幽奈の悩み
「どうしよ……」
ダンジョンという恐ろしい魔物の巣窟を、たった一人で歩いている少女がいた。
長い黒髪は腰の位置まであり、前髪も瞳を隠すほど長い。ブレザータイプの制服とローファーという、探索には適さない服装をしている。
彼女の名前は千川幽奈。まだ高校一年生であり、よくこうしてダンジョンに潜っている。いつも一人で。
幽奈は悩んでいた。先ほど人が襲われている現場を目にし、悪霊系の魔物から助けることには成功した。
だが殺されかけていた少女は、自分の姿を目にするなり逃げてしまう。そして配信用と思われるカメラだけが残っていたので、とりあえず拾ってダンジョンを出ることにした。
「また、怖がらせちゃった」
誰にでもなくぼそりと呟く。幽奈は最近、自分がやけに人から距離を置かれていることに気づいていた。
それは自業自得だとも考えている。元々人と接するのが苦手で、中学時代は友達を作ることができず、いつも一人で過ごしていた。
親切な人から声をかけられたこともある。遊びに誘われたことだってある。だが、人との交流がどうしても苦手な彼女は、奥手なままで誰とも仲を深めることができなかった。
そんな彼女にとっての居場所は、今やダンジョンであった。いつも放課後はダンジョンに潜り、ある物を探しては収集する日々を過ごしている。
「今日も、沢山取れたけど。そろそろかな」
うさぎのキーホルダーをつけた袋の中に、色とりどりの小石が入っていた。それは磨けば光る宝石や、ダンジョンでしか取れない特別な素材となる物も含まれている。
はたまた、まったく価値のない石もあった。幽奈はとにかく、石を集めるのが好きだ。
「私、ダンジョンの中だと、不気味な感じに見えちゃうのかな」
静かに来た道を帰りながら、またぼそりと呟く。だがその後、ふと少しだけ笑みを浮かべて顔を上げた。
「う、うん。そうだよね。暗い場所だから、ビックリさせちゃったんだよね。ありがと」
幽奈はまるで誰かと会話しているようであった。しかし、周囲には人はおろか、魔物すらもいない。
「うん……そろそろ。ここも、終わり。それと、本当にこれ。どうしよう」
終わりとはどう言うことなのか。問いかける人もいない。彼女にとって心配なのは、シャムが落としていったカメラのようだった。
ダンジョンの出口を抜け、受付や警備員、それから救護班のいる天幕を周ってみるが、先ほどの少女はいなかった。
どうやらコンビニの中にもいないようだ。
(やっぱりいない。これ、とっても高そうなカメラだし、届けなきゃ。でも、どうすれば)
ダンジョンから出た幽奈に気づく人は少ない。存在感が気薄なのか、よほど近づかないと人とすら認識されないこともある。
時折不自然なほど驚かれたりするが、ダンジョンの中にいる時ほどではなかった。
ビックリされた時は、彼女は決まってそそくさとその場を立ち去るようにしている。
駐車場を出て、しばらく歩く。彼女の家は電車でそう遠くない距離にあった。
駅のホームを目指して住宅地を歩きながら、ぼんやりと空を見上げて考え事をしていると、ハッとして足を止める。
(待って。あの女の子……暗くてよく分からなかったけど。多分、シャムさん)
幽奈はようやく気づいた。そして偶然にも二人は同じ高校の同じクラスであり、シャムは一つ前の席に座っている。
(良かった。月曜日に渡せる)
ほっとした幽奈は、電車の窓から映る景色を眺め始めた。スマホを見ることもほとんどなく、いつも周囲の景色や、動物ばかり気になってしまう。
千川幽奈は変わった女の子というだけで、決して悪霊ではなかった。
◇
(シャムさん……今日休んでる。大丈夫かな)
月曜日になり、幽奈は一つ前の席を呆然と見つめていた。
学校ではシャムの話題で溢れかえっていて、心配する声も多く聞こえていた。
彼女がどれほどのショックを受けているかなど、幽奈は知る由もない。
しかし、大変な目にあったことは充分すぎるほど知っていたので、なんとかしてあげたい気持ちに駆られた。
だが悲しいかな。千川幽奈は尋常ではないコミュ障である。高校に来て誰とも世間話ひとつできたことはない。シャムのことで誰かと会話したり、何か手助けするヒントを得るとか、そういったことはできそうになかった。
仮に彼女が登校していたとしても、声ひとつかけることはできなかっただろう。
存在感が気薄すぎる少女の学校生活はあっという間に過ぎ、放課後がやってくる。幽奈は一つの考えごとに囚われ続けていた。それは今バッグの中にあるカメラをどうしようかということ。
チラチラと周囲の視線を伺う。夕方が近づき、教室には誰もいなくなり、空気のようだった幽奈はようやく動き出した。
(明日は来る。そうチャットがきたって、言ってたし)
精一杯の努力で、シャムの友達同士の会話を盗み聞きし、どうやら明日には出席できそうだというチャットがあったことを知る。
それなら大丈夫。幽奈は傷がついたカメラをバッグから取り出し、最後に丁寧にハンカチで拭いてから、シャムの机の上にそっと置いた。
あとはそそくさと立ち去るだけ。何か悪いことをしているような気分になり、落ち着かなくなった隠キャ少女はダンジョンに向かうことにした。
今の彼女にとって、ダンジョンだけが落ち着ける憩いの場であった。