第50話 外伝 バハル編
バハル・ストルツ・ガング
アイナル村の端にひっそりと暮らす種族名『ドルーグ・ザ・ハル』別名龍人。
龍の血を継ぐと言われ、強靭な体、人間のそれを遥かに超える膂力、体のどこかに鈍く光る鱗を宿す彼らには、古い掟があった。
『――己が真の主君を見つけし時、その一生を賭して忠義を尽くせ。主の盾となり、主の道となれ』
平和な時代においてその異形な掟、鱗のある彼らは忌避され、幼いバハルは石を投げられる日々を送っていた。
そんな彼を救ったのが、村の守護職の息子ディオンだった。
ディオンは自分が強いわけでもないのに、バハルがいじめられていると、全力でバハルをいじめている者に立ち向かった。
「お前のその腕、誰かを守るためにあるんだぜ」と、投石を受けて血を流しながら、笑って手を握ったディオンに、バハルは魂の主君を見出したのだ。
ディオンに誘われて通った学校は楽しかった。
いじめはあったが、ディオンやアルベローゼが庇ってくれたのだ。
成長するにつれ、バハルを差別するような者は誰もいなくなった。
ディオンとアルベローゼ(そして幼くして220ガルイを超える身長と手拳で自然石を粉砕する膂力)が功を制したのである。
ある夜、ディオンが一人で村を去ろうとしているという噂が届いた。
バハルは鼻を鳴らし、一族に伝わる重厚な鉄の盾を背負って家を飛び出した。
「あいつめ、また一人で抱え込みやがって……。一人でかっこつけるのは、もう終わりだぜ」
村の外れにある酒場『琥珀の蹄亭』。
扉を開けると、隅の席でディオンが一人、安酒を見つめていた。
その背中は、かつて路地裏で自分を庇ってくれた時のように、小さく、けれど気高く震えているように見えた。
バハルはわざと大きな足音を立て、驚くディオンの隣にどっかと腰を下ろした。
「一人で飲む酒は、毒より回るのが早いぜ」
バハルが同行するとディオンは、一言何か言ったが、すぐに快諾した。
同行を誓い合った二人だったが、安酒を酌み交わしながら具体的な旅の相談を始めると、バハルの胸中に戦士としての冷静な危惧が芽生えた。
「……なぁディオン。確かお前は、剣に初級魔法を乗せて戦えるよな。普通のヴィルヘルが相手でも、それでなら少しは戦えるだろうさ」
バハルは自分の巨大な掌を見つめ、低い声で言葉を継いだ。
「だが、お前の魔法はあくまで剣の間合いだ。街道に出れば遠くから攻撃してくるヤツも居るし、山には大型のヴィルヘルがうようよしてやがる。魔法しか効かねえ奴もいる。炎や氷じゃ無いとダメな奴もいる。洞窟では、落盤防止魔法がなきゃ死ぬって言うぜ。俺の盾で正面は防げても、上空から急降下してくる群れに囲まれたら、俺たちの『手』は届かねえんだ。あと、夜には心霊系ヴィルヘルが出る。どうする?アレを切れるか?」
バハルの脳裏には、自分たちの頭上を自在に飛び回る魔物の影、が浮かんでいた。
「それに、傷を負ったらおしまいだ。俺たちに癒やしの術はねぇ。薬草はこの村じゃ貴重品だ。空飛ぶやつな、アルベローゼがいれば弓で少しは抵抗もできるだろうが、一族であんなに大事にされてる女の子を、死ぬかもしれない地獄に誘えるわけがねぇ。かといって、ライナス兄さんやエリカは村の要だ。俺たちの都合で連れていけるはずもねぇんだよ」
バハルらしくない的確な分析に、ディオンもグラスを見つめたまま押し黙った。
ディオンを守り抜くと決めたからこそ、バハルには、今の自分たちの絶望的な欠落が、耐えがたいほどはっきりと見えていた。
酒場を出て宿へと向かう夜道。
二人の足取りは、鉛を詰め込まれたように重かった。
バハルが背負う一族の盾は重厚で、誇り高い重みがある。
だが、その盾でさえ、これから立ち向かうであろう大型ヴィルヘルの巨体や、降り注ぐ魔導からディオンを守り切れる確証はない。
暗い街道を一歩踏み出すたびに、装備の重みではない「戦術的な無力感」が足首に絡みつく。
ディオンの歩幅が、いつになく小さくなっているのをバハルは感じていた。
「魔法も、対空手段もなくて……。俺たちだけじゃ厳しいぜ」
バハルの呟きが、冷たい夜気の中に沈んでいく。
「……それでも、行くしかないんだ、バハル。道がないなら、この足で踏み固めて作るしかない」 絞り出すようなディオンの声。
バハルは黙って、ディオンの背後で盾を強く握り直した。
(魔法がなけりゃ、俺が死ぬ気で盾になる。空が飛べなけりゃ、地の果てまで追い詰めるだけだ。……それが俺の選んだ道だ)
二人の若者は、絶望的な戦力不足という冷酷な現実を噛み締めながら、重い足取りで翌朝の出発を待つ家へと消えていった。




