第56話 追憶の断章 優等生
王立魔導学園の初等部一年生。
一学期を終えたエリカ・ヴァインの手元に届いた通知表は、学園史上類を見ない異質な数字の羅列であった。
基礎魔法学科 火炎 氷結 10
人体魔法学 自然魔法科学 土木魔法学 10
魔物学 10
数学 科学魔法 魔法実施学 10
魔導力学 天体魔法学 神聖魔法学 10
暗黒魔法対応学 10
魔法加工学 10
政治、経済 5
歴史 5
魔導と理数に関わる全科目が最高評価の10。
九歳にして、膨大な魔導数式を瞬時に解く魔導演算において、彼女の右に出る者は高等部にすら存在しなかった。
特筆すべきは、未知の脅威に対処する「暗黒魔法対応学」において、彼女が示した防御術式の完璧さであった。
だが、その完璧な数字の裏側で、エリカの心は悲鳴を上げていた。
魔力を行使し、演算の精度を上げるたびに、脳裏を焼き切るような強烈な「殺意」と割れるような頭痛が彼女を襲う。
それは、村の両親やガリアス様には決して見せられないおぞましい怪物の胎動だった。
その異変を、魔導実施学の担当教師ジュリアン・フォン・ランバートは見逃さなかった。
元魔法師団の小隊長である彼は、演習中にエリカが見せた一瞬の「瞳の濁り」に、かつての戦場で出会った呪詛以上の何かを感じ取っていた。
「エリカ。放課後、特別実習室へ来なさい。……君の、その『瞳の奥』を一度詳しく見させてもらいたい」
放課後、特別実習室。
そこにはジュリアンと共にその弟、聖魔法の資質を持つ少年テオドールが待っていた。
ジュリアンは遠慮がちに「レディに対しては申し訳ないのだが、背中を見せてくれないか?君の抱える『闇』を見せて欲しいんだ」
ジュリアンの呼びかけに、エリカは震える手で制服の背を解いた。
彼の指先がエリカの白い肌に描くのは破邪の魔法陣。
ジュリアンが書き上げた魔法陣から溢れ出したのは、底知れぬ深淵の波動。
「これはただ事では無い」
ランバート兄弟は絶句した。
それは、人類が安易に触れてはならない、あまりに巨大な「呪い」の塊であった。
次の休息日
「怖がらせてしまうかもしれないが、許してほしい。……君の内に淀む『闇』の正体を知りたいんだ。君が一人で、どれほどの苦痛に耐えているか。私に、その一端でも分かち合わせてはくれないか。うまくいけば解決してあげられるかも知れない」
休日、ジュリアンはエリカを連れて、王都の中枢に聳える大聖堂へと足を運んだ。
ランバート子爵家の威光を使い、極秘の鑑定を仰ぐためだ。
だが、鑑定を終えた上級司祭は、エリカの内に渦巻く闇を覗き込むと、その顔を激しく歪めた。 「……対応は不可能です。ジュリアン卿、これについては他言してはなりません。忘れなさい」
国家が秘匿する魔王の存在を、一介の子爵家や教会が扱えるはずもなかった。
帰り道、西日に照らされた石畳の上で、エリカは足元に落ちる自分の影を見つめて涙を零した。
ジュリアンは静かにエリカの傍らに跪き、彼女の肩に手を置いた。
「精神負荷軽減魔法をかけよう。……少しは、マシになるはずだ。私が定期的にかけてあげよう」
ジュリアンが唱える穏やかな呪文と共に、エリカを苛んでいた鋭い殺意と頭痛が、波が引くように和らいでいった。
「……あ、痛くない。……静かです、先生」
エリカの顔に、年相応の笑顔と安らぎが戻る。
隣に立つテオドールも、エリカの小さな手を無言で砕けそうなほど強く握りしめた。
その掌の熱さが、どんな言葉よりも深くエリカの心に染み渡った。
この日を境に、三人の距離は急速に縮まった。
ランバート兄弟は、この「孤独な天才」を、命を懸けて守るべき対象として深く心に刻んだのである。
一学期の終業日。
校門の前では、セレナとファミールが憧れの眼差しで街を見つめていた。
「見て、今日も素敵……! あの赤いプリーツスカートに赤いブーツ。いつか私たちも、あの師団の赤を纏えるかしら」
颯爽と歩く治安維持魔導師の姿を追う親友たち。
エリカもまた、その「赤」にいつか自分の中の「黒」を焼き尽くしてもらう日を夢見て、胸元の「青い石」に触れた。
この街のどこか、騎士団の詰め所にいるはずの、7歳年上のライナスを思いながら。
夏休み。
エリカは、ジュリアンとテオドールに見送られ、故郷アイナルへの馬車に揺られた。
村の入り口ではガリアスの他に、少し背の伸びたディオン、そして笑顔でエリカを迎えたマルコとアンナの姿があった。
「お帰り、エリカ。……よく頑張ったな」
ガリアス様が優しく微笑む村の空気に触れた瞬間、エリカを苛む殺意は束の間、深い眠りについた。
九歳の天才が背負う運命。
王都で彼女を支えるランバート兄弟と、遠く騎士団で戦うライナス。
それぞれの絆が、エリカの未来を静かに守り始めていた。




