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第1話 独身男性と少女、二人暮らし


 朝が来た。


 カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて、俺――ヴォルフの意識は覚醒していく。


 カーテンを開けて窓の外を見ると、長閑な村の景色が飛び込んで来た。


「……今日も変わりないか」


 世の中は仮初の平和を有難がっているが、平和な時だろうが戦争中だろうが朝は変わらない。


 変わるのは気分だけ。


「……ふぅ」


 ただ、毎日ベッドで眠れることだけは有難いと思える。


 戦争中はそれどころじゃなかったし、ゴツゴツした岩場で眠ることも強いられたのだから。


 そんな日々に比べたら遥かにマシな朝だ。


「よし」


 俺はベッドから出ると、まずは洗面所へ向かう。


 冷たい水で顔を洗って頭をシャキッとさせると、顔を拭きながら鏡の中にいる自分を確認する。


 赤い髪に赤い瞳。ついでに万年不機嫌そうな悪い目つき。


 朝が弱いから目つきが悪くなっているんじゃなく、顔も知らない親に貰った顔がそう作られているだけだ。


 親父とお袋、どちらかが目つきの悪いヒューマンだったのだろう。


「……チッ」


 赤い髪の根本が黒くなってきている。


 面倒だ、また染めなおさないと、なんて考えながら洗面所を後にした。


 次に向かったのはダイニングキッチン。


 コンロにフライパンを置いて熱した後、オリーブオイルを敷いてから卵を二つ投入。


 卵の脇にベーコンを四枚置いて、弱火にしてから蓋を閉めた。


 全くもって技術の進歩というのはありがたい。


 数年前までは薪を使って火を起こしていたが、今じゃ錬金術を用いて開発された魔道具のボタンを押せば火が付く時代だ。


「おっと、パンを焼かないと」


 買い置きしておいたパンを三枚切って、オーブンの中にぶち込んだら後ろを振り返る。


「イヴ! そろそろ起きろ! 朝飯だぞ!」


 ダイニングから奥へ続く廊下に向かって叫んでから五分程度、ようやくドアが開いた。


 廊下に姿を現したのは、白銀の長い髪に爆発現場のような寝癖を付けた少女。


 見た目は八歳くらい。正確な年齢は分からないから「くらい」だ。


「…………」


 パジャマ姿の彼女は眠そうに目を擦りながらトテトテと歩いてくる。


 彼女を見た者は誰であっても『可愛いお嬢さん』あるいは『天使のように可愛いお嬢ちゃん』と呼ぶだろう。


 それくらい(ツラ)は良い。非常に整っている。


 仲間の言葉を借りるなら、イヴの顔面は『完璧に調和のとれた美』といったところ。


 将来は世界中の野郎共を惑わし、魅了された野郎共は彼女の隣に立つ権利を得ようと血みどろの戦いを繰り返すこと間違いなしだ。


 ただ、彼女は他の子供と違って稀有な身体的な特徴を持つ。


 彼女は病的なほど肌が白い。


 雪のような肌と白銀の髪を持つ、ちょっと訳ありの子供だ。


「…………」


 ダイニングの入口に突っ立って、金色の瞳でじっと俺を見つめてくる彼女。


「先に顔洗って来い」


「…………」


 毎朝変わらないセリフを口にすると、イヴは無言で頷きながら洗面所へ向かっていく。


 開けっ放しのドアから見えるのは、自分用の踏み台を用意してから顔を洗う姿。


 彼女は他の子供とだいぶ違うかもしれないが、俺からすればどんな子供(ガキ)だろうと子供であることには変わらない。


 常に騒いでうるさい子供もいれば、イヴのように全く喋らない子だってただの子供。


 肌が白かろうが、白銀の髪が神々しく見えようがね。


 まぁ、神々しい髪は爆発しているけどな。


 今朝はいつも以上に酷いありさまだぜ。


「…………」


 顔を洗い終えたイヴは自分の席に黙って座る。


 まだ眠そうな目をしているが、いつものように子供用フォークを握って準備万端。


 こういう姿は他の子供と変わらない。


「よし、出来た」


 皿にパンとベーコンエッグを乗せたら彼女の前へ持っていく。


 次は冷蔵庫から村一番のバター職人、スコット爺印のバターと牛乳の入った大瓶を取り出す。


 牛乳をコップに注いでやると、イヴは真っ先にコップを手にした。


 目覚めの一杯を飲んでから飯に手を付けるのも、彼女なりのルーティーンである。


「どうだ。今日の目玉焼きは過去最高傑作だ。黄身の焼き加減がパーフェクトだろ?」


 塩をぶっかけてからフォークで黄身を潰すと、トロッとした部分と固くなった部分が『6:4』の割合になっている。


 これぞ、俺の考える最高の焼き加減。


「…………」


 イヴも無言で黄身を潰して、その焼き加減を確認してから小さい口で頬張り始めた。


 今日も口をリスみたいに膨らませながら元気に食ってやがる。


「美味いか?」


「…………」


 彼女は無言で頷いた。


 どうやら今日の焼き加減はお気に召したらしい。


「今日は手紙を書いたら夕飯の種を獲りに行こう。今夜は魚だ。魚釣りだ」


「…………」


 イヴはパンに齧りつきながら無言で頷く。


「魚が釣れなかったら夜もベーコンエッグだ。同じメニューが嫌なら気合入れていけよ」


「…………」


 次の頷きは少々深かった。


 気合を入れている証拠だ。


 ――彼女は普段から喋らず、感情も顔に出さない。


 しかし、一年以上も一緒に暮らしていればわかるようになってくるもんだ。


 本当は豊かな子なのだと。


 あるいは、俺との生活で感情が芽生えつつあるのかな。


 どちらにしても、二十八の男と暮らす少女に多くを求めるのもよろしくない。



 ◇ ◇



 昼過ぎ、俺はイヴと共に家を出た。


 俺はクラナダ王国中央部の王領内にある小さな村――スゥエン村に住んでいる。


 住み始めたのは魔王戦争終結後からだが、俺とイヴはすっかり村に馴染んでいると言えよう。


「おう、ヴォルフ。イヴちゃんと釣りか?」


 家を出てから川に向かう途中、声を掛けてきたのは白髭の老ドワーフ。


 未だ現役と豪語する鍛冶師のコンツィ爺様は、肩で槌を担ぎながら手を振っていた。


「今日の晩飯を獲りにね」


「そうか、釣れるといいな!」


 コンツィ爺様は豪快に笑いながら鍛冶場へ向かっていく。


「おや、ヴォルフにイヴちゃん。こんにちは」


 次に声を掛けてきたのは、軒先で掃き掃除をしていたパン屋の女将バーバラさんだ。


 彼女の種族はミノタウロス。魔人に分類される種族である。


 元女傭兵ということもあって、半袖シャツから露出する腕は未だムキムキだし、腕には大きな傷跡が残っている。


 恐らく、彼女は体中に傷を持っているのだろう。


 今は旦那とパン屋を経営していて、毎日幸せそうな姿を見せてくれる女性だ。


「バーバラさん、釣りを終えたらパンを買いに行くよ。ついでにスコット爺の牛乳とチーズも欲しい」


「あいよ! 用意しとくよ! ああ、そうだ!」


 バーバラさんは「ちょっと待っといて」と言って店の中に引っ込んでいく。


 戻ってきた彼女の手には小さな袋が握られていた。


「ほら、イヴちゃんのおやつに持っていきな」


 中身はイヴの好きなラスクだ。砂糖たっぷりのやつ。


「悪いね」


「いいの、いいの。私達が食べる分のついでだから」


 バーバラさんがラスク入りの袋をイヴに差し出すと、彼女の白い肌が若干ながらピンクに染まる。


 その上、鼻息を荒くしながらじっとバーバラさんを見つめるのだ。


「ほら、お礼しろ」


「…………」


 イヴは深く頭を下げた。


 それを見たバーバラさんは彼女の頭を優しく撫でる。


「気を付けて行っておいで!」


 おやつを貰ったイヴはすっかり足取りが軽くなり、ラスク入りの袋を掲げながらスキップするように歩く。


 川に行くまで何人もの人に声を掛けられた。


 ヒューマン、獣人、エルフ、ドワーフ、魔人、種族問わずみんなが声を揃えて「今日のイヴちゃんはご機嫌だね?」と笑っちまうくらいだ。


 ――この村は百人程度しか住んでいない場所だが、人と人との繋がりが強い。


 他の子供と違った特徴を持つイヴでさえも、ここでは村に住む子供の一人になる。


 だからこそ、俺達はここに住んでいる。


 仮初の平和が続く世でも、心地よく生きていける場所だから。


「ようし、釣るぞ! 準備はいいか!?」


 村の中に引き込まれた川に到着すると、俺達は釣り竿に餌をつけて準備万端。


 川辺に揃って座り込みながら、ヒョイと竿を振って糸を垂らす。


「…………」


「…………」


 釣りの最中、お互いに会話はない。


 俺はぼーっとしながら釣り糸を眺めて、横に座るイヴも無表情のまま釣り糸を見つめるだけ。


 当然、三十分もすれば飽きてくる。


 俺は竿を地面に倒して、そのまま川辺に寝転がった。


「ん、あ~……」


 温かな日差しが気持ちいい。風も冷たくて昼寝には丁度良い気温だ。


「…………」


 寝転がって目を閉じたところで、チョイチョイと服の裾が引っ張られる。


 イヴだ。


 彼女は視線を俺と竿の間で行ったり来たりさせたあと「糸を見ていなくていいの?」と言わんばかりに見つめてくる。 


「いいんだよ。こういうのは……。のんびりやるのが一番なんだ」


 やる気がないってわけじゃないし、夜もベーコンエッグでいいや、なんてことも思っていない。


 ただ、そこまで必死になる話でもない。


 今日はのんびりと過ごしたいから過ごす。理由はそれだけだ。


「…………」


 そう語ってやると、イヴも竿を地面に置いた。


 次はどうするんだ? と見守っていると、彼女は俺の腹の上に乗ってきやがったのだ。


「俺をベッド代わりにするつもりか」


「…………」


 彼女は無表情まま俺を見て、そのまま目を閉じてしまう。


 まぁ、いいか。


 彼女が落ちないよう手を添えて、俺も冷たい風と心地よい重みを感じながら目を閉じた。


 ――これが俺達の日常。


 仮初の平和の中で謳歌する、俺とイヴの日常だ。


 

 ◇ ◇



『どわー!? こ、これ、どうするんですか!?』


 そんな声と激しく水の跳ねる音で目が覚める。


 周囲に視線を巡らせると、俺の上には未だイヴが寝転んでいた。


 ただ、彼女も声と音に気付いて目を覚ましたらしい。


 ムクリと上体を起こした彼女の顔は相変わらず無表情だが、俺には若干ながら不機嫌そうにも見える。


 さて、声の主であるが――


「ちょ、ちょっと! ヴォルフさん! 釣り竿二本は無理ですって!?」


 慌てながら両脇に釣り竿を抱えるように持ち、川の中で大暴れする魚と激しい戦いを繰り広げるのはエルフの男性。


 品の良い白シャツと灰色のベスト、首には赤色のネクタイも巻いて。


 エルフらしい実に整った顔には小さなメガネを掛けている。


 こいつの名はサイモン。


 サイモン・メリービル。


 クラナダ王国王都一の大商会『メリービル商会』を経営する、名の通った商人だ。


「見てないで助けて! ヴォルフさんでも天使ちゃんでも、どっちでもいいから! 一本持って下さいよ!?」


 魚に対して慌てふためく姿はとても王都一の大商人には見えないが。


「わかった、わかった――」


「ひぃぃぃ!?」


 イヴをどかして立ち上がろうとした時、サイモンが川に引っ張り込まれた。


 王都でも名高いやり手の商人は、その見事な服をずぶ濡れにしてしまう。


「魚に力負けするのは信じられないが、竿を離さなかったのは偉い」


「で、デカいんですって! 早く助けて!」


 エルフの中でも一際軟弱な彼であるが、掛かった魚が大物であると確信が持てる。


 しかも、二匹。


「イヴ、今夜は腹いっぱい食えそうだぞ」


「…………」


 俺は無言で頷くイヴの頭を撫でると、俺は川の中に入っていく。


 サイモンから竿を二本任されると、力任せに掛かった魚を釣り上げた。


「大物だ。こりゃ、本当に今夜はごちそうだな」


 ここは川じゃなくて海だったのか? と錯覚しちまうくらい大物だぜ。


 釣り上げた魚がピチピチと跳ねる。


 イヴはそれを興味深い目で見つめ、ツンツンと魚を触り出した。


「んで? 今日はどうした? 注文した物を届けてくれたのか?」


 ハンカチで顔を拭くサイモンに問う。


 仲間である彼は村にある『メリービル商会スゥエン村支店』経由で注文すれば、店に置いていない商品も直接届けてくれる。


 もちろん、相応の金は払わないといけないが……。


 だとしても、小さな村でイヴと暮らす俺にとってはありがたい存在だ。


「それもありますが、興味深い情報も持ってきました」


「へぇ。どんな?」


 俺が問うと、サイモンは眉間に皺を作りながら口を開く。


「とある街で魔人の死体が捨てられていたそうです。それも複数体」


 なるほど、それは実に興味深い話だ。


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