第0.9話:究、したがって、知ってしまう
タプから降り、何十分かぶりに足を地面につける。九華含めて周囲を見回す。そこには、至る所に白化した建物が立ち並んでおり、基本的に自分達の身長を超えているものばかりの大きさ。今まで無を体現してきたような世界を見てきた自分達からすると、あまりにもそこに物体が在りすぎるという異常な光景に面食らうが、その街並みにはどこか郷愁を感じられ、彼女は不思議に思った。
「どれ。ここらを案内しよう。話も歩きながらでな」
白い布に身を包まれた老翁に、手を差し出される。同じく周囲を観察するタプを由依が腕の中に抱き、彼が先頭の列に四人と一匹は縦に付いていくようにして歩き出した。建物一つ一つに意識が右往左往してしまう中、その老翁は静かに、されど重々しく話し出して。
「ワシの名はツカイ。文字通り、ここより上の世界の神様の使いじゃ。まあ、今はもう神様がいないから、元使いといった感じだがのう」
「ツカイ……。ツカイって名前なの?」
「そうじゃ。この創界では、ワシも、お前らも、一応カミという分類になる。人間と一緒にされてしまうのは、少し癪ではあるが……」
「ちょ、ちょっと待って!サラッと色々言い過ぎ!何、ソウカイって!?それに……私達が神様だなんて」
「神様ではない。カミだ。お主らもしかして……継承者から何も聞いとらんのか?」
後ろを歩く睡方が列から顔を出し。
「継承者って……あの、雨宮風句二さんのことですか」
「そうとも。そいつからお守りを渡されただろ?」
「渡されはしましたけど……。別にあの人何にも言ってなかったっすよ。ただ、俺達に対して謝るみたいなことをするだけで」
ツカイはそれを聞いて、分かりやすく羽を萎ませる。
「はぁ……。あとであいつは説教じゃな……、もう遅いが……」
頭を抱え、言い終わるのにかけて消え入るように呟く彼の背中を見て、四人は怪訝な顔を見合わせた。ツカイは指でこめかみを掻きながら、背筋をほんの少し伸ばしたような様子を見せると、元の語り口調に戻り。
「……分かった。なるべく一から話そう、とは言ってもワシもここのことはそこまで詳しくないのだがな。あともう一つ。全ての質問は最後に受け付ける、だから決して茶々を入れるな。ワシは自分の話の腰を折られるのが大嫌いなんじゃよ」
「それでも、思わず質問してしまったらどうなりますか」
後ろから早速想汰の声が聞こえた。後ろに手を組んだ状態で歩いていた、ツカイがそれに反応して組んでいた手を解き、右手をほんの少し腕に上げる。その瞬間。
────ドーン!
「うわぁ!」
「タプゥ!?」
すぐ隣で突然轟音が鳴り響き、想汰以外が思わず声を漏らす。どうやら落雷が起きたらしく、左に見えていた白化した建物が直撃した影響で砕け散っている。
「これを、当てる」
振り返らずにそれを飄々と言い切るツカイの姿に、九華は全身を強張らせる。本能的に逆らってはいけないという感覚。想汰の方を振り返って無言で勢いよく首を振ると、彼はゆっくりと頷いていたが、額には汗が流れていた。発されたしゃがれ声に九華は反射的に振り返り。
「それじゃあ、話すぞ」
「は、はい……。お願いします……」
「ワシらが今いる世界は、俗に言う『創界』と言われる場所だ。この世界は、人間がいる『現実世界』と神様が存在する『天界』の丁度真ん中に存在し、特に『現実世界』の様相を反映する。そのため、ここにあるのは恐らく君達が現実で過ごしていたであろう地域が再現されている」
言われた通り、見覚えのある街並みが視界の先に続いていく。多くの建物が立ち並ぶ中、遠くに大きく聳え立っているのは、自分達が通っていた晴滝中学校の校舎だった。近くには、九華と睡方の通っていた小学校も見える。間違いない、全てが白く染まっているけど、ここは芽留奈市の自分達の学区の場所だ。
だが、完全に一致しているわけではない。所々が穴の空いたように建物が抜けているし、何より今通っているところはいつもの通学路のはずなのに、自分の家が見つからない。
「現実世界の街並みを反映するというのは嘘でなく、ここも何千年前は下界のように無闇矢鱈に建物が並んでたんじゃ。だが、全能神さまの発光に伴って世界が滅亡してしまったことによって、現実世界で体という器を無くして路頭に迷っている人間の魂がこの創界に溢れたせいで、ほとんど壊れてしもうたのだ」
足を進めるが、思考が止まる。情報の応酬で頭がその処理でいっぱいになる。全員が質問を口走りそうにしている雰囲気がその場に漂うが、全員が心の中でなんとかブレーキをかけていて、自然と体だけ前傾になっている。
「……あとで何言ってたか、教えてくんね」
耳元で睡方に囁かれ、九華は焦って「わかった」と言いながら、自分の口元に手を当てて静かにするように頼む。ツカイの方をしきりに見たり、上を見たりして、彼女は雷が飛んできていないか必死に確認する。変わらず彼が話し始めたため、一度大きく深呼吸をして、また耳を貸す。
「そして、その人間の魂が無理やり形作った姿こそ、今のお前達のような『カミ』と呼ばれるのだ。カタカナ二文字で、カミと言う。カミにはそれぞれ個別の名前があるが、お前達は『コンダク』と呼ばれる種じゃ。白と黒のマーブルが混ざった肌、それが象徴しているじゃろう」
晴滝中学校の校門の前を通る。このまま左に曲がれば、いつものように学校に向かうルート。だが、その眼下の校舎の周囲には、先ほどの説明にあったカミと呼ばれる存在が蹣跚と歩いている。その姿には見覚えがあった。巻き上がる砂塵で人型を形成し、両目と口がぽっかりと開いて黒い渦のようになっている顔。
「あれは、フキヤじゃな。この世界ではマジョリティとなる種であり、あのように大抵の種はただ自分の心の赴くままに衝動的に動く。ほれ、また一つ壊れるぞい」
三人のフキヤが校舎を囲むようにして立ち、その壁に向かって吹き矢を何度も吹いている。命中する度にミシミシという音が聞こえ、白化して凹凸のある岩石に包まれたような壁は見た目によらずわずか数回でヒビが入り、いとも簡単に全体が倒壊した。鳴動と共に瓦礫が山のように積み上げられるが、もう興味は無いのか、三人はまたバラバラに散ってどこかに歩いて行ってしまった。
「私達の学校が……」
「誰かが中に踏み入れただけで壊れておったじゃろう。結局見てくれだけの再現じゃ」
ツカイは足を進める。その無惨にも残った瓦礫を注視する九華だったが、それすらも半透明になってまるでそれが元々無かったかのように消えていく。睡方に背中を押され、彼女は遅れてツカイに追いつくようにして。
「だが、その中でもお前達は特別じゃ。この創界に来るべくして来た存在、神分に選ばれた存在なのだからのう」
会った時から、ツカイはそう何度も繰り返す。自分含めて四人はどうやら神分に選ばれたらしい。そもそもそれは何なのだ、という問いをしたくて、したいが故に必死に口を噤む。彼の話が終わるのを焦ったくしていたら。
「そうじゃそうじゃ、ここにいたんじゃったのう。ほら、見てみい。これが、」
そこにいたのは、建物のように白化している人間の姿だった。地面にあぐらをかいて座り、両手を合わせてじっと目を瞑っている。手首には数珠、首にはしめ縄が巻かれており。
「継承者、雨宮風句二の魂じゃ」
四人は目を見張る。確かにその顔立ち、姿、雰囲気、全て彼そのものだった。だが、石になってしまったように彼はもう一歩も動かない。その隣に立つようにしてツカイは、こちらを向いて手を差し出す。
「お前ら、こいつからお守りを渡されたじゃろ。それ、ちょいと出してみい」
言われるがままにお腹の口を開け、四人は中からお守りの欠片を取り出す。もはや食事の必要のない口はポーチ代わりとなっており、花火で手が塞がれ、その欠片が持てなくなったときにはもうその役割で定着していた。
「はぁ……なるほどなぁ。まあ簡単に言えば、それを貰った時点でお前達は神分に選ばれたということだ。では、これを授けよう」
頭の上で浮いている黄色の輪から穴が開き、中から巻物のように丸まった真っ白な紙が出てくる。ツカイは隣の睡方にそれを渡すと、彼は地面にそれを広げてみた。サイズは目測で大体A3ぐらいで、長方形の形をしていてまだ何も書かれていない。九華はなんとなくだがそれが、いつも新聞を書く時に使っている方眼紙と似たもののように思えた。
「で、これは……?」
続きを言おうとした睡方に向かって、ツカイは手を上げてそれを制する。彼は思わず手で口を塞ぐようなアクションを取った後、眼差しをまっすぐに戻す。九華、続く二人もその老翁の方をじっと見て。
「それは神聞紙。試しにそこにお守りをかざしてみろ」
睡方は取り出した木片を、その神聞紙とやらの上に言われた通りにかざしてみる。そうするとじわっとお守りが青く光り出し始め、連動してその紙の右上の四分の一の範囲も青く光り出した。
慌てて九華も自分の持っているお守りをかざしてみると、今度は左上の四分の一が青く光っていた。想汰は左下、由依も右下が同様に青く光り、四人が同時にかざすと一面が光るようになっていることも分かった。
「これからお前達には、この世界のどこかにある社に行き、その紙の一面を埋めてもらう。社は四人それぞれに対応するように四つ存在し、そこで流れる現実世界の記憶をその紙に書き留めて封印するのだ。それが選ばれし者の行う、儀式というやつだ」
現実世界の記憶……?封印……?何かを言っていることは分かるが、その意味がさっぱり分からない。これは預言者の家で取材した時の感覚とも似ている、なぜこういう話題を話す人は凄まじい情報量を一息で言い切るのだろうか。
「あの、もう雷に打たれてもいいから聞くんですけど……」
想汰が手を上げる。流石にもう我慢の限界だったのか、手の先を震わせながらも芯のある声でツカイへとその意思を届けるようにして。
「ほう。言ってみろ、一遍聞いてからぶっ放してやる」
睨みつけるような目、威嚇するように大きく広げられた羽がバサバサと動く音が緊迫感を煽りながら、想汰は生唾を飲む。隣でそれを見ている九華達も、つられてそうする。
「その儀式とやらをしたら、どうなるんですか」
「……次の世代の神様として生きるのじゃ。戦争で滅びた、天界の神様の意思を継ぐ者として」
────ピシャーン!
想汰のすぐ背後に太い雷が勢いよく落ちる。轟く雷鳴に三人は身を縮こまらせながらも、想汰とツカイは堂々とした立ち姿で向かい合って。
「故に……いくら気に食わなくても殺せないんじゃよ。お前達が次の神様候補なんじゃから」
鼻で乾いたように笑ったのを見て、ツカイはわざと雷を外したのだと感じる。九華は自分の両方の手のひらを見るようにして、体を震わせた。突きつけられた事実にもう耐えきれなくなって、思わず体を激しく前に傾かせ、目の前の彼に訴求する。
「か、神様になる!?私達が!?そんなの、あり得ないわ……!」
「あーもう、雷がいくつあっても足りないわい。もう良い、質問を許す。なんでも言ってみろ、別に答えられるかは質問によるが、」
それから、爆発したようだった。四人は口々に言葉を発し、間髪入れずに。
「いやいやいや……俺、ただの人間なのに、神様なんかになれるわけないじゃないすか……!?」
「それでもなるんじゃよ!それが選ばれた宿命じゃからな」
「そもそも神様になるとは何なんだ?どういう定義でなったと言えるんだ?」
「そんなのワシが知る由もないわ!大体世俗の定義とかいうのは、なんとも難解で体が受け付けん」
「えじゃあじゃあ、もしウチ達が神様になった時もツカイさんみたいに羽生えちゃったりしますか!?」
「それは……ま、まあするじゃろう」
三人が横並びで肩をぶつけながら必死に質問をする中、九華はその間をくぐり抜け、押しのけるようにしてツカイの眼前へと体を飛び出させる。
「ま、待ってください!私達、現実世界に戻りたくてここまで来たんです。この世界から現実世界に戻る方法は無いんですか!?」
「……無いことは無い」
重々しく語る彼の表情と裏腹に、九華は希望の眼差しで彼へ返す。
「本当ですか!?じゃ、じゃあそれは一体、」
「それじゃよ」
「え?」
彼が指差した先は、睡方の持っている神聞紙だった。威嚇するように広げていた羽を閉じ、再び後ろに手を組むようにして落ち着いた口調で語る。
「本来、神分というものは、継承者によってお守りを渡された一人のみが次期の神様として選ばれるのじゃ。だが、どうやら君達はそのお守りを綺麗に四等分したことで力も分かれてしまったようでのう。現在四人に資格があると言うことになっているのじゃ」
思わず三人の視線が想太に向く。一方向けられた彼は飄々とした表情で、睡方のことを指さす。それで確かに発端は睡方だったと思い、九華は睨み顔で彼を見る。狼狽える彼は顔の前で激しく手を振っていた。
「こちら側としては、一人で十分なのじゃよ。じゃから、この神聞紙に記憶を封印する儀式を行った後、お前達には決めてもらいたい」
「決める……?」
「ああ、この世界で神様になる一人を。そして他の三人は現実世界に戻してやろう、もちろん記憶を消してじゃがな」
横並びになった四人がそれぞれの顔を見やる。お互いの表情を伺うような慎重な空気感が、灰白色の世界にほとばしる。
この中の誰か、一人を置いて現実世界に帰る。現実世界に帰れるというそんな希望が、やっと目の前に来た。それなのに、全くと言っていいほど受け入れられなかった。
家族の顔が頭に浮かぶ。この世界で見ることすら出来なかった家の中での、団欒を思い浮かべる。帰りたい、帰りたい、それなのに、今目の前にいる三人の顔を見たら、そんな絶対的な思いが曇って。
「そ、そんなの……」
「それ以外に、現実に帰る方法はない」
「嘘よ!そんなの、信じられない!」
「それが現実じゃ!運命は受け入れる他ない!」
「……マジかよ」
膝から崩れ落ちて、足を地面につける九華の横で睡方が小さく呟いたのが聞こえた。想太と由依は、何も言わずにただ立ち尽くしていた。体が震えて、泣いている気がするのに、目なんて無いからどこから涙が出てるのかも、そもそも出ているのかも分からない。
「確かに、全てを語らなかったお前は正しかったかも知れんのう。憎まれ役の継承者よ……」
ツカイは、白化した風句二に目を細めて視線を送る。その直後だった。突然、風句二の真ん中に縦に大きくヒビが入ると、体が綺麗に二つに割れた。その中から出てきたのは、見覚えのある姿、そう、巻き上がる砂塵で形成されたフキヤの姿だった。そのまま、そのフキヤはただ無が広がっている世界に解き放たれ、ただゆらゆらと体を揺らしながら放浪の旅へと出ていった。
初めて人間がカミへと変わる瞬間を見た。段々と遠ざかっていくフキヤの背中を見ながら、物寂しげにツカイは呟く。
「こいつも、何でもない一般人の一人じゃ。ただ、血筋に選ばれたというそれだけの……」
地面を向いたまま、前方向からしゃがれた声が聞こえてくるのが分かる。だが、今は前を向けない。向く気にはならない。そのせいか、よく感じられた。その声はわずかに震えていて、感情の起伏を感じられた。それを読み取ったのか、最大限気を使ったような睡方の声が響く。
「あの、継承者って……本当に神様とやりとりしてたんですか?」
「あぁ……、していたぞ。まあ正確にはワシと、じゃけどな。天界の神様が私に意向を伝え、その意向を私が彼とやりとりすることで伝える。逆も然り、人間界の出来事を伝達してもらったこともあった」
「それは……その、風句二さんが天界に行ってってことですか……?」
「馬鹿言え、天界に人間など入れんわ。お互い意識を集中させて、天界にいる自分と人間界にいる継承者の魂だけをこの創界で合流させて情報の伝達を行うのだ。それをあいつは勝手な勘違いをして、ワシのことを神様だと誤認していたのかもしれんのう。何にせよ、ここでカミになってしまったからにはもうカミとして生きる道しかない。だから、お前達がいくら恨んでもこいつはもう死ぬことすらなく、ただフキヤとしてのこの世を彷徨い続けるのみじゃ」
「そ、そうですか……。ありがとうございます……」
九華は見上げて、睡方の顔を見る。あまりにも落ち着いている、冷静な声。もう、現実世界に全員で帰ることが出来ない。それが決まっているのに、なぜ彼がこんなに余裕を持って質問出来ているのかが分からなかった。それとも、事実を受け入れまい、と必死に意識を逸らしているのか。後者の方であって欲しい、と彼女は何故か自然に思った。
「その儀式のタイムリミットはせいぜい三十日。ここにその時間を測るタイマーを置いておく。今からワシは天界へと戻るが、期日になったらまたここへと来るであろう。その時までに神聞紙を完成させ、誰が神様へとなるか申告してくれ。もし、誰も名乗り出なかった場合は、勝手にワシが三人殺して一人選ぶ。神聞紙を完成させなかった場合も、同じくじゃ」
それを聞いて、九華は無理やり引っ張られるように立ち上がる。加減を間違えた強さで、人間時代に目が合った場所を拭う。涙なんて無いのに擦ったからか、ほんのり赤くなって。
「私達に……どうしても決めろって……?」
「そうじゃ」
「……」
「ワシはもう帰るぞ」
「待ってくれ。僕達はまだしたい質問が多くあるんだ。社とは何なのか?どこにあるのか?現実の記憶の封印とは一体、」
「あーあー、よしてくれ。ワシは天界出身なんじゃ、創界のことはよう知らんし、そもそも今日はお前らのせいでもう喋り疲れた。ここから真っ直ぐに進んだら、とある看板が見えてくる。そこにいるカミ、『シ』にそれをぶつけてこい。あいつはお喋りで、何よりここにずっと居座ってるからワシより色々知っとるぞ」
「『シ』……?それが……名前なのか? って……!」
想汰の思考の隙を見て、返答をする前にツカイは翼をはためかせて上空へと飛んで行った。視界の中で点になり、そろそろ見えなくなるといったところで彼の声が聞こえてきて。
「今から、三十日じゃ!せいぜい頑張るんじゃぞー」
そして、彼は自分達が反発した空を簡単にすり抜け、この上にある恐らく天界と呼ばれる場所に帰っていった。睡方のお守りの木片に反応して、神聞紙の一部が青く点滅を繰り返す。創界に取り残された四人と一匹は、しばらくの間立ち止まることしか出来なかった。