第一章-1
ミナはまとめた荷物を抱え、ロディの背中によじ登った。
これまではロディの頭の上に乗り地上をのんびり歩くだけだったので、空を飛ぶのは初めてだ。
ロディが人型になれるようになって数日。すぐに2人は旅立ちの準備をしたと言っても、荷物はごくわずか。あとは行き当たりばったりの気ままな旅だ。
空を飛ぶとなると、風や勢いで落ちるのではと心配もあったが、ロディが「大丈夫だ」と自信満々に断言したので、ミナは考えないことにした。何度か「本当に?」と聞いたが、答えがどうであれ対処できるわけではない。
ミナは欠片も歩く気が無かった。
巨大なドラゴンの背はゴツゴツと硬く、鱗は冷たく滑らないが、座り心地は決してよくない。ミナは安定を求めて細い首のあたりまで移動し、足を広げてはまり込むように座り、荷物を抱え込んだ。
「ぐぁうるふ」
「あ、待ってね。…っと、っヨシ! いいよー!」
ぎゅっと腕と足に力を込める。
ミナの掛け声を合図に、ロディの翼が大きく広がった。赤く艶やかに輝く翼は、宝石のように陽光を反射する。
ぶわっと風が持ち上がる。
一瞬、身体が浮いた感覚のあと、重力がぐんと引き戻してきて思わず目を瞑る。だがすぐに、心地よい風が顔を撫でていくのを感じた。
空気が安定したのを感じ、恐る恐る目を開ける。
「わ、あ……!」
視界いっぱいに青空が広がっていた。
太陽が近く、地面が遠い。景色はびゅうびゅうと流れていくのに、風は適度で揺れも少なく、不思議と快適だ。
地面を見下ろすと、灰が積もった山が遠ざかっていく。あっという間に距離が開き、山はやがて地平線に変わった。
「凄い…! ロディ、凄い!」
飛行機とは比べものにならない爽快感と空を飛んでいるという実感に、ミナは興奮気味に声をあげる。首を叩いて喜びを伝えたが、ロディは落とさないように反応を控えた。
森を越え、山を越え、草原を抜ける。
遠くの地平線に一瞬だけ海が見えた気がしたが、それもすぐ視界から消えた。
(ひろーい!)
やがて速度が落ち、ロディは翼を羽ばたかせながらゆっくり降下する。風が舞って、どこからか木の葉が視界を飛ぶ。あっという間に目的地に着いたらしい。
ミナは髪や服を整えながら周囲を見渡す。ロディは首を伏せ、山の麓にミナをそっと降ろした。本当に、あっという間だった。
「ロディ」
「……、ん。なんだ?」
「あ、だ、大丈夫?」
すぐ傍の木に手をついて息を整えるロディに、慌てて駆け寄る。ドラゴンの姿から人型になるのは、どうやら体力を消耗するらしい。額には薄く汗が滲み、微かに開いた唇から息が漏れている。
ミナが背を撫でると、ロディは笑いながら「大丈夫」と返した。言葉の通り、すぐにしっかり立ち直ると、ミナの荷物をするりと奪い取る。
「あっ、いいの?」
「俺は重くないしな。ほら、行こう。転けるなよ」
ロディが反対の手を差し出す。大きな手がミナの手をすっぽりと覆った。
ミナは甘えるように、その手をぎゅっと握る。当たり前みたいな優しさが嬉しかった。
降り立った場所は、人間の国の近くの山の麓だ。山を挟んだ向こうに国があるらしく、ここなら人目につかずに済むらしい。ロディは意外なほど人間の事情に詳しい――異世界人の自分より詳しいかも。
とはいえ、国まではまだ距離がある。
歩き出したものの、山道に慣れないミナの歩みはカメのように遅い。ロディの足早なペースに何度も「はやい……っ!」と文句を言う羽目になった。
そのたびにロディは謝り、歩幅を狭める。筋力も体力もまるで違うから、ロディの速度はミナの軽く倍はあった。
ひたすら足を動かし、息を切らして汗を拭う。頻繁に休憩を挟んでも、運動不足のミナには辛かった。
昼前に山を発ったはずなのに、もう太陽は赤く染まりかけている。
ミナは息を吐いて空を仰いだ。
「間に合う…?」
「今日には着くと思うが……、夜になるかもな」
ロディの言葉に「そうだよねぇ」と掠れた声で相槌を打った。急ぐ理由はないが、野宿は避けたい。疲れ切った足をなんとか踏み出そうとしたとき、ロディが手を引いて止めた。
「ん?」
「気づいたんだが、俺が抱いて歩けば良くないか?」
「えっ…や、でも。……大変じゃない?」
遠慮の中に滲む期待を、ロディは見逃さなかった。
「ほら、荷物をミナが持って、それをミナごと俺が持つ」
ロディが話しながら荷物をミナに渡す。反射的に受け取った瞬間、ロディは屈んでミナをひょいと抱き上げた。
「あ、わ、っと……だ、大丈夫? 重くない?」
「ああ。最初からこうすれば良かったな」
何でもないことのように人ひとり抱えたまま歩き出すロディ。
初めは体を固くして恐縮していたミナも、すぐに慣れて身を預けた。抱き上げられることは何度かあったが、山道を抱えられたまま進むのは初めてだ。
だが歩かずに済む楽さが勝ち、無心でロディにしがみつく。
(たかーい……はやーい……)
人型初心者だというのに、ロディはミナという荷物を抱えて森を難なく抜けていく。抱えられて何もしないと罪悪感も湧くが、むしろミナが歩く方が足手まといだと悟り恥ずかしさはすぐに消えた。
程なくして、国の国境が見えてきた。予定より遅めだが、まだ夜にはなっていない。
壁が見えたところでロディがふと足を止め、ミナを見上げて名前を呼ぶ。
「そういえば、そうだった。……ミナ」
「あ、何? 凄いね、壁だ」
「壁だな。……荷物から布を取って、頭に巻いてくれないか」
「え?」
きょとんとした視線をロディに向けて目が合う。ぱちぱちと瞬きをして言われたことを理解した後、ようやくミナは言われるがまま荷物から布を取り出した。ぼろの大きな布をロディの頭にかぶせて巻き付ける。
「よっ……、と。これでい?」
「ん、行くか」
「え、な、なんで? なんで布?」
ロディは布の下から視線をちらりと向け、「見ればわかるよ」とだけ言って、壁へ歩き出した。
□
近づくと、門の前に列をなす人々が見えた。
「人だぁ〜」
「人間だな……、随分多い」
ロディが眉をひそめる。
門前の列は入国検査のためらしい。外国どころか入国審査も初めてのミナは、緊張気味にロディと列の最後尾へ並ぶ。
(髪がみんな白い……けど、カラフル?)
布で頭を隠した理由はすぐ分かった。
人々の髪はほとんど白で統一されている。それぞれに薄い水色やピンクなどカラフルな要素も混じるが、遠目には皆白髪だ。
ミナは自分の髪を引っ張る。
(だから私の髪も白かったんだ)
元は黒髪黒目だったミナだが、この世界では白髪と白瞳になっていた。髪はともかく、目の色は川の水に映して確認した程度なので曖昧だが、多分白。
初めは異世界要素のようで少し興奮もしたが、そもそも自分の容姿なんて頻繁に見ることもないしで忙しい生活の中ではすぐに忘れた。
ロディを見ると、少し屈んで「ん?」と耳を傾けてくれる。ロディとミナは身長差があるせいで、内緒話には向かなかった。
「みんな白いね」
「ああ……人間の髪色はな。確か……人間は月と太陽の色だとしているらしい。真実なのかは知らないけどな。……遠いな」
「あ、っと、……もう。月と太陽の神様?」
せっかく下ろしたのにもう一度ロディはミナを抱き上げ、荷物も器用に取り上げてミナの膝に乗せる。ミナは大人しく抱えられたまま荷物を抱きしめた。
「月の神メネヴィオルと太陽の神フォーニスの色は白とされてるんだ。月も太陽も白いからな」
ロディが空を見上げ、ミナもつられて夕空を仰ぐ。太陽は黄色がかっているが、確かに中心は白にも見えなくはない。そういえば異世界でも同じような太陽らしいと不思議な気持ちを抱きつつ、慌てて眩しさに目を瞑って下を向く。
「どっちも白なの?」
「そうだな……メネヴィオルとフォーニスは同一視されがちだからあまり不便は無いんだろう」
ふうん、と相槌を打つ。
確かに白は神聖な色にピッタリだろう。どういう信仰かは知らないが、月と太陽というのも分かりやすい。
宗教には疎いミナにとって、それ以上の興味はなかった。
「じゃあロディは違うの? 何の色?」
抱かれたままロディの布の隙間を覗くと、赤い髪が見えた。人間が皆白髪なら、ドラゴンのロディが赤いのはなぜだろう。
くせっ毛の赤はぴょんぴょんと跳ねているが、手を指し入れてみても絡まったりはしない。洗ってないくせに滑らかな髪で、艶がある。払って耳にかけてやると、赤い瞳がくっきりと現れた。
「これは……俺の色だなぁ」
「赤いドラゴンだから?」
「俺が炎を司るから、か? そもそも、気にしたこともないが」
「へえ…」
自分のことを不思議そうにするあっさりした答えに、ミナは納得した。赤いドラゴンといえば炎。住む場所も暑かったから何となくわかる。
「じゃあ水とか、風を司るドラゴンも居るの?」
思いつきで問うと、ロディは赤い瞳でミナを見つめた。しばし視線を揺らした後、ふっと顔をそらす。
「…………あー。今は、どうかな。居るんだろうけど、分からない」
「分からない?」
「動向なんて、気にしたことがない」
落ち着いた声の中に、どこか冷たさが混じる。ミナはそっとロディの顔色を伺い、抱きつく腕に力を込めた。
なぜか、寂しそうに見えたからだ。
「会いに行く?」
「……」
ロディは答えなかった。
そのまま2人の順番が来て、他のドラゴンの話はうやむやのまま、ミナの頭からも消えていった。




