新たな日常と義父
赤黒い炎が、あたり一面を取り囲んでいた。
焼け落ちる木の匂い。
倒れていく人影。
血に濡れた剣。
そして、肉を断ち切る気色の悪い音。
側にいるのは、母と友達。
下卑た笑みを浮かべた薄汚い男たちが、獲物をいたぶるように距離を詰めてくる。
刃が一閃。
友達と母は切り裂かれ、ぴくりとも動かなくなった。
足元に、赤黒い血だまりが広がっていく。
闇の中でルカは、叫んだ。
「――っ!」
ルカは、喉が引き裂かれるような感覚と共に目を覚ました。
冷たい汗が背中を伝い、指先が震えている。息は、荒く鼓動が収まらない。
暗闇の中、握った拳に血が滲む。
しばらくして、ゆっくりと天井を見上げる。
まだ、見慣れない自分の部屋。
カヤトの家。そしてルカが新しく住むことになった家。
安全なはずの場所。それでもルカには、怖かった。
「好きに使えば良いって言われたけど」
独りになると、あの惨劇が容赦なく脳裏に蘇る。
眠ろうとしても、瞼の裏に映る光景は、揺れる炎と地面に倒れ伏す人々。
ルカは静かに立ち上がった。
散らかった寝具を整えることも忘れ、部屋を後にする。
冷たい空気が撫でる中、廊下を進む。
突き当たりにある、カヤトの寝室の扉。
ノックしようと腕を伸ばしかけて、止まる。
こんな夜中に声をかけていいのだろうか。
迷惑をかけることになるのではないか。
逡巡するルカの気配を察したのか、扉の向こうから声がした。
「ルカ、どうかしたのか」
「あの……カヤトさん……」
「入っていいぞ」
遮られるように返ってきた穏やかな声が、迷いをほどいてくれた。
ルカは重みを感じながら、そっと扉を押す。
そこには、柔らかな眼差しのカヤトがいた。
ルカは遠慮を捨て、正直に打ち明ける。
「眠れなくて……隣で寝ても、いいですか」
「安心できるまで、そばにいたらいい」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
カヤトの体温を感じながら目を閉じると、不思議と心が落ち着いていった。
悪夢は、戻ってこなかった。
温もりは、ルカを深い眠りにいざなう。
カヤトとの新しい日常は、ルカにとって自然体でいられるものだった。
村での生活と、どこか似ている。
いつしかルカは、カヤトの背中に「親」という存在を重ねていた。
ただ、仕事で家を空ける時間だけは、どうしても心細い。
寂しさを紛らわせるため外に出る。
街の散策。ノーイを探検することはルカの密かな楽しみになっていた。
人があふれる商店街。
川にかかる巨大な橋。
空へと伸びる塔。
丁寧に舗装された道を歩く。今日は、どんなものに出会えるのだろうか、そんな期待を膨らませていた時だった。
「いったい新しい導官は誰になるんだ?」
「カヤトさんで決まりだろ」
「でも、本人は打診を断ってるらしいぞ」
「功績を考えたら、他に適任はいないだろ」
「ノーイの英雄だもんな。俺たちも負けてられない」
見回り中のオーダーリロジア隊員たちの世間話。
聞き覚えのある名前に、ルカは思わず耳を澄ませた。
英雄――その言葉に、胸が熱くなる。
(やっぱり、カヤトさんはすごい人なんだ)
あの日、見た憧れの背中。ルカの目に焼き付く英雄像。
自分だけでなく多く人を救っている。
いつか自分も、あんなふうに――
ルカはその想いを胸に秘め、地面を強く踏みしめた。
重なり合った雲の隙間から陽光がさす。
数日後。
「ありがとな、手伝ってくれて」
「気にしないでください」
ルカとカヤトは、家中を掃除していた。
長く手入れされていなかったのか、ところどころに埃が溜まっている。
腕に力を込めてルカは、床や窓の隅々まで磨く。
ふとルカは、窓辺に置かれた木の板に気づいた。背もたれが綺麗にたためられている。
本来は、立てて使う物が伏せられている、ひっそりとまるで存在を忘れられたように。
不思議に思い、手に取る。木の感触が心地よい。
表に返すと、そこには一枚の写真が収められていた。
花のように笑う一人の女性。愛らしい少女のような、引っ掛かりのない美しさ。
(この人は、誰だろう)
戸棚を整理していたカヤトに問いかける。
「カヤトさん、この人って――」
振り向いたカヤトは、写真を見た瞬間、動きを止めた。
少しの沈黙の後、ゆっくりと息を吐き出す。
「彼女の名はルゼ、俺の妻だ」
カヤトの瞳に暗い影が落ちる。カヤトが初めて見せる、悲しみに満ちた顔。
なぜカヤトが独りなのか、ルゼはどうなったのか。
カヤトが負った、心の傷。
ルカは、心臓の奥の方がきゅっと痛くなるのを感じた。
「ご、ごめんなさい」
「ガキの癖に察しのいいやつだな」
ルカの挙動にカヤトは苦笑した。
そっと差し出された手にルカは、写真を置く。
ルゼを見つめ最愛の人に思いをはせるカヤト。
「もう1年になるのか、俺は家族すら守れないガラクタだ」
カヤトの自嘲。その声には、後悔、悲愴、喪失の色が込められていた。
明るく、勇ましく、温かい普段のカヤトからあまりに乖離した姿。
ルカの心が激しく揺さぶられる。
「…ガラクタなんかじゃない、カヤトさんは僕を守ってくれた」
「だから、もうそんなこと言わないでください」
かけるべき言葉がみつからない。それでもルカは、想いを伝える。込み上げる涙を抑えて。
ルカは、カヤトが自虐するのをとにかく見たくなかった。
真剣に真っ直ぐ青い眼をむけるルカ。
しばらく黙り込むカヤトだったがようやく口が動く。
「……そうだな。引きずってばかりも、いられないか」
立ち直れるかわからない。それでも、今の自分にはルカがいる。新たな日常。
守らなければならないもの。カヤトは悲しみを吹き飛ばすかのように笑みを作って、ルカの頭を撫でた。
やっぱりカヤトは温かい。
大きな掌の感触にルカは、顔をほころばせた。
夜。
台所には、油の弾く音と香ばしい匂いが満ちていた。
焼き上がったハンバーグが皿に並べられ、湯気が立ちのぼる。
「手伝ってくれたお礼だ」
「わぁ……」
言葉が途中で途切れる。
好物を前にしてルカは舞い上がった。
椅子に座り、箸を持つ。
表面が少しだけ焦げているが、むしろそれが食欲をそそる。
「早く、食べましょう」
「わかった、わかった、少し落ち着け」
待ちきれないルカを穏やかにカヤトがなだめた。
一口頬張ると、肉汁が溢れた。
思わず目を細める。
「……おいしい」
「それならよかった」
黙々と食べ進めるうち、皿の上が少しずつ空いていく。
箸を動かしながら、ルカはずっと別のことを考えていた。
言おうか。
やめようか。
この時間が壊れてしまう気がして、なかなか口を開けない。
箸を止め、ようやく話す。
「あの……」
声に気づき、カヤトが顔を上げる。
「どうした」
問いかけは短いが、急かす色はなかった。
待ってくれる。
その姿勢に、背中を押される。
ルカは一度、視線を落とした。
皿の縁を見つめながら、言葉を探す。
「……僕」
喉が詰まる。
それでも、逃げたくなかった。
「僕には……お父さんが、いなかったから」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥がひくりと痛んだ。
言ってしまった。
もう、この気持ちから目を逸らせない。。
「だから……」
顔を上げる。
カヤトの目を見る。
怖かった。
拒まれるのが。
困らせてしまうのが。
それでも、言わなければ前に進めない気がした。
「いたら、こんな感じなのかなって……思って」
一拍、間が空く。
「……父さん、って」
声が、少し震える。
「呼んでも……いいですか」
一瞬、空気が止まった。
カヤトの目が、わずかに見開かれる。
驚き。
それから、何かを噛み締めるような沈黙。
長く感じられたが、実際にはほんの数秒だったのかもしれない。
やっぱり、駄目だっただろうか。
そんな不安が胸をよぎった、その時。
「……そんなことか」
カヤトは、小さく息を吐いた。
そして、ゆっくりと頷く。
「いいぜ」
拍子抜けするほど、あっさりとした答えだった。
「それから」
「お前も、もう少し楽に話せ。堅苦しいのはなしだ」
その言葉に、最後の迷いが消えた。
ルカは、少しだけ背筋を伸ばす。
そして、息を吸って――
「わかったよ……父さん」
口にした瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
不安も、緊張も、全部一緒に溶けていく。
「……ああ」
短い返事。
けれど、その声はどこまでも温もりに満ちていた。
ルカは、思わず笑った。
抑えきれず、顔が自然と綻ぶ。
灯りが、二人を包み込む。
その夜、ルカとカヤトは家族になった。




