたみいります。
実のところ、この寒さと空腹で半ば観念していたのですが、
こちらの灯りを見つけて藁にもすがる思いで戸をたたかせていただきました。
それではお言葉に甘えて衣服をお借りしてよろしいでしょうか?」
「ああ、すぐ着替えな。
ほんで濡れたんはどっかストーブの近くの船のへりにでも掛けときないな。
壁に干したらあかんで、すぐ凍ってしまうでな」
「ありがとうございます」
衝撃屋は勧められるままに乾いた服を借り、
暖かいストーブに手をかざしました。
「これ座わんな」
漁師はそう言うと、錆びたパイプ椅子を出して衝撃屋に勧めました。
漁師小屋は壁と屋根だけの粗末な小屋なので、
床は砂浜の砂のままでした。
砂の上に直接置かれたストーブの上には、
あちこちへこんだ使い古されたヤカンが置いてありました。
漁師は壁に掛けてある袋の中からカップラーメンを2つ取り出すと、
ヤカンの湯をそそいで、その一つを衝撃屋に分けてやりました。
「ほら、食べないな」
「えっ?いただけるのでございますか?
お金、お支払いさせていただきます。
おいくらでしょう?」
「なめとんのか。
親切でしてやっとんや、金なんかいらんわいな。
やっとアホにしたらあかんで」
「申し訳ございません。ごめんなさい。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
謹んで、謹んで、
いただかせていただきます」
「もうええわいな、さ、一緒に食べよ」
「あのう・・・」
「なんやいな」
「お箸はございませんかねぇ」
「なに言うとんやいな。
漁師はこのままガッと流し込んで喰うんや。
常識やで」
「わ、わかりました、
では、ガッと」
「嘘や。ほれ箸」
「あ、ありがとうございます。
このほうが食べやすいですからね」
「当たり前やないか」
漁師と衝撃屋は、小屋いっぱいの船の横の窮屈な場所に
ストーブをはさんで向かい合って座り、
暖かいカップラーメンを食べました。
衝撃屋の冷えきった体は、ストーブとラーメンですっかり暖まり、
もともと顔色が悪いのでたいしてわかりませんが、
血の気の引いていた顔に赤みがさしてまいりました。
そして漁師の親切に心まで暖かくなり、ほっこりしたその時。
漁師が突然態度を変え、割り箸を衝撃屋の喉に突き立てたのでございます。
そして強い口調で衝撃屋を問いただしました。
ガターン!
「おまえ何もんや?
警察の人間か?
漁協のまわしもんか?」
「えっ?」
「おかしいやろ、こんな時分にそんな背広姿でワシんとこ訪ねてくるんわ。
ワシも命かけてるんや。
ほんまの事言わんと、殺したるど」
「え?ご、誤解でございます。
わたくしは警察の者でも、
ぎょ、漁協でございますか?
そちらの人間でもございません」
「ほんな誰や」
「衝撃屋でございます」
「衝撃屋?」
「はい」
「なんなんやそれ?」
「め、名刺がわたくしの背広の内ポケットに」
そう言われると、漁師は片手で衝撃屋の喉に割り箸を突き立てたまま、
片手で船のヘリに掛けてある衝撃屋の上着の内ポケットを探り、
名刺入れを取り出し、それを衝撃屋に渡しました。
「自分で開けてみい」
「衝撃屋は、恐る恐る名刺入れを開けて、
湿った名刺を一枚取り出し漁師に見せました」
「ほんまや」
漁師は衝撃屋の喉に突き立てた割り箸を納め、
名刺を受け取り、老眼鏡をかけてまじまじと名刺を確認し直しました。
「なんやこの仕事。
なんかを破壊する仕事か?」
「いえ、平穏無事な日常に、
ご予算に応じた衝撃をご提供して、
よりドラマチックな人生を過ごしていただくサービスです」
「なんじゃそりゃ。
平穏無事が一番やないか。
誰がそんなもんに金出すんやいな」
「ほとんどの方がそうだと思います。
なので、たいして儲かりませんねぇ」
「辞めたほうがええで、その仕事」
「はは、前向きに考えます」
「ラーメンはよ食べてしまえ。
冷めるで。
悪かったな」
「わかっていただけてよかったです。
ラーメンいただきます。美味しゅうございます」
衝撃屋と漁師はまた向かい合ってラーメンを食べ始めました。
でも、心なしか漁師はすこし沈んでいるように見えます。
先にラーメンを食べ終わったのは漁師のほうでした。
漁師は、カップラーメンの底を高々と掲げて、
最後の汁の一滴まで飲み干すと、
ポリタンクの冷たい水をラーメンのカップの中にそそぎ、一口飲んで
ぽつぽつと話し始めました。
「ワシ、密猟しとんや」
「はい?」
「もう金がぜんぜん無いんや。
家賃払えんし家追い出されて、
嫁も娘も息子も今、車ん中で生活しとる・・・」
漁師は、外の吹雪の音に耳を傾けました。
「こういう嵐の晩に船出して、
沖で蟹を獲って戻ってきて、
朝暗いうちに都会から来るトラックに売るんや」
「こんな嵐の海で漁なんてできるのでございますか?」
「この丹後半島の海の底にはな。
ものすごい上等の蟹がおるんや。
ほんで今日みたいな嵐の晩は、
海の底で蟹がさわぎはじめてな、いっぱい集まってきよんや。
そこを狙う。
まともな漁師は絶対に船出さんし、
ワシらみたいに密猟で食うとる人間は、
この機を逃したら次のチャンスはいつ来るかわからへん。
できるかやないで、
やるしかないんや」
「もう永くお続けになっていらっしゃるのですか?」
「昔は本業の漁の片手間に小遣いほしさにやっとったけど、
ワシのおった漁協が漁場を国に売ってしもてからは本業になったな。
国からはいっぱい金もろたけどな、
そんなあぶく銭すぐ無くなってしもたわいな」
「そうでございますか。
どうかこれからもご無事でお過ごしくださいませ」
「ところであんたの売りもんの、その衝撃。
なんぼほどするんや」
「はあ、50円から販売させていただいております」
「安いな。ほんな50円でひとつ買わせてもらおか」
「あ、いえ、助けていただいたお礼に
ここは無料でサービスさせていただきます」
「あほか。怒るで。
衝撃はあんたの売りもんなんやろ。
ほんな金とらんかい。
わしかて命かけて獲った蟹はタダで人にやったり絶対せえへんで。
それがプロや」
「わかりました。
ありがたく頂戴いたします」
「ほい。50円」
「確かに頂戴いたしました。
それではまいりますので、お受け取りくださいませ」
「お手柔らかにたのむで」
「あなた、今夜船出したら死にます」
「は、ははっ。
ははははははっ。
はーははははははは」
漁師は、泣きながら、大きな声で笑い続けました。
荒れ狂う日本海。
漆黒の海、漆黒の空。
銃弾のように飛び交う、冷たく痛い雪。
ビヨオオオオオ・・・
ビヨオオオオオ・・・
「ワシも漁師や、死んでも蟹つかんで浜に打ち上がったる」
読んでいただきまして、ありがとうございました。