第0.2話:荷、でも、それが無ければ
土曜日の昼下がり。学校の無い休日にすることと言ったら、やっぱり記事作成のための取材しかない。家から数駅ほど離れた見知らぬ住宅街を九華率いる新聞部は今、とある目的地に向かって闊歩していた。
一歩、二歩と足を進め、ポニーテールを揺らす。いわゆる私服姿でみんなと集まるというのはあまり多くないことであり、九華にとって不慣れなことでもある。でも、そもそも今回の環境ではお洒落は求められていないのだ。
必要なのは取材先へ失礼のならない格好、だか自分はあえて形式的な服装である、兄のセットアップを借りて来ているのだ。断じて、年頃の女子のようにお洒落に服を着こなす自信がないからとかそういうのではない。
「もう駅から三十分も歩いているぞ。本当にこんなとこで合ってるのか?」
無愛想な声と共に、後ろから本のページが捲れるような軽い音が聞こえる。だが、今日の想汰が持っているものは本ではなく、彼の首から下げられた一眼レフカメラだった。時々聞こえるシャッター音が、後ろからついてきている想汰の存在を知らしめる。
丁寧に十分おきに呼びかけてくるその彼の声が、まるでアナウンスのように高い再現性を誇っているため、九華は自分が本当に前に進んでいるのかすら度々心配になってくる。
「うっさいわね、見てみなさいよ! ほらマップだと、ここの角を左に曲がるのよ」
預言者の雨宮風句二は送ったメッセージの返信に、ご丁寧にここで話したいからと言って家の住所まで送ってくれた。もちろん、一度怪しい誘いなんかではないかと疑う心を持って送られた住所をマップアプリで検索をかけてみたが、きちんとそこには一軒家が建っていた。それも家中に草木のつるが絡みついた、いかにもな見た目。
「ちょっと……いい加減止まらない? 俺、マジで疲れてきたんだけど」
「ふわぁ〜あ。ねむ。九っち〜! 私も、もう足が棒になってから三十分経ってる〜」
「なんで、あんたは電車を降りた瞬間から棒になってるのよ……」
想汰の後ろの睡方、睡方の後ろの由依から順番に声が聞こえてくる。さっきからこの後続をいなすだけで、歩く以上の体力が削られてしまっている。「真に恐れるべきは有能な敵でなく無能な味方である」という名言を残したナポレオンも、こいつらを見れば、そんな言葉を残す前に首を飛ばすことを優先しただろう。
だがしかし、残念だったなナポレオン。うちの部員は完全な無能と言うには惜しいほどの人材だった。そもそも新聞部に入ってくれたということ自体稀有だが、それ以上の能力が彼らにはあり。
「分かった分かった、あとでアイス買ってあげるから。由依さん!なんか聞こえるかやってみて!」
「まじ!? 九っち太っ腹ー! そう言われちゃったら、やりますか〜!」
腕をぐるぐると回した後、首につけていたヘッドホンを耳につけた由依は目を瞑って意識を集中させる。その間、もちろん歩みは止めないため、彼女がどこかにぶつからないように睡方が彼女の手を引いて、正しい進行方向へと進ませている。
「それじゃあ、あんたもちょっと見てみてよ」
「はいはい」
後ろの想汰に指示を出すと、彼はシャッターを切りながらレンズ越しに世界を見るのをやめ、つけている丸眼鏡を外す。裸眼の状態で進む方向を見ながら、途中途中顔を乗り出したりして遠くのものをなんとか見ようとしている。目を細めたり、広げたり、動作を繰り返しながら恐らく見えたものをぶつぶつと呟き始めた。
「八百メートル先ぐらい……おばさん二人が歩いてる……。それより、もっと奥、九百メートル先くらいに、今度は老夫婦……。ん? 五百メートル先のボロ家から誰か出てきた。坊主頭の……おじさん、両手の手首に数珠を付けてる」
想汰は生まれつき目がいいのか、悪いのか、裸眼の状態だと近いものは見えず、逆に遠くのものがよく見えるようになる。彼の呟いた言葉に、恐らく今回の取材相手である雨宮風句二と一致する特徴が見つかり、九華は思わずガッツポーズをする。
「ビンゴ! やっぱり合ってたのね! 由依さんの方は?」
由依はヘッドホンを両手で押さえたまま耳に押し付け、口に力を強く入れた状態で遠くの音を感じ取っている。睡方が額に汗を流し、彼女の手を引っ張っている情景からやはり由依と睡方が喧嘩したら由依が勝つであろう情景を思い起こさせる。
「あ! 聞こえた! なんかね、話し声の他にお経みたいなの! あーでーうーでーほーでーみたいな?」
「今、数珠のおじさんが口を動かしている光景が見える。うん、恐らくあのおじさんが預言者だ」
「よーし! 二人ともナイス! それじゃ早速向かおう!」
由依と想汰の発言により確信が持てたため、足早にその場所へと向かう。彼女はヘッドホンを、彼は眼鏡をつけ、四人はより足の回転を速めていく。そして、その足が止まったのはそれから三分も経たない頃だった。
目に入ってきたのは、黒い鉄製の柵で囲われた敷地。その敷地内には、庭で育てられた植木鉢に入っている沢山の植物から伸びたつるが、家のひび割れた木製の壁や天井を覆い隠さんと絡みついているという衝撃的な光景だった。それはスマホの画面上で見るよりも、大いに迫力があるものであり、機会など無かったらその前の路地すらも通りたくないような見た目で。
「ここ……よね……?」
「……おいおいおい、マジかよ」
外観から判断するに基本的な家の大きさは、一階建てのアパートほどでそこまで大きいものでもない。だが、その見た目の轟々しさにやられ、九華は教えられた住所と何度も照合しながら、ほんのりと放心状態に陥る。
睡方は家自体がまるで一本の木として根を張っているかのような得も言われぬ禍々しい雰囲気に圧倒され、思わず後退りして声を漏らしていた。
「……よし、行こう」
ごくりと唾を飲み、他の三人に目を合わせてから九華は黒い格子の柵に付随する扉を開けようとする。その手が扉に触れるほんの数秒前、睡方は九華の腕を強く拒むように握った。
「……これ、なんか良くない気がする。なんか、俺達やばいところに足を踏み入れようとしてるっていうか」
九華は思いがけず、開けようとした自分の手を一瞬ほど緩める。それから、睡方のその黒い双眸に視線を移すと、それらがわずかに震えているのが見えた。全身もどこか縮こまっているようで、今日はそれこそやけに頼りなく見えた。
「な、なに……? もしかして、あんたビビってんの?」
「ビビってるよ……。だって預言者とか明らかやばいやつだし、取材するとは分かってたけどまさかこんな迫力のある所に来ると思わなかったし。それに……俺の勘が言ってるんだ……、ここで引き返せって」
実際、彼の言葉に耳を傾けざるを得なかったのはこれまでの経験があるからだ。睡方の勘は何故かは知らないが、基本的に当たる。それは今までの取材でも、生活でもなんとなく経験してきた。だから、正直迷っていた。彼に従った方がいいのではないか。
でも。九華は、思い出した。なぜ自分がこの取材をしようと思ったのかを。色々な人の顔が浮かんでくる。ニュース。SNS。ネット記事。彼女には今、確固たる信念があった。真実を追求する、そのためならどんな代償でも払う。
「ごめん。あんたの勘、当たるって分かってるけど。でも、やっぱり私は真実が知りたい。真実を追求することからは、逃げたくない。だから、私は進むよ。どんな困難があろうとも、知ろうとすることはやめたくない」
睡方はもうその言葉の途中から、ほとんど腕を離していた。頬を人差し指で掻きながら、九華の顔を見ないようにして目を強く細める。
「お、俺は言ったからな。お前がずっとそういう奴だって言うのは、知ってるけど。一応……一応ってだけ」
そのまま、九華は手を奥に押し、その黒い格子の扉を開けた。四人で階段を登り、壁にも巻きついたつるを掻き分けてから、彼女はその家の呼び鈴を押して。
「ピーンポーン」
呼び鈴の音が響く。先ほど家から出てきているところを見ているし、そこから出かけた形跡もないから必ず雨宮は家にいるはず。呼び鈴の音が何回かこだました後、そのドアは突然に音を立てて開いた。
「なんだお前ら」
木製の引き戸から顔を出したのは、無精髭を生やした四十代前半と思われる、坊主頭の男性。そう、雨宮風句二だ。上下グレーの長袖長ズボンを見に纏い、両手には数珠、首にはあの紙垂が吊り下がっている輪っか状のしめ縄。テレビに出ていた時よりも、数トーン下がったドスの効いた声を発しながらこちらを睨みつけるその視線に、流石の由依も想汰も少しギョッとしていた。
そんな中、九華だけは動じる事無く、風句二に視線を合わせて笑顔で対応をした。
「こんにちは、雨宮さん。私、先日メッセージを送らせていただきました。瀬尾と申します。今回は、今世間で話題になっている人類滅亡の予言について直接取材させていただきたく参らせていただきました」
外向き用の作った声で台本も無しにすらすらと言葉を紡ぐ様は、まさに新聞記者の娘というような感じの振る舞い。九華は軽く身振り手振りを交えながら、その幼なげな顔の印象とは裏腹な、大人びいた振る舞いを心掛けた。
対して、その渦中の風句二はこちらの全身を舐め回すように視線を上から下へと往復させると、眉を潜め、自分の頭を何度も撫で上げた。それから、ため息を一つ、いや二つつくと、老いた猫のような唸り声を上げては、その重い口を開き。
「……お前ら、神様っていると思うか?」
その瞬間、九華の中で時が止まった。
「え?」
「正直に言ってくれ。神様っていると思うか?」
形を綺麗に整えたはずの九華の笑顔が、あまりの困惑から一刹那でそれが歪なものになってしまった。その心中は、取材相手として失礼の無いように振る舞おう、なんて鄭重な感覚ではなく、むしろまるで子供を相手にした時のような、手も足も出ないといった表現が一番近いような気がした。
両手を擦ったり、くっつけたりして時間を稼ぎながら、なんとか良く思われようと論理的な考えを頭の中での庭園で探し続けるが、その時には驚くほど脳の隅々に家畜が群れており、そこはもう自分の世界では無かった。声を出さなくなってしまった九華に気を利かせてか、風句二の視線の方向は由依へと移った。
「えーっと……正直でいいんですよね? じゃあ、私は神様はいると思いまーす! なぜなら、いた方が想像もしないような面白いことがいっぱい起こるから! 空が割れたりとか、全世界に嵐が吹き込んだり、なんかしちゃって……」
空気を読んだのか、由依が流れですらすらと言葉を紡ぐ。初対面の人の前でも変わらず、隣にいる想汰に腕をぶつけるほどの勢いでジェスチャーを行い、自分を表現出来るのは間違いなく能天気な彼女ゆえのブレない強さだと感じた。
「ああ、よく分かったよお嬢ちゃん。じゃあ君は?」
今度はその視線が想汰に向く。眼鏡を人差し指でクイっと上げ、少し俯き加減に顔を下へ傾ける。これは想汰が、本当に語りたい物を語る時の仕草だ。本人は気づいていないだろうが、約一年も行動をしているとなんとなく分かってきた。
「僕は、元々神様が好きでした。この世の全てを司り、全てを自由に操れる。そんな全能で神聖な存在に、僕は憧れてもいました、本気でなりたいと思っていた時もありました。でも、」
想汰が顔を上げ、風句二と視線を合わせる。二人の間に夏前の湿った風が吹き、それに同調して庭の植物達が揺れてざわめきを広げていく。
「ある日、神話を読んで僕の考えは変わりました。神話に出てくる神というのは、とても人間臭くて、人を貶めたり、自分の欲のためだけに動いたり、約束を破ったりする傲慢な者ばかりでした。神族でないものを迫害し、最後には大きな戦争まで起こして、その敵対勢力と共に相討ちで滅びる。そんな物語を見た時に、僕はこの世に神様なんていない方が良いと思いました。だから、僕は神様なんてものは信じない、いや信じたくないというのが正しいでしょうか」
風句二は顎に手を当て、その無精髭を母指球で何度か擦る。最初に引き戸から出てきた時よりも、どこか彼の目を少しずつ開きつつあるような感覚がして、想汰の言葉を聞いた後にはそれがより顕著に現れているような気がした。
「じゃあ、最後、君は?」
最後、と言われて九華は自然と後ろを振り返る。目を丸くする由依と同じく周囲を見回す想汰。そこで三人は、睡方がいないことにやっと気づいた。だが、九華としては今はそれに構っている暇はなかった。
開眼し始めた風句二の視線による圧はより高いものを感じ、やはり先ほどから思考を重ねているにも関わらず確固とした考えが浮かばない。それでも声を出さなきゃいけなくて、進まなきゃいけなくて、何が何でも必ず声を絞り出すというのが彼女にとっての一つの矜持だった。
「……私は…………神様はいないと思います。えっと……神様っていうのは……その……」
「正直に言うんだ」
「…………その……! 神様っていうのは、結局非現実な存在というか……。空想とか物語上だけの存在なんじゃないか、って……。そういう、偶像的なものがあれば、誰かが儲かるためのシステムというか、そういった構造のためだけに……あるものというか……。だから私は……神様なんていない! ……と思います」
所々息を切らしながら言ったせいか、少し頭がクラクラする。ぼんやりと視界が霞み始め、それはすぐに戻り、風句二の顔がはっきり見え。それは、本当に微笑で。
「……ありがとう。でも、これで分かった。お前らは相応しくない。今日の取材はこれで終わりだ。じゃあな」
「え、ちょっと、ま、」
ピシャン、という雷が落ちたようなドアが閉まる音まで一瞬だった。そんな痺れるような空気の震えが自分達という狭すぎる世界にこだまし続け、それは蜃気楼として果てなく目的地を遠ざけた。
九華は躍起になって、その扉の隣にある呼び鈴をもう一度押してみようとした。だが、その呼び鈴に人差し指が触れようとした時、そのボタンと指がまるで同じ極の磁石をくっつけようとしているみたいに、不思議な力で反発してしまう。それゆえか、どうしても押せない。ドアをノックしてみようとするが、それも同じく反発されてしまい、他の二人にそれをやらせてみても同じだった。
「ああもう! 一体、……どういうことなの」
いつも片手に携えている本をずっとポケットに入れたまま、顎に手を置く想汰。現実じゃあり得ないようなことの連続に未だ取り残されている九華と対照的に、彼は今起きている事象を必死に言葉で説明しようとしていた。
「もしかしたら、僕達はもうこの領域には入れないのかもしれない。彼の何らかな力のようなものが働いて」
「本当に言ってるの? というか、このままじゃ記事なんて無理よ」
「何か別の作戦を考える必要が、あるかもしれない」
「んー、とりあえず一旦ここ離れる?」
由依の提案に二人で頷いた後、九華は振り返ってそのつるだらけの家を視界に入れる。余韻に浸る暇も無く、ただその景色を見て唇を軽く噛むだけしか彼女には出来なかった。そして、三人は数段の階段を降り、その黒い格子の扉を閉めた。
「あ!睡っち!」
その家の敷地から出て、すぐだった。由依が指差した方向は、風句二の家の隣の住宅の塀の下側。そこには気まずそうにしゃがみ込み、いかにも作り笑い、というような表情で縮こまっていた睡方がいた。
「ちょっと! あんた! こんなところで何してんのよ!」
「いや〜、最初にそこの家のおじさんが出てきた時に迫力ありすぎて、つい、ちょっと、逃げちゃった……っていうか」
「はぁ〜!?」
九華はやっと頭の中が落ち着いてきたのか、はたまた見知った顔を視界に入れて安心したのか、またはその両方のおかげで、声のトーンが普段通りの芯のある快活さに戻り始めた。九華が睡方の肩を引っ叩き、睡方が逆ギレをする。それを見て、想汰は鼻で笑い、由依はどっちもの加勢をする。
騒がしくて、ずっと四人でぶつかり合う雰囲気。でもそれが、自分を現実に引き戻してくれる温かみへと自然と昇華された気がして。息が大分落ち着き、九華が大きく咳払いをする。
「……で、もちろんこのままじゃ帰れないわ。なにせ真実も情報も一個も知れてないんだもの、これでのこのこ帰ったら記者の風上にも置けないわ」
「ただのおじさんとウチ達の質問コーナーになっちゃうもんねー」
「でも……あれだろ? お前ら、断られたからここに来た訳で……」
「そうだ。だから、僕達で何か違う策を考えなければいけないんだが」
睡方が周囲の顔色を窺う中、彼の返答に悩む想汰の肩をポンと叩いたのは。
「それなら、もう一つしかないじゃない。プランB、それで行くわよ」
頭の中の詰まりは、もうすっかり取れていた。腰に両手を当てて胸を張り、路上で王様のようにふんぞり返る九華には、真実は何がなんでも手に入れたいという一種の知識に対する強欲という才能があった。
三人の視線を受けても、堂々たる姿勢を崩さない彼女は睡方を指を指し、彼の泳いでいるその黒い双眸を射止めた。
「鍵はあんたよ、睡方」




