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しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
第二章
10/11

第0.8話:鉢、ついに、合わさり

「ブ……ブタ……?」


 九華はその姿を注視する。全身桃色で、どちらかといえば貯金箱よりの丸々とした体型。表面に毛は生えている様子は見えず、光沢のある磨かれた無機質な肌が目立つ。それが普通のブタと大きく違う点は、顔の八割がその真ん中にある大きな鼻で占められていることだ。

 それゆえ、目や口といった器官はぱっと見る感じ確認出来ず、その四つ足の短足を屈ませて、鼻の下半分含めて顔を水の溜まり場に突っ込んでいる。ピチャピチャという水音がしきりにすることから、ただ肌をふやかしているだけではなく、恐らく水を補給しているのだということは分かった。そしてその作業に夢中で、未だに自分達には気づいていない。


 九華はなるべく息を殺しながら、横に寝転ぶ三人に目をやる。隣の由依はまだ寝息をかいているし、遠くの二人は遠くてよく見えないがまあ寝ているに違いない。


 ひとまず彼女らを起こそうと思って、そっと立ち上がって忍び足で由依の方へと向かおうとする。一歩、二歩。瞬間、隆起した地面に足を引っ掛けて砂利を踏んだ時のような音が響く。ブタが体を震わせ、音がした九華のいる方向へ顔を向ける。

 体を固めたまま、息を止める。その大きな鼻と目が合ったが、しばらくしてブタは何事もなかったかのようにまた水を飲み始めた。九華は金縛りが解けたように、全身の力をひとまず抜く。再び歩き出す前に、彼女は一つ思い立つ。


 このまま、三人を起こそうとするのは難しい。もし、起こせたとしても、あんな足音一つで敏感に反応するブタが、由依や睡方が騒いだりする声を聞いたら、もしかしたら逃げ出してしまうかもしれない。それなら、自分一人で一度ブタに接触してみる方がよっぽど情報を得られる可能性が高い。

 自分の意見に頷いて、また忍び足を始める。由依の足元を通り過ぎ、寝ている睡方の頭を回るようにして通って、あとは水の溜まり場の外周に沿って反対側まで歩いていけば……。


「なにしてんだ」


「ひっ!?」


 声が聞こえて、反射的に後ろを振り返る。そこには体を完全に起こし、あぐらを向いたまま落ち着いて乾いた声を投げつける想汰がいた。気づかないうちに起きていたのだろうか、注視するようにこちらを見ていて。


「なんだあんたか……。驚かせないでよ」


「勝手に驚いたのはそっちだろ。それよりなぜさっきから一人でうろちょろしてる?」


 普段通りの声量で話す想汰に、焦って手でバツを作って見せる。首を傾げる彼の元に近づき、溜まり場の反対側で呑気に水を飲んでいるブタを指しながら、囁き声で語る。


「あのブタに話を聞きに行くのよ……! ほら、これで満足? 分かったら静かにして!」


「ふーん。意思疎通が出来るとは思えないけどな。なにせ、見た目がブタそのものだし」


「分かんないけどやってみるしかないじゃない……。もし話が出来なかったとしても、最悪私直々に手なづけてやるわ」


「ふっ。まあ、ここで見物させてもらうよ」


 鼻から吐くように出された笑いを、背中に受ける。想汰にカッと強い目線をやってから、九華はそろりそろりとそのブタの元へ忍び足で進んでいく。そこまで大きな淵ではなかったからか、半周するのにも余り時間はかからず、気づいたら眼前にその丸みを帯びた桃色の体を捉えていた。

 後ろに回ると、体から飛び出ている空中で一巻きしている細い尻尾が水飲みと同時に、微かに揺れているのが分かった。回り込んだこの九華(ハンター)に気づかず、一心不乱に水溜まりに顔をつけているその姿を見て、自然界で甘えは通用しないぞと勝手に彼女はしばし得意げになる。

 それからは小走りで近づいていって、包み込むように勢いよくブタの体を両手で掴んで持ち上げる。見た目相応の、生き物らしい程よい重量感。突然宙に浮かんでしまったブタは混乱し、その四つ足をジタバタと動かしている。


「あら、意外と可愛いじゃない」


 腕の中で体をひっくり返し、文字通り初めての顔合わせを行う。顔のほとんどを占める鼻がヒクヒクと小刻みに震えており、なんとも生物らしい動き。困惑しながらも、それはただ足を動かすだけで特に何もしてこない。彼女はその桃色の体を撫でるようにして手を動かしながら、一応質問をしてみる。


「ねえあなた、この世界について知ってることある?」


「……」


 沈黙の中、顔をじっと見てくる。鼻に空いている二つの穴が目に見えてきて、思わずそちらに視界を移しそうになるが、顔を認識しているということは恐らく目は目で他にあるのだろう、または声の出ている方向を無意識に見ているだけか。

 九華は、そのブタを両手で顔の前で掲げながら注視する。


「……返答なしか」


 肩を落とした瞬間。


「タプ!」


 ブタは声と共に、突然彼女の腕の中で体を激しく震わせる。そしてそのまま腕を飛び出していき、凹凸の激しい灰白色(かいはいしょく)の地面に見事に着地すると、九華の方を向いて再び鳴く。


「タプ!タプタプ!」


「しゃ、喋った……!あんたやっぱり喋れるんじゃない!」


 手から離れてしまったブタに両手を広げて、こっちにおいで、というようなポーズを取る。そのまま近づいていくが、それが出す鳴き声は徐々に唸り声混じりになっていき、先ほどよりも明らかにトーンが低くなっているのを感じる。


「タプ!タプタプ!」


「え……もしかして怒ってる?」


 気づいた時には、遅かった。後ろにピョンと小さくジャンプしてから短い後ろ足で地面を蹴って勢いづけると、その小さな体が四つの足を動かしてこちらに駆けてくる。自分の数メートル先で跳んだと思うと、腕を広げる九華の胸へと体を勢いよく突撃させる。その瞬間、雷のような衝撃を感じて、彼女は自分の体が宙に浮いたのを感じた。


「ごはぁっ……!」


 勢いは凄まじく、体が上昇したまま不変の空へと向かっていく。背中が空にぶつかった時、体質ゆえか全身がトランポリンのように跳ね返って、勢いよく元の場所に反射していく。地面に叩き落とされた時には、着地点で寝ていた睡方を巻き込んで体を打ち付け、周囲には砂塵のような灰白色(かいはいしょく)の塵が舞い上がっていた。


 結局、その衝撃音で由依も、もちろん睡方も目を覚ました。全身塵まみれの九華と睡方が二人のいる場所に戻ってきた時、再び想汰に鼻で笑われたのが彼女にとっては吹っ飛ばされた時よりも腹が立った。

 それから、さっき起こった事のあらましを九華が三人に語る。四人が溜まり場の淵の近くに集まって話をする最中、気がついたら由依の後ろにあのブタは寄ってきていた。


「タプ!タプタプ!タプ!」


「え!もしかしてこの子!?ちょー可愛いんですけど!?」


 九華の顔が思わず引き攣る。由依は無い目を輝かせるようにして、そのブタを両手で持ち上げて全身を撫で上げてると、嬉しそうにブタは「タプ!タプ!」と声を震わせながら、尻尾を上下に勢いよく揺らしていた。母性のある目で膝に乗せたままそれを撫でる彼女を三人が見るという不思議な光景。九華は一応忠告するように。


「……気を付けて由依さん!そいつ、急に吹っ飛ばしてくるから」


「えー?そんな事しないよねー、タプちゃん?」


「タプゥ!」


 元気に返事をするように、そのブタは彼女の膝で寝転がるようにくるくると体を回す。猫撫で声で話しかける彼女の方をじっと見ることはなく、ただ衝動的に動いている姿が、これまで会ってきた異形よりも非常に動物らしさを感じさせる。同時に、今明らかに彼女の発言に返すような反応したことから、わずかに意思疎通への萌芽が見られたような気もした。横で睡方が、頭のかさを傾げて。


「タ、タプちゃん?」


「今ウチが名付けた!タプタプ言ってるからタプちゃん!」


「タプ!タプ!」


「ほら、睡っちも抱いてみなよ〜」


「え……!?俺はいいよ」


「いいからいいから、はいっ!」


 由依が両手で膝の上のタプを持ち上げ、睡方の体に押し付ける。何回も首を振る彼だったが、彼女がいくら言っても諦めないため、折れて腕を小さく広げ、体を震わせながらその体を抱いた。足がのそのそと動いており、その度々に睡方は声を上げ、全身を強張らせている。


「うわぁ……なんだこの感触……」


「ほらほら、撫でてあげな〜」


「な、撫でる……?こ、こうか」


 睡方の腕の中で落ち着きを見せるタプ。そんなタプの体を彼は言われたように、まずはそっと触る。一旦離してから、今度は掌全体をゆっくりと沿わせながら体を大きく撫でる。先程は隣にいても分かるぐらい緊張を見せていた彼だったが、撫でを開始してからはほんのちょっと肩の力が抜けたように見えた。


「タプ……タプ……」


「こ、これで合ってるかな?」


「多分!タプちゃんが嫌がってなければ!」


 由依を見ながら、仕切りに渡し返すタイミングを探しているような表情を見せる。機械的に撫でる行為を繰り返す彼の目が泳いでいる中で、タプは急に畳んでいた足を立ち上がらせ、彼の顔を見る。


「タプ!」


「うぇっ!?な、なに」


 一つ鳴くと、急に全身を震わせてまた腕の中から軽やかに飛び降りて、地面に着地した。彼と目線を合わせるようにして、四つ足に力を入れているようで。


「く……来るわよ!私もさっきこのまま吹っ飛ばされた……!」


「えぇ!?いや、ちょっと、なんで急にそんな」


「タプゥ〜〜〜〜…………」


 打って変わって、唸り声を上げるタプ。睡方は立ち上がって、後傾姿勢で両手を前に突き出して必死に命乞いをする。突如としてその場に緊張感が走る中。彼に突っ込もうとしているように見えたその足は、空気を壊すように明後日の方向へと歩き出した。


「……え?」


 ピョコピョコと体を小さく跳ねさせながら、呑気にスキップするような感じでタプは足を進めていく。一度足を止めて振り返ると、まるで置いてかれたような感覚に陥っている九華含めた四人を見て、タプはこっちに来い、と言わんばかりに顔を動かして進行方向の先を指す。


「ウチ……らも、ついてこいってことかな?」


 四人が立ち上がって、タプの後ろをついていくように進む。そうすると、タプも一度頷いて再び歩き出す。水の溜まり場から少し離れた場所でその足を止め、早く来い、と急かさんばかりにその場所でこちらを見ながら、飛び跳ねている。

 着くと、タプはその足の一つを地面に引き摺らせるようにして、円を描いていった。仕上げに、真ん中には二つの線を引き。さながら、タプの鼻のような模様で。


 それが終わると、タプは睡方の足元に近づき、白黒のマーブル柄の足に四つ足の一つをチョンと触らせると、彼をその円の真ん中へと誘導した。


「お、俺?」


 言われるがまま睡方は歩いて行き、彼とタプはその円の真ん中で向かい合うようにしていた。タプは何やら準備万端といった感じで、鳴き声を上げながら飛び跳ねていて。


「これ……もしかして、相撲か?」


 隣で想汰が呟いたのを聞いて、心の中で合点がいく。


「確かに……。ってことはさっき作ってたのは、土俵!?」


「え!?俺って今から相撲するの!?」


「タプゥ!」


「おー!タプちゃんが頷いてるよ!じゃあじゃあウチ、行司やっちゃお〜!」


 飛び出すように駆け出し、線で作られた簡易的な土俵の淵に由依が立つ。手を前に一人と一匹の間に差し出して、それぞれの顔を覗く。体に力を込めて今にも走り出しそうなタプとは対照的に、睡方は頭を掻いて仕方なく腰を下げるようにして。


「それでは〜!見合って見合って〜!」


 お互いが見合う。正確ではない構えのポーズをしている睡方を見て、九華は腕を組んだままため息を吐くと、なんとなくの未来予知が自分にも開花したような気がした。


「はっけよーい……のこったぁ〜!」


 合図と共に、タプがリードから解き放たれたように勢いよく足を蹴り出す。彼が狼狽えた刹那、勢いそのまま彼の頭に顔をぶつけられ、体が簡単に宙を浮いた。


「おわっ!!!」


 放物線上に綺麗な弧を描きながら、彼の体は九華の視界の端へすぐさま移動した。慌てて追うようにして目をやるが、地平線の方へとその姿は続いていき、遂に捉えられないところまで飛んでいった。

 それも束の間、九華と同じくこの世界の端に反射して跳ね返ってきたようで、最終的には彼の体は数十メートル先の地面に勢いよく突っ込んだ。側から見たらこんな勢いで吹っ飛んでいたんだと、彼女は少しばかり驚き、思わず手の開け閉めを何回か繰り返して自分が生きていることを再確認する。


「タプちゃんの勝利〜!」


 由依が手をタプの方にやると、勝った喜びか、それはしばらくその場で飛び跳ねていた。その後に、次はお前だ、というように隣の想汰に目をやった。九華が肩を小突いて体を前に出させるようにすると、意外にもすんなり彼は土俵へと向かっていった。


「さあ〜想っち! この最強の相手、タプちゃんに勝てるかな!?」


「ふっ、今ので君の動きはなんとなく把握した。これは相撲で勝てばいいんだ、わざわざ正面からぶつかる必要なんてない」


 そう言い放ち、静かに両手を地面につけ、腰を落とす。一方のタプは相変わらず自信満々という様子で、体を激しく横に震わせており。


「それじゃあ、見合って見合って〜!はっけよ〜い……のこった!」


 同じく合図と共に、タプが想汰のみぞおちを狙うように飛び出す。が、彼はそれを読んでいたようで体を横にずらし、その突撃を難なく避ける。勢い余ったタプは土俵から飛び出しそうになり、その線の縁に触れる直前のところで前足二足に力を込めて、体を起き上がらせながらなんとか外に出ないように耐え切った。


 向き変えって、再び勢いよく突進をする。それをまた体を翻して避ける想汰。決して自分から攻めることは無い姿勢で、恐らくタプが土俵から飛び出していくのを狙っているのだろう。いたちごっこは続き、何度も攻撃を避けられているタプは短い四つ足で地団駄を踏んでいる。

 しかし、そこで終わるブタでは無かった。思いついたように、タプは想汰の元へ駆け出すのを止め、突然土俵内で自分の足を使って線を引き始めた。タプの後ろ側に弧を描くように引かれた線は、土俵の楕円形を崩し、垂れ目のような形を作り出しており。


「ま、まさか土俵を縮めているのか……!?」


「タプタプゥ!」



 動揺する想汰の視線をよそに、タプは少し前に進んでは軌跡を埋めるように足で線を引いて、土俵を狭めていった。彼は徐々に追い詰められるが、先ほどの睡方、なんなら九華の吹っ飛ばされ方を見ているため、自分から手出しをすることは出来なかった。気づけば、大きな鼻が彼の膝に付きそうなぐらいまで土俵は狭まっていた。そして完全に逃げられなくなった状態で、タプは僅かに足を後ろに引くと、最低限の勢いをつけて、彼の胸元へと全身の力を込めた。


「うわっ!」


 そんな小さな助走の突進ででも、彼の体は数メートル程飛んでいき、地面に背中を叩きつけていた。灰白色(かいはいしょく)の煙が舞い上がるの見て、九華は肩を落とす。


「これ、ありなの……?」


「なんであいつはそんな吹っ飛んでないんだよ……」


「あら、お帰り」


 先ほど大きく吹っ飛ばされた睡方がどこからか見つけた灰白色(かいはいしょく)の棒のようなものを地面に突きながら、蹌踉(そうろう)と帰ってきた。想汰への衝撃はそこまで大きくなかったようで、もう既に遠くで体を起こしている。


「タプ!タプ!」


「次は……やっぱりウチっすよね〜」


 タプが鳴き声を上げながら、行司をやっていた由依の方を向く。だが、それだけではなく今度彼女の方へと歩き出し、何やら前足で手招きするような動きを見せる。彼女がしゃがむと、タプはその大きな鼻を彼女の耳元へ近づけた。それから、彼女は頷くようにしてまるで話を聞くような素振りを見せた後、こちら側に近づいてきて。


「ねえ〜!次は四人で来てもいいよだって〜!」


「とんだ舐められっぷりだな……。でも正直もう俺やりたくないんだけど」


 話を進める睡方に、九華は横槍を入れる。


「ちょっと待って由依さん!あのブタ、言葉話せたの!?」


「え、うん。超ちっちゃい声だけどね、なんとなく聞こえた」


「ほんとに!?」


 九華は駆け出して、タプを両手で持ち上げる。そしてその大きな鼻に人間時代に耳があった部分をつけてから、荒っぽく呼びかけてみる。


「なんか喋ってみなさいよ!なんでもいいから!」


「タプ!!!」


「おわぁ!」


 突然耳元で鳴かれて、思わず両手を離す。タプは綺麗に着地したが、彼女は頭にキンと響く声に思わず体を震わせてしまって。


「お前には懐かないみたいだな……」


「それを言うなら、あんたもでしょ!?というか、由依さんにだけ懐きすぎなのよ!」


 後から追ってきた二人も合流する。相変わらずタプは由依の元へすぐさま駆け寄っていき、彼女に全身を撫でられて嬉しそうにしていて。


「それじゃあ、タプちゃん? 本当に四人でやってもいいんだよね?」


 反応するようにして、地面に足を引き、何やら文字を書いている。その間に想汰も帰ってきて、四人はタプが動く様子を見守る。


「い、い、よ、『いいよ』だって!」


「想汰、これから四人でやるらしいわよ」


「本当に言ってるのか……。だが致し方ない、リベンジをしてやる」


「み、みんながやるなら……俺もやるよ。力になれるかわかんないけど」


 全員で新しく土俵の線を引き、真ん中でタプと新聞部の四人が構える。四人は横並びでじっと前を向く。いつにもなくタプも気合いが入っているようで。由依が腰を下げて構えたまま、声を張り上げる。


「いくよ〜!見合って見合って〜!」


 生唾を飲む。確かに、四人とタプが見合って。


「はっけよ〜い……、のこった!」


 合図と共に四人の体とタプが中心で激しくぶつかりあう。流石の馬力か、四人の力で押してやっとタプの力と同等のような感覚を覚える。中心で押し合ったまま、ほぼ硬直した状態を続ける。だが、その最初のインパクトからしばし経った後、やはり元人間ゆえか、こちらの力が段々と弱まってくるのを感じた。


「くっ……!あああああ!!!」


 睡方が唸り声を上げ、必死に押しているがフォームが崩れ始めている。九華も息を漏らしながら、もはや重いドアを開ける時のように全身で押し返すがそれでもタプは隙を見せない。端の想汰も押してはいるがそもそもの馬力が弱いからかそこまで通用しておらず、真ん中で由依が躍起になって奮闘するも虚しく、その列はみるみると後退しつつあった。

 

「あああああああ!!!きっついかも!!」


「私も……!これ以上力入んない……!」


 土俵の縁ギリギリまで追い込まれ、思わず言葉が漏れる。そんな彼女達に向けたか、或いは自分にか、由依は顔を天に向けたまま精一杯腕を振るわせて。


「諦めちゃ……だめ……!こんなところで……押し出される訳には……!」


 タプは体を勢いよく横に震わせて、想汰を場外へと吹っ飛ばす。それでもその直前の彼の一押しで、ほんの少しタプが動いた。そこに漬け込むように、由依は懸命に腕を、足を前へ、前へと進める。そんな彼女の姿を横目に、九華もお腹に力を入れるようにして。


「はあああああああ!!!!」


「タプッ!」


 一度ほんの少し後ろに下がられ、足を蹴るようにしてやられた突撃を受ける。体がまた宙に浮く感覚がして、彼女は土俵の外で背中をつけた。だが、それもまたタプを一歩後ずさりさせていた。二人の背中が見える。気づいたら、彼女達の方が真ん中よりも先に行っていて、土俵の縁までの距離はタプの方が近くなっていた。


「お、俺もぉおおおおお!!!!」


 睡方はタプの体を両手で強く押したまま、掴んで投げようとした。その滑らかな肌ゆえか中々掴み取れないが、諦める様子を見せない。手間取っていたからか、隙を突かれて鼻で体を突き飛ばされ、横に大きく飛んでいってしまい、彼は土俵の外で腹を打った。それでも、彼の視線は残された一人の方へと向いていた。

 由依はタプが自分に意識を向けていなかったその刹那を捉えると、もう一段階力を込め、押し出していく。その桃色の体を、遂に土俵の縁のすぐ側まで追い込んで。四つ足が地面を擦るようにして跡を作り、その跡さえ踏み締めながら彼女は全身全霊で前に進む。土俵に一人残されたゆえの矜持、背後に無数にある引きずられたり、踏ん張ったりした四人の足跡を背負いながら。


「……タプ!タプ!」


「ウチ……いけ、このまま、いっけぇぇぇぇぇ!!!」


 額に流れた汗が白黒マーブルの肌を煌めかせる。叫声と共に動き出した体は何か技を入れ込むこともなく、ただ愚直に力でそのまま押し込んでいった。勢いのまま土俵から弾き出されたような一人と一匹は、タプが背中をつけた後に、由依も地面に倒れ込んだ。彼女は、四肢を大きく広げるようにして。


「押し出した……。ウチ、押し出せた……!」


 彼女のお腹にタプがぴょんと飛び乗る。負けはしたが、対戦出来たこと自体が嬉しかったようで、変わらずともその場で鳴き声を上げながら何度も跳ねていた。彼女は体を起き上がらせ、そんなタプのことをまた笑顔で撫でた。



「いや〜……まさか勝てるとはね〜」


 体を揺らしながら、こちらに語りかけてくる由依。声がする場所が安定しないのは、今彼女がタプの上に乗せてもらってそこらを闊歩しているからだった。


「ま、まあ、最後は時原さん一人でほとんどやったみたいなもんだけど……」

 

「そんなことないよ睡っち!みんなのおかげだよ」


「というか……私達なんでこんなことしてたんだっけ。早く南東に向かわないと」


「この前も言ったが、南東には十キロメートル行っても何もないぞ。またあの地獄の数十時間を過ごすのか」


「それは、まあ確かに嫌だけど……」


 九華がまた長らく頭を捻ろうとした矢先だった。


「それならさ……タプちゃんに乗せてって貰えばいいじゃん?」


「……え?」


 遅れて、想汰が立ち上がる。


「なるほど……!それに乗っていけば、確かに格段に探索のスピードを上げられるぞ!」


「俺も賛成!またあのなっがい道を歩くのは正直二度とごめんだ」


「いや、賛成というかそもそもあいつ、由依さん一人乗ってるだけで精一杯じゃない。私達が乗ることなんて出来ないでしょ」


 そう言うと、突然由依を乗せたタプは彼女の元へと近づいてきた。何よ、と困惑していると、足元でまた地面を掘るようにして文字を書いている。今度は、で、き、る、よ、と書いて。


「タプちゃん、フォームチェンジ!」


 彼女の掛け声で、タプの胴体が突然後方に勢いよく伸びた。前足二つ、後ろ足二つの間隔が異常に広がっており、先ほどまで由依一人でいっぱいになっていた背中が、悠に寝転がれるほどのサイズへとまさに形態変化した。


「な、何なのよこれ!」


「よくわかんないけど、でもみんなが乗れるからいいっしょ!さあ、乗って乗って」


 促されるままに、三人はそのタプの伸びた背中へとまたがっていく。由依に先頭を譲ってもらった九華はなんとなくタプの顔を見て、会釈してから乗車すると。


「そ、それじゃあ、新聞部出発!目的地は南東方面よ!」


「うっし!」


「了解」


「イエッサー!」


「タプー!」


 九華が合図と共に、手で前を指す。その瞬間、タプは大きな鳴き声を上げると、ぴょんと後ろ向きに飛び、そのまま足を蹴るようにして勢いよく大地を駆け出した。

 そのあまりの速度に、思わず体が持っていかれそうになる。徒歩なんかとは比べ物にならないほど、周囲の景色が即座に自分の後ろへと流れていく。


「おわあああああ!」


「ちょ、速!落ちる落ちる!」


「なんか、酔いそうだな……」


「はや〜〜〜い!!!たっのし〜〜!!!」


 全身に風が吹いてくるのを感じる。時々聞こえてくる風切り音が、全くと言っていいほど変わらない世界を見るよりも、自分達が凄まじいスピードで走っているのだと自覚させてきて、また体が右に左に、はたまた上下に揺れる。


「想汰!レンズを開いて!この速さで見逃すんじゃないわよ!」


「ああ分かってる!分かってるからあまり騒がないでくれ」


 想汰が腰のスイッチを押し、顔の中心をせり出させる。体を右に傾け、地平線の先を見ながら、四人と一匹は段々と加速をしていく。その効果はやはり絶大で、数分もしたら、昨日は数時間もかかってしまった十キロメートルを余裕で走り終えていた。


「……まだ何も見えないな」


「分かった、続けてお願い。というかこの子がいて、本当に良かったわね……。何も無いところを二十キロも歩くなんて、考えただけで気が遠くなるわ」


 なんとなく揺れにも慣れてきた感覚があり、自分の膝に肘をついて頬杖をつく。タプの耳を手でなんとなく撫でながら、あくびをする余裕さえ出てきて。


「あ、あの一個思い出したことがあるんだけど……」


「何よ睡方、言ってみなさい」


「俺が吹っ飛ばされた時にさ、なんとなくその今進んでいる方向側の景色が見えたんだけど。そこ、めっちゃ建物が並んでて、それに……」


「それに?」


 沈黙が続き、彼の次の一言を待つ。そうすると、突然彼は頭を押さえ出し。


「うっ……!うあっ……!?いった……!」


「ど、どうしたの睡っち!?」


「頭が……痛い……!」


「よく騒ぐわねあんた……。先が気になってしょうがないんだけど」


「……ああっ!くっ……!」


「……だ、大丈夫?」


 余りにも唸り声を上げて体を捩らせるものだから、九華も振り返り、心中の心配を思わず漏らす。眉を下げて見ていると、彼は頭を押さえるために乗せた手をゆっくりと前を向けて、絞り出すように訴えかける。


「み、右……!」


「え?」


「右に曲がって……!」


「だ、だめよ。進行方向を外れてしまうわ」


「お願い……!呼ばれてるんだ……!多分……!」


 グッと腕を掴まれる。睡方とはいえ、雄々しい力強さを腕に感じて九華は思わず動揺する。昔から、彼の勘は当たる。そんなことを思い出すと、しゃがれた声で何回も訴えかけてくるその真剣な眼差しに根負けして、彼女はそっと腕を引き剥がし。


「わ、分かったわよ!タプ!右に曲がって!」


「タプ!」


 元気の良い返事と共に、勢いゆえか少しドリフトするようにしてタプは旋回する。地面に跡をつけながら、今度は直角に足跡をつけ始めると、また加速度的に突進を始める。


「はぁ……。はぁ……。収まった……」


「もう、怖がらせないでよ……」


 ごめんごめん、と謝罪を繰り返す睡方。その二つ後ろで安堵する由依。挟まれた想汰が、レンズを手で回していると。


「きた!やっと見えた!」


「ほんと!?」


「ああ。しかもこれまでの比にならない建物の量だ。……!」


 想汰が沈黙を見せる。同じパターンに眉を顰めて、九華は当てつけのように後ろを振り向いて口を開く。


「今度こそ何よ!?急に黙って」


「……来てる。何かが空を飛んで、こっちに」


 その言葉で、もう一度前を見る。視界の先でぼやけていた地平線が、段々と粒になって形を帯びていく。この世界に来て、また初めての感覚。

 都市だ。大小様々な建物がざっくばらんに立ち並んでいる。規模はそこまで大きくなく、一つの区ぐらいの更に一部というような大きさ。全てが風句二の家のように白化しており、表面は地面と同じような凹凸のある灰白色(かいはいしょく)の石のようなもので包まれている。そして、その上空を飛んでいる何者かの影がこちらに向かっていることも肉眼で捉えられるほど近くなって。


 その姿は、白いワンピース、いや白い布で体を覆い隠すようにしている翁。薄橙の肌の手足、顔が見えており、自分達が人間だった時の姿に非常に近い。髪の気配がない丸まった顔の上部には、フィクションのような黄色い輪っかが原理不明で浮いており、総じていわゆる天使のような格好だった。

 彼はその背中に大きく生やした白い翼で進んでいる自分達の上を飛ぶと、徐々に降りてきて見下ろすような形で高らかに呼びかけた。


「待っていたぞ……。かの神分(しんぶん)に選ばれし子らよ……」


 腹から絞り出すような渋い声とは対照的に、彼は両手を広げると自分達に向かって深くお辞儀をした。

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