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しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
間章
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間章:知る者Ⅰ

 小学校の頃だった。ある日、睡方はいつものようにクラスの近くの廊下の突き当たりで、これまたいつもの三人に詰められていた。


「うぇーい!この筆箱取り返して欲しかったら、取ってみろよ!うぃ、蒼空(そら)陽向(ひなた)!ちゃんとそいつの腕掴んどけよ」


「おっけー任せといて!」


「こっちも大丈夫だぜ」


 睡方は両腕をそれぞれクラスメイトの清水蒼空、高橋陽向に掴まれ、振り解こうとするが、比較的身長の低い彼は力の差で勝てず、その場で必死にもがく。眼前には同じくクラスメイトの浅野拓真(あさのたくま)が、新しく買ってきた自分の筆箱を天に掲げるようにして取り上げている。

 この三人のグループに目をつけられたのは、三年生にクラス替えしてからすぐだった。喋る友達もおらず、休み時間も一人で座っていたところを奴らに見つかったのがきっかけで、それから毎日のように物を盗まれたり、殴ったり蹴られたり、色々なことをされてきた。


「離してよ……!離してってば!」


「へへっ、こいつ弱。俺全然力入れてないぜ、ほら片手片手!」


「はっはっは!全くお前も学ばないよな、はい、筆箱近づけてやるよ。取ってみろ取ってみろ」


 拓真がまるで動物に餌付けをするかのように、睡方の目の前で縦に長く伸びた筆箱を左右に振る。睡方は吐息混じりになんとか腕を伸ばそうとするが、そうしようとすると押さえつけられて腕を絞められるため、どうしても触ることすら出来ない。


「はい、どーん!」


 拓真にみぞおちを思いっきり手で押された瞬間に、両脇の二人が腕を離す。細身ながらも全員何らかのスポーツクラブに入っているからか、肌が焼けており、それに力も相当強い。睡方は吹っ飛ばされ、廊下に背中を打ちつける。

 三人の笑い声が聞こえる中、睡方は床を手で押し、なんとか上半身を起き上がらせる。思いっきり目を細めて、自分の思う限りの睨みをそいつらにぶつけてみるが、三人は余裕といった表情で。


「ほら、取り返してみろよ?ママに買ってもらった大事な筆箱だろ?」


 睡方は立ち上がると、その筆箱をぷらぷらと揺らして挑発する拓真目掛けて必死の覚悟で突進をする。だが、それも片手で簡単にいなされ、睡方は廊下の壁に全身を打ち付け、座り込む。

 首元の襟を拓真に掴まれて、強引に立ち上がらせられる睡方。威圧感のある三人に壁に追いやられたまま、拓真に何回も何回も壁に打ち付けられる。


 睡方はその大きな体躯で拓真に体を覆われて、何度も壁の窪みに頭を押し付けられる。自分の身長よりも少し上の高さにあるその窪みには、花が五輪も刺さった横長の大きな花瓶が飾ってあり、それを見ると拓真は良いことを思いついたような不敵な笑みを浮かべた。


「そうだ。じゃあ今からこの筆箱をその後ろの花瓶の中に入れちゃいまーす!」


「フゥ〜!」


「拓真ないすぅ!」


 他の二人がガヤを入れ、拓真は持っているその筆箱を睡方の頭上に掲げる。睡方のちょうど頭の部分にある窪みに置いてある花瓶の中に筆箱をもし入れられてしまったら、身長の低い睡方はもうそれを取ることが出来ない。

 拓真が筆箱をその花瓶の中に入れようとする。睡方は精一杯反抗するが、片手だけで体を押さえられてしまい、首を掴まれているからか息もままならないまま、力が微塵も入っていないパンチを繰り出すしか無かった。


「うわ〜痛い痛い痛いわ〜。お前のパンチきっついわ〜。はい!うっそ〜!」


 背伸びをし、拓真が本当に筆箱の角を花瓶の中にかけた瞬間。睡方は目から涙が出てくるのを耐えながら、決死の覚悟で彼に一発の蹴りを入れた。

 それが、思い切り彼の(すね)に入った。怪我をするほどでは無かったが、彼が痛がった瞬間、背伸びしていたせいもありバランスを崩し、筆箱を花瓶に引っかけてしまい、そのままそれが廊下へと勢いよく落ちた。


 バリン、と大きな音がしたと思ったら陶器の破片が飛び散り、中に入っていた水が漏れてきた。幸い、誰にも当たることは無かったが、流石にその大きな音のせいか、教室にいた生徒や先生が顔を出し、何が起きたかを確認しに来た。


「おい!何やってんだお前たち!」


 真っ先に現場の方向へ走ってきたのは、睡方の担任でもあり、もちろん拓真達の担任でもある山形先生だった。睡方があっけに取られる中、拓真率いる三人グループは顔を真っ青にして焦らせていた。


「お、おい拓真やべえよ。山形先生来ちまったし」


「どうする?逃げる?」


「いやビビんなってお前ら、大丈夫だから見とけ」


 動揺する蒼空、陽向の間を通るように、拓真は平静を装った顔で睡方に近づく。未だ呆気に取られる睡方の手に、持っていた筆箱を押し付けるようにして。


「ごめんな。これ返すわ」


「……え、あ、ありがとう」


 突然筆箱を返されて驚く睡方だったが、自分のものが帰ってきたという事実が嬉しくて、それを両手で抱いた。遠くの教室にいた山形先生がやっと現場に駆けつけると、当然その近くにいた睡方含む四人に問いただす。


「誰がやったんだ!ここに置いてあるものが自然に倒れるなんてないだろ!」


 怯えた表情を見せる、蒼空と陽向。その質問に一番最初に答えたのは、その隣にいた拓真だった。


「せんせー!俺見てました!そこの渓翠君が持ってる筆箱で倒してました!」


 手を挙げて、高々に宣言する彼。睡方は思わず目を見張った。自分の抱いた筆箱に視線を送った後、確認した彼の顔は余りにも誠実すぎる目で先生の方を見ていた。

 先生がこちらに視線を向ける。


「お前がやったのか?」


「せんせー!俺も見てました!なんかあいつが筆箱振り回して遊んでて、そしたらボカーンって!」


「で、俺らたまたま近くいたから、なんだって思って見に来たらこんなんなってて」


「分かった分かった、お前らの話は後で聞く。で、どうなんだ?あいつらはそう言ってるが、お前は?」


 他の二人が水を得た魚のように嘘をペラペラと語るその様を一度収めながら、先生が再びこちらに強い視線を浴びせる。大きなガタイとその威圧感のある口調に、思わず萎縮してしまい、睡方は喋り出すことが出来ず、その場で体を捩っていた。


「言ってくれなきゃ、分かんないだろ。もしやってしまったんだったら、正直に言え」


 先生の後ろにいる三人の不適な笑みが視界に入り、とにかく何かを口に出そうとする。でも、言葉が出てこない。どう言えばいいのかも分からなくて。


「あの、えっと、その。あの……。……」


 再び黙り込んでしまう睡方に、先生はため息をついた。頭を抱え、眉を下げる先生の後ろから突然、冷たくも鋭い女性の声がした。


「先生」


「ん?ああ、お前はうちのクラスの九華か。ここは破片があって危ないから、教室に戻れ。話があるなら、後で聞く」


「いや、私はその割れた花瓶についての話をしたくて来ました」


 両手を腰に据え、そのうなじまで下がるポニーテールを揺らしながら先生の隣へと歩いてくる姿。芯の通った声も相まって、低身長であることを除けば同学年の生徒とは大いに異なる大人っぽい雰囲気が醸し出されていた。


「な、なんだよお前!」


「あんた、さっきこいつが筆箱で花瓶落としたって言ったよね。あれ、嘘でしょ?」


「はあ!?嘘じゃねぇよ!俺はその……ちゃんとこの目で見たから!」


 拓真が声を荒げるのにも、「あっそう」と簡単に返す九華。そう言うならといった具合で彼女は先生を花壇の置いてあった壁の窪みの近くに呼び、卒なく説明を始める。


「結論から言って、そこの彼は花瓶を落としていない可能性が非常に高い。恐らくそれが真実に近いとは思います」


「……何を言ってるんだ。君はこの現場を直接見たわけではないんだろう?」


「ええ、でも分かりますよ。先生、この花瓶の割れた場所を見てください」


 そう言って、彼女は廊下に落ちて破片となった陶器の花瓶とそこに落ちている花々を指で指す。元々花瓶が置いてあったその窪みから数メートル外れた、廊下の真ん中にそれは広がっていて。


「この場所が普通じゃありえないんです。まず、現場を見たという彼の証言通り、渓翠君が筆箱を振り回していたのだとしたらこの花瓶は廊下に落ちるということはなく、恐らく窪みの上で割れるでしょう。だが、この窪みの上には水滴らしきものは一切垂れておらず、その彼が今持っている筆箱にも破片のようなものはついていない。つまり、これは落として割れた。ここまで分かりますね?」


「ああ、確かに言われてみればそうだ。でも、それだけでは彼がやっていないという事実の証明にはならない」


 先生に言われ、九華は手でポニーテールを跳ねさせる。睡方は雄弁に語るその彼女の姿に、思わず視線を逸らせないでいた。


「もちろん、渓翠君がやったという可能性をゼロにすることは私には出来ません。だけど、一応この情報もお伝えしておきます。この花瓶は落ちて壊れた、と先ほどは言いましたが、実際この花瓶を小学四年生の力だけで落とすことは可能なのでしょうか。いくら力がある男子でも無理だと思います、なぜなら昔、生徒会のお手伝いでこの花瓶に水を入れる作業を行ったのですが、全部入れたら一リットル。陶器という素材の重さも相まって、ほんの少し持てはしましたがこんな窪みのある高いところまでは持ち運ぶことは出来ず、結局大柄な男性の先生に運んでもらいました」


 一本指を立て、廊下を歩きながら話す九華が睡方の方へと近づいてくる。彼女は彼の持っている筆箱を指差し、手を差し出したため、彼は何も分からないままそれを渡した。そして、その筆箱を彼女は先生に見せつけるように掲げて。


「この筆箱、片側の先端が濡れています。つまり、落とした者はこの花瓶の中に筆箱を入れ、意図的か又は故意ではない衝撃により、筆箱を引いたことにより、てこの原理で勢いよく花瓶を動かしそのまま廊下へと、という流れだと想像出来ます。その場合、」


 九華に手を引かれ、花瓶があったであろう今は空白の窪みの前に睡方は連れてかれる。そして、彼女の言うように筆箱を一番長く持った状態で背伸びをしてその窪みの上へと手を伸ばす。結果は、限界まで腕を伸ばしても筆箱がその窪みの床に付くかどうかの状態で留まった。鋭く光る目つきで、彼女は先生の方を見る。


「彼はその小さい体躯ゆえ、花瓶の中に筆箱を入れるということが出来ません。もし、この中でそれが出来る人とすれば、彼より五センチほど身長の高い人なのかな、なんて思いますけどね」


 そうして、彼女はわざとらしげに拓真へと目配せした。動揺し、声を荒げる彼を鼻で笑いながら、再び先生に訴えかける視線を戻すと。先生は彼ら三人の手を掴んで、そのまま職員室へと歩き出した。


「先生!ちょっと俺ら本当にやってないんだって!」


「とりあえず、ゆっくり話は聞かせてもらう……!睡方も!あとでちゃんと話聞かせろよー!」


 遠ざかっていく先生が振り返って、こちらに指を指す。そこでやっと緊張が解けたのか、睡方は「はい!」と大きく返事が出来た。そして視界の奥にその四人は消えていった。同じく歩いて行った先生の方をまっすぐと見ていた九華。ひと段落してから、睡方は教室に戻ろうとする九華を呼び止めた。


「あ、あの!助けてくれて……ありがとう……」


 彼女は立ち止まって振り返ると、何ら嬉しそうでない無愛想な顔で言った。


「別に助けようと思ってなんかないわ。ただ、真実が見逃されそうになるのが嫌だっただけ。本当それだけよ」


「そ、そうなんだ……。ってか、なんで花瓶を落としたのが俺じゃないって分かったの?」


「最近、おんなじような事件を見たことあったのよ。東欧の方の確か、ウェールズ事件。てこの原理を使って人を自動的に吊し上げる機械を使って、擬似的に密室のまま自殺に見せかけることに成功した事件よ。結局それも、首吊りをしたと見せかけるように置かれた椅子と遺体がほんの少しの距離離れていたから、他殺だとバレてしまったやつ。知らない?」


「いや……知らない」


「あっそう。じゃあね、バイバイ」


 腰に両手を当てながら、自信満々に去っていくその後ろ姿。知識を豊富に持ち、それを柔軟に活用することでその場の問題をすぐに解決してしまう。そんな彼女の行動が幼い睡方にとっては、凄まじくかっこよく思えたのだった。

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