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しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
第三章
23/26

第4話②:四劫

「七階は来客用ルーム。八階はジムで、九階はプールになっている」


「……随分と豪華な仕様ね」


「そして、最上階が父さんの部屋だ」


「十階です」


 想汰の言い終わりに重なるようにアナウンスが響いた。音を立てずに軽々と開いた扉とは裏腹に、空間は張り詰めた空気で満ちている。原因の一端、いや大部分を担っているのが、視界の先に鎮座する彼の存在だった。

 エレベーターの外に出て、部屋を歩いていく。六階と同じく、真ん中の壁が大胆にもガラス張りになっており、それを背景に同じクラスの生徒全員が寝転がってもスペースが余ってしまうほどの大きなオフィスデスクが存在感を際立たせている。


 歩みを進めて近づくにつれて、机上にある書類やパソコン、その他の数多の資料の存在に気付かされる。デスクの脇には四つのモニターがスタンドによって立てられており、その全てが、肘を置き、顔の前で手を組んでいる社長、有ノ宮洋一の方を向いていた。

 あまりの彼の迫力に、彼女にはモニターがまるで頭を下げている社員のように見えた。彼の焦茶色の鋭い双眸(そうぼう)、その目つきが、確かに想太の父親であると鮮烈に感じさせる。


 想太の部屋と同じく、左脇にはアイランドキッチン、シャワールーム、トイレ。右脇には寝室と資料室と言った、まさにこの部屋だけで暮らすのに何不自由無い構造。裏を返せば、それは想太の父親と想太が同じ家に住みながらも、完全に隔離した生活をしていることを表していた。

 彼の隣にまで来て、歩みを止める。背もたれが大きく聳え立つ立派な椅子に座っている彼の背中は、血を継いでもない彼女ですら剛健に見えた。石像になったことでより顔の彫りがはっきりと強調されており、五十歳とは思えぬ野心を持った顔つきが彼女達の体を無意識に緊張させる。

 

 九華は睡方、由依に目線を送り、「準備は良い?」というような意志をひしひしと伝える。二人が了解する中、想太の顔と目が合わせられなかったのは、彼がガラス張りを隔てた、外の光景をじっと見つめていたからだ。

 彼女は睡方に、神聞紙を取り出すように言いながら、横目で彼の立ち尽くす姿を追って。


「……やるわよ」


「ああ」


 声が、決して本物ではない部屋の中をこだましていく。彼女は手をかざすと、目の前の社長へと意識を集中させた。全身から青い光が迸る。腕が徐々に硬化していく感覚を浴びながら、一層力を込める。

 全身が白い光に包まれたと思った瞬間、周囲の様相が一変する。常に揺蕩うオーロラが自分達を中心に渦を巻き、時間が経つにつれて、指数関数的にその勢いを増していく。


 睡方は九華が書き込める位置に調整して神聞紙を持ち、由依は意識を自分の深部へと落とす。背後に聞こえてきた足音と共に、彼の気配を感じて。


「僕は、少し嘘をついた」


「え?」


「本当は、僕はこの会社を継ぐことが出来ない。本来、兄さんや姉さんがその地位になるはずだった。だけど、そんな顔も知らない二人のように、父さんの望み通りの成果を上げるなんてことは僕には出来なかった。父さんはそんな僕の将来を、生まれる前から見据えていたんだ。だから、僕の名前を二人目の母親の姓でつけた」


「え……!? ちょっと……! 二人目の母親って、」


「見なよ、全ては語られてしまうから」


 オーロラが渦巻く。ゆらめく表面はまるでスクリーンのように彼の記憶を映し出す。

 後ろを振り向くような余裕は彼女には無くて。彼が今どんな顔をしているのかを知るのが、怖かったというのもあったのかもしれない。それからはただ一度、彼の腰のスイッチが押された音がして、その残響が偶然にも記憶が流れ出すのと重なって。


 フィルムの回転。映し出されたのは、先ほどまで自分達のいた部屋に色がついた景色。ガラス張りの壁から見える空は人間の世界らしい不均一な曇天で、どことなく部屋の中を暗くさせている。


 紺色のスーツ、首から垂れる水色のネクタイが差し色となって、よく決まった立ち姿。長身の体躯に、黒髪をかきあげたオールバックの髪型は彼の自信をよく表しており、その彫りの深い顔から醸し出される迫力は、さすが一流企業の社長といった感じだった。

 記憶に映るその姿と、彼女が手をかざした石像の姿を頭の中で比べると、今目にしている彼の顔の方がよっぽど若々しく見え、恐らく実際に若いのだろう。


 曇天を背景に、彼はスーツのポケットに両手を入れた状態。その視線はオフィスデスクを挟んだ場所に足を揃えて立つ、気品高き一人の女性に向かっていて。


「あの人は……」


「彼女は笹山春奈(ささやまはるな)。父さんの昔からの幼馴染で、彼と彼女は二人とも同じ高偏差値の大学を卒業した。今は地元で弁護士をしている」


「なんでそんなに……知ってるのよ」


 想太が歩いて、彼女の隣に来る。片手で筆を走らせながら更に訳を聞こうとしても、彼は「待て」というような感じで手のひらをこちらに向けてくる。

 記憶の中に映る洋一は、ポケットから引き抜いた片手を大きく広げて。


「どうだい春奈。今日からここが私達の新しい別荘だ。ここなら都心の喧騒にうんざりすることもないだろう」


 茶髪で肩までのボブの髪を一切揺らすことなく、立ち尽くす春奈。白のカットソーに、これまた白のロングスカート。手にはパールが持ち手になった小ぶりのホワイトバッグを持っており、アクセントになるベージュのヒールを除いて、デスクを挟んだ彼とは対照的な、純白の格好だった。そんな彼女は先ほどから彼と目を合わせず、ずっと顔を俯きがちにしていて。


「なんで……、全てを一人で決めてしまうの。少しでも私に相談してくれたって良かったじゃない」


「不満なのか? ここのどこが不満なのか、言ってくれ。いくらでも金はある。なんなら今から設備会社を呼んで、すぐさまリフォームをすることも、」


「……やめて」


 水面を穿つような、か細いけど空気を張り詰めらせるには十分だった声。今まで溜め込んでいたものを漏らしたような彼女の顔は、どこか悲しげで寂しげでもあった。


「大学を卒業してあなたが事業を立ち上げ始めた頃の時。最初は、拙い人脈の中で協力してくれる人を数人集めて、なんとかビジネスを形にしようと躍起になって奮闘してたわよね。それでも全員の給料が払えきれないほど赤字続きで。大分苦戦してたわよね、あの頃は」


 ガラス張りの奥に見える雲達が風に吹かれて、西から東へと移っていく。だが、一時の雲が退いても、また次には別の雲の層が現れる。また雲が流れ、次の雲が見える。いくら風が吹いても、青空なんて見えぬまま時が過ぎ。


「曲がりなりにも私は、ずっとそばであなたを見てきたわ。あの時期のあなたはいっつも苦しそうな顔して、無理して、悩んでた。だけど同時に、その時のあなたは一番仲間を大事にしていたわ。どれだけ業績が伸びなくても、どれだけ自分の利益にならなくても、付いてきてくれた仲間を決して裏切らず、みんなで一丸となって進み続けた。だから、今がある。私はそんな光景を見て、あなたを信じられた。心から一緒にいたいと、思えた」


「……」


「だけど、今のあなたは変わってしまった。資産があるから、お金があるから、と言って一つ一つの物事や人との繋がりの大切さを、あの頃に置いてきてしまった。この別荘とやらも、本当はあなたがただ地方に新しくオフィスを作りたいがために建てたんでしょ? 私のことを本当に想っているのなら、二人の子供をあっちに置かせる真似なんてしないもの」


 敵意というよりも、失望が入った口ぶりで言葉は紡がれていった。洋一は両手でスーツの襟を直すと、少し眉を顰めた表情を浮かべる。余りにも高い天井を舐め回すように見やり、部屋全体を角から角まで視線に味わい尽くすと、彼は鼻で深く息を吸って、口でその空気をゆっくりと外に出した。後ろを振り向き、ガラスの外の景色に体を向けて。


「人は、変わってしまうものだ。逆に君が変わらなすぎたんだよ、春菜君」


 隆々とした背中から語りかけられる言葉。洋一は今どこを見ているのか、それが春奈には全く分かっていないようだった。手で髪を耳にかけ、持っていたバッグを肩にかける。スカートが細々と揺れて。


「芯だけよ、私が変わってないのは」


 静寂。背中を向ける彼は何も言わなかった。彼女が軽く足を地面に打ちつけ、ヒールの履き具合を調整する。カン、カン、という冷たい音が無情にも広大な部屋の中で響き続けていた。


「子ども達は私が引き取ります」


「……」


「さようなら」


 春奈は振り向くと、後ろ側にあるエレベーターに向かって歩き出した。ヒールが大理石の床とぶつかる足音が、規則的に響き、響き、響き……、それが次第に遠くなって。気づけば、その部屋にはもう足音の余韻しか残っていなかった。彼女の存在を感じられる微かな軌跡。

 未だ部屋に背を向け続ける彼は、だらんと垂らした腕の先にある拳を膝の横で強く握りしめていた。


 フィルムが回転する。回転。回転。フラッシュ暗算のように景色が一瞬映っては、消え、また次の景色に切り替わっていく。映る景色はいずれも、オフィスデスクに座り仕事を行う洋一の姿。場面が切り替わるごとに、デスクの上の書類が数を増していく。それに伴い、最初は無かった四つのモニターが整備されることにもなって。

 時間が急速に経ていく。冷静沈着に仕事をしているように見えた彼だったが、日に日に表情がやつれていっているのが分かってきた。顔の皺が増え、髪にも白髪が混じり始める。頭を掻き、PCを使う際は常に眉を顰めるような表情。ため息が増え、今スクリーンに映っている彼は、デスクに両肘をつき、一度頭を抱えてから天を仰いだ。


 だが、そのモニターに映る業績のグラフはいかなる時でも右肩上がりだった。それでも彼を満たさない理由が、そのデスクの上にはあった。木製の写真立てに飾られた笑顔の二人。若い頃の洋一と、春奈だった。

 忙しなく動いていた彼の視線がそれを見た瞬間、一瞬で動きを止める。それから目を離せずに、再び頭を抱える彼は数分後に自分の部屋に召使いを呼んでいた。


「何のご用でしょうか」


 デスクを隔て、洋一と向かい合うように立っている女性の召使いの一人。背筋の伸びた姿勢で従順に待機する彼女を彼はチェアに座ったまま見上げ、人差し指を動かすジェスチャーをした。


「ひと月前の立食パーティーで、言い寄ってきたあの女の連絡先を知りたい」


「かしこまりました」


 召使いは部屋の隅の棚の引き出しを開け、分厚いファイルを取り出す。彼の目先でパラパラと捲り、彼女は該当のページを探す。多くの芸能人、タレント、社長といった華々しい人々の顔写真と名刺がまとめられて綺麗にファイリングされている。しばらくして、ファイルを大きく開いて見せられたページには、笹山春奈と顔の系統の似た女性が写っていて。


「恐らくこの方だと思われます。ブーステッドプロダクション所属、芸名は桃木ともえで、本名は儘波ともえ。現在二十四歳で女優をやられております」


「間違いない。近々にこの人とご飯の約束を取り付けてくれ。私からの誘いだと言えば、彼女は喜んで飛びつくだろう」


「……お言葉ですが、社長。彼女はあの時の立ち振る舞いからして、どう見ても社長の資産目当てのように見えるのですが」


「それでいいんだ。そっちの方が扱いやすい。気にせず取り付けてくれ」


「かしこまりました」


 フィルムが再び激しく回転する。次に見えるようになった時には、デスクに座る洋一の顔は更に老けているように感じられた。召使いに携帯を渡され、電話をしている。神妙な顔のまま、鈍重で迫力のある声で。


「ともえも前に一度来てくれただろう。そう、芽留奈市の別荘だ。たまにはこちらに来てみないか? 」


 電話先から声が漏れて、聞こえてくる。


「いやーやっぱ、あたしどっちかって言うと、こっちのギラギラした方が性に合うんだよねー。このタワーなんだかんだ不便無いし、夜景も毎日見れちゃうしー」


「あぁ……、そうか。まあ良い。あとは息子のことなんだが」


「え? それあんたが育ててくれるって話っしょ? 助かるわー、あたしもう最近忙しくてたまんないからさー。っていうか、そんなことよりまた今度あそこの高級焼肉屋連れてってよ! ほら、ああいうとこじゃないと食べた気しないっていうかー」


「……わ、分かった。時間がある時にまた行こう、それじゃあ」


 電話を切って、端末を召使いに渡す。一度デスクに頬杖をつき、ため息とはまた違うような深い呼吸をする。チェアから立ち上がり、スーツを翻してガラス張りの壁の方を向く。

 相変わらず、外は曇天だった。また別の召使いが今度は、腕に赤子を抱いて彼の隣に来る。白い衣に身を包まれながら喚くことをしない、その落ち着いた表情に洋一の血を感じざるを得なかった。洋一は赤子に目を落とし。


「儘波……想太。それがお前の名だ。お前が有ノ宮の名を冠するに相応しい者か、この目でしっかりと確かめさせてもらう。何せ、あいつとの子供なのだ。春奈の子ほど聡明ではないのなんて分かりきっている。私は経営者だ。可能性があったら投資する。それでも、見切りはいつかつけなければならない。」


 彼が手で一蹴すると、召使いは一礼をして赤子と共に部屋を出ていった。部屋で立ち尽くす洋一は、ガラスを隔てた外のどこか遠くを見つめたまま。


「見てろ春奈。私が教育を施し尽くせば、継承者なんて簡単に育てられる。私の元を離れたことを後悔させてやろう」


 フィルムが回り。その幕間のような時間に、隣にいる想太は口を開く。映る記憶を目を逸らすことなくじっと見つめていた彼の姿は、九華の目にはあまりにも強く見えた。


「生まれた時から僕は、召使い達の元で育った。食事やら言葉やら全てを召使い達に教えられた。幼い頃に、父さんと直接会った記憶はない。初めて顔を合わせたのは、読まされた経営本の表紙でだった」


 九華はもうとっくに手が止まっていた。流れている記憶の一つ一つが、あまりに現実離れしていたもので何より、酷かった。

 隣で何食わぬ顔のまま立っている彼の姿、もっと言えば新聞部で活動していた頃のあの落ち着き払った姿が彼女は理解出来なかった。まるで自分が刺されているような痛みを、心を、より大仰に感じ、胸が張り詰めたような気持ちになる。


「僕が僕の境遇を全て知っている理由。それは何も複雑なものではない。むしろ、至極簡単なものだ。僕は父さんの口から直々に全てを聞いたんだ」


 彼の言葉の余韻のまま、記憶が映り出す。オフィスデスクの備え付けのチェアに座る洋一。その対岸に気をつけをして立っていたのは、幼い頃の想太だった。まるで何かの発表会にでも行くかのような、年齢に見合わない正装のような身なり。


「お前は、私の望んだ小学校の受験に失敗した。繰り返してみろ」


「僕は、父さんの望んだ小学校の受験に失敗しました」


「ああそうだ」


 デスクの上に散らばった書類の一つを洋一が拾い上げる。頬杖をつきながら、彼にその紙を見せる。つらつらと字が並べてあって詳しくは確認は出来なかったが、そこには確かに儘波想汰という名前、顔写真、そして不合格の文字は皮肉にも大きくどれよりも見やすく印字されていた。

 書類を持っている指を空中で離すと、不合格の文字がひらひらと宙を舞ってデスクに倒れ込むように落ちる。洋一は両肘を立て、手を顔の前で組むと。


「ついて行かせた召使いに聞いた。お前、一言二言しか話さなかったそうじゃないか。そんな受動的な態度でこの世を生きていけるとでも思っているのか?」


「……すみません」


 鋭い眼光が、想太をもう一度睨む。


「他の私立に行くことも不可能ではないだろう。だが、お前はこの近くの公立の小学校に行け。そして、地位の異なる平民の中に混じる醜さを知るのだ。それがお前を成長しようと思う強い動機に繋がるはずだ」


「……はい」


 洋一は、両手を組み直し。


「想汰。私にはこうなることが、少し予測がついていたんだ。お前は聡明な母の元で生まれなかったから、このような失敗を犯す」


「……」


「私には昔、笹山春奈という妻がいた。彼女はよく物事の本質を見抜き、分野に傾倒していないのにも関わらず、私に経営のアドバイスをしてくれたこともあった。だが春奈は私の元を去った、彼女は変わり続けようとする私に耐えられなかったのだ」


 デスクの引き出しを開け、木製の写真立てを取り出して言葉を続けた。彼は想汰に見せていた頑強な視線とは対照的に、それを見る時だけはどこか隙が生まれたような目つきをしていた。目を深く瞑り、もう一度想汰を見た時。洋一は眉を顰めていた。


「彼女の子達は等しく聡明で、私の継承者に相応しかった。それに比べてお前は出来損ないと言わざるを得ない。それもそのはず、お前を産んだのは別の母親だからだ。お前は生まれながらの、劣等者なのだ。それを払拭するために、学び続けろ。そして、進み続けるのだ。成果を出せなければ、地に足をつける価値などない」


「……分かりました、父さん」


 言葉が響き、またもや場面が転換する。快活に回転していたフィルムも流石に限界といった感じで映る記憶の節々が擦り切れ始め、想汰の声の余韻もラジオを通したようにノイズ混じりで聞こえなくなっていって。


 周囲の白い歪んだ背景が所々透けてしまっている記憶のスクリーン。先ほどと同じ構図、立っている想汰、デスクを挟んで座る洋一。想汰の背は伸び、今とほぼ近しい顔つきになっていた。対して、洋一の顔は酷く歪んでおり、もう髪はほぼ白髪に塗れて。

 彼は持っていた紙を勢いよくデスクに叩きつけた。見えたのは、また同じく不合格通知。そこに映っていた学校名は、九華でも、というより誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、国内一の名門中の名前だった。決して乱暴なんかじゃない、確実にゆっくりと獲物を噛み砕くような声が彼の口から轟いて。


「お前は、自分の立場は理解しているのか……この劣等者。いくら失敗を積み重ねれば気が済むんだ!」


 デスクに手のひらを勢いよく打ち付ける。バン、という大きな音が部屋中の壁に響き、まるで全てが想汰を睨むように跳ね返ってくる。姿勢を崩さない彼は、深く礼をして。


「申し訳ございません」


「私がそんなものを望んでいるとでも思うのか? 大事なものは、全て結果だ。自分が劣等者であるということは忘れたのか! それとも、凡人と暮らしていくうちに変な癌でも移されたか?」


 彼が引き出しから取り出したのは、想汰の部屋にあったような物語本の一つだった。ハードカバーの分厚い本を手一杯に持ち、それをデスクの上で見せつけるように揺らしてみせる。その時、想汰は初めて眉を動かした。


「こんなものを読んでいるから、頭が現実から離れていってしまうのだ。私は、お前の全てを知っている」


 彼は本を開いて、表紙と裏表紙をくっつけるようにして持ち、中のページを剥き出しにさせた。ページが重力で垂れ下がるまま、立ち上がって彼はそれをデスクの横に置いてある巨大なシュレッダーへと迷いなく突っ込んだ。ページがいとも簡単に機械に飲み込まれていき、それらは次々とインクが染み込んだ塵へと変化していった。


 想汰は何も言わなかった。ただ目を見張るだけで、少しも体を動かさず忠義の姿勢を崩さないまま。ページだけでは飽き足らずそのままハードカバーまで飲み込もうとするシュレッダーが、ガガガガガと濁点ばかりの駆動音を上げる。それが悲鳴に聞こえてからは、本が最後の抵抗をしているみたいにのたうち回っているかのように見えた。結局シュレッダーは途中で壊れて動かなくなったが、洋一が指を鳴らせばすぐに召使いが替えを設置していた。


「高校受験が最後のチャンスだ。そこでの結果で、お前の処遇を決めさせてもらう。もし失敗するようなら、もちろんお前をここから追放させる。話は以上だ。さっさと帰れ」


「……失礼します」


 想汰は口以外動かさずに、手を太ももに沈むほどくっつけていた。そして、「行け」と言われればまるで決められているかのように手足を動かしてエレベーターまでの道を歩き、部屋から出ていった。フィルムが限界を迎える。記憶の映像にノイズが走る中、洋一は近くの召使いに話しかけ。


「引き続き、監視カメラの設置の継続は頼む。あいつの部屋にある本棚全てと、それから勉強机や、ベッドの近くにもだ」


「承知いたしました……」


 召使いの声がノイズでかき消され。そして、オーロラは空中へと散り散りになって消えていった。大量の塵が白く歪んだ空間に舞い上がり、紙吹雪のように体に纏わりついてくる。つむじ風が巻き上がって空間全体が渦を巻いていく、四人は徐々に光に包まれて。

 


 視線の先の灰白色。先ほどまで怒号を上げていた洋一が、石像となり全く動かない状態でただそこに鎮座している。九華は彼を視界に入れた瞬間、全身の緊張が強くなり、胸の痛みに襲われてその場にしゃがみ込んでしまった。睡方が神聞紙を置き、彼女に声をかける。彼女は「大丈夫、大丈夫」と繰り返すが、内心は先ほどの光景がずっと頭の中でフラッシュバックして、顔をしかめることしか出来ないような状態だった。


「今でも、父さんの言っていることは正しかったと思ってる。成果を出せない自分だったから、顔も知らない兄さんや姉さんのようにはなれなかったんだろうって」


「想っち……」


 立っている彼の顔は、記憶で見たように洋一の方をじっと見ていた。父親からの、無惨な仕打ち。放たれた醜い言葉の数々。残酷な運命を背負わされたにも関わらず、彼は前を見ていて、目を逸らさなかった。九華は自分が彼に放ってきてしまった言葉の数々を回想し、気付かずに自分もこの輪廻の中の加害者になってしまっていたような気が心の中から湧き上がって思わず吐き気を催した。


「ご……ごめ……ん……。想……汰……」


 絞り出すように、無意味で偽善的で自己勝手な言葉を並べる。能力ゆえに『心』を感じ過ぎてしまう彼女にとって、日常は幸せなもので家は帰るべき場所だなんて幻想は少しのヒビでやすやすと壊れた。想汰は足を屈ませると、床に置いてある神聞紙を裏返す。


「言っただろ。同情なんていらないって」


 一瞬向けられた彼の顔はいつもの冷徹な顔だった。突き放すような声。それは悪意なんかではなく、自分の気持ちなんて分からなくていいというような、そんなもので。


「ここ、全然記述がされていないじゃないか。これじゃ儀式が終われない。ちょっと手を貸してくれ」


 了承の合図なんて待たずに、想汰は九華の片腕を持って動かし、神聞紙に字をつらつらと綴っていく。物語口調で並べられていく言葉の数々は流れた記憶を如実かつありありと表現していて、見ていて辛くなるものだった。それでも彼は詳細に描写し続けた。勝手ながら、そこに彼の決意が見えた。


「両親が離婚した等の場合に、子は家庭裁判所の手続きで親と異なる苗字を変えることが出来る。だが、もし子が幼過ぎた場合、その手続きはその子供の代理人の意思で行われることになる。それは子が何歳まで適用出来るか、知ってるか?」


「……」


「十……四歳……」


 咄嗟の質問に答えられなくなっているところに、由依が呟く。想汰は九華の手を素早く動かしながら、神聞紙への筆記を次々とこなしていった。彼女は立ち上がることすら出来ないほどに地面に体重を乗せ、ただ彼の書いていく文字を目で追うのみだった。


「そう、十五歳未満。だから、父さんは高校受験で結果が出たら、母さんと離婚して僕の苗字を有ノ宮に変えさせるつもりだったんだ。もちろん成果が出せなければ、儘波姓のままにしておけばいい。随分とよく出来た構成だよ、ミステリーなんかだったら帯に書きたくなるぐらいの緻密さだ」


「なんで……、そんな冷静でいられるんだよ……」


 睡方が神聞紙に目線を下ろし続ける想汰に、困惑の口ぶりで思わず呟く。九華の手を動かして最後の句点を記事につけると、紙の一部が青く光り、ついにその紙面で残ったのはあと一つとなった。想汰は一度深く息を吸って、吐いて。書き終わったのに、彼女の手をまだ握ったままにしていて。


「中学受験の時、実はわざと間違った答えを書いたんだ。将来が不安で、何か……少しでも自分を変えたかったんだ」


 虚空を見つめながら、彼は言葉を溢れさせた。会話だったはずなのにいつの間にか独白になっていて、その時の彼は少し顔が緩んだ気がした。


「それのせいかおかげか、そのまま地続きの中学校に入って君達と出会うことが出来た。僕にとってそれは初めて自分の力で掴み取れた成果な気がして、だから、前を向けるんだと思う」


「……なんでだ。俺達とお前の背負ってるものは何も関係ない……って言っちゃあれだけど、直接関係はしてないだろ」


「さあ、なんでだろうな。……強いて言うなら、止まって良い場所、だからかな」


「止まって良い場所……か」


 睡方は頭を掻き、手を首の後ろにやっていた。分からない。でも、理解することを放棄しないというような彼の姿。そんな二人の姿を、交互に視線を動かしてみる。そんなことしか今の九華には、出来なかった。気が抜いたらいつでも涙が出てしまいそうで、自分の手を持ってくれている彼に顔向けすることも、出来なかった。


「ほら、そろそろ立つぞ部長」


 彼に手を引っ張られるようにして、九華は立ち上がった。それでも彼がすぐに手を離すと倒れてしまいそうになってしまい、その瞬間由依に肩を支えられた。「ウチ、肩持つよ」と優しく語りかけてくれる彼女の温もりを感じて、少し気が楽になった。

 四人がお互いに目を合わせる。そして想汰を先頭に、睡方、九華と由依は少しずつながらエレベーターへと歩き出す。睡方は彼の背中を見ながら自分自身の拳に強く握っていた。想汰はまっすぐ前を向いていたはずだが、振り返って由依に視線をやって。


「次で最後。君の社だ、いけるか?」


 その「いけるか?」という言葉の重みは、朦朧とする意識の中でも九華ははっきりと聞き取れた。自分の肩を支えてくれている由依はまっすぐ前を向いて、彼に強く応える。


「背中、見せられちゃったから」


 その顔は、微かだが、笑っていた。

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