第一章-0
人型になったドラゴン改めロディと、異世界から落ちてきた人間ミナ。
二人は、あの日から一晩明けた晴れた空の下、川べりでのんびりと雑談をしていた。これからの事を、お互い少しづつすり合わせるように。
お茶は川の水、お茶請けはザクロ。まともな食器もなく不便な生活だが、せめて景色だけは美しいと楽しむしかない。
「ええと、じゃあ、まず。ロディはしたい事とか、したくない事ってある?」
議題は今後について。
ミナはこの世界のことをほとんど知らず、ロディも言葉を得たときに与えられた知識は断片的で、人の機微や世情には疎い。
だから二人にできるのは、心の内を言葉にすることだけだった。
それでもミナは、ずっと一緒にいるだろうロディと仲良く過ごしたいから、この時間を作った。堅苦しくならないように片手にザクロを持ち、ロディを見る。
ロディもその誘いに頷き、川に足をつけたままゆったり話を聞いていた。
「したい事…? 俺はミナと一緒にいたい」
「そ、うじゃなくて…。………じゃあ、何でここにずっといたの? 理由があった?」
きょとんと真面目な顔をして言われた返事に言葉を詰まらせ、ミナは話を続ける。嬉しいけれど、恥ずかしい。追求すればやぶ蛇になりそうで、深堀したくなかった。
ロディは少し考えて、足を川につけたままごろんと地面に横たわる。
太陽の日差しに目をほそめて、見ていられないほど弱い人の網膜に苦笑した。太陽を真正面から見つめられないことが、なんだかおかしかった。
「ここにいた理由、か。そうだな……逃げてきたんだ。この山は熱いし、高い。そのせいで生き物も滅多に住み着かないから助けを求める悲痛な声も、耳障りな狂乱の声もここには聞こえない」
静かに落ちた声に、ミナはそっと息を飲む。
悲しそうでも苛立っているわけでもない平坦な声は、ロディの感情を読み取りにくくさせた。なんて声をかけるべきか迷い、ミナはただ言葉の輪郭をなぞるように問いかける。
「……それは、離れてもいいの?」
ロディが寝転んだままミナを見る。
体を横にして、下から覗き込むようにした赤い瞳と目が合った。
「ああ。ミナの声を聞くことにしたから」
「……えっ?」
口元には笑みが浮かんでいた。
見えた顔にマイナスな表情は欠片も無くて、ミナはその晴れやかな顔に目を見張る。
「ミナがしたいことをして、行きたいところに行って欲しい。俺はそれについて行って、楽しそうなミナを見る」
「…それだけ?」
「うん。楽しそうだろ」
当たり前みたいに軽く頷かれて、ミナは何を言うべきか迷って、結局押し黙った。
――それでいいなら、いいけど。
そんな無責任なことを言ってしまいそうになる自分を押しとどめ、否定の言葉を探す。
だって、そんなの一生続くわけがない。
ミナは自分が人好きのする性格でないことを知っていたし、永遠の友情だとか愛情が酷く稀なことを知っていた。
今は優しいロディも、いつか自分のやるべきことややりたいことを見つけて隣からいなくなるかもしれない。ずっと一緒にいて欲しいと告げたその口で、ずっと一緒だなんて有り得ないと零す。
ミナはとにかく、明確な、自分を選んでくれる理由が欲しかった。
「私、結構わがままだよ」
でも咄嗟に出る自分の長所も無くて、ロディの言葉を否定しにかかる。
そんな軽薄な言葉をロディは笑って、間髪入れずに柔らかい返事をした。
「知ってる」
「し、…えっ、な、なんで?」
否定されるでもなく、あっさり肯定されたそれは、照らされる太陽の光みたいに暖かかった。戸惑いながら聞き返すと、ロディは当然のように言う。
「俺を当たり前みたいに顎で使うから」
「……そ、そんなこと」
「ない?」
面白そうな顔で笑われて、答えに窮する。自覚は無いけれど、思い当たる節はあった。
人の機微に気をつけはするものの、途中でそれを投げ出すのはミナの自覚する短所のひとつだ。
「……気をつけるね」
「え? なんで? いいよ、ミナのわがままは好きだから」
「え、ええ…?」
嘘や気遣いではなく、本気で言っている声だった。
木漏れ日がちらちらとロディの顔を明るくして木陰に隠す風景は一種の絵画のように美しく、どこか神聖なものに見えて本当に許されたような気になる。ミナは小さく息を吐きだした。
ロディはゆっくりと体を起こし、川から上がるとザクロを手にしたままぼんやりしているミナに近づいた。
ふっとミナの体が持ち上がる。
突然のことに焦りつつも声が出ないでいると、ロディは楽しそうにミナを抱きかかえた。
「俺、意外とこういうの好きだったみたいなんだよな」
「え、……っえ?」
「今一番俺に言いたいわがままは?」
「え、えー…? お、おろして?」
「それ以外で」
「…」
押しが強い。
わがままは好きだと言いながら、一言目のわがままをあっさり流すロディ。
何か、と言われても急には思いつかない。
ミナはううん、と頭を捻りながら何かあったっけ、と思い出す。当然生活に不便も不満もあるが、それをロディに言って解決するかどうかは別問題で、言うつもりもない。
だからロディに頼みたいことと言われると、困る。
少し考えた末、結局今は満ち足りていると気づく。
「……お昼寝する?」
「ふ、ふはっ。あははっ、いいよ、しようか」
吹き出したロディはやらかい顔をして笑う。目尻は下がり、口元はゆるりと弧を描いていた。
返事をしながらくすくすと未だに笑いの引かないロディを無言で眺めていると、ロディはミナを抱えたまま木陰に移動して木の根元に腰を下ろした。
「えっ、あっ……このまま?」
「うん。くっついてたい」
「……いいけど」
「うん。ありがとう」
優しい微笑みだった。親が幼い子供を慈しむような錯覚をして、ミナはあながち間違いでも無いかもしれないと思う。ロディからすればミナは赤子のようなものだろう。
心底嬉しそうに言われると、嫌な訳でもないのでいいか、という気分にさせられた。少し恥ずかしかったが、じきに慣れる。ロディが嫌じゃないなら、いい。
特段体も痛くないし不便でもないし、なんならぽかぽかと温かい気がして眠気が襲う。こんな風にのんびりした一日も悪くない。
ミナはロディの硬い体に身を預けながら、どうにか寝やすい姿勢を探してモゾモゾと動く。したいようにさせながらも落とさないロディはそれを見つめ、やりやすいように腕を浮かせた。
ようやくフィットする体制をみつけ、ミナは容赦なく体重をかけてリラックスする。こういう遠慮のなさが、ロディには新鮮だった。
ミナの普通では無いところも、ロディは愛しく思う。
「じゃあ、やりたくない事は?」
「ああ、その話続いてたのか」
「やりたくない事は?」
続けて問われ、ロディは「そうだな」と考え込む。
しばらく森に来る小鳥の鳴き声や動物の草木を擦る音、それから風が間を取り持つ。
ミナは急かさず、ロディのタイミングを大人しく待った。
やがてロディは「ああ」と思いついたように呟く。
「ミナ以外のわがままは聞きなくないな」
「う、うーん。それはまあ」
当たり前のような答えに、ミナは苦笑する。
確かに、他人のわがままは幼子でもなければただの迷惑だ。好き好んで聞く人間は少ない。
少なくともミナはその酔狂な人ではないし、どちらかと言えばわがままを言う方なので大いに同意だった。
「嫌なことはいくつかある」
「え、なあに?」
「ミナが死ぬこと」
「それは私もヤダな……」
「あとは……殺したくないやつも、一応」
ミナは思わずロディを見上げた。
言葉とは裏腹に、意外なほどロディは穏やかな顔でミナを見下ろしている。
「あいつらがミナを殺そうとするなら、俺は何の躊躇いも容赦も無く殺すだろうけど。そうでないなら、あまり奪いたい命でもない」
「あいつら」
「……眷属がいるんだ」
眷属、とミナが反芻する。
想像したのはワイバーンやロディよりも少し小さいくらいのドラゴンだ。
同族や仲間を殺したくないのは当然だろう。
殺す殺さないなんて物騒な話は、ミナにとってまだ遠い世界のことのようだったが――ここはもう、その遠い世界だった。
ただ、ミナは自分で自分のことをある程度理解している。ミナに人は殺せない。
「喧嘩、売らないように気をつけるね」
「ん? ふ、ああ。そうしてくれ」
結局ロディの答えはあまりミナにとって身になるような話ではなかった。
そりゃあ嬉しいことを言われた気はするし、やりたいようにさせてくれると言うのは願ったり叶ったりではある。
それでもロディに愛想をつかされたらミナは一大事なので、ある程度の線引きや虎の尾を踏まない為の予備知識は欲しかったのだが――拍子抜けだ。
そういえば、とミナはようやくロディの体のことに思い至った。
「そういえば、ロディの体調は大丈夫?」
「体調?」
「ほら、ドラゴンの時にたまに苦しそうにしてたから……」
「ああ、」
出会った頃から、時々苦しそうにしていたのを思い出す。
人型になったことで忘れていたが、本当は真っ先に聞くべきだった。
心配そうに覗き込むミナに、ロディはあっけらかんと肩をすくめた。
「何も。ただ疲れやすかっただけだよ」
「疲れ……? そう、なんだ?」
「そう。ミナと会ってからはそれも随分無くなった」
「私? え、なんで?」
ロディは「んー?」と間延びした返事をして、機嫌よく笑う。
「ひみつ」
ロディは慈しみの顔でミナを見る。相変わらず言葉も視線も何もかもが、ミナにぬるま湯のような温もりを与えていた。
ミナはひとつ唾を飲み込み、「そっか」と笑った。
悪いことでないなら、それでいい。そんなふうに笑える秘密なら、きっと抱えていることだって幸せだろう。
結局ミナの何が彼の琴線に触れたのかはさっぱり分からなかったが、ともかくとしてロディはミナに甘い。それだけが今回の分かった事だった。
ミナは"最悪まあなんとでもなるか"とお馴染みの楽観主義で事を落ち着ける。
結局なるようにしかならない。
「じゃあ私、めちゃくちゃロディのこと頼りにするからね?」
「もちろん。出来ることなら何でもする」
「……あんまり何でもって言わない方がいいよ」
「何でもするよ」
注意をしたのにこの有様だ。
ミナはふぅっと小さくため息を吐いて「うん」と満更でもなさそうに頷いた。
「ねようか…」
唐突に呟いたミナの甘えを、ロディは何も言わず受け入れた。
抱きしめる腕が少しだけ強まる。
「ん、おやすみ。……ミナが嫌だって言ってもずっと一緒にいるから心配しないでいいよ」
「ん…? うん……おやすみ」
意識が落ちる直前、聞こえた言葉に一瞬疑問を抱いたが、すぐに夢に飲まれた。




