恋愛成就の秘薬
現在、毎日投稿企画を行っております。
本作は8月18日の投稿分で完結する予定なので、よろしければ読んでみてください!
夏希が岩場を去った後、フカヒレも少しだけデートの余韻に浸ってから人魚の里へ帰っている。
確かに深海は岩だらけで陰鬱だが、里やその周辺は人魚たちが独自に開発したライトで照らされているため、けっこう明るい。
また、制度や技術、娯楽など様々なところに人間の知識が取り入れられていて、高度に文明化された里は現代的、あるいは近未来的である。
そのため、人魚の里では人間社会とギャップの少ない社会が構築されていた。
貨幣も流通しており、中枢機関が製造した特殊な形の貝殻を使って欲しい品やサービスを受け取るようになっているのだが、そうなると当然、生きるために働く必要が出てくる。
フカヒレは深海で拾った美しい貝殻や石を使って繊細な衣装やアクセサリーを作る仕事をしており、細々と作品を売って金を稼いでいた。
幸い、売れ行きは中々に好調でフカヒレは自立して生活することができており、アパートの一室で一人暮らしをしている。
ところで、人魚にとって快適であるのは水中だが、料理で火を扱ったり書籍や電子機器といった、濡らしてはいけない物を保管したりするのには不便であるため、多くの建物には無水室と呼ばれる水の存在しない部屋が用意されていることが多い。
無水室の内部は機械で調整されて陸上と同じ酸素濃度になっているため、特に酸素ボンベ等を持つことなく室内で過ごすことが可能だ。
人魚によっては水中よりも空気中の方が快適だといって自室を無水室にする者もいるくらいである。
勿論、フカヒレの借りている部屋にも料理用の無水室と物置としての無水室が存在する。
フカヒレは夏希に貰ったアルバムや写真集を防水用のプラスチック袋に入れて持ち帰り、無水室に保管していた。
また、いくつかの写真は水中でも耐えられるように防水加工を施してベッド横にある棚の上に飾っており、ふとした拍子に写真を眺めて物思いにふけっていた。
人魚用のベッドは少し特殊で、寝ている間に部屋のあちこちへ流されてしまわぬよう体を固定する紐がついているのだが、フカヒレはそれを胴体に括りつけないままポテンと軽く寝転がり、今夜も夏希の写真を眺めていた。
『夏希ちゃん、かわいいな。夏希ちゃんの通ってるっていう大学って、俺ら人魚の大学と同じようなものなのかな? 経済学を習ってるって言ってたっけ。凄いなぁ』
写真は夏希が大学入学時に母親に撮ってもらった記念写真で、「入学おめでとう」の看板を背に片手でピースを作っている。
ニコニコとした笑顔が可愛らしくて、フカヒレは写真越しの彼女にポーッと見蕩れた。
『夏希ちゃんに会いたいな。今、何をしてるんだろう。地上では午後の十一時だから、バイト中なのかな。カラオケ店で働いてるんだっけ。夏希ちゃん、歌が好きなのかな? 聞いてみたいな。俺、夏希ちゃんの声が好きだから』
歌姫と評される人魚たちは綺麗な声を持っていることが多い。
そして、何故かやたらと声フェチが多い人魚にとって、声とは重要な性的魅力の一つだ。
人間がダイエットに励むように声を鍛える人魚も少なくない。
フカヒレも声にフェチを持っている人魚の一人であり、夏希の柔らかくて明るい、よく通る声が大好きだった。
自分の名前を呼ぶ優しい声に時々出す困り声。
照れて緊張した声や少し怒った声、楽しそうな笑い声。
夏希の声をゆっくり聴きたいから、
「人間の文字は読めないんだ。だから、この文を読んで」
と、写真集にくっついた解説文を指差したりもする。
羞恥に悶えて震え声を出す夏希の言葉を無視するのも、自分の声という雑音で好きな音を潰さず、心地良さに浸りながら彼女の照れた様子を拝んでいたいからだ。
夏希の声を思い出すと心臓が鳴って、直接聞きたい、会いたいなという気持ちが強まった。
『地上でもいいけど、本当は水の中で、人魚として出す夏希ちゃんの声を聴きたい』
人魚の耳は水中でも空気中でも使えるが本来の生息域は水の中であるため、どちらかというと水中の方が音を聞きとりやすくなっている。
人間が水の中で音を聞いた時ほど酷いぼやけ方はしないが、どうしても、空気中では少しぼけて聞こえてしまう。
愛しい音にぼんやりとした響きが混ざる事だけが残念だった。
それに、「人魚」という存在を含めてフカヒレを愛している夏希とは違い、彼は「人間でもいいから」と夏希を愛している。
フカヒレの夏希へ向ける愛は種族の垣根を超えたものであり、そもそも「人間」は彼の性癖ではない。
あくまでも彼が好きなのは夏希の腰から上の容姿と声、性格、明るい表情などだ。
足にキスをしたのもちょっとした復讐心と悪戯心が発端であったし、その後にキスをしまくって夢中になった原因は彼女のかわいらしい態度と震える声である。
そもそも人間の二つに分かれた足には性的魅力を感じていなかったし、地上を歩く姿よりもたまに水の中に入ってふわりと浮く夏希の姿に惹かれていた。
カナヅチでさえなければ泳ぐところだって見てみたかった。
正直、夏希が人魚であることに越したことは無い。
『夏希ちゃんの足が人魚の尾だったらよかったのに。深海にいっぱいある綺麗な景色を一緒に見て遊泳したり、海鮮を食べたりもしたい。一緒に水中でお昼寝もしたいし、良い感じになったら尾を絡め合って……』
妄想し、恥ずかしくなったフカヒレが悶えてビタンビタンと尾ひれをベッドに叩きつける。
ベッドは屈強で狂暴な人魚にも耐えられるよう作られているため、激しく攻撃されてもギシギシと音を上げる程度だったが、それでも最近、恋焦がれるフカヒレのせいでヒビが入り始めているのが恐ろしい。
フカヒレはひとしきり妄想をして悶え、落ち着くとベッドから降りて近くの棚を開けた。
中には小箱が入っており、蓋を開けるとフカフカなクッションの真ん中で真っ赤な液体の入った小瓶が堂々と座っていた。
『コレ、渡さなきゃいけないよな』
フカヒレがそっと手に取った瓶の中身は人魚の秘薬で、人間を人魚に変化させるものだ。
薬を飲んでも特に副作用はなく、声が失われたり失恋が確定した瞬間に泡になったりという恐ろしいデメリットを負うことは無い。
ただただ、肉体が人間から人魚へと変化するだけである。
強いて言うのならば姿が化け物のように変化し、人間社会では生きられなくなり、寿命も悪戯に伸びてしまうことなどが、人によっては副作用に感じるだろうか。
里長から認可を受けて正式に秘薬を販売する専門店で買った一品であり、非常に高価だが確かな効能を誇っている。
人魚は人間に恋をしたからと言って自らも人間になり、舌と尾を失って愛する人の元へ押しかけるなどという殊勝な真似はしない。
というか、人魚が人間になる方法そのものが存在しないため、自らが人となって恋人と同じ世界を生きるという選択肢が最初から存在していない。
そのため、彼らの異種間恋愛を成就させる方法は一つで、人間に薬を飲ませて人魚しに、里に連れかえって同じ世界で生きることのみだ。
とんでもない過激派は恋した相手を攫ってむりやり人魚に転じさせ、右も左も分からぬうちに里まで連れかえって軟禁したりする。
流石のフカヒレも夏希を拉致してしまおうとは思っていなかったが、もしも恋人になれたら薬を飲んでもらいたいと思って、恋をした時点で貯金を切り崩し、秘薬を購入していた。
恋に一直線な人魚らしい行動だが、ただ眺めているだけだった段階から少なくない金額を消費して薬を購入しておくのは少々やりすぎである。
フカヒレの衝動的な行動はともかく、本当に恋人となれた今となっては、あとは夏希にプロポーズのごとく、
「俺と一緒に人魚の世界で生きてください」
と、薬を差し出すだけだ。
だが、これがどうにも難しくてフカヒレはタイミングを掴み損ねていた。
というのも、人間と人魚の間では悲恋が多い。
人間を人魚に変えるというのは、人魚側の性癖に「人間」がない限り、ほとんどデメリットの無い選択肢だが人間にとっては違う。
人魚になって里へ向かうということは、家族や友人などの元から持っていた人間関係や職、学歴、人間として生きた場合の未来など、ありとあらゆるものを捨て去るということだ。
愛しい相手とお揃いの生物になるということだ。
恋しい相手のために自分の全てを捨てられるという人間は多くない。
それに厳しい言い方をしてしまうと、人間と人魚の間にある愛は本物でないことが多い。
人魚という異質な存在の恋人である自分が特別に思えてナルシズム的感情を覚え、のぼせ上り、高揚感を恋と勘違いする。
そのため、いざ薬を差し出されると拒否をすることや、人魚に転じて里で暮らし始めてから勘違いに気がつき、ホームシックになったり精神を弱らせたりすることが少なくなかった。
フカヒレは、あれだけ自分に愛情を示してくれていたはずの夏希が薬を見た瞬間に態度を豹変させ、口汚く罵ったり、二度と岩場にきてくれなくなるのが怖くて、薬を渡すことはおろか、その存在を話す事すらできていなかった。
『夏希ちゃんに振られるのは嫌だ。でも、俺は俺自体も怖い。夏希ちゃんに拒絶されたり、自惚れるな化け物って罵声を浴びせられたりしたら、逃げられそうになったら、酷いことをしてでも連れて行ってしまいそうで怖い』
己の中に潜む凶暴性に怯えるフカヒレだが、彼にはコトを焦らせる、もう一つ懸念がある。
それが、今年の夏が終わると翌年の夏まで約一年間、夏希に会えなくなってしまうことだ。
フカヒレは現在、里から例の岩場へ向かうのに一本の巨大で頑丈な洞窟を使用している。
だが、この洞窟というのが実は体長五メートルもある怪魚の群れの巣で、彼らが繁殖のために異性を探しに行っている夏の間しか人魚たちは使用することができなかった。
怪魚は秋に見つけてきた伴侶と子作りをし、冬は産卵と第一次の子育てを、春は第二次の子育てをしていて巣を拠点に活動する。
怪魚自体の凶暴性は薄く、洞窟自体もかなり広いのだが、何千、何百という数の怪魚が洞窟の中で群れを形成して生活するから、中がミチミチに詰まってしまって他種族は通れなくなってしまうのだ。
それに例の怪魚は人魚たちの保護対象にもなっているため、洞窟を使っても良いのは怪魚を脅かさない範囲でと取り決められている。
そのため、夏以外には洞窟付近に許可なく近寄ることすら許されていない。
地道に駆除活動を行って洞窟をいつでも使える状態に改造することなど、もってのほかである。
フカヒレは洞窟を通りながらも内部に夫婦となった怪魚が戻り始めるのを見て、強い焦りを感じていた。
『多分、あと一週間くらいで洞窟にはたくさん怪魚が戻って来て、本当に使えなくなる』
会えなくなること自体が単純に嫌なのだが、もっと恐ろしいのは長期の遠距離恋愛中に夏希が恋を冷ましてしまい、
「フカヒレなんか別に好きじゃなくて、あの時の感情はただの気の迷いだった」
と、自分を忘れ去ってしまうことだった。
他に恋人を作られ、誰も来てくれない岩場で夏希を待ち続けるなどという惨めな目に遭うのはごめんだ。
『嫌だ。夏希ちゃんに振られるのも、今、一瞬でも夏希ちゃんをさらってしまおうと考えた自分も、どっちも嫌だ。でも……』
洞窟や夏希のことを思えば、誰かに追い立てられているかのような激しい衝動が心臓を支配し、じっとりと嫌な汗が背を流れる。
フカヒレはキュッと薬の小瓶を握った。
『俺は、俺は本当に夏希ちゃんが好きだよ。人間の夏希ちゃんでもいいって思う。それでもいいから一緒にいたいと思う。だから、俺の手の中にある薬が人間になれる薬だったらよかったのに。そしたら、ここまで怖い思いはしなかったのにな』
フカヒレはどうしようもないことを考えると小瓶をしまい、それから再びベッドに横になって溜息を吐いたり涙を流したりしながら眠りについた。
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