第5話 悪党を狩る悪
深夜二時、領主邸西側にある部屋。
ランプ一台だけが灯る薄暗い部屋の中では、夜間警備に従事する二人の騎士がカードゲームと酒を楽しみながら時間を潰していた。
「はい、俺の勝ち!」
「だぁぁ! もう一回だ!」
負けた男はテーブルに銀貨を二枚叩きつける。
もちろん、これは自分の金じゃない。
過去に捕らえた難民から奪った金の残りだ。
「明日はもっと良い酒が飲めそうだな」
「言ってろ。取り戻してやる」
勝った男が散乱するカードを集めだすと、廊下から「カシャン」と何かが割れる音が聞こえてきた。
「なんだ?」
「お前、見てこいよ」
負けたんだから、と男は仲間を廊下へ行かせる。
男が部屋を出て行ってから数十秒後――鼻歌交じりにカードをシャッフルする男の背後に黒い人影が一つ。
「ガッ!?」
直後、男の喉に細い棒が生えた。
男の背後から喉を突き破ったのは火かき棒だ。
鋭い先端が喉を突き破り、男は声にならない悲鳴を上げながら喉を掻きむしるがどうにもならない。
「………」
絶命した男の首が力無く垂れると、廊下の様子を見に行っていた者が部屋に戻ってくる。
「廊下に飾られていた壺が割れて――おい、どうした?」
薄暗い部屋の中で奇妙な状態になっている仲間に近付き、彼が「殺されている」と認識した瞬間。
「っ!?」
側頭部にナイフが突き刺さる。
ナイフを突き刺した黒い影は刃先で頭の中をかき混ぜるように手を動かし、傷口がより酷くなるよう乱雑にナイフを引き抜く。
頭の中をシャッフルされた男は床に倒れ、それを見届けた黒い影は部屋を後にした。
――屋敷の東側
屋敷の東側にある部屋で仮眠を取っていた男は尿意を感じて目を覚ました。
目を擦りながら大あくびをして、ベッドの傍に置いてあった酒瓶を掴む。
一口だけ酒を飲んだ後、廊下に出てトイレへ向かう。
「……あれ?」
廊下の途中にあったトイレには鍵が掛かっていた。
ドアノブを回し、ノックをしても中から返事がない。
「寝てんのか?」
仲間がトイレの中で寝落ちしているのだろうか? と。
彼らが夜間警備を行う上で、誰かがトイレの中で寝落ちしてしまうのはよくあること。日常的なトラブルと言える出来事だ。
「チッ。反対側の使うか」
故に彼は屋敷西側にある別のトイレに行こうとドアの前から立ち去る。
ドアの向こう側には三人の死体が詰め込まれていることに気付かないまま。
そろそろ尿意が限界になってきたのか、男は早足でエントランスに続くドアを開けた。
「ん?」
エントランスの天井に何かある。
天井に取り付けられたシャンデリアから、何か大きなモノが垂れさがってユラユラと揺れている。
薄暗いエントランスではその正体が分からず、男はゆっくりと近付いて行くと――
「なっ!?」
シャンデリアに引っ掛かっていたのは仲間の死体だ。
口から血を流した跡がべったりと付着する死体は、片足にロープを巻かれた状態でシャンデリアに吊るされていた。
それはまるで処刑された罪人が見せしめのために晒されたような光景。
男は仲間の死にざまを見てぶるりと背を震わせると同時に、股間に温かな液体が漏れ始めたところで……。
「ぎッむぐッ!?」
腹に何かが突き刺さる。
激痛が走った瞬間、男は背後から口を抑えられて悲鳴をも殺された。
「…………」
男が絶命すると、背中に突き刺さっていた剣が抜かれる。
男の死体が床に落ちると、彼を殺した黒い影はエントランスにある階段を登って二階へと向かった。
◇ ◇
屋敷の二階はグッテン伯爵家が使用するプライベートエリアだ。
部屋の数は五つ。
内、二部屋は当主であるフエト・グッテン伯爵の執務室と寝室。
残り三部屋は子供部屋や夫人の寝室として用意されているのだが、生憎とグッテンは未婚のままである。
使われていない三部屋のうち、伯爵の寝室と隣接した部屋は二階を警備する――いや、眠る自分を守るための騎士を配置する部屋として使用している。
そこから察する通り、フエト・グッテンという男は臆病者である。
魔王戦争中は「如何に自分の領地が戦火から逃れられるか」を念頭に動いており、最前線となっていた他領地がピンチに陥っても領騎士団の二割を向かわせるだけに留めた。
その間、自分はいつでも逃げ出せるように準備したり、必要以上に自身の護衛として騎士を配置したり。
自分が持つ領騎士を消耗させまいと、大袈裟に王都へ報告して前線へ向かわせる騎士を増やすよう頻繁に進言したり。
最前線で戦って散った領主達からは『物資置き場の管理人』だとか『臆病者の豚』と呼ばれていても、保身を重視するスタンスは終戦まで貫き通した。
加えて、もう一つは王都と王都に住まう貴族達に大きなコンプレックスを抱えていることも注目しておきたい。
これに関しては戦争前からだが、グッテン伯爵領は立地的にも中途半端な位置にあるのがコンプレックスの原因だ。
特別な産業もなければ、希少な鉱石が産出される鉱山などもない。
とにかく領地に何も特徴がない。
ただのクソ田舎。ド田舎領地。
昔から煌びやかな毎日を送る王都住まいの貴族達から「田舎領主」と馬鹿にされていたこともあって、フエト・グッテンの腹の中には「いつか王都を見返してやる」という野心の炎が燃え盛っていた。
今回の件も故に、といったところだろう。
煌びやかな王都を見返すためには、自身も煌びやかにならねばならない。
いや、同じじゃだめだ。王都に住まう貴族達以上に着飾らねばならない。
それには多額の金がいる。
だから、彼は悪事に手を染めた。
保身的な性格は法を掻い潜る悪知恵を生み、法の鉄槌を如何に逃れるかを模索し続ける。
ネガティブな性格、腐った性根がドロドロで見るに堪えないヘドロの華を咲かせた瞬間が今現在、といったところ。
ただ、同時に彼は知らず知らずに引き寄せてしまってもいたのだ。
――悪党を狩る悪を。
何も知らないままイビキをかく彼だったが、直後に大きな家鳴りのような音で目を覚ます。
「……なんだ?」
ミシミシとなる異様な音は隣の部屋から。
非常事態に備える騎士達が待機している部屋から聞こえてくる。
どんどんと音が大きくなっていくと、さすがの彼も異変に気付いた。
彼が様子を窺おうとベッドから降りた瞬間、部屋を隔てる壁が盛大に爆発した。
「ぎゃああ!?」
部屋中に飛び散る壁の破片に悲鳴を上げるグッテンだったが、同時に彼は見てしまった。
壁を突き破ったのは人だ。
見えない壁に押し込まれているような二人の騎士だった。
壁を突き破った二人の騎士は寝室の壁に激突するも、未だ見えない何かに体を押し込まれ続けている。
騎士達はパクパクと口を動かすが声が出ず、そのままミチミチと体が推され続けて――破裂した。
「ひ、ひぃぃぃ!?」
人が壁に押し付けられて破裂した瞬間を目撃したのだ。
臆病者が悲鳴を上げながら尻持ちをつくのも無理はない。
そのまま這って部屋を出ようとするも、彼は背後に気配を感じて振り返った。
床を這う自分の後ろに立っていたのは一人の男。
赤い髪を持つ男だ。
男の片手には剣が握られている。
刀身の形状は太めの片刃であり、グリップからガード、刀身が一直線に流れているデザイン。
現代の主流となっているのはガードと両刃の刀身が合わさって十字に見えるデザインなのだが、それと比べれば異質に見えるフォルムと言えよう。
特に目を惹くのはガードの部分で、そこには透明の球体が備わっている。
「ひっ――」
ただ、その特徴的な剣以上に、グッテンを見下ろす男の目は恐ろしかった。
まるで闇夜の中で爛々と目を輝かせる悪魔だ。
「う、うわあああっ!?」
グッテンは小心者故か、一瞬で状況を理解した。
月夜の晩、隣室の壁を突き破って現れたのは自分を殺しに来た者なのだと。
「ひっ、ひっ!」
彼は這うように寝室のドアへ向かい、震える腕でドアノブを捻った。
開いたドアから転がるように廊下へ出ると――
「な、なぁっ、ひっ!?」
転がり出た廊下には騎士達の死体が横たわっており、生気を失った瞳と目が合う。
「あ、あああッ!」
死体を至近距離で見てしまったグッテンはまるで犬のように、四つん這いになって廊下を逃げる。
エントランスに繋がる階段へ向かうも、そこには更なる地獄が彼を待つ。
「う、うわああッ!? な、何なんだ!? 何なんだよォォォッ!?」
そこら中に転がる死体。エントランスのシャンデリアに吊るされる死体。
死体だらけになった屋敷を見て、彼は気が狂ったかのように「嘘だ、嘘だ」と連呼し始めた。
頭を抱えながら現実逃避をしていると、後方から足音が聞こえてくる。
グッテンは廊下に鳴る靴底の音で現実へと引き戻され、遂に自身を追う悪と対峙するのだ。
「お、お前は何者だ!?」
「見りゃわかるだろ? お前を殺しにきた悪党さ」
男はそう言うと、握る剣をくるんと回す。
「わ、私が。私が誰か知っているのか!? この街の領主だぞ!?」
「ああ、知っているとも。地下室に難民を監禁していたことも、彼女達の死体から臓器を摘出して黒商人に売りつけていることもな」
自身の悪事もバレていると知ってか、グッテンの顔色はますます悪くなっていく。
「わ、私を逮捕するのか!?」
「テメェ、耳が悪いのか? 殺しにきたと言っただろ」
男の赤い目からは明確な殺意が滲み出ている。
間違いなく殺されるとグッテンは確信を抱いただろう。
ただ、どんな小心者でも「死にたくない」と思うものだ。
特にグッテンのような人間なら猶更。
「こ、殺せるものなら殺してみろッ!!」
己の中でも最大の自衛手段、魔術を使って男を撃退しようと試みる。
王都にいる超絶エリート集団な王宮魔術師達が評価するならば「並以下」と言うであろう魔術を使って抵抗しようとしたのだ。
並の魔術師よりも格段に遅い魔術式の構築を始め、ようやっと半分まで構築できたところで――グッテンの脚にザクリと剣が突き刺さった。
「ぎっ!?」
悲鳴を噛み殺すように耐えるグッテンの考えとしては「ここで耐えて反撃せねば死ぬ!」だろうか?
しかし、その考えも無駄に終わる。
何故なら、剣が脚に突き刺さった瞬間に彼が構築していた魔術式が霧散して消えたからだ。
それどころか、体内から血が抜き取られるような奇妙な感覚まで覚える。
「あ、が、こ、これは……!」
血が抜き取られているんじゃない。
魔術を行使するために必要な魔力が抜き取られているのだ。
グッテンの魔力を喰らうのは、男が持つ剣。
剣は魔力を喰うと、ガード部分にある透明の球体が徐々に赤みを帯びていく。
「そ、その剣、ま、まさか……!」
その特徴的な剣を間近で見て、彼は剣の正体を思い出したようだ。
魔王戦争中、自領に入り込んだ魔物を排除してもらうために剣の持ち主へ魔物退治を懇願したことも。
同時に名高い剣を実際に見せてもらった日のことも。
「せ、聖剣ヨルムンガンド……!?」
魔物殺しの聖剣。魔物喰らいの聖剣。
様々な異名を持つ聖剣は特別な人物にしか扱えない。
扱える人物は、魔王と相打ちした勇者ただ一人。
「お、お前は、お前は勇者ゼノ!? ゼノ・アイゼンハーグなのか!?」
勇者と呼ばれた男はグッテンを見下ろしながらニヤッと笑う。
「まさか。勇者は死んだだろう? 馬鹿みたいに盛大な葬式までやったじゃねえか」
確かに勇者は死んだ。
大陸に混乱を巻き起こした魔王と相打ちになって。
それに男の髪の色は勇者のそれとも色が違う。
勇者の髪は特徴的な黒髪だ。
「勇者がこんなことするかね? 勇者という絶対的な正義の味方が、法を無視して悪党を直接殺しにくるかね?」
しかし、聖剣ヨルムンガンドを扱えるのは勇者ゼノだけ。
過去も現在も、聖剣は勇者しか扱えない。
勇者という特別な人物が聖剣に秘められた特殊な力を解放しなければ、ただの剣と変わらない。
「じゃ、じゃあ、お前は誰なんだ!? 勇者じゃなければ何者なんだ!?」
勇者じゃなければ扱えない聖剣を持ち、その特殊な能力の一つを使用する男の正体は?
グッテンは激痛を伴う混乱に耐えながら答えを求める。
謎の男が出した答えは――
「悪党さ。お前のような悪党を殺すのが大好きな悪党だよ」
男はニヤリと笑い、剣を更に深く突き刺す。
「いぎゃあああ!?」
グッテンの脚に更なる激痛が走り、同時に魔力を吸う勢いが増していく。
数秒後、グッテンの体に宿っていた魔力は全て喰い尽くされてしまった。
今後一生、彼の体には魔力が宿らない。
魔術とは縁遠い体になってしまいながらも、彼は魔力を失った反動と激痛に耐えかねて気絶してしまう。
気絶したグッテンを見下ろす男――ヴォルフは彼の右腕を脚で蹴飛ばすようにして伸ばす。
脚から剣を引き抜くと、今度は剣を逆手に持ちながら両手で握った。
狙うはグッテンの右手人差し指。貴族の証である『紋章指輪』のはまる指だ。
「最後の現実逃避を楽しみな。もうお前は地獄から逃れられない」
ヴォルフは剣でグッテンの指を切り落とした。
ここにグッテン本人がいたという証拠を残し、気絶した本人はヴォルフが回収するのだ。
しんと静かになった屋敷の中、ヴォルフはグッテンを引き摺りながら大胆にも玄関から屋敷の外に出る。
「終わったか」
「ああ」
玄関の外で待っていたのはフリードだった。
ご丁寧にも輸送商会がよく使う幌馬車を用意して。
ヴォルフは馬車の荷台にグッテンを押し込むと、フリードと共に御者台へ座る。
「リクエストしてもいいか?」
「なんだ?」
ヴォルフの問いにフリードが頷くと――
「こいつの最後は腹を割いて狼に食わせる」
ヴォルフはグッテンの最後を指定した。
「了解だ」
フリードはその提案に頷き、馬車を走らせる。
二人と一人の罪人が乗った馬車は宿屋『フリーロック』へと向かい、宿屋の地下室ではグッテンへの悪党らしい苛烈な尋問が始まった。
――数日後、近くの山へ狩りに出た猟師が狼に食い荒らされた男の死体を見つけたという。