第一章 貴族転生 - 018
それを聞いた大男は、武器を落としてその場にうずくまる。
「ぐっ……うぐっ……」
どうやら、心が折れたらしい。泣いているようだ。
「もう少し遊んで行かれないのですか? 今言ったように、あなたの体には刺す場所が、まだまだたくさんありますよ?」
俺が優しく提案すると。
「ひっ……か、かんべんしてくれ……いや、かんべんしてください。お、お願いだから、た、たすけてください……」
頭を地面に付けて謝ってくる。
「今日は、これで満足ですか? また遊びたいなら来てくださいね?」
微笑みを浮かべながら、俺が優しい声で言うと。
大男は、ヒッと声を漏らし、怯えた顔をこっちに向ける。
「い、いや、もう……二度と……ゆるしてください……」
また、大男は頭を地面に擦り付ける。
「なら、お帰りになられないのですか? まだ此処にいるというのなら、また遊んで差し上げましょうか?」
俺が口にすると、男は飛び起きる。
まだまだ元気そうだ。致命攻撃を行っていなのだから当然ではあるのだが。
「か、帰ります! いま直ぐ帰ります! おら、お前らぐずぐすしてんじゃねぇ、とっとと帰るぞ!!」
地面で呻いていた子分二人を蹴り飛ばすと、そのまま飛ぶようにいなくなった。
子分二人も慌ててその後を追って消えた。
これでしばらくは、ここに反社の連中がやってくることはないだろう。
まぁ来たところでどうということはないが。鬱陶しいことは鬱陶しい。
今はそれよりも、連中が中で何を探していたのか、ということだ。
入ってみると、かなり荒らされている。
大切な物は置いていないのだが、それでもこれはたまらない。
俺は整理整頓するような人間ではないが、普通に暮らせる程度には片付けてはいる。
とりあえず、暗くなってきたので、明かりだけは確保する。
倒されていた燭台を元に戻し、明かりをつける。
薄暗い明かりが灯り、なんとか中を見回せるようになった。
片付けは後日にすることにする。
燭台を持ったまま見回すと、祈祷室の奥の方が特に荒らされている様子だった。
それで想像がつく。
そこにかつて置いてあった物に心当たりがあったからだ。
オピウムという植物の根が詰め込まれた箱が置いてあった。
乾燥させて粉末状にすることで、幻覚作用を持つ薬物になる。
つまり麻薬だ。
そいつを見つけた俺は、すぐに焼き払ったのでとっくに存在していない。
連中は無駄な努力をしていたのだ。
あの様子では、おそらく組織の人間にも内密で隠していたのだろう。
であれば、組織の人間がやってくることはないだろう。
脅しもかけた。大男が戻ってくることはないだろうし、しばらくこの拠点は安全に使ると見ていい。
祈祷室から出ると、食堂に入り食糧を漁る。
乾パンや干し肉といった保存食しかないが、それで十分だ。
外に出てすぐの場所に井戸があるので、水を酌んできてお湯を沸かす。
煮沸しないで飲むと結構な確率で腹を下す。
白湯と乾パンと干し肉でなんとも味気ない食事をすませて、余ったお湯は携帯用の水筒に入れておいた。
寝室で装備の手入れを行ってから、俺は眠りにつくことにする。
明日は厳しい戦いになるだろう、疲れを残しておくわけにはいかない。
眠りにつく直前にルナのことを少し考える。
『神支の聖根』を渡す約束はしたが、それで終わるりになるとは思っていない。
彼女は焦っている。だが、それ以上に不安を抱えている。
必死に取り繕ってはいたが……まぁ、隠しきれてはいない。
彼女に味方は存在しない。
彼女に付いていた神聖騎士も、敵ではないというだけだ。味方などではない。
それとなく、俺が支えてやるつもりではいる。
ただ、俺自身も余裕があるわけではない。
社会的立場で言えば、伯爵家の三男坊に過ぎない。
神に連なる者ではないのだから。
すでに俺は律を掲げている。フリーダという導きの巫女がついている。
ルナを俺の導きの巫女とすることは叶わない。
彼女の掲げる律を仰ぐこともできない。
運命を共有することは叶わないのだ。
だから、それとなく、である。
そんなことをつらつらと考えているうちに、俺はいつしか眠りについていた。
◆◆◆◆◆
俺は東の空が薄っすらと白み始めたころ、のそのそとベッドから抜け出した。
まだ部屋の中は暗い。
燭台に火を灯して明かりを確保すると、装備を整える。
寝る前に準備はしておいたのですぐに終わる。
ここから待ち合わせの場所まですぐそこだ。
入口の扉を閉め、鍵を掛けたいが昨日の客が壊してしまったので鍵は掛けられない。
責任を取らせたいところだが、あんな連中の手を借りると面倒なことになるのは分かり切っている。
自分で修理するしかないだろう。
移動を開始する。
貧民区内にある咒鵠の礎に触れて、黄金の雫杯を回復させてから待ち合わせの場所に向かう。
待ち合わせの場所に着くと、まだ日の出前であるにもかかわらず、すでにルーカス達四人のメンバーは全員揃っていた。
「おはようございます。皆さん早いですね」
俺が声をかけると、ルーカスが手を挙げて答えてくる。
「なに、みんな眠れなくてね。それでやることがなく、早く来てしまっただけさ」
まぁ、そうかも知れない。
なにせ、今日戦う敵が敵だ。緊張と不安、全員が感じていることだろう。
俺の場合、猟醜の騎士戦はあくまで仮想デミゴッド戦ということで、若干薄まっているというに過ぎない。
パーティメンバーの近くには幌のない馬車、荷馬車が用意されており、荷台には今回の依頼に使う荷物が積まれている。
荷物の搬送と移動に使う馬車だ。
パーティメンバーは交代で馬車に乗ることになる。
一頭立てなので、全員で乗ると馬に負担がかかる。かといって、戦いの場に疲労した状態で臨みたくはない。その折衷案だ。
一般的な移動方法である。
「それでは、出発しませんか?」
俺が提案すると。
「あー、ちょっと待ってくれ、ラーズ君。今回は君にはずっと馬車に乗っててもらう。これは、パーティ全体の判断だ。君が要になるからね、どうしても受けてもらう」
おそらく事前に打ち合わせていたのだろう、他のメンバーも頷いている。
「わかりました。特に不満はありませんが、敵が出でたら僕も出ます」
普通はまず歩きのメンバーが対応するのだが、それだと慣らしができない。
昨日手に入れたばかりの打刀を慣らす準備が欲しい。
使えるようになってはいるが、まだ馴染んではいない。
「うーん、それでは本末転倒だからね。賛成はしかねるなぁ」
ルーカスの返答はどうにも渋い。
「ま、そん時に判断すりゃいいんじゃないか? いこうぜ」
豪快に言ってきたのはイーダである。
俺としても、こんな所で時間を取られたくない。
「そうしましょう」
そう言って、俺はさっさと荷台に乗り込んだ。
レーナが御者台に、グレーテが後に続いて俺と一緒に荷台だ。
イーダとルーカスは歩きのようだ。
「いくよ」
レーナが短く声を掛けて、手綱を軽く馬に当てる。
馬はゆっくりと前進を始めた。
さて、ここからリーセブル河の洞窟まで三時間くらいかかる。
まだ日が昇り切っていないので、ゆっくりとしか進めない。
正規の街道は通らないので、足元が悪く馬に怪我でもさせたら人間が馬車を引くことになる。
そいつはシャレにならない。
なのでゆっくりだ。