第10話 アクア・フェリス、真実への濁流
フェルゼン・ハフトの正門前。
北東へと向かう定期馬車は、一定の間隔を保って進む六台の車列でした。
緊急時の離散を想定した運用は、この街道の日常である。
一行が乗り込んだのは、隊列の前後を固める「戦闘員用馬車」だ。
これはヴィルヘルの襲撃時に戦う義務が生じる代わりに、乗車賃が安くなる車両である。
戦闘員の不足により発車が遅れることもしばしばだが、一行を乗せた馬車はようやく砂煙を上げて動き出しました。
相乗りとなった馬車の中、ディオンのすぐ隣には、偶然乗り合わせた見知らぬ女戦士が座っている。
「こんだけ馬車の往来が多けりゃ、魔物もそう簡単には寄ってこないでしょ」
アルベローゼは弓を軽く叩いて不敵に笑いますが、その視線は正面のディオンの隣に釘付けでした。
女戦士は露出の多い軽装で、あろうことか居眠りを始め、その顔をディオンの肩に預けていたのです。
(……ちょっと、何よあれ。そんな恰好でまともに戦えるわけ? それに、そんなにくっつかなくたって……)
アルベローゼは顔が熱くなるのを感じながら、面白くなさそうに視線を逸らしました。
だが、当のディオンは肩の重みにすら無頓着に、外の様子を伺っている。
(……本当に、ディオンはこういう時にも、顔だけは格好いいんだから。……私の前だけ、その顔してればいいのに)
自分にだけ向けてほしいその端正な横顔が、無神経な女戦士の近くにあることがどうしても癪で、アルベローゼは頬を膨らませながら窓の外へと目を向けました。
運河の街「アクア・フェリス」の灯りが水面に揺れる夜、一行は酒場で夕食を囲みます。
昼間の光景が頭を離れないアルベローゼは、隣に座ろうとしたディオンを「ちょっと、狭いんだけど。あっち座ってよ」と肘で軽く追いやり、わざと素っ気ない態度を取りました。
「……? どうしたんだよアルベローゼ、機嫌悪いのか?」
不思議そうに首を傾げるディオンに、アルベローゼは「別に! 昼間、可愛い誰かさんに肩を貸しすぎて疲れてるんじゃないかと思っただけよ」と皮肉を混ぜて言い返します。
そんなやり取りを苦笑いで見ていたライナスが、真剣な面持ちで切り出しました。
「……さて、ここから先は王都だ。ディオン、王都に着いてからの段取りを改めて説明しておきましょう」
ライナスは杯を置き、静かに頷きました。
エリカは、ランプの灯りに照らされたライナスの落ち着いた眼差しを見つめながら、ふと胸の奥が温かくなるのを感じていた。
(ライナスさんは、いつもこうして私たちを導いてくれるけれど……その横顔は、時々、消えてしまいそうなほど脆くて硝子細工のように見える。……私、この人をずっと見ていたい。この人の力になりたい)
彼を護りたいという願いが、静かに彼女の心を満たし始めていました。
ライナスは今後の動きを説明する。
「王都聖図書館は、王家や貴族、あるいは上位の教会関係者しか立ち入れぬ場所だ。だから、筆頭司書官を務める友人カスパールの協力が不可欠になる。突き止めるべきは……アイナル村の古い伝承、憑依霊の記録、そして僕たちの両親、ゼーレドルフ一族のルーツだ。父上はアイナル村の守護職魔導騎士として村を護っていた。果たして魔導騎士に悪霊の封印などできるのだろうか? まずはこの街の駐屯所で聞いてみたい」
翌朝、一行はアクア・フェリス駐屯地の石門前に立ちました。
門番に対し、ライナスが懐から銀のロザリオを提示する。
司祭としての身分を証明したことで、一行はスムーズに中へと案内されました。
対面した第三小隊のガレス小隊長は、ライナスの問いに対し厳しい表情で答えました。
「『悪霊を封じる力』を持つ守護職魔導騎士だと? ライナス殿、私は王都の本部にもいたが、そんな術は聞いたことがない。霊を散らす神聖魔法なら中位から上位に存在するが、封じ込める術式など、既存の魔法系統には存在しないはずだ。もし貴殿のご両親がそれを使っていたなら……それは王族等の極秘事項か、失われた血筋の秘術だろう」
会談を終え、一行が再び酒場に集まったのは、空が紫紺に染まる時刻でした。
「……結局、小隊長さんも知らなかったのか」
バハルが腕を組み、唸る。
ライナスは静かに頷きました。
「父上や母上たちの力は、既存の魔法の枠組みを逸脱していた。答えはやはり、王都の聖図書館の中にしかないようだ」
「……ガリアスさん、セレスティナさん、イゾルデ先生……」
エリカが祈るように胸元で手を握ります。
あの日、命を賭して自分を悪霊から救い、封印を施してくれたのは、ライナスの母セレスティナでした。
恩人である彼らの力が、国家機密に触れるほどの謎を秘めていた事実に、一行の間に静かな緊張が走る。
「みんな、力を貸してくれ。明日から、父さんたちが遺した謎、そして悪霊の正体、王都で全てを突き止めるんだ」
ディオンの力強い言葉に全員が深く頷き、翌朝、一行は再び定期馬車の車列へと戻り、王都を目指して出発しました。




