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しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
第二章
9/12

第0.7話:南南、または、北北

 不規則な足音が、無の空間に彩りをつける。歩き出してからまだ数十分しか経っていないというのもあるが、休息を挟んだからか、足が異常に軽く感じられる。

 この感覚を得てから、前に「フキヤ」と声を出した異形に会った時の感覚を思い出すと、やはりあの時は足が半分壊れかけていたのだと気づくぐらい、九華は本来の歩く感覚を取り戻していた。


 前にも言った通り、この世界には時間を測ったりする機械や指標、ましてや太陽や月すらも空に昇らない。そのため、()()()()なんて表現を使うことはあまり相応しくないと思うのだが、結局その方が便利なので四人のうちでもそう言い表すことは共通の認識にした。


 それを踏まえて言うと、九華含めて四人は以前の休息時間の時に、思わず意識が飛んで再び目覚めるというような感覚を覚えていた。その目覚めた際の体のだるさや様々な要因から、四人は擦り合わせを行い、自分達は睡眠をしたという結論を取った。そして、全く景色の変わらない世界の中で、この世界に生まれ落ちて、フキヤと呻く異形に会った時までの自分達を昨日の自分達と呼ぶことにしたのだ。


 そして、もう一つ気づいたことがあった。それは今の状態の九華達は、腹が減ることがないということである。これは由依が起き抜け「何か食べたい」と言い出したことに始まった。もちろん、この世界には食糧のような目ぼしいものが点在しているわけはなく、勿論無数にある地面は硬すぎてお腹の口から吐き出してしまう。

 それに、自分達は長旅をしてきた自身のことを「昨日の自分達」と言ったが、実際の体感時間だとなんとなく、風句二の家からフキヤに会うまで、歩いていた時間は現実世界の丸二日に感じられるような気がしていた。つまり、今日が実質的には三日目。


 昔本で読んだことがある。人間は食べ物を食べなくてもある程度生きながらえるが、水を飲まなかった場合三日で死に至る、と。もちろんいずれの新聞部部員も何も口にしていない。なのに、生きている。


 というわけで、この謎の世界のいる自分達は食事を摂らずとも生きることが出来ると結論づけた。何よりその説を強く裏付けたのは、由依以外の三人が総じて、空腹に起因する全身の無気力感というものが無かったからであった。

 由依もその話し合いが終わった後、「お腹は空いてないけどなんか食べないと気持ち悪いから食べたいと思った」というようなことを呟いており、その一件から食に対して無理に思考を巡らせる必要は無くなって、また一つ不安を払拭することに成功した。


 先頭を導くように、九華が写真を見ながら進む。後ろには顔を伸ばした想汰が辺りを見渡しており、その後ろを睡方、由依と続くように隊列が組まれている。

 想汰は手を後ろに回し、腰のスイッチを押す。長らく伸ばしていた顔を縮ませ、元の姿に戻った後、写真を持つ彼女に伝えた。


「もうすぐだ。あとここから一キロも無い」


「オッケー。方角も、結局合ってたみたいね」


 小気味よく足を進める。それから数分が経った後。彼が言った通り、九華の視界の先にもその目的地が徐々に姿を表してきた。写真に写っていたものと同じ建物。奇しくもそれは写真で見るよりも実際に見る方が、現実感が無いというような不思議な感覚を覚えさせた。


 建物からほんの数メートル離れたところまでいって、四人はその足を止める。部員全員が横並びでその建物の前に立ち、その不気味な外観を注視する。


 眼前に広がるこの建物は、自分達が元いた現実世界では見たことのない要素が多数使われており、中々言葉で表現することが難しい。大きさは駅にある売店ほどの規模感でそこまで大きくなく、元々の構造としては、夏祭りの際に用いられるやぐらに近いため、そこまで非日常的なものではないと言えるのだが。


 言うなれば、建物の壁に使われている素材が異常に多いのだ。限りなく近く表現するなら、ゴミ処理場全体をかき集めてバケツに入れ、それを接着剤の塗られた木材の骨組みに向かって溢す、という行動を建物の表面が埋まるまで繰り返した、というような感じ。その素材の中には、現実世界で存在していなかった部品や小物が夥しい数混じっており、自分達が全てを把握出来ないのも無理はなかった。


 だが、近づいてみて初めて分かったこともあった。写真で見た時はズームゆえに一部が画質で潰れていて分からなかったが、この建物はがらくたで構成された壁三面で直方体の片側面だけを開けたような作りになっており、その両脇の壁と壁の間を埋めるように、その壁の三分の一ぐらいの高さの直方体のカウンターが置かれている。

 つまり、中が空洞になっているのだ。それにその木製のカウンターの側面にはノートの切れ端のような紙が雑に何枚も貼られており、そこには何やら文字が書いてあった。


「無いもの 0円」


「有るもの 0円」


「欲しいもの 0円」


「要らないもの 0円」


 等々。文字は基本的に黒色の鉛筆で力強く書かれつつも、所々は線が細い字もあったりして不安定だった。でも、全て真摯に手で書いたであろうという書体をしており、九華は微かに人の気配を感じた。

 その表記を見て、彼女はふと頭にとあるイメージを浮かべる。やぐらのように見えていたそれが、情報を得てから段々と屋台、出店のようなイメージへとすげ変わっていく。四人は手の届く距離まで建物に近づいていき。


 建物の中に空いている空間──もしもこれが出店だとしたら、人が立つような所──は、屋根が付いているにも関わらず、外の世界と同じ明るさでよく見えた。が、別に在庫の段ボールが積んであるとかそういうことは無い。九華は頭を掻くと、ふと気になってそのカウンターで死角になっている建物内下部を覗き込もうとする。

 その瞬間、何かがバネのように視界内で飛び上がり、建物内の空洞を埋めるように大きく両手を広げた。


「いらっしゃ〜いお客様〜」


「うわぁ!」


 九華が声を上げて、思わず体をのけぞらせる。その声に驚くようにして、睡方は尻餅をつき、想汰も少し後退りした。他の所を見ていて自然に振り向いた由依が、遅れて驚きの声を上げる。その要因は、飛び出してきたその異形の姿にあった。


 紺のとんがり帽子に、所々のシワを見逃せない薄黄色の肌。耳は激しく横に尖っており、鼻も先端が鋭く伸びている。特に顔の中で存在感を見せている茶色の双眸(そうぼう)をはじめとして、耳、鼻、口もしっかりとあるため、顔は非常に人間のフォルムに近い見た目をしていた。

 対して、腕は塵がつむじ風で渦巻いたようにしてその五本の指を模した形をなんとか形成しているような様子。それは上半身とはくっついておらず、原理不明でふわふわと浮いていて、肩という概念が退けられていた。

 

「お、お客様……?……ってことは、やっぱりここって何かのお店なんですか?」


「ああ、そうだとも。正真正銘、ここは()()()()を売る店さ」


 反応した九華に返したのは、どこかしゃがれて掠れつつも貫禄を感じる声。紺色のローブを身につけるその姿も相まって、年老いた魔女のような雰囲気が伝わってくる。便宜上以後「彼女」と呼ぶことにするその異形は、机に塵の渦巻く手を付けながらこちらに視線を寄越し、体を少し上下させていた。


「無いものを売る店って……。どういうことすか?」


 隣の睡方が思わず口から溢す。彼女は軽々と体を一回転させると、その店の中の空間を悠々と飛び回りながら答える。下半身の、一本の脊髄のように塵が集まっている光景が、異形らしく、見ていて退屈させない。


「ここに来る奴はみんなそう言うのさ。それ目当てで来る奴なんてありゃしない。第一、無いものを買おうとする奴なんて……、言わなくても分かるだろう?」


 九華は一つ引っかかる。


「ここに……来る奴?もしかして、ここに私達みたいな人達が他に何人も来るんですか!?」


 異形は帽子の先を、手でいじる。目を見開きながらも、どこか呆れたような口調で。


「人?もしかしてあんた、昔話が好きなのかい。それとも実は、アタシより年上だったりしてね」


 そりゃないか、と豪快に笑う彼女。九華は他の三人と思わず目を見合わせる。いずれも首を傾げたり、顔を横に振ったり。笑った揺れで体から離れてしまっている異形の塵が風と共に緩やかに体に当たるのを感じながら、九華は両手を机に置く。


「あの、私達、現実世界に帰りたくて、」


「いいかあんた」


「えっ」


 言葉を遮られて思わず戸惑う。その言葉も聞き飽きたというような感じで、塵で構成された手の人差し指を彼女のかさに勢いよく突きつける。


「アタシ、いつからこの店やってると思う?」


「……え、えっと、いつからっていうのはその、」


「あんたが人間だった頃の時間の感覚でいいさ」


 その鋭い目線に思わずギョッとする。目の前の異形に、自分の心を見透かされているような感覚だった。彼女は、人間の存在を知っている。そしてなぜか自分が、元々人間であったことも当てられた。困惑と思考が頭の中を駆け巡る。された質問に対しての意識が希薄になり、九華は首をぐるぐると動かしながらぶっきらぼうに答えて。


「……六十年とか」


「三千年だよ」


 ほぼ決め打ちのように被せて言われた。九華の体はその瞬間、酷く硬直し、声未満の空気のようなものがただ漏れるのみだった。そのゆえか、驚きを隠せなかった睡方の声が先に響く。


「さ、三千年……!?三千年ってあの三千年すか!?」


「そうだと言っとるだろ」


「つまり、この店を三千年以上続けているということは、あなたも三千年以上生きているということなのだな」


「賢いな。早口で聞き取りづらいが」


「てことは、めっっっっっっっちゃ長生きってこと!?」


「ああ、そうだとも」


 三人が体を震わせる。驚き、困惑、感激、様々な感情が混じり合う震えの輪に無理やり入るように彼女も勢いよく声を上げ。


「待ってください!それが本当なのだとしたら、私達がいた現実世界は、」


 必死で走らせた口を、彼女に人差し指を押し付けられて止められる。その指はフキヤと同じく塵で構成されているのにも関わらず、予想に反して口には強い実体感、そして熱を感じられた。思わずお腹の口をもがもがと動かすが、赤子の喃語のようにそれが言葉になっていかない。


「おっとあんちゃん、それ以上は欲しいものを得ようとしてるだろ?うちはなぁ、その人が欲しく()()ものしか売ってやれないんだ」


 彼女はカウンターの下に手を入れると、桃色と黄色の交互柄の紙を細長く巻いたようなものを取り出した。九華は促されるようにして手を差し出すと、それを渡されて、手を無理やり握らせられた。そして、彼女はギョロリと動く目を一度ウインクさせると。


「これは、火以外でしか点かない手持ち花火だ。あんたが今一番欲しく()()もの、さ。それじゃあここでの出張販売はおしまい、またどこかで」


 そう言われ、やっと人差し指が口から離れる。息切れし、両手を膝につける九華の前で、その異形は再び体を回転させると、風に紛れるようにしてその姿を消した。

 刹那。建物の壁が色を失い、まるでペーパークラフトのように一瞬でその全体が音も無く倒壊した。飛び散った欠片がひとりでに潰れていき、そのまま溶けるようにして灰白色(かいはいしょく)の地面へと馴染んでいった。その間、わずか十秒だった。


「……な、なんなのよ本当」


 九華は異形に握られた、わずかに温もりの残った手を開いた。渡された、火以外でしか点かない花火とやらの本数を数えてみると、全部で二十九本だった。指のない手ゆえか、数えている途中でぽろぽろと地面に落としてしまう瞬間があってストレスが溜まったのと共に、四人で割り切れない数だと気づいて更にやりきれない気持ちになった。


 その花火の一つには、側面に店前に貼ってあった文章を書いたであろう黒い鉛筆で、とある文章が記されていた。


「あんた達が向かう場所は、ここから南東さ」


 花火の細い胴体に無理やり書いたからか、その文字の部分の紙は激しく潰れた跡があった。



「なあ、本当にそこに向かうのかよ?」


 渡した四本の花火を片手に握りしめた睡方が、後ろから声を飛ばしてくる。


「とりあえずよ、とりあえず!だってあの人、私達が人間だって一発で当てたのよ!このまま南東に行けば、絶対何かあるはずよ」


 先頭の九華が言い返すと、睡方は同じく四本を握りしめた由依の方を振り返る。彼女はかさを細かく揺らしながら、少し俯き加減で集中状態に入っており、今まさに彼に手を引かれている状態だった。顔を伸ばして遠くを見ている想汰が、最大までレンズを回すように手を動かす。その矛先は、今自分達が足を進める南東方面で。


「……。とりあえず、今の僕の視界の範囲内では十キロ先までもまっさらな大地が続いているだけだ。周辺にも、特に目星しい物は見えない」


「じゅ、十キロも!?」


「ちょっと、睡っち……静かにして……」


 聴覚に敏感になっている彼女の隣で、思わず大声を上げてしまった睡方が遅れて謝罪する。九華は想汰の話を聞くついでにそんな光景を視界に入れながら、腕を硬く組む。


「ぐぬぬ……。それでも……進むわよ!このまま方向変えずに南東方面へ!」


 その宣言で、睡方が大きく肩を落としたのと同時に、想汰が口の端を微かに震わせた。やけになって持っている花火の中腹を強く握り込みながら、胸を過剰に張るようにして九華は堂々たる闊歩をわざとらしく始める。額に流れる汗が、体の揺れに合わせて段々と背中を伝っていく。主に、自分を騙すための歩き方だった。


 それからは、十キロメートルの距離を使って足を鉄にしていく単純な鋳造作業だった。遠くのものが見える、という彼の有益な能力は自分達の足を進める道標としての役割として大きく意味を成した。だがそれも裏を返すと、どれだけ進んでも先に何もないことを確固たる事実にしてしまう審判にもなってしまうのだった。


 その審判通り、無残にも世界は綻びを見せなかった。こんなことになるのなら先を見ずに歩いていた方が期待感を保持したまま楽に進めたかもしれない、というないものねだりが、奇数キロメートル進む度にまるでチェックポイントのように彼女は頭に浮かべた。


 内部から虚勢は崩れていき、それが実際に歩き方に出たのは、集中状態だった由依が約五キロメートル歩いたところで、「何も聞き取ることは出来なかった」との旨を語ってからだった。彼女は想汰よりも広い範囲の存在の気配を拾うことが出来るので期待していたのだが、そのわずかな希望すらも余りにも綺麗に打ち砕かれて、正直少し笑ってしまった。

 そして肩を前にして前傾姿勢になるように追加でまた五キロ。息切れに苛まれざるを得ない中、彼女はそれでも足を止めずに目の前の光景に手を指す。


「はぁ……はぁ……。ここまで来てやったわよ……!想汰!もう一回、あの先見てみなさい!」


「……了解」


 腰のスイッチを押し、もう当たり前のように顔を伸ばす。レンズの根元を両手で支えながら、回したり、止めたりの微調整を繰り返して世界の端を見ようとしている彼の顔を見上げる。時々、彼が見ている方向にも視線をやりながら、自分でも何か見えないか試してみるが。


「だめだ。こっから更に十キロ先までも何も見えない」


「……はぁ!?また十キロ!?」


 後ろから声が聞こえてくる。今度は九華も我慢できなくなって。


「あんた本当!?それ、嘘ついてない!?」


「こんな状況でそんな嘘つくわけないだろ!」


 想汰は今も進んでいる自身の足を勢いよく指差す。ガツン、ガツン、という足と地面がぶつかる冷たい音が小さいながらも聞こえてくる。

 

「ちょちょちょっと!一回ストーップ!」


 額を汗で埋めた睡方が列から外れて飛び出してきて、進行方向に大の字で立ち塞がる。九華が立ち止まるのと同時に、後ろの二人も久しぶりに足を止めた。


「な……何よいきなり!」


「いや、流石にもう結構きついって!俺もうマジで足がさっきから言うこと聞かないんだよ!な、みんなもそうだろ?」


 覗き込むように彼は後ろの二人にも訴えかける。


「ああ、僕はまさに今も形容し難い痛みに襲われている」


「ウチは足は大丈夫だけど、そもそも体力減らしちゃったから、ちょいきつかな〜」


 九華は睡方に目を合わせられたため、思わず逸らす。訴えかけるような視線を顔に受けると、彼女は一瞬言いかけた言葉を飲み込む。そのまま彼女は必死に体を強張らせながら、それを察されないように語る。


「私は……全然平気よ。なんなら、もう十キロだって……歩けるわ」


「お前……本気で言ってんのか!?まさか、こっからまた十キロ歩くわけじゃないだろうな!?」


「何キロだって歩くわよ!だって人間の存在を知っていた人が、私達に目的地を教えてくれているのよ!今歩けば、一秒でも早く現実世界に戻れるかもしれないわ!」


「それはそうかもしれないけど!今の時点でそんなゴールが見えてないのに、こっから歩くってどんだけ足を壊せばいいんだよ!」


 二人が口々に言い合い、勢いよく火花を散らす。その間に入るように由依が仲裁をし、お互いの口角を上げるために隙を狙っている。

 そんな中、レンズを伸ばしたまま一人の周囲を見回す、想汰は突然声を上げる。


「見つけた。こっから北西に二キロ、水の貯まる場所!」


 頭上のボタンを押し、シャッター音が響く。おでこから飛び出した写真をちぎり取り、こちらに見せてきた。彼の宣言通り確かにそこに写っているのは、地面に開いた楕円の穴に水が溜まっている様子、ただそれだけだった。


「南東の方ばかり見ていて見落としていたみたいだ。十分もあれば、恐らく着く」


「十分か……。それなら、ギリ持つかも」


「えー湖!?お魚ちゃんとかいっぱいいたりするのかな〜」


 勝手に話を進めようとする三人に割って入り、九華は想汰の顔を見る。


「いやちょっと待ってよ。それ、北西にあるんでしょ?そうなった場合、もしここに行ったら目的地から離れちゃうじゃない。やめよやめ」


 その瞬間、三人の目線がいきなり鋭くなったのを感じた。九華は目を見開いて、ほんの少し後ずさる。


「このまま十キロ無意味に歩くぐらいなら……二キロ先の目的地で休むしかないだろ……!」


「この世界で初めて水に出会えたんだ。これは知的好奇心が強烈に震わされる……、それに、ここに手がかりがないとは限らない。行かないという選択肢は、ない」


「オサカナサンミタイ……オヨギタイ……」


 各々が呟きながら、段々と詰め寄ってくる。身長の小さい自分は見下ろされ、今までにない感情の圧を感じて思わず言葉にならない声を漏らしながら、体を後傾させる。


「いや、でも……現実世界に戻る方が……」


「君は、大きな目標に囚われすぎている」


 想汰が一歩前に出て、九華の正面に姿を表す。彼女は精一杯睨め付けるようにして彼の顔を見上げ、小動物の威嚇のように自分を大きく見せる。


「な、何が言いたいのよ」


「君の、いや僕らの目標は一貫して現実の世界に戻ること、それは確かにそうだ。だからこの何もない世界に点在する様々な存在物を見つけ、触れ、手がかりを掴む。僕らのやってきたことはそうだ」


「……そうね」


「これも同じなんだ。僕らは現実世界に帰ることから目を背けているんじゃない。なんなら、新たな情報を得て現実に近づくためにあの湖へと足を運ぶのさ。だから、今回は少しばかり君も協力してくれないか?」


 彼の右手が差し出される。九華はその手をじっと見ていると、なんだかうまく言葉が出ないのを感じた。想汰がこんなに積極的に自分に働きかけてくることは、今までに無かった。慣れない振る舞いに動けないまま口を噤んでいると、今度は彼が自分の肩を掴む。


「お願いだ、協力してくれ」


 その芯のある声に、なぜだか心臓の鼓動が早くなる。彼のまっすぐな目線に誘われるように、九華は冷静なフリをして差し出された手を触れるか触れないかのところで握る。段々他の二人にその光景を見られてるのも恥ずかしくなってきて、肩に乗せられた彼の手を引き剥がし。


「わ、分かったわよ!い、一旦、北西に向かいましょう」


「ありがとう。交渉成立だ」


 いつもの無愛想な低いトーンに声が戻ったと思ったら、想汰は腰のスイッチを押したと同時にその体を翻させ、背中を見せたまま進んでいく。早歩きで前進していく彼の姿に、そういえばこいつは儘波想汰だったと思い、先ほどまでの自分に余計恥ずかしくなった。


「さあみんな行こう。新天地へ出発だ!」


「イェッサー!」


「よっしゃあ!これでやっと休めるぜ……」


「ちょっと!置いてかないでよ!」


 想汰を先頭にして、隊列は再び組まれた。九華はその列を追いかけるようにして駆け出していき、結局目的地に着くまで最後尾で睡方の背中を見ながら歩く羽目になった。



 九華は今、湖の中に立っている。その対角線に由依、右に想太、左に睡方。同じく体の下半分を水につけた状態で立って、お互いに睨みを利かせている。

 いや、正確には、()()()()()()。ついさっき由依の合図で動き出した他の三人は、自分のその柔らかな腕のしなりを利用して水を激しくかけ合っているのだ。


 両手をうまく使い、二人同時に激しい波を浴びせようとする由依。それを見切ったように軽やかな動きで避け続ける想太と、その余波を喰らい、体を水に飲み込まれている睡方。


 結果として、ここには結局何も得られる情報は無かった。異形がいたわけでもなく、建物の痕跡があったわけではなく、ただ足がつく程度の浅さの水の溜まり場のみ。

 水の中にも生き物はいなかったし、別に大きさも直径十メートルほど。そこに大きな水たまりがあったという事実以外には、期待していた手がかり等一つも得られなかった。

 

 九華は大きく肩を落としたのだが、他の三人はあまりそのことを気にしていないようだった。心ここに在らずと言った状態。

 一人、由依が水に飛び込むと、ついていくように二人も入って行った。彼女に手招きされ、仕方なく九華も入った。体に染みる冷たい感覚、かと思いきや意外と常温の水で肌に馴染むのにそう時間はかからなかった。そしてそのまま、あれよあれよという流れで目の前で熱戦が繰り広げられている。


 九華は幼い頃から親が激務に追われていた影響もあり、プールに行ったことがあるのは小学校入学前の一回のみだった。

 ただその一回も、スイミングスクールに通っていた訳では無かったため、あまり上手に泳げず、ほとんど兄に手を引っ張ってもらっていた。それゆえか楽しいよりも恥ずかしいという記憶の方が色濃く残っており、もう一度行きたいと家族にせがむことも自然としなかった。


 九華はその水溜りの端の淵に背中を預け、もたれるようにして黙って三人を見ていた。高らかに笑いながら水をかけ合う由依の姿や、活発的に動く想太の姿。普段よりも心を開放しているような印象だった。そんな中でも、自分はずっと現実世界に帰る方法を考えていた。

 こんなとこで止まっている場合なのだろうか。あの異形の言っていた言葉の意味はなんだったのだろうか。三千年。彼女は人間を古い言葉と言った。そして、自分達が元々人間であることも当てた。待てよ。

 もしかして彼女も自分達と同じ境遇なのではないか?彼女も元々は人間で我々と同じような奇怪な姿になって、この世界を彷徨っているのだとしたら。それだと正体を当てられた合点もいく。そうなった場合、彼女は三千年以上生きている。現実世界とこの世界が、もし地続きなのだとしたら────。


────バシャン。


「うわぁ!」


 突然顔全体に水が勢いよく降り注ぐ。人為的な水の動き方。両手で顔を拭い、ぼやけた視界がはっきりしてくるとそこに立っていたのは睡方だった。


「ちょっと何すんのよ!人が真面目なこと考えてる時に!」


「何って、これは戦いだぜ?弱い奴が負けて、強い奴が勝つ。それだけだっ、て!」


 再び水をジャブジャブとその両手で舞い上がらせる。打ち上がった飛沫が容赦なく体に当たっていき、もはや痛みさえ感じる。段々それを受ける度、明らかに調子に乗ってる睡方への怒りが湧き上がってきて、彼女は感情そのままに水をかけ返す。


「あーもう!マジキレた!マジで滝起こす!あんたの顔を水で埋め尽くす!」


 一心不乱に手で水を押し付けるように彼の体へ飛ばす。突然の反撃で、水の勢いが押されてきたのを感じた睡方はあっけなくその場を逃げる。だが、その攻撃対象を九華は逃すことなく、水の中を闊歩して近づいていく。想太と由依が戦っているところに二人も乱入することとなり、結果的にそこはコロシアムとなった。

 その途中、九華かあまりにも激しく水をかき上げるものだから、打ち上がった飛沫が、近くに置いておいた花火の一本にかかると、それがどうやら引火し、持ち手花火の長く伸びた閃光が色を変えながら水の中にいる我々に攻撃をし始めて、結果花火の一人勝ちとなった。


 火以外でしか点かない花火の名は伊達じゃなく、まさかの水でも発火することが分かった。それから、陸に上がった四人はその手持ち花火を一人四つに分け、横並びでその水溜りの近くで並んだ。

 先端を水につけると発火し、四人は立ったままその手元から流れ落ちる火花の雨と、小気味よい燃焼音に思いを馳せた。九華はテレビ等で大きい花火を見たことはあったが、このような手持ち花火は行ったことがなかったため、持つ手が震え、勢いよく飛び出る閃光に思わず腰を引いてしまっていた。


 でも、四人でその閃光を見ている時の時間はなんだかゆっくりに感じられた。光で各々の顔がほんのりと照らされ、この灰白色(かいはいしょく)の地面に当てつけのように煌びやかな火花を落とす。周囲を飛び交う塵やオーブが焦がすようにして、気づいたら地面には、真に黒い炭の粉が山のように積み重なっていた。初めてこの世界に一泡吹かせたような、不思議な高揚感を感じた。


 最後の一本。先端を水につけて、勢いよく火花が飛び出していく。花火の色が次々に変わる。赤に始まり、青、緑、黄、桃、白。九華はそれを見て、いやそれを見る三人も含めて眺めながら、ふと思い出した。


 世界には、こんなに色があったんだと。


 

 花火が終わった時のそこは、酷く静かだった。眼前に積もったその黒い炭の山だけが、光のいた形跡を覚えているようで。

 四人は何も言わずとも、座ってしばらくそれを眺めていた。幾らか時間が経てば、それが当たり前のように風に流れて行って、九華は胸が締め付けられるようだった。


 その後、そのまま四人は光を垂れ流したその地面に横たわった。川プラス一の字。背中がほんのり暖かい。布団なんかないが、大気が自分達を包む。どことなく安心する感覚。隣でまっすぐ上を見ている由依に、そっと呟く。


「……ねえ」


「うん?」


「みんなってさ、いつもこんなことしてるのかな」


「うーん……。わっかんないけど。でも、した方が絶対いいよね!」


 快活に笑いかけるように、彼女が首を揺らしたのが分かった。九華も不器用だけど、由依の真似をして笑い返してみた。ひひっ、と嬉しそうに漏らした由依の声を耳に響かせながら、九華は空を見た。


 そんな訳ないのだが、今日はなんとなく星が見えた気がした。綺麗だった。


 あくびが出て、お腹の口が大きく裂ける。流れで全身を伸ばすと、今日も今日とて歩いた分の疲労の蓄積をゆうに感じられた。地面に首を預け、意識を落としていく。


 九華は三人と水をかけ合ったり、花火をしたりして過ごした時間が夢のように思えて、途中で覚めてしまうかもしれないと感じた。 

 だがこうして今眠りに入ろうとしている自分がいることにより、逆説的にその時間が現実だと証明され、彼女はより全身を地面に預けることが出来たのだった。



────ピチャ、ピチャ、ピチャ。


────ピチャ、ピチャ、ピチャ。


 近くから聞こえてくる水音に耳がくすぐられ、体を起こす。未だに癖で枕元に置いていた髪を結ぶゴムを取る手つきをしてしまう。


 狭まっていた視界が徐々に広がっていくのを感じる。体感六時間ほどの睡眠をしていたようだ。他の三人はまだ寝息をかいている。

 確認してから、そうだ、と思い立つように水音の出所へと視界を映す。


 そこにいたのは、水溜りの水を飲む小さなブタだった。

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