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第53話 外伝 ライナス編

 ライナス・ゼーレドルフ

 ライナスが十歳の時、その人生は決定的に歪んだ。  

 教会の扉を開けた瞬間の光景を、彼は今も鮮明に覚えている。

 祭壇でのたうち回る三歳のエリカ。

そして、傍らで泣き叫ぶことしかできなかった彼女の両親。  

 父とセレスティナが駆けつけた時、そこにいたのはただの悪霊ではなかった。

 母はエリカの魂が焼き切れるのを防ぐため、その「ヤツ」を半分に裂き、残りの負荷を十歳のライナスへと移した。

「ライナス、ごめんなさい……ライナス」  

 それが、実の母の最期の言葉だった。

 母の命と引き換えに、ライナスの内側には「ヤツ」の半分が棲みつくことになった。


 父から特殊な剣術と魔導を叩き込まれたライナスは、十五歳で王都の魔導騎士団に入団した。

 二十歳までの五年間、ヴィルヘルとの最前線で戦い続けた。  

 だが、その鋭い剣筋とは裏腹に、彼の心を満たしていたのは二人の「母」の記憶だった。

 自分を庇って死んだ実母。

 そして、その後を継ぐように家に入り、ライナスを実の子以上に愛してくれたイゾルデ母さん。  

 少し天然で、どこか抜けているけれど、その底抜けの明るさで家の中を太陽のように照らしてくれた人。

 彼女の作ってくれる温かい料理と、絶えない笑顔にどれほど救われたかわからない。  

 だが、そのイゾルデ母さんもまた、ディオンを産んで数年後、悪霊の再封印の代償として命を落とした。

(母さん達は、命を懸けて僕たちを守ってくれた。その意志を継ぐのは、剣を振るうことじゃないはずだ)  

 二十歳で騎士団を辞め、二年の修行を経て司祭となったのは、愛する母たちが信じた「祈り」と「魔導」を形にするためだった。

 正規の司祭職になった後、すぐに故郷のアイナル村の司祭となった。

 二人の母のいたこの村で、司祭としてこの村を守りたかったからだ。


 旅立ち前日の夜

 ライナスは苦笑していた。

(ディオンの噂は酷いものだ。行き先や目的まで知られているとは)

(治療薬、毒消、路銀、ランプの燃料油の予備、そして、あの手紙。忘れ物は無さそうですね。カイルがわざわざ教えてくれたところによると、バハルがついて来るのですね。彼は頼もしい。有り難いですね。不安なのは魔導職不足と、対空対策でしょうか。『フェルゼン・ハフト』のギルドで仲間を募らなければいけませんね)

 ライナスが旅立ちの準備を終えて、攻撃系聖魔法の本を開いた時だった。

 どこか浮かない様子のディオンが帰宅したのだ。

 部屋の隅で、ライナスは静かに本を閉じた。

 弟から見ても、影のある繊細な美形の顔が儚さを感じさせるが、その奥にはヴィルヘルとの戦場を潜り抜けた男の、近寄り難い神聖さと鋭さが同居していた。

 その傍らには、手入れの行き届いた杖と――いつもの司祭の服とは違う実用的な旅装が置かれている。

「お帰りなさい、ディオン。旅の仲間が増えたようですね」

「ライナス兄さん……。ごめんなさい、黙って行こうとしたわけじゃ……」

 ライナスは眼鏡の縁を押し上げ、落ち着いた声で淡々と、けれど有無を言わせぬ口調で続けた。 「謝る必要はありません。ですが、一つだけ忠告を。聖図書館は知識の聖域……一介の放浪者が入れる場所ではありません。そこには、上級司祭以上の紹介状、あるいは同行が必要不可欠です」

 ライナスの瞳に、かつての騎士としての鋭い光が宿る。

「つまり、村の司祭である私が行くしかないでしょう。私が行かなければ、あなた方は門前払いを食らうだけですよ」

「兄さん……。ありがとう。僕は、嬉しいよ。兄さんがいてくれるなら、本当に心強い」  

 ディオンの声が震えた。

 バハルと二人の孤独な旅の準備になるはずだった夜が、血を分けた兄という、頼もしい絆で満たされていく。


 村を出て数刻、一行は険しい峠の頂上に立っていた。

 ライナスは震える吐息とともに、胸に秘めていた言葉を切り出した。

「実の母上はエリカさんを救うために。そして、イゾルデ母さんもディオン、君を守るために自ら命を捧げた……。私は、ずっとそう思ってきました。この一族は、子を成せば親が死ぬ呪いにかかっているんだと」

「……そうだよ」  

 ディオンが苦しげに言葉を繋ぐ。

 子が生まれれば親が消えていく連鎖。

 愛すること自体が死を招くという「呪い」。

 エリカは悲しげに二人を見つめ、「私が全ての元凶なの。私がいなければ」自分を責める声を上げた。

 だが、ライナスは歩みを止めず、断固とした口調でエリカの話を遮った。

「エリカさん、それは違います。母さんたちが守りたかったのは、単なる隣家の少女じゃない。未来そのものだったはずです。あなたが自分を責めることは、母さんたちの選択を『間違い』だったと断じることになってしまう」

 ライナスは、眼鏡の奥で決意を固めたように前を見据えた。

「……そうですね。私たちが『呪い』と呼んでいるものの正体を、この目で確かめに行きましょう。それが、命を繋いでくれた母さんたちや父上への、唯一の答え合わせになる」

 かつてヴィルヘルを屠った騎士としての経験、司祭として磨いた知力。

 そのすべてを、今度は弟を、仲間を守るために。  

 峠の向こうに広がる清涼な草原を見つめるライナスの背中に、もはや迷いはなかった。



 全てが終わり、平和が訪れて10年。


 アイナル村(英雄村)のライナスの家では、久しぶりに再会した仲間たちが食卓を囲んでいました。

 庭では、かつての結婚式でリニの手の中に収まっていたバハルの娘が、今は9歳の凛々しい少女となって、ライナスの3歳の双子を優しくあやしています。

「……アル、あの魔法、ライナスには冗談だと思われてるみたいだけどさ」

 ディオンが苦笑いしながら切り出すと、アルベローゼは真剣な眼差しでライナスを見つめました。

「まあ、そう思うよね。でも、本当だよ?私は『古代魔導エルフの秘技を使って、私の寿命をディオンに分け与えたの。エルフの200年近い寿命を二人で等しく分け合って、同じ瞬間に命を終える術。こんな魔法、知っているの私だけね。あの日、地下都市で見つけたのだもの。でも、これを見た時、ディオンが『いいよ』って言ってくれたら絶対に使いたいと思ったんだもん」

(ディオン、あなたの寿命は、度重なる秘技で尽きかけていたんだよ……)


 アルベローゼは、かつて父ヴォルフが闇に呑み込まれた日のことを語り始めました。

「私の父さんは、ガリアス様の目の前で闇に消えた。救えるはずの距離にいたのに、……その絶望が、どれほど人を壊すか知っているから。私は、ディオンと繋いだ手を二度と離さない。死ぬ時ですら、ね」

「私も離れたくないです」とリニ。

「さあ、ライナス、書きましょう。皆の探究の果てに見出した、私たちの言葉を紡いでちょうだい」

 ライナスは、皆の会話を聞きながら、エリカの言葉に頷き、探究の果てにたどり着いた真実を信書として聖王国の女王宛に書き始じめました。


 女王エレオノーラ陛下へ


拝啓 陛下の統治のもと、王国に真の安寧が訪れましたこと、心よりお慶び申し上げます。


 かつて世界を脅かした魔王アニマ=ゼロの正体、および2000年に及ぶ宿命の全容について、ライナス・ゼーレドルフとしての記録、および仲間たちと共に導き出した「答え合わせ」をここに報告いたします。


 地下都市と石碑の真実 アイナル村の石碑は、地下に埋もれた古代魔導エルフ都市の生体兵器開発工場において、アニマ=ゼロ生産水槽の『天井の栓』でした。

 

 父ガリアスは、霊体であるアニマ=ゼロが透過して漏れ出すのを防ぐため、一族に伝えられた秘術で、定期的に封印を施してきました。


 地下ではエネルギー供給センターが作動し、そこから発せられる魔導力を遠隔受信したヴィルヘル(魔物)が地上の脅威となっていたのです。

 

 陛下、ここが最も過酷な真実です。

 かつて封印の修復に向かったアルベローゼの父ヴォルフ殿は、封印の維持のため、たった一人でヴィルヘルの群れに飛び込みました。

 遅れて到着した私の父ガリアスは、闇に呑み込まれゆくヴォルフ殿を目の前で攫われてしまった。

 その日、アニマ=ゼロの封印が解かれました。

  魔王アニマ=ゼロは、2000年前の「上級国民」の精神をダウンロードする為の器です。

 社会的に特権階級にある者の精神を、魔導技術で人格を記録化します。

 その精神を「永遠に生きることができる魔導生体兵器」にその人格を入れるのです。

 それこそがアニマ=ゼロです。


 あの日、霊体として地上に漏れ出した不完全体は、即座に「魔力の申し子」であるエリカの魔力を感知しました。

 彼女の類稀な高魔力は、アニマ=ゼロの宿主としては最適だったのです。

 そして、彼女に寄生しました。

 特筆すべきは、我ら一族に伝わる子どもの体内にアニマ=ゼロの精神を封印する術です。


 アルベローゼの調べた文献によると、これは2000年前の関係者が愛する者のために遺したものと推測されます。

 血統に特殊な魔法の発動を促す魔術。

 これを行使するには、「術者と、術者以外の血縁者の命」を媒体にして、さらに別の血縁の者の血統にその運命を刻み込むという制約がありました。

 例えば、父と母が犠牲になり、子にその魔法を施したのかもしれません。

 我らゼーレドルフの母たちが命を捧げねばならなかったのは、2000年前の魔術によるものでした。

 結びに代えて 聡明なる女王陛下。

 願わくば、我ら6名が導いたこの平和が、二度と人の手により壊されることのない統治の構築を希望いたします。

聖王歴 2000年 

アイナル村 司祭 

ライナス・ゼーレドルフ



 王都の謁見の間。ライナスの手紙を読み終えた女王エレオノーラは、震える手で手紙を抱え込みました。

「……大司教。読んで下さい。これが、私たちが『平和の象徴』と呼んできた彼らの、血を吐くような告白です」

 大司教ヴァルディスは内容を読み進め、その場に跪きました。

「……陛下。石碑の正体もさることながら、封印の魔法に込められた『血縁者の命の奉納』という真実。そしてヴォルフ殿を救えなかったガリアス殿の記憶……。なんと気高い魂でしょうか」


 女王エレオノーラは立ち上がり、毅然とした声で命じました。

「大司教。彼らは信書の最後に、『平和が人の手により壊されない統治』を求めました。これは、誰かを身代わりにするような生贄の平和の悲惨さも訴えているのです。ヴィルヘルがいなくなった今、問題は人による領土拡大や戦争、権力闘争でしょう。これから、次々とヴィルヘルのいなくなった世界が開発されていきます。滅びた国の数々も復興したいかもしれません。三大国で、英雄の意向を、過去の愚かな記録を再確認して、平和を話し合いましょう。」

 

 女王は再び遠い海を見つめ、そっと呟きました。

 (ライナス、私は生涯を捧げて貴方との約束を守りましょう)

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