第3話 元勇者の仲間 1
魔王が周辺国に宣戦布告し、魔王戦争が勃発する一ヵ月前。
クエントリカ魔王国の王――魔王ジュリアルド・クエントリカは周辺国が共同で開催している平和式典に参加していた。
その時の彼は確かに人の姿であった。
しかし、クラナダ王国の勇者――ゼノ・アイゼンハーグが討った魔王は人とは思えぬ姿だった。
『…………』
体の半分以上が黒い肉に変異しており、胴体は異様なほど膨らんでいた。しかも、至るところから骨らしきモノが肉を貫いて飛び出している。
頭部と首は変異していないものの、それらは肩から生えていて、両方の腕は肥大化しながら枝分かれして六本に。
下半身は強靭な鱗を持つヘビのような形状に変異していた。
「…………」
至るところに傷を負い、上半身と下半身が千切れた魔王は地面に倒れている。
彼は自分を見下ろす勇者を見上げつつも、口からはヒューヒューと息を漏らす。
瀕死になった魔王を見下ろす勇者の顔には悲痛な表情が浮かび、奥歯を噛みしめる彼は額に浮かぶ汗と共に黒髪をかき上げた。
そんな彼に、魔王は懇願するのだ。
「コロ……し、て……。も、もう……ワ、ワタシ、は、だ、誰も、殺したく……ない……」
終わらせてくれと。
勇者にトドメを刺すよう懇願した。
「どうして……。どうしてこんなことになっちまったんだよ……」
勇者は両手で剣を振り上げる。
納得していないまま、自分が見たものを信じられないまま、勇者は魔王の願いを聞き入れるしかなかった。
「俺が始末をつけてやる。必ず」
勇者の言葉を聞いた魔王は、静かに頷いた。
◇ ◇
「――さん、お客さん! 街に着いたよ!」
俺は老人の声を聞いて目を覚ました。
どうやらワイバーン便のキャビン内で眠ってしまったらしい。
「すまない、つい気持ち良くて」
ワイバーン便は名の如く、ワイバーンに人が乗るキャビンを括り付けて空を移動するのだが、移動中の振動が俺にとってなんとも心地良い。
何故か毎度毎度眠くなってしまうんだよな。
「吐かれるよりマシさ」
騎手も兼ねるワイバーン調教師の老人に謝罪すると、彼は肩を竦めながら言った。
彼に代金を払ってキャビンを出ると、目の前には大きな街の景色が広がる。
現在地はクラナダ王国西部グッテン伯爵領領主街――の、ワイバーン便発着場だ。
街の東側端に作られた発着場からの景色を見て抱く感想は「実によく整備されている」だろうか?
元々補給支援の要として使われていた街だが、それでも戦争中にノーダメージとはいかなかった。
最前線をすり抜けた魔物がグッテン伯爵領内を荒らすこともあったし、領主街が直接襲撃されることだってあったのだ。
戦時中に訪れた際はもっと街中が荒れていたし、崩れた建物はそのまま放置されている状態だった。
宿や商会なんてものもまともに営業しておらず、家を失った住民がテント暮らしを続けている光景も珍しくはなかったのだが。
「随分綺麗になっちまって」
東区を貫くメインストリート沿いを歩いていると、そんな景色は幻だったんじゃないか? ってくらい綺麗な街並みだ。
住宅は最近流行りのアパート物件が建ち並び、一軒家に関しては街並みを揃えるために形や屋根の色が統一された造りになっている。
こういった景色は王都にしかないと思っていたが、復興を切っ掛けに最新の建築様式を取り入れようって領主の思惑が窺える。
「商会も結構出店してんだな」
住居だけじゃなく、商会の建物も最新式といったところ。
店の中がよく見えるよう一部はガラス張りになって人の目を奪い造りになっているし、なによりメインストリート沿いに構える店はどれもクラナダ王国内では有名な商会ばかり。
「おっと」
そんな有名店の中でも俺の心を射止めたのは、王都発祥の菓子屋だ。
『トット菓子店』
この店だけは昔ながらのレンガ造りで、ガラス越しに綺麗な店内を見せようって気が全くない。
店名を描いた看板も木の板というオールドスタイルだし、むしろそれだけでも十分に客を引き込めると自信さえ感じられる。
「まぁ、その通りなんだがね」
ここのクッキーは絶品だ。
普段聞き分けのいいイヴが珍しく「もっと食べたい」と身振り手振りでワガママを言うくらいには。
「帰りに土産として買っていくか。イヴのやつ、きっと飛び跳ねて喜びやがるぞ」
店の場所を心のメモに書き込みつつ、俺は再びメインストリートを中央区に向かって歩き出す。
中央区と称された噴水広場に到着すると、噴水を背に立ちながら周囲を眺めた。
広場の周囲には高級宿が並んでおり、その横には貴族や豪商が好むような高級酒場まで。
これらが街の中心を彩る顔になっているようだ。
「南は……。普通だな」
街の南側は普通。
平民達が住む区画は平民街なんて言われることもあるが、先ほど歩いていた東区よりもワンランク下がるような街並みになっている。
建物の統一感が無く雑多な感じ、と言えばいいだろうか。
次に噴水越しに北へ顔を向けると、今度は東区よりもワンランク上の街並みに変わる。
綺麗に整えられた石畳みの道沿いにはランプを吊るした街灯が等間隔で並び、更には外から持ってきて植えたであろう木々までもが景観に加えられている。
自然と最新の建築様式を織り交ぜた次世代の街並み――完全に王都を意識していると断言できるほど景観が似ていた。
「王都にコンプレックスでもあんのか? 向こうの北メインストリートと瓜二つじゃねえか。貴族のババアが毎朝優雅に本を読んでたベンチの色まで同じだ」
あるいは、今後観光地としてやっていこうとでも領主は思っているのだろうか?
西に進めば戦争の傷跡が残る『地獄の最前線跡地』があるってのに、観光客なんざ来るのかね?
田舎モンなら偽物の王都よりも本物に行きたがるだろ。
「よくわからん街だな」
今のところはそんな感想を抱くが、ここから俺の感想はどう変化していくのか。
「お前はどう思う?」
近くのベンチに座って新聞を読む男――茶の短髪に動きやすい服、それでいてあまり目立たたない風貌を持つ男に問いかけた。
「恐ろしい欲望に支配された街だよ、ここは」
新聞を畳んでそう言った男の名はフリード。
緑の瞳を持つ彼は秘密結社『青目の監視者達』の筆頭エージェントだ。
「久しぶりだな、ヴォルフ」
「おう」
ただ、もっと驚きの肩書は『元勇者の仲間』というところだろう。
元々義賊であった彼は観察眼と優れた身体能力、危機察知能力を活かした偵察役として活躍。
対魔物戦においても有利状況を作るために欠かせない仲間だった、と他の仲間達も口を揃えて評価する。
「早速だが本題だ。この街で起きた事件について、お前はどこまで掴んでる?」
「まずまずってところだな。現場を見ながら話そう」
そう言った彼に案内されたのは街の西区だ。
他の区画と違い、西区は別世界なんじゃないかってくらい違う。
良い方向にじゃなく、悪い方向に。
西区は未だ復興の手が入っていないのか、昔見た光景そのままだった。
壊れた建物や瓦礫が放置されたままになっており、西区に暮らす人達は未だテント暮らしを続けているらしい。
「まるでスラムだな」
道端に座るボロを着た子供、屋根が無い建物の影に潜む大人達。
身に着けたボロの隙間から見える銀の刃。
子供で同情を引いたところで……って作戦かね。
こちら側は随分殺伐としているじゃないか。
「未だ戦時中なんじゃないかって勘違いしそうになる光景だよ」
そう言ったフリードは指でコインを弾くと、宙を舞ったコインが子供の前に落ちた。
子供はそれを両手で掴むと、一目散に逃げていく。
その奥にいた大人の顔には緊張感が浮かんでいたが、俺が「チッチッチッ」と舌を鳴らして警告してやった。
「こんな場所なら死体を捨てるのに好都合だと思わないか?」
周囲に目を配るフリードが言った。
「まぁな。悪漢に殺された、と思われても無理はない。ただ、それは遺体が普通だったらって場合だろう?」
だが、遺体には拷問の跡に加えて臓器が失われていた。
「ここに人喰いの化け物が潜んでるってんなら話は別だが」
「まさか。本物の化け物は死体をゴミ箱に入れるほど行儀良くないだろ?」
いるのは貧しい暮らしの人達だけだ。
案内役のフリードは肩を竦めながら言うと、何個目かの路地にあったゴミ箱を指差した。
確かに本物の化け物――魔物は死体をゴミ箱なんぞに入れない。
ゴミ箱に入れるどころか、人を骨まで喰らっちまうんだからな。
「捨てられていた死体は四つ。これは先週の話で、新たに収集した情報によると二週間前にも三つの死体が捨てられていたらしい」
それらも同じく拷問の跡と臓器が失われていた。
「失われていた臓器に共通するのは心臓だ」
抜き取られた臓器は様々だが、共通してどれも心臓が無くなっていたという。
「魔人の心臓ね」
俺もフリードも抱いている感想は同じだろう。
いよいよって感じだ。
「ただ、俺達が追う犯人じゃない可能性もある。他にも使い道があるって話、知っているか?」
フリードは言葉を続ける。
「昔、魔人の心臓は不老不死の薬を作る材料になるって言われていたらしい。黒魔術ってやつだ」
俺は彼の指摘に「ああ」と頷いた。
「聞いたことはあるが、かなり昔の話だ。俺達のひいひい爺さん世代で流行った話だろう? 今は国際的に禁じられている黒魔術が堂々と研究できた時代の話だ」
今回の事件を起こした犯人は、禁忌の技術を探求する黒魔術師。
これが別の可能性。
「魔王戦争が起きる前、黒魔術信仰組織が摘発されたって話が流れたよな?」
まぁ、黒魔術信仰組織も別の意味で厄介っちゃ厄介なのだが。
「ああ、あったな。でも、戦争の混乱に乗じて活動再開した可能性もあるんじゃないか?」
ただ、ここ最近は黒魔術信仰組織が何か事件を起こしたって情報はない。
「それじゃ次。ここの領主は魔王国の難民受け入れに積極的だ。何故だと思う?」
フリードは肩を竦めたあと、街の北側を指差す。
彼の問いに考えを巡らせる。
浮かんだのは妙に復興の手が偏っていること。
加えて、北区だけが他の区画よりも特別整っていること。
彼の口ぶりから察するに――
「……支援金目的?」
「俺もそう睨んでいる」
難民の受け入れを行った領地はクラナダ王国と他同盟国が共同で捻出する難民支援金が受け取れる。
難民を受け入れてくれる代わりに彼らの腹は国が満たしますよって制度だ。
「それに加えて、この街には最前線指定地域だったから復興支援の金も入ってくる。たんまりと。まともな領主だったら西区はこうなっていない」
そういった支援金を正しく使っているのであれば、ボロを着た子供が道端に座っているなどあり得ない。
「今月で終戦宣言から半年経つが、グッテン伯爵領の復興作業は終戦宣言前から始まっている」
――魔王戦争勃発から勇者が魔王を討つまでの期間は一年と三ヵ月。
その後は実情が不明確な魔王国内の調査と生き残っていた魔物の討伐に九ヵ月を要した。
戦争勃発から二年経過したところで、クラナダ王国と同盟国は正式な終戦宣言を行った。
ただ、魔王国内を調査している九ヵ月間もクラナダ王国西部の一部は復興が開始されており、グッテン伯爵領もその一つである。
フリードが言った通り、一年以上もの時間があって未だ西区だけ手付かずなのはおかしい。
復興の兆しさえ見えていない状態だ。
「加えて、ここの領主は随分と羽振りがいいらしい。一目姿を見たが、王都住まいの上級貴族かってくらい煌びやかだったよ」
地方貴族には似つかわしくない身なりに対し、フリードは「昔のクセが出そうだった」と鼻で笑う。
「あれだけ私腹を肥やしているなら、もっともっとと欲深くなる――ってのが、経験上のセオリーだ」
義賊として生きてきた男の勘が怪しいと音を鳴らしているようだ。
「……支援金を受け取る。その上で受け入れた難民も『再利用』する、と?」
暮らすに困った難民を受け入れるが、それはあくまでも支援金を得るため。
難民の世話はしない。それどころか、受け入れた難民を二次利用する。
その結果が発見された死体――というのが、俺達の推測だ。
さて、犯人と思われるグッテン伯爵は俺達が追う『黒幕』に繋がっているのか否か。
「次は情報をくれそうなやつに会おう」
そう言ってフリードは再び歩き出した。