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第45話 二人だけの最終章

 強制合体が完了したその場所には、かつての異形とは異なる、異様な「静寂」が立っていました。

 響く音はドローンの羽音です。

 体長は5ガルイ(5m)ほど。

 全身の表皮は、まるで底なし沼の泥を塗り固めたような、鈍く光る黒褐色。

 顔も、指先も、すべてが泥の彫刻のようにのっぺりとしており、そこには感情も、呼吸の気配すらありません。

 しかし、その「泥」の奥からは、強制的にダウンロードされた過去の政治家たちの醜悪な知性が、冷徹に一同を観察していました。

「……こいつ、今までと違う。魔力の揺らぎが……ない?」

 エリカが戦慄し、杖を握る手に力を込めました。

「迷うな、一気に決めるぞ! バハル!!」

 ディオンの叫びに、バハルの咆哮が重なります。

 二人は大地を蹴りました。

 ディオンの愛刀が、そしてバハルの魂が宿る大斧が、空気を切り裂き、その「泥の男」の首筋と胴体へ、文字通り人類最強の同時一撃を叩き込もうとした、その瞬間でした。

「――っ!?」

 泥の男の全身から、針のように細く、しかし太陽よりも鋭い0.5ルニ(0.5mm)のレーザー光線が、230筋以上も全方位へ爆発的に放射されました。

 音も、前兆もありませんでした。

 ディオンの肩、胸、腹、大腿部が瞬時に貫かれ、バハルの誇る大楯も、肉体も、無数の光の針によって蜂の巣にされました。

「……あ、……が……ッ!!」

 激しい衝撃と共に、二人はその場で崩れ落ちました。

 研究所の硬い床に叩きつけられた瞬間、彼らの体の下から、信じられないほどの量の鮮血が溢れ出し、冷たい床を赤く染めていきます。

「ディオン!! バハル!!」

 アルベローゼの悲鳴に近い叫びが、広大な研究所に響き渡りました。

「い、嫌っ……嘘でしょ!? 二人が……一度の攻撃で……!」

 リニが駆け寄ろうとしますが、泥の男は微動だにせず、ただその無機質な姿で、次に仕留める「獲物」を選定するように、ゆっくりと首を傾げました。

「……ライナス……! 早く、回復を! 二人が……二人が死んじゃう!!」

 アルベローゼの瞳から涙が溢れ出します。

 天面では数千のドローンが修復の光を放ち、足元では人類の希望であった二人の戦士が、自らの血の海に沈んでいる。

 かつてない絶望的な静寂。

 泥の魔王は、政治家たちの残忍な記憶を反芻するように、ゆっくりとその「泥の手」を、立ち尽くす女性たちへと向けました。


 血の海に沈むディオンとバハル。

 そして次は、リニの悲鳴が響きました。

 泥の魔王から放たれた追撃のレーザーが、駆け寄ろうとしたリニの右腕を無慈悲に弾き飛ばしたのです。

 絶望がその場を支配しようとした瞬間、アルベローゼが、ふっと深く、あまりにも穏やかな息を吐きました。

「……ねえ。ごめんね」

 彼女は、倒れ伏すディオンに一瞬だけ柔らかな視線を向け、それから仲間たちに最高の笑顔を向けました。

「100秒後にさ、わたし死ぬね。……あはは、驚かせてごめん。でも、みんなと一緒にいられて、本当に楽しかったよ。ディオンと一緒に死ぬのかな、それとも彼を守って死ぬのかな。……ううん、わたしはどちらでも幸せだよ。彼に出会えただけで、十分だったから」

 アルベローゼがライナスの杖に触れて、呟きます。

「ライナス、ごめんね。カウントピッタリだからお願いね」

 アルベローゼの詠唱が始まりました。

 その言葉と呼応するように、アルベローゼの手元で、見たこともないほど透き通った緑の光が溢れ出しました。 彼女が紡いでいるのは、実体を持たない「次元の矢」。

 その数は20。

 一本一本が周囲の空間を歪め、この世のことわりから切り離された異質の輝きを湛えています。

「アルベローゼ、やめて!! それは――!!」

 ライナスとエリカが、喉を潰さんばかりの勢いで叫びました。


 二人は知っていました。


 いや、この世界に生きる者なら、誰もが幼い頃に聞かされたはずです。


 おとぎ話の結末に出てくる、最悪で最強の「禁忌」「再現できないが再現してはいけない究極の禁呪」。

 自分の命を触媒とし、対象を強制的に別次元へと引きずり込み、術者もろともその次元ごと粉砕・消滅させる魔法。


「……そうか。それが、おまえの選んだ『答え』なのだな」 とライナス。


 腕を失い、激痛に顔を歪めながらも、リニが歯を食いしばって立ち上がりました。

「やめてください!アルベローゼ!」

「アル、行かせないわよ! そんなの、ディオンが起きたらなんて言うか……!」

 エリカが必死に手を伸ばしますが、アルベローゼの周囲に展開された魔法の歪みは、もはや何者も寄せ付けません。

「100、99、98……。カウントダウン、始めちゃった」

 アルベローゼは、頬を伝う涙を拭うことすらせず、緑の矢を番えました。

 その瞳に宿っているのは、大切な人を、世界を、この忌々しい「魔王」という名の遺物から守り抜くという、あまりにも純粋な愛と覚悟でした。

「さあ、泥の人。私と一緒に、永遠の孤独に落ちましょう?」

 天を舞うドローンの光も、泥の魔王の無機質な姿も、すべてが緑の輝きに照らされていきます。

 次元を抉る20本の矢が、いよいよ放たれようとしていました。


 無慈悲に進むカウントダウン。

 アルベローゼは微笑みながら、自分と引き換えに世界を救おうとしています。

 ディオンとバハルはまだ血の海の中で目を覚まさず、エリカとライナスは絶望的な制止の声を上げ続けています。


「10、9、8……」


 アルベローゼのカウントダウンが、この世界の終焉を告げる鼓動のように響きます。

 緑の光を湛えた20本の次元矢が、ついに放たれました。

 それは世界の理を削り取り、存在そのものを無へと帰す絶望の弾幕。

 しかし、泥の魔王は、そののっぺりとした顔に傲慢な嘲笑を浮かべました。

 ダウンロードされた「古き政治家」たちの魂は、すでに完全な知性を得ていたのです。

 魔王は物理法則を無視したような優雅な身のこなしで、絶対命中のはずの次元矢をすべて紙一重で回避しました。

『――ムダダ。其方そなたノ命、安ク散ルガイイ』

 声なき蔑みが研究所に響き渡ります。

 アルベローゼの顔から、ついに絶望の色が滲みました。

 自分の命を捧げた一撃が、虚空を切り裂くだけに終わる。

 彼女の体が、消滅の余波で透け始めたその時でした。


「――アルベローゼ!!」

 意識があるはずのない、血の海に沈んでいたディオンが立ち上がっていました。

 全身の傷口から命が零れ落ちるような大量の出血と重傷。

 しかし、彼の瞳はかつてないほど清澄な決意で燃え盛っていました。

 ディオンは瞬身の一歩で、回避したばかりの魔王の「真後ろ」を獲りました。

 逃げ場はありません。

 ディオンは背後から泥の魔王を、その体を抱きしめるように固定し、自らの愛刀を逆手に取って、魔王の核と自分自身の腹部を同時に貫いたのです。

「アルベローゼ、僕ごと撃て!!」

 ディオンが叫びます。口から溢れる鮮血すら、もはや絆の証のように紅く輝いていました。


「君を一人で逝かせはしない。地獄の果てまで、一緒に連れていってくれ……!」

 魔王の顔が、初めて驚愕に歪みました。 

 「ナゼダ!ワタシノ物理無効魔導シールドガ!………………ナ!コレハ、『アニマ・エクス・マキナ(魂を対価とする神断)』カ!」


 これはディオンが父ガリアスから伝承されていた奥義の一つ。

 この奥義の真髄は、「自分の魂を魔力へと強引に置換し、それを刀身の厚さ数ミクロンの境界線に集中させ、世界の理(物理・魔法法則)そのものを切り裂く」ことにあります。

 この技を放つと、全身の毛細血管が破裂し、髪は白く染まり、視覚や聴覚が一時的若しくは永遠に失われ、万が一、命が助かったとしても、放った後はしばらく指一本動かせないほどの危機に瀕します。


 一撃放つだけで死に至る神の一撃。


 逃れようと藻掻く魔王の肉体を、もはや視覚が無いディオンの魂が、そして愛刀が、逃れ得ぬ死の鎖となって繋ぎ止めます。


「ディオン……っ!!」

 アルベローゼの瞳から、大粒の涙が溢れました。

 しかし、その指先に迷いはありません。

 これが、彼女の愛した男が示した「答え」。

 そして、二人に与えられた唯一にして最後の「救済」でした。

「……わかったわ。愛してる、ディオン!」

 アルベローゼは残された全ての生命力を、その指先に集束させました。

 放たれた極大の緑の閃光が、ディオンと魔王を飲み込みました。


 刹那、三者はこの世界の存在しない「空白の次元」へと転送されました。

 研究所の喧騒も、修復のレーザーも消え、そこにあるのはただ、崩壊を待つ無の空間。

 魔王の泥の肉体が崩壊を始めると、その内側に潜んでいた「真の醜悪」が姿を現しました。

 ダウンロード候補とされていた古の政治家たち、総勢五十柱の精神が、同時にこのアニマ=ゼロの中に同居していたのでした。


 それらは、支配欲と利己心に塗り固められた怨嗟の声を上げながら、崩れゆく次元の中で醜く藻掻き、苦しみ、消滅を拒んでいました。

 しかし、その地獄のような断末魔の渦中にあっても、ディオンとアルベローゼを包む空気だけは、不思議なほど静謐でした。

 

 崩壊していく次元の最果て。

 ディオンとアルベローゼは、互いの体温を刻みつけるように強く、強く抱き合っていました。

「……怖くないよ。ディオンが隣にいるから」 「ああ……どこまでも一緒だ、アルベローゼ。ようやく、二人きりになれたね」

 

 次元が内側から粉砕されていく壮絶な轟音。

 五十柱の邪悪な魂が虚無へと吸い込まれていく中、抱き合う二人の笑顔だけが、星のように静かに輝いていました。

 やがて、その緑の輝きは極限まで膨れ上がり――。

 眩い閃光のあと、そこには何も残りませんでした。

 研究所には、ただ腕を失ったリニの嗚咽と、ライナス、エリカ、そして血まみれで横たわるバハルの、人の声とは思えないような絶叫だけが、いつまでも虚しく響き渡っていました。


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