第7話 灰色の岩肌、知識の聖域を夢見て
翌日。
「ねえ、さっきから足元が変にベタベタしない?」
アルベローゼが顔をしかめて、ブーツの底を岩にこすりつけました。
道幅が狭くなった岩の隙間から、音もなく這い出してきたのは、青白く光る不定形の塊だった。
岩液塊『シュタイン・シュライム』。
岩の成分を溶かし込んで擬態する粘体魔物である。
強力な酸を含み、触れた武具を急速に錆びつかせる。
「うわっ、こいつ盾を溶かしやがる! エリカ、頼む!」
バハルが酸を浴びた盾を慌てて引きます。
エリカは杖を構えかけますが、昨夜の「殺意」の疼きが脳裏をよぎり、一瞬指先が止まりました。
「エリカさん、大丈夫。昨夜のような強い術でなくていい。……」
「《ヴォーゲン・フリマ》(熱き火よ、散れ!)」
ライナスが優しく促すと、エリカは微かな火球を放ち、シュライムを退けました。
難所はそれだけではありませんでした。
街を囲む外縁の藪から、今度は鋭い鳴き声と共に、素早い影が飛び出してきた。
藪走鎌『ブッシュ・ジンゼ』。
カマキリのような前肢を持つ大型の走鳥類だ。保護色で藪に紛れ、人の喉元を正確に刈り取る。
「今度は私の番だね!」
アルベローゼが空中で身を翻し、藪から跳躍したブッシュ・ジンゼの眉間に矢を叩き込みます。
「はい、おしまい! この子の鎌も、換金の足しにしちゃおうっと!」
魔物の群れを退け、ようやく緊張の糸が少し緩んだ頃。一行は再び、ライナスの持つ書状の話へと戻りました。
「……ふぅ。銀貨100枚(金貨1枚)級の素材を持ってる時に、装備を溶かされたら目も当てられないな」
バハルが盾の汚れを拭いながら、ライナスに問いかけました。
「それでライナス、さっきの熱心に読み返してた『紹介状』、本当に大丈夫なんだろうな?」
「ええ。王都ルーン・ヴィークに着いた際、私たちが真っ先に訪ねるべき人物への書状です」
ライナスの言葉に、ディオンとエリカも再び意識を向けます。
「紹介状? ライナスさんに、王都に知り合いがいるんですか? あ、騎士団にいた時の?」
エリカが不思議そうに尋ねました。
「ええ。かつて聖都騎士団で共に学んだ、私の数少ない王都での友です。名はカスパール・フォン・ベルンシュタイン。現在は王宮の筆頭司書官を務めており、聖図書館の奥底に眠る『禁書』へのアクセス権を持つ数少ない一人なのです」
ライナスは遠く、霞む空の向こうにある王都を見つめるように目を細めました。
「エリカさんの呪い……その正体と解呪の方法を見つけるには、古い記録を遡る必要があります。彼なら、私たちの力になってくれるはずだ。……ただ、彼は極めて理屈っぽく、そして少々風変わりな男でしてね。この紹介状が、果たしてどこまで通用するか……」
「司書官か……。堅苦しそうだけど、エリカのためなら背に腹は代えられないな」
ディオンが心強そうに頷いた。その時、アルベローゼがディオンの肩を叩き、下方の谷間を指差しました。
「湿っぽい話はそこまで! 見て、あそこ! 煙が見えるよ! あれが『フェルゼン・ハフト』だねっ!」
険しい山道を抜けた視界の先、灰色の岩壁にへばりつくように建ち並ぶ、堅牢な石造りの街並みが見えてきました。




