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虚構17 音を喰らう影

 王都の外れ、霧深い森の奥。

 夜の闇が粘りつくように木々に絡みつき、不気味な影を落としている。


「ハァ、ハァ……っ!」


 四十代後半の男、ライアスは、泥にまみれた膝をつき、必死に肺へ空気を送り込んだ。

 かつては支配層「グローバリスト」の重鎮として、魔王という虚構を維持する計画を立案したエリート。だが今や、その面影はない。髭は伸び、目は血走っている。胸ポケットに深く仕舞い込んだ「メモリークリスタル」——ホログラム装置の設計図、洗脳薬の成分表、そして三十年前の「勝利実験」の捏造報告書。

 これが、世界を覆う嘘を暴くための唯一の武器だった。


「ライアス……逃げ切れると思うな」


 冷徹な声が森に響く。かつての同僚であり、現在は暗殺部隊の隊長を務める男だ。

 魔法で姿を消した三人の執行者が、じりじりと包囲網を狭めていく。


「理想論だな。三十年前、魔王が不在になった時に起きた大恐慌を忘れたか? 我々は『安定』を守っている。お前は、この秩序を破壊する裏切り者だ」

「安定だと……? 経済のために死者を調整し、娘のような純粋な者を騙し続けることがか!」

 

 ライアスが隠蔽装置を起動しようとした瞬間、背後から放たれた闇の矢が装置を粉砕した。

 三番目の暗殺者が投げた鎖が足に絡み、ライアスは地面に叩きつけられる。隊長の短剣が、その喉元へ突きつけられた。


「終わりだ。クリスタルを返せ。お前は洗脳施設へ送り、また『善良な市民』に戻してやる」


 絶望がライアスを支配したその時——。


「——随分と賑やかな夜だな」


 低く、通る声が霧の向こうから響いた。

 暗殺者たちが一斉にその方向を向く。木々の間から姿を現したのは、鈍い光を放つ甲冑に身を包んだ男、勇者クリードだった。


「貴様……勇者クリード。何故ここに」


 隊長が毒づく。クリードは抜剣せず、静かにライアスと暗殺部隊の連中を見渡した。


「偶然、と言いたいが、この森の殺気があまりに酷くてな。国家の犬が三人がかりで、丸腰の男をなぶる。……ロクな事情じゃなさそうだ」


 クリードはライアスに視線を落とした。顔見知りではない。だが、ライアスが握りしめるクリスタルと、その必死な眼差しに、彼は「真実の一部」を直感した。


「おい、アンタ。何を持ってるかは知らんが、そいつらに渡したくないなら……俺と手を組むか?」

「勇者、クリード……。私を、助けるというのか?」

「助けるんじゃない。取引だ。アンタの持つ『何か』が、俺の行くべき場所へ繋がっている気がしてな」


 クリードが剣を抜いた。その瞬間、空気が震えるほどのプレッシャーが周囲を圧する。

 暗殺部隊が色めき立ち、迎撃の構えをとった。

——しかし、異変はその瞬間に起きた。


……………………………………………………………………


 音が、消えた。

 会話も、足音も、自分の呼吸音も、風に揺れる葉の音も、クリードの剣が鞘を擦る音も、ライアスの荒い呼吸音さえも何もかも。

 まるで世界が真空の瓶に閉じ込められたかのように、完璧な無音が訪れる。

 異変にいち早く気が付いたクリードだった。

(……何だ!?  音が……聞こえない?!)

 クリードの目が驚愕に見開かれる。

(何かの攻撃魔法かなにかを仕掛けられたのか? 新手の敵か?)

 クリードは何かを思い出した。

(そういえば、聞いたことがある。音を喰う能力を持つ暗殺者の存在……。確か名前は……)

 その瞬間、背後から音も無く近づき、ナイフで首を刺された。

 もちろん即死だ。そして、その出来事に気がつく前にライアスも同じ箇所を刺され死んだ。

──盲目の暗殺者、キール。


『仕事は終わった』


 キールが呟く。その瞬間、世界に音が戻った。

 森のざわめき、鳥の羽ばたき、そして勇者とライアスの呆気ない死。

 キールは隊長に向き直り、感情の欠片もない声で言い放った。


「報酬は、明日までに指定の口座へ。俺はフリーランスだからな。」


 影に溶けるように、キールはその場から消え去った。

 隊長は、自分の喉が無意識に鳴るのを感じた。

 特殊訓練を受けた部下たちが、誰一人として口を開かない。


 地面には血が滲んでいた。

 勇者の指は痙攣したように土を掻き、ライアスの爪は折れている。


 ――だが、それだけだった。


 叫びも、剣を振るう間もない。

 そこにあったのは戦闘ではなく、処理だ。

 隊長は理解してしまった。

 自分たちが恐れているのは、死ではない。

 「抵抗する資格すら与えられない相手」だという事実そのものだと。

 二つの死体は、もう動かない。

 森だけが、何事もなかったかのように音を立て続けていた。

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