攫われたシャム
恐怖は日が経つほどに強く膨らみ、とうとう限界に達した。
ある土曜日のこと。
彼はいつしか、人のいない場所が耐えられなくなった。いつ奴が自分を襲ってくるのか分からない。だから誰かを常に盾にするように、怯えきって生きている。
褐色のスキンヘッド、アッキーはとあるギルドの中で、とにかく人が集まる場所で時間を費やすしかなかった。
生き延びるために、しなくてはならないことがある。白髪の男がいうには、助かる方法はそれしかない。
元仲間であるシャムを男の元へと運び、ある儀式を受けさせること。そのような行為でなぜ自身が助かるのか、疑うことをしない。男は間違いなく怪しい。
しかし、もうすがれるものは彼だけと、アッキーは信じ込むようになっていた。
だから、彼はあまりに大胆な真似をしでかした。命が助かったとて、人生が終わってしまうことが間違いない愚行を。
彼はようやく掴んでいた。シャムが今日、どこで何をするのかを。
このギルドに来ていることも知っている。自分がやるべきことはただ一つ。面会中の個室が一つだけ使用中になっていた。
ここにシャムがいる。ディープダンジョンの探索仲間を見つけるために、集まった数名と面談をしているのだ。
「これしかねえ。これしかねえ。これしかねえ」
まるで呪文のように、アッキーは呟きながら立ち上がる。懐に武器を隠していた。普段とは違う、静かな足取りで男は向かう。
「? はーい」
最初は紳士的なノックだった。シャムはよく分からなかったが、とにかく返事をした。
やはりいる。もうやるしかない。彼の決意はすでに固まっていた。
すぐさまドアは思いきり開かれた。鬼の形相で駆け寄ってきたアッキーに、シャムだけではなく他の面々も驚きを隠せない。
「え!? ちょ、きゃあああ!」
檻から解き放たれた野獣のように、少女を捕まえて走り出したのだ。
◇
土曜日になり、幽奈は一人ダンジョンに潜っていた。
白いフリルブラウスにスカートという、またも探索用とは思えない服装である。
(明日には、コラボの相手が決まるんだっけ。シャムちゃんは今日、その人達と面接)
この時、彼女はかなり深い層に潜っており、美しい石を見つけては拾う作業に没頭していた。
だが、ここでスマートフォンが振動する。どうやらチャットが届いたらしい。
「なんだろ?」
画面を開いてみると、希空からのチャットだった。
希空さん:幽奈! ツブヤイターみた? シャムのやつ
:え? 見てないです
希空ちゃん:シャムが車で攫われたって!
「………え………」
幽奈はこの時、頭の中が真っ白になった。
:なんでシャムちゃんが?
希空さん:分かんない。警察にもすぐ連絡したみたいだけど、このままだとヤバいかも。あたしはシャムが攫われたっていう場所に行こうと思ってる。探す方法、あるっちゃあるし。あんたは?
:行きます
:じゃあ駅で待ち合わせしよ。駅名は後で送る
:はい
スマホをしまい、幽奈は天井を見上げる。今はかなり深い地下に降りてきていた。もしシャムや希空がこの階層を知ったら、どれほど驚いたことだろう。
しかし、幽奈にとっては普通の場所。ただ階段を登って頂上へと上がるには、普通に考えれば時間がかかる。
だが、幽奈には手っ取り早い手段があった。金色の瞳が赤い光を帯びていく。見つめていた天井に、奇妙な穴が——まるで小さなブラックホールのような——空き、ごく自然に彼女はその穴に吸い込まれていった。
ほんの数秒もしないうちに、黒い世界から幽奈は抜け出していく。気がつけば地上に姿を現しており、涼しい顔で歩き出した。
「ごめんね、今はとっても急いでるの。またお話ししようね」
去り際、彼女は後ろのあたりを見つめて囁いた。黒く薄い影が、ゆらりと動いた気がした。
◇
希空との待ち合わせ場所は、幽奈が通う高校の最寄駅だった。場所的にここが一番適していたようだ。
幽奈はこの時、配信用の歩行可能な人形を抱きしめていた。以前とは違う人形である。希空に誘拐の現場を抑えるために、カメラのようなものを用意しておくよう言われたから用意してきた。
そわそわしながら待っていると、土曜日の部活帰りの生徒達が駅へと入っていく姿がちらほら見かけられた。
すると、一つの女子グループの中に見知った顔があることに気づいた。シャムの友人である、白鳥静だ。
「ねー! 私もまだ観たことないんだけど、恋愛ドラマなら今度観てみよっかなー」
静は女子達の一番後ろで、明るく喋っているようだった。ただ、前にいる女子達は、彼女のことを気にかけていないように見えた。
他の人たちから、友達だと思われていないのだろうか。幽奈は悲しい気持ちになってしまうが、そんな彼女を目にした静が手を振った。
「幽奈ちゃん? あ、みんなごめんね! ちょっと用事があるから、じゃあね!」
元気よくこちらへと駆けてきた静は、幽奈を見てあっと驚く。
「幽奈ちゃんかわいいー! その白い服、とっても似合ってるよ。持ってるお人形もかわいい」
「あ……ありがとう」
「今日は何か用事があるの?」
「……うん。大変なことがあったの」
幽奈は事の次第を伝えた。すると静は、先ほどまで明るかった表情が途端にかき消され、怒りとも悲しみとも取れる表情になってしまう。
「嘘……誘拐なんて。信じられない! 早く探して助け出さなきゃ。警察にはもう通報されてるの?」
「うん。でも、攫ったのが探索者だから、上手く捕まえられるかは分からないって。特にアッキーさんは、凄い人らしいの」
「もしかして幽奈ちゃんは、シャムちゃんを探すつもりなの?」
「うん」
「そっか。ねえ、私も行っていい?」
「え」
まさか救出に参加したいと言われるとは夢にも思っていなかったので、幽奈は戸惑ってしまった。
「お願い! 私、簡単な魔法ならできるわ。シャムちゃんにもしものことがあったら、私……」
「静ちゃん。じゃあ、希空さんに聞いてみるね」
二人が話し込んでいると、遠くの交差点からタクシーが飛ぶようにやってきて、駅のすぐ前で停止した。
自動ドアが開かれ、後部座席の一番奥にいる希空が手招きした。
「お待たせ」
「あ、失礼しま……すぅ……?」
幽奈は後部座席の端に座ろうとしたが、ここですでに静が乗り込もうとしていたので、慌てて真ん中に滑り込んだ。
本来なら希空と相談して、参加しても構わないとなったらタクシーに乗せるべきなのだが、幽奈は静の強引さで判断を誤り、思いきり希空に密着する形になってしまった。
「ひゃ!? な、何?」
希空は体が跳ねてしまうほど驚いていた。思いの外くっついてしまい、幽奈もまた動揺してしまう。
「あ、ご、ごめんなさい! えぁっと、これはその。あ、あの静ちゃんです! 静ちゃんはシャムちゃんのお友達で、攫われたって聞いてとっても心配していて、それで、静ちゃんは助けなきゃって考えて相談されて、し、静ちゃん」
「幽奈ちゃん、落ち着いて。それじゃ伝わらないよ。あの、初めまして。私が静です」
「は、はあ!? とにかく! 一刻を争うから行くよ。すいません、出発で!」
希空はさっぱり言っていることが理解できなかったが、タクシーの運転手に出発をお願いした。焦った口下手少女の説明を待っている時間はない。
すぐにドアは閉められ、シャムが攫われたギルドへと車は走ってゆく。




