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第48話 外伝 リニ編

 リニ・フェル・フィア


 海王『フルム・ハヴギュヴァ』が海面を割ったその瞬間、世界は絶望に染まった。

 海王の体表から漏れ出す微弱な回復魔法が、死してなお安らげぬ魚たちの死骸を「生ける屍」へと変え、数千の群れとなって海上を埋め尽くす。 「……死してなお安らげぬとは。浄化の光を」  ライナスが掲げた『福音の灯火』が海面を浄化の光で洗い流し、アルベローゼの放った重力制御矢が350メートルもの巨躯を空中に固定した。

 エリカの放つ蒼白い雷柱が油を剥がされた海王を貫き、爆ぜる。

 その白銀の光景を、ディオンとバハルはただ呆然と見つめるしかなかった。

 戦士として研鑽を積んできた二人は、女性陣の圧倒的な魔導の前に、抜いた武器を握りしめたまま立ち尽くした。


 水の都マリノ・ガルド。

 海王討伐の報に沸く酒場の喧騒の中に、一人の女戦士がいた。  

 名は、リニ・フェル・フィア。

 十九歳。  

 彼女の肌は北方の小国の雪のように白く、瞳はマリノ・ガルドの海より深い青を湛えている。

 2.07ガルイ(2.07メートル)の恵まれた体躯を持ち、海軍では「部隊の新妻」と慕われる料理自慢の槍使い。

 だが、その微笑みの裏には、血を吐くような過去が隠されていた。

 十二年前。彼女の故郷はヴィルヘル(魔物)の奔流に呑み込まれた。

 王家も騎士団も、国民を守るために全滅した。 

 血縁三十人で山を越えたが、安住の地マリノ・ガルドに辿り着いた時、残っていたのはわずか六人。  

 可愛い妹も、慈愛に満ちた両親も、祖父母も……すべてはヴィルヘルに連れ去られ、食い殺された。  

 ヴィルヘルは人を襲うと基本的に連れ去る。

 稀に食い殺す。

 死体があれば食い尽くすか持ち去るのかどちらかだ。

 よって、ヴィルヘルに襲われても死体が残ることは無い。

 身内の生きていた証は全て消え去るのだ。

 十五歳で海軍に入ったのは、守れなかった者たちへの悔恨と、ヴィルヘルへの憎しみゆえだ。しかし、三大国の一角であっても、日々魔物に領土を削り取られていく戦い。

 仲間が次々と消えていく冷酷な現実。

 リニの心は、北国の冬のように凍てついていた。


 そんなリニの前に、男が現れた。  

 2.45ガルイ(2.45メートル)の巨躯に、龍の血を継ぐ証である鱗を宿した男、バハル。  

 彼はカウンターで豪快に笑い、店員と酒を酌み交わしていた。

 常連たちが「あの海王を仕留めた英雄の一人だ」と騒ぎ立てるのを聞き、リニはどうしようもなく惹きつけられた。

 常連に頼んで席を譲ってもらった。

 こんなに積極的に動く彼女は、戦場以外ではめずらしいのだ。

 初めて隣に座った日、彼女はもじもじと指を弄びながら言った。

「私……あなたの、お話が、聞きたいです」

 おっとりと、ほんわかとした声。

 だがその瞳は、何かを切望していた。  

 バハルは笑って応じた。

 石を投げられた幼少期のこと。

 ディオンという友に出会ったこと。

 ディオンの父ガリアスという偉大な守護職が命を懸けて繋いだ友の命のこと。

 二日、三日……。五日間、彼女は通い詰めた。  バハルの話は、リニが失った「家族」や「誇り」の温もりを感じさせた。

 自分の友のために死ぬ気で盾になろうとする彼の言葉が、凍った心を溶かしていく。

「……なぁ。毎日俺の横に来るけどよ。俺の話ってそんなに面白いか?」  

 バハルが問うと、酒の勢いも相まって、リニの決界が崩れた。

 止まらない一方的な告白。

 涙も嗚咽も気にせず、一気に話した。

 死にゆく家族の悲鳴。

 暗い森の中で離れた妹の手。

 掴めば助かったかもしれない母の命。

 ヴィルヘル(魔物)の群れに屈して手をあと少し、伸ばせなかった後悔。

 滅びた国の死体すら残らない血染めの冷たい大地。  

 山を越える森林の中のヴィルヘルの恐怖。

 一体、何人の身内が食われたのだろう。

 気がつけば、リニの涙と鼻水は止まらなくなり、バハルの腕の中で嗚咽を漏らしていた。

 自分を見つめるバハルの目は、北国の太陽のように、ただひたすらに優しく、強かった。

「……私……私みたいな、故郷も家族も、何も持たない女……あなたと、結婚してくれませんよね?」  

 自嘲気味に呟いたその言葉に、酒場中のファンが絶叫した。

「「「結婚!?」」」

 バハルは、迷わなかった。  

 彼は戦士の手袋を外し、リニの震える手をその大きな掌で包み込んだ。

「ああ、いいぜ。じゃあ、今からでいいか?」

 その言葉は、何者にも屈しない龍の咆哮のように力強く、甘美だった。  

 リニは驚きに目を見開き、そして幸せを噛みしめるように、バハルの屈強な腕に絡みついた。


 今日も夕飯時に帰ってこないバハルを心配していたディオンたちの前に、彼は一人の女戦士を連れて現れた。

「みなさん、よろしくお願いします。……妻のリニです。槍と料理が得意です」  

 もじもじと挨拶するリニの隣で、バハルは頭をかきながら、事も無げに言った。

「……おれ、結婚してきた」

 宿の食堂を、アルベローゼとエリカの絶叫が貫いた。

 ライナスの杖と茶杯が床に落ち、ディオンは派手に頭をぶつけた。  

 だが、バハルの隣で幸せそうに微笑むリニの瞳には、もう絶望の影はなかった。  

 バハルが友を主君に見立て盾として生きる事を選ぶならば、リニはその盾の隙間を埋める比翼の槍となる。    

 二千年の設計図を書き換える旅に、今、北国の雪を溶かすような温かな愛が加わった。


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