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第38話 約束のバージンロード

 パレードの興奮が冷めやらぬ十日後。

 聖都ルーン・ヴィーク。

 かつての戦乱が嘘のように静まり返った女王の私室は、重厚な沈黙に包まれていました。  

 卓上に置かれたのは、物理障壁コーティングが施された一冊のファイル。

 それは『ヴォル・ヴィア・ラボラトール』の深淵からアルベローゼが命懸けで持ち帰った、古代文明の「最悪の遺産」でした。


 大司教は眉間に深い皺を刻み、眼鏡の奥の瞳でファイルを凝視していました。


「……アルベローゼ殿。この『不老不死リスト』、そして人格の転送術式……。これらは確かに不浄ですが、同時に失われた古代の失伝魔導の極致でもあります。……これを、完全に放棄せよと仰るのか? 厳重に封印を施し、我が教会の最奥に『禁書』として保管することさえ、お許しいただけぬのか」


 大司教の声には、魔導の探求者としての隠しきれぬ未練が混じっていました。

 しかし、アルベローゼは凛とした態度で、その言葉を遮りました。


「大司教様。これは『知』ではありません。ただの『呪い』です。人の命を数値化し、他者の肉体を器として奪い取る……。そこに魔導の本質であるはずの『自然への敬意』など微塵もありません。これを一文字でも残せば、いつか必ず、死を恐れる権力者が再びこのページをめくるでしょう」


 アルベローゼの手が、時折うずく左腕の傷に触れました。

 彼女の断固とした物言いに、大司教はなおも言い募ろうと口を開きかけましたが――それを制したのは、静かにファイルを手にとった女王エレオノーラでした。


 女王の指先が、ページの一角に触れます。そこには、アルベローゼが地下の極限状態で書き殴った翻訳文が、無数の血の滲みと共に残されていました。


「……大司教。この翻訳文を見てください。アルベローゼ殿がどのような地獄を抜け、どのような思いでこの文字を綴ったか。この血痕が何よりも雄弁に物語っています」


 女王は、リストに並ぶ「上級国民」の名を一つずつ指でなぞりました。

 彼らの永生のために、何万という「下級国民」が魔力を絞り取られ、薪のように焼かれた事実。


「……擬似生命体への寄生。そして、自らの保身のために最適化された最新のダウンロード術式。……これほどまでに完成された『悪意』は、もはや禁書として保存することすら危うい。封印はいずれ解かれるためにあり、禁書はいつか盗まれるためにあるものです」


 女王の瞳に、かつてないほど鋭く冷徹な光が宿りました。

 彼女は大司教を見据え、一文字ずつ噛みしめるように宣言しました。


「三大国の盟主として、そして今を生きる人間の代表として命じます。このファイル、および研究所から回収された関連記録の一切を、この場で『完全消滅』させなさい。影も、塵も、概念さえも残してはなりません。この世に存在しなかったことにするのです」


 大司教は女王の気圧されるような威厳に、ついに深く頭を垂れました。

「……御意。王命に従い、聖なる浄化の炎を以て、無に帰しましょう」


 その瞬間、緊張の糸が解けたように、アルベローゼがぱっと顔を輝かせました。


「さすが陛下! 物分かりが良くて助かっちゃうわ。あんな気味の悪い本、持ってるだけで運気が下がりそうだもの。……ありがとうございます、陛下!」

 

 女王の言葉が私室の空気を震わせた直後、大司教はゆっくりと、震える手で懐から純銀製の香炉のような「聖なる器」を取り出しました。  

 それは、教会の歴史においても数えるほどしか使われたことのない、不浄なるものを根源から断つための儀式用具でした。


「……承知いたしました。この叡智、もはや人の手には余る。神の御許へも返さず、虚無へと還しましょう」


 大司教が低く、地這うような声で詠唱を始めると、その指先から青白く透き通った炎が立ち昇りました。

 聖属性の極致――あらゆる不浄を灰さえ残さず光へと分解する『聖白葬火ホリー・イグナス』。


 彼は物理障壁コーティングが施されたファイルを器の上に置くと、躊躇いなくその白炎を押し当てました。  

 本来、いかなる物理衝撃も、魔導武器さえも撥ね退けるはずの障壁。

 しかし、大司教の放つ浄化の火は、まるで渇いた紙を焼くように、冷徹にそのコーティングを食い破っていきました。


 ジュッ、と耳障りな音が響き、ファイルの表紙が歪みます。  

 その瞬間、書庫に閉じ込められていた古代の怨念が最期の悲鳴を上げたかのように、どす黒い霧が立ち昇りましたが、白炎はそれさえも一瞬で焼き尽くしました。    

 アルベローゼが命懸けで守り、血を滲ませて書き綴った翻訳文。  

 不老不死を夢見た権力者たちの醜い名簿。

 それらは白炎に包まれ、赤から白へ、そして透明な光の粒子へと姿を変えていきます。


 女王エレオノーラは、その光景を瞬きもせず見つめていました。  

 最後に残ったのは、アニマ=ゼロの核となる「精神転送術式」の断片。

 それがパチリと弾け、完全に光に溶けて消えたとき、器の上には微かな灰すら残っていませんでした。


「……終わりましたな。これで、二千年前の亡霊たちは、真の意味で眠りについた」


 大司教が深く息を吐き、炎を消すと、部屋には静寂だけが戻ってきました。  

 あまりにも静かで、あまりにも決定的な終焉。


「最高よ、大司教様!」  

 アルベローゼが、その完璧な浄化を見届けて、弾んだ声で手を叩きました。

「これでようやく、肩の荷が下りたわ。陛下、大司教様、本当にありがとう。」


 屈託のない笑顔で、まるで重い荷物を下ろした少女のように跳ねるアルベローゼ。

 その隣で、ディオンは静かに息を吐きました。  血塗られた過去が、今、女王の手によって永遠に葬り去られ安堵したのです。


「さて、不浄な仕事はこれでおしまい! 陛下、それじゃあ次は……もっと明るい話をしましょう? 私たちの結婚式で大聖堂の室内にあの『魔法花火』を打ち上げるのはどうかしら?」

「アルベローゼ様……」

 大司教が困り果てたように眼鏡を押し上げます。

「あそこは神聖なる祈りの場です。王族や貴族であっても、式に使うことすら異例中の異例。魔法花火だけは、どうか、どうか屋外でお願いしたく……」

「あら、残念。じゃあ、天井から七色のバラを雨のように降らせる術式はどう? それなら文句ないでしょう?」

「……それならば、まあ、景観を損ねることはありませんが。魔法効果解除するために掃除用の魔法騎士を十人は追加せねばなりませんな」

 大司教の妥協を引き出したアルベローゼが、「任せて」とばかりにディオンに向かって悪戯っぽくウィンクしました。


 一ヶ月後。

 聖都ルーン・ヴィークは、人類の歴史上かつてない熱狂に包まれました。

 聖王国、海の国、砂の国の三大国王が揃い踏みし、大聖堂の祭壇を前にして、一つの宣言を世界へ向けて放ったのです。

「今日この日を、我ら人類が過去の呪縛を断ち切り、一つとなった『六人の英雄の日』と定める! 三大国は大同盟を結び、二度と魔王の再来を許さぬ守護の誓いを、ここに立てるものとする!」

 万雷の拍手が、地響きとなって聖都を震わせます。

 そしてその宣言と同時に、ディオンとアルベローゼの結婚式が幕を開けました。

 アルベローゼの望んだ通り、大聖堂の天井からは魔法師団による魔法で生成された数万のバラが、雪のように美しく舞い落ちます。

「……綺麗だね、アルベローゼ」

「ふふ、素敵な式だね。ディオン」

 純白のウェディングドレスに身を包んだアルベローゼと、白銀の礼装を纏ったディオンが、ゆっくりとバージンロードを歩みます。


 参列者の最前列には、仲間の姿がありました。 

 バハルは重厚な正装に身を包み、リニに肩を貸しながら、普段は出さないような涙をボロボロと流しています。

 その横で、正装したライナスとエリカは、背中にまわした手をお互いに握りしめて立っていました。

「……凄いな、この式。僕たちもいつか、あんなふうにするのか」

 ライナスがポツリと零すと、エリカは真っ赤になって顔を背けました。

「バ、バカ言わないで。私たちはまだ……早いのよ。それに、私はこんな大勢の前で晒されるのは苦手よ」

「はは、そうだな。もし、いつか僕たちが式を挙げるなら……」

「……ええ。その時は、ディオンやアルちゃんたち、仲間内だけでひっそりとやりたいわ。……あなた、それでいい?」

「ああ、僕も、君と静かに誓い合える方がいい」


 大聖堂の門が開かれ、新郎新婦が姿を現すと、空にはアルベローゼが屋外へと譲歩した「極大魔法花火」が打ち上がりました。

 それは七色に輝き、地下都市の暗闇を完全に消し去るような、眩い平和の象徴でした。


 結婚パーティーの会場となった王宮の大広間では、色とりどりのバラが舞い散る中、絶え間なく各国の王族や高官たちが新郎新婦のもとを訪れていました。

「ディオン殿、我が国の騎士団長としてぜひ迎え入れたい。公爵の地位と領地も約束しよう」

「アルベローゼ殿、我が国の魔導院を総帥として導いてはいただけぬか」

 ひっきりなしに続く破格の勧誘。

 しかし、ディオンとアルベローゼは、そのたびに顔を見合わせ、晴れやかな笑みで首を横に振りました。

「恐縮ですが、私たちはすべての官職と待遇をお断りさせていただきます」

 ディオンが静かに、しかし断固とした口調で告げました。

「なんですって? 地位も、名誉も、富も……すべてか?」

 驚きを隠せない貴族たちを前に、アルベローゼがディオンの腕をぎゅっと抱き寄せ、誇らしげに微笑みます。

 驚きを隠せない貴族たちを前に、アルベローゼはディオンの腕をぎゅっと抱き寄せ、誇らしげに微笑みました。

「ええ。私たちは旅に出ることに決めたんです。まずはディオンの両親に報告をして、それから私の故郷の森へ。父を、ずっと待たせていた母の隣に眠らせてあげたいの。……それが終わったら、二人でまだ見ぬ世界を、自由に見歩くつもりよ」


 その瞬間、背後から呆れたような、けれど芯の通った力強い声が割って入りました。

「――おいおい、『二人で』なんて水臭いこと、本気で言ってんのか?」

 振り返ると、いつの間にかバハルを筆頭に、仲間たちが晴れやかな顔で勢揃いしていました。

 バハルは窮屈そうな礼装の襟をぐいと広げ、不敵に笑い飛ばします。

「俺たちを置いてけぼりにしようなんて、百年早えぜ。あの死線を共に潜り抜けた仲だろ? 新しい世界を拝みに行くなら、全員で行かなきゃ面白くねえ」


 その隣で、リニがふわりと柔らかな微笑みを浮かべて続けます。

「そうですよー、アルベローゼさん。バハルさんたら、さっきからずっと『俺も行く。行きたい』って、そればかり囁くんですから。……私たちもご一緒させていただいて、いいですよね?」


「バハル……リニまで!」

 さらにライナスも一歩前に出て、どこか吹っ切れたような、自然体な笑みを浮かべて口にしました。

「僕たちも、この手で守り抜いた地上の息吹を、自分たちの目で確かめたいんだ。……また一緒に歩いても、いいだろ?」


「ライナス……」

 アルベローゼは一瞬絶句し、顔を耳の根元まで真っ赤にして俯きました。

 叫び出したいほどの羞恥心を喉の奥で必死に抑え込み、指先を震わせながら、消え入りそうな声でようやく絞り出します。

「……っ、い、いえ……お、お兄さま……ちゃんっ! ふふ、……もちろん、当たり前じゃない!」

 その、身悶えするような照れを押し殺した一言に、仲間たちの間には温かな笑いが広がります。 

 ディオンもまた、熱いものが胸に込み上げるのを感じていました。

 一段高い玉座から、笑い合う六人を見つめ、三国の王たちはグラスを傾けていました。


「――はっはっは! 見ろ。あやつらを繋ぎ止める鎖など、この世にはなかったな」  

 海の国王が、ハルヴァール元帥と頷き合いながら豪快に笑います。


「彼らは……鳥のように自由であることを選んだのですね」  

 砂漠の国のアリステア女王が、柔らかく、包み込むような声音で呟きました。

 彼女がディオンを見つめる眼差しには、女王としての慈しみと、小さな慕情が、熱を帯びて揺れています。

「フェリス、セシリア。見て……あの六人の背中。あんな死線を抜けてきたとは、とても思えないほど眩しいわ」


 隣に立つ妹セシリアも、ライナスの姿をじっと追いながら、ドレスの裾を小さく握りしめて頷きました。

「はい、お姉様……。ライナス様、本当にかっこいい……。でも、私たちを置いて、もう行ってしまうのですね」


 聖王国の女王エレオノーラは、二人の少女の切ない視線に気づき、優しく微笑んでグラスを掲げました。

「ええ。彼らはこの世界の2000年に渡る暗黒の呪縛を引き裂いた自由な光の翼。私たちが『役職』という籠に閉じ込めてはいけないのです。そうでしょう?」


 その言葉を合図に、三国の王たちの間に「秘密の協定」が結ばれました。  

 どの国も彼らを公職に勧誘せず、その自由な旅を誇りを持って見守ること。

「あやつらが我が国に寄ったときは、最高の酒と海鮮で歓迎するだけだ!」  

 海の国王の快活な声に応えるように、夜空には七色の魔法花火が打ち上がりました。

 それは、ヴィルヘルと魔王から解放された世界と、新たな地平へ歩み出す英雄たちの門出を祝う眩い光の輪でした。


 大聖堂の夜空に、七色の魔法花火が極大の輪を描きました。

 それはただの「仲間」として未来へ歩み出す六人への、眩い門出を祝う光でした。


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