木目
白い壁の部屋、黄色い部屋、赤色の部屋。このまま単色で続けようと思った矢先……
木目の部屋
## 第四部:木目の部屋
「山田さん、こちらへどうぞ」
赤坂の後に続いて歩いていると、突然、赤い廊下が終わり、木の扉が現れた。オーク材で作られたその扉には、「リカバリー・スペース」と彫られている。
「ここは...?」
扉を開けると、そこは信じられないほど普通の空間だった。壁は優しい木目調のパネルで覆われ、床は無垢の木の温もりが感じられる。赤の部屋の刺激的な雰囲気から一転、ここは穏やかな木漏れ日のような柔らかさに満ちていた。
「あなたの顔色があまりよくありません。バイタルデータも変化が見られます」と赤坂は言った。「データ収集を続けながらも、回復の時間が必要だと判断しました」
部屋の中央には小さなカフェスペースがあり、数脚の木製の椅子とテーブルが配置されている。壁際には本棚、窓の近くには観葉植物。すべてが自然の木目を活かしたデザインだった。
山田は無意識に深呼吸をした。木の香りが鼻腔をくすぐる。それだけで、これまでの緊張が少し緩んだ気がした。
「ここでは好きなだけ休んでください。食事も飲み物も、望むものを提供します」赤坂はカウンター越しのスタッフに目配せした。「時間制限はありません。あなたが必要なだけ、ここにいられます」
山田は鏡を見て驚いた。顔色が悪い。目の下にクマができ、肌は乾燥して血色が悪い。そして何より、髪が部分的に白くなっていた。
「これは...」
「能力の副作用です」赤坂は静かに説明した。「クロマ感応は精神だけでなく、身体にも大きな負荷をかけます。特に赤の部屋での経験は強烈だったようですね」
山田はカウンターに座り、珈琲を注文した。久しぶりの普通の味。白い部屋で目覚めてから、すべてが色に支配されていた生活。ここでは自分の感覚を取り戻せるようだ。
「私はここから出られないんですか?」
「施設から出ることはできません」赤坂は率直に答えた。「あなたの能力は非常に貴重です。しかし、このリカバリー・スペースでは実験の圧力から解放されます。望むなら週単位、月単位で滞在可能です」
山田は窓の外を見た。そこには中庭があり、小さな日本庭園が広がっている。これも施設の一部なのだろう。
数日が経ち、山田は徐々に体力を回復していった。毎朝、木目調の壁に囲まれた空間で目覚めるのは不思議な安心感があった。カフェでは好きな食事を楽しみ、本棚から取り出した本を読んで過ごす。
一週間目に入ると、山田は変化に気づき始めた。
木のテーブルに手を置くと、なんとなくその木が育った場所が見えるような気がする。観葉植物の横を通ると、その成長過程が頭に浮かぶ。自然との不思議なつながりを感じ始めていた。
「面白い現象です」
振り向くと、これまで見たことのない女性研究員が立っていた。
「私は森本です。このリカバリー・スペースの担当者です」
彼女は山田の向かいに座り、木目のテーブルを優しく撫でた。
「木目の環境は、あなたの能力に新たな次元を開いているようです。白は論理、黄色は予知、赤は警告。そして木は...」
「つながり」と山田は思わず口にした。「すべてのものが持つ歴史やストーリーを感じる」
森本はうなずいた。「正確です。あなたは物体が持つ『記憶』にアクセスし始めています」
山田は自分の手を見た。血色が戻りつつあったが、爪の形が少し変わっているように見える。まるで木の年輪のような微かな円が浮かんでいる。
「私の体は...」
「心配いりません。能力の現れ方の一つです。木目調の環境は治癒と統合をもたらします」
三週間が経ったある日、山田は庭園で瞑想をしていた。目を閉じると、自分の周りの木々や植物とつながっているような感覚がある。すると突然、遠くの何かが呼んでいるような感覚に襲われた。
「森本さん」山田は研究員を呼んだ。「私が感じた危機...核施設の件はどうなりましたか?」
森本は少し驚いたような表情を見せた。「あなたの予知情報を基に、政府機関が動いています。潜在的な脅威を特定し、現在対応中です」
「でも終わっていない」山田は確信していた。「私は何かとつながっています。木々を通じて大地の声を聞いているような...」
森本はメモを取りながら尋ねた。「何を感じますか?」
「大地の震え、水の怒り、そして...」山田は言葉を探した。「根っこの悲鳴」
その夜、山田は木製のベッドに横たわりながら、不思議な夢を見た。大きな木の根が地下深くまで伸び、そこで赤く脈打つ何かと接触する。目が覚めると、枕元の手帳に無意識に描いた図があった。それは地下水脈と、その中に溶け出す赤い物質の様子だった。
翌朝、森本は山田のスケッチを見て青ざめた。
「これは...核施設からの漏洩物質が地下水脈に達する可能性を示しています」
「でも対策は?」
「取られています。しかし、あなたの能力は別の問題を示唆しているようです」
山田はカフェカウンターでお茶を飲みながら考えた。この木目の部屋での休息は、彼の能力を鎮めるためではなく、新たな次元へと導くためのステップだったのだ。
「私の能力は、単なる予知ではないんですね」
森本はうなずいた。「あなたは『つながり』を感じています。すべてのものが持つ記憶、そして可能性。このリカバリー・スペースでの時間が、あなたの能力の統合を促進しています」
山田はふと思いついた。「次は何色の部屋に行くんですか?」
森本は微笑んだ。「色はもう必要ないかもしれません。あなたは色を超えて、物事の本質とつながり始めています」
その夜、山田は木目のベッドに横たわりながら、自分の手を見つめた。爪の年輪模様はより鮮明になり、指先から木の枝のような微かな模様が広がっていた。
彼は目を閉じ、耳を澄ませた。木々のざわめき、大地の鼓動、そして遠くで呼ぶ声。彼はまだここに留まる必要があると感じていた。次の段階に進む前に、自分の中で何かが完成を待っているようだった。
朝になり、山田は窓辺に立って、木漏れ日を浴びていた。光が彼の肌を通り抜け、床に落ちる影が一瞬、木の形に見えた。
「準備ができたら教えてください」森本は静かに言った。「次のステージがあなたを待っています」
山田はうなずいた。この木目の部屋での時間は、単なる休息ではなく、彼の存在そのものを変えつつあった。施設から逃れることはできなくとも、彼の意識は徐々に施設の枠を超え、世界とつながり始めていた。
その変化は、次なる試練への準備なのか、それとも何か別の目的があるのか。山田にはまだわからなかった。ただ一つ確かなのは、彼の旅はまだ始まったばかりだということ。
木目の温もりに包まれながら、山田は次第に自分自身の内側にある森に気づき始めていた。
(つづく)
まあ、休息の時間も必要ですよね。本当は青い部屋とか緑の部屋も考えていたんですが




