第一章 貴族転生 - 010
◇◇◇◇◇ フリーダ Side ◇◇◇◇◇
残してきた祝呪の枝が砕かれた。
フリーダは自分とラーズの間に因果が生じたことを認識する。
これで本当に、フリーダはラーズの導きの巫女となったのだ。
ラーズのことは、彼が生まれた瞬間に認識していた。
自身が抱える宿痾も、自身の望みも、ラーズの抱える宿痾に繋がっている。
フリーダに希望はない。生まれ落ちたその瞬間……いや、生まれる前から宿痾に飲まれていた。
忌区に落とされたことは、ほんの些細なことだ。
世界は膿爛れ、これまで必死に封じてきた腐れが溢れ出そうとしている。
後は、最後の一押しをだれがするのか、そういう状況だ。
忌区など、その一端に過ぎない。
浄化の炎が世界を焼き尽くさなければ、もうどうにもできない所まできていた。
そう、世界は新たな神と新たな王を必要としているのだ。
そのための存在が、導きの巫女である。
新たなる王を玉座へと導き、次なる神を生み出す。
ただそれはまた、新たなる宿痾の誕生でもあった。
祝福とは因果の指向であり、故にそれは呪いと同質のものである。事象の別側面の観測結果に過ぎない。
祝呪の枝を砕いた者は、祝呪の枝を生み出した者と因果を一にする。
その契約を成すのだ。
だから、フリーダはラーズの導きの巫女になった。
フリーダの宿痾は、ラーズに与えた律を無名の律とした。
無名の律は、無名であるが故に何の力もない。
すべては、ラーズ自身が己の力で成長していくしかないのである。
それでも、ラーズはフリーダの導きを必要としてやってきた。
三歳の幼児が、たった一人でやってきたのだ。
デミゴッドならば、まだ頷けたかも知れない。
ラーズはただ人だ。
普通ではないかも知れないが、人の三歳児でしかない。
それなのに、忌区に足を踏み入れた。
フリーダがラーズを必要としていたように、ラーズもまたフリーダの導きを求めたのだ。
だから、フリーダは動いた。
動かざるを得なかった。
本来ならば、フリーダが動くのはもっと先。ラーズがしっかりと成長してからのはずだった。
フリーダに授けることができるのは無名の律だけ。
強くなるためには、危険な戦いを延々と続けていくしかない。
最低限の力がなければ、力を付ける前に死んでしまう。
それなのに、こんなに早くラーズと導きの契約を結ぶことになってしまった。
そうでなければ、ラーズの命が危ういから。
フリーダはラーズを失うわけにはいかない。
だからフリーダはラーズを追って、忌区に足を踏み入れることになった。
咒鵠の礎を使うことで、移動時間なしに忌区に移動したが、それでも際どかった。
あと少し遅れていたら、ラーズの命はなかったかも知れない。
ラーズの躊躇の無さは、あまりに度が過ぎている。
ただ、それよりも驚いたのは、ガルネーレンを倒してしまったことだ。
それも二匹も。
あまりいいことではない。
三歳児なのだ、そこまで焦る必要はないというのに。
どうやって知ったのかはわからないが、ラーズはフリーダを探しに来た。
忌区でフリーダを見つけられなかったら、教区まで探しに来たことだろう。
そうなれば、フリーダであってもかばい切れなくなる。
それもあって、ラーズを忌区まで助けに行ったのだ。
そして、フリーダはラーズの導きの巫女となった。
ラーズが咒鵠の礎を探し当て、そこに座ればフリーダは何時でも会いにいくことができる。実体ではないが。
これから先長い付き合いになるだろう。
ラーズを守りながら、ラーズとの繋がりを深めていくつもりだった。
フリーダはラーズの導きの巫女であるのだから。
天井近くにある、格子のある窓から、冷たい光が差し込んで部屋の中を照らしている。
それほど豪華な部屋ではないが、貧しい部屋でもない。
椅子から立ち上がると、廊下に出る。
廊下の窓には、黒き茨が張り付いている。
フリーダが住む屋敷全体が黒き茨によって覆われている。
この屋敷は封印されている。
神たる女王アイリスによって施された封印だ。
絶対なる祝福によって封印された屋敷から出ることも、入ることも不可能であった。
本来ならば。
それをフリーダは咒鵠の礎を使い、抜け出した。
ラーズを救い、一旦屋敷に戻った後に風呂に入れて、ダールベルクの屋敷の自室に送り届けた。
フリーダが屋敷に戻ると、咒鵠の礎が封印された。
もちろん神たるアイリスにその存在が知られたのだから当然だ。
すぐに封印されなかったのは、何をするのか確認していたのだろう。
もし戻らなかったなら、神聖騎士が動くことになったことだろう。
そうなれば、もう後戻りはできなくなる。
フリーダが負ければデミゴッドの存在が揺らぐことになるし、勝てば他のデミゴッドが動くことになる。
どちらにしても、エーヴィッヒカイト王国は大きく揺れる。揺れざるをえない。
デミゴッド達は、それぞれの利を求めて動き出す。
大きな戦いになるだろう。
デミゴッド達による戦いなど、グローセ・ヴェルトの歴史の中で初めてのことである。
どんなことになるのか、誰であろうと分かるはずがない。
これまでとはまったく異なった世界になる。
ただ、今回は回避できた。貴重な手札を切ることで。
廊下に出たフリーダは、月影に照らされながら祈祷室へと入った。
中央に立つと、そこで腕を前に伸ばして、左右の掌を上に向ける。
すると、そこに白い光が上限の月のような形を作る。
無名の律を象徴する、未生の弧である。
生まれることのなかった律は、幻影としてのみ存在を許される。
だがそれゆえに、王たるを導けるのだ。
フリーダは未生の弧を頭上に掲げる。
未生の弧の周囲に黄金の粒子が漂い、しばらく後に吸い寄せられて消えていく。
それは、ラーズが捧げたルーネである。
ラーズと共に無名の律は成長していく。
無名の律は力を持たずに生まれた律である。
力を持たないが故に、唯一成長することの出来る律でもある。
このことは、無名の律を掲げるフリーダ以外知るものはいない。
すべてのルーネが消えると、未生の弧も消える。
「今は、ここまでね。今回はしかたなかったけど、さて、どうしたものかしら」
祈祷室から月を見上げる。
月は冷たく美しく輝いている。
思うのは、幼き戦士。
どんな忠告をしても、その行動を意志を緩めるとは思えない。
ただ、それでも、やりようはある。
今はあまりに絆が薄すぎるのだ。
両親であれ兄弟であれ、ラーズに対して関心が薄すぎる。
母親であるマリーの愛情は鏡に向けられた愛情。
けして、ラーズに向けられたものではない。
だから、フリーダが絆を用意する。
フリーダはゆっくりと考えて手を打つことにする。
慌てるような状況ではない。
今はまだ。