序章-3
ミナはおっかなびっくり地面を踏みしめ、異常なほど熱い空気に滲んだ汗を拭った。
目の前には空を覆うほど巨大なドラゴンが佇み、その巨体で洞窟の入口をふさぐようにして熱から身を守っていた。
「ん、ん……あつい……ここ、火山?」
パタパタと服を揺らして風を送るが、その風さえも熱くて意味がない。ミナは諦めのため息を吐き、近くのドラゴンの体にそっと背を預けた。
ドラゴンの体も熱かったが、この空気と比べれば五十歩百歩だ。
突然空に放り出され、死を覚悟した落下をこのドラゴンが受け止めてくれた。衝撃はなく、ドラゴンは思いのほか温和で、ミナを助けてくれた。そのおかげで、今はもう死の予感は過ぎ去っている。
ムルに文句のひとつも言いたい気分だが、変に伝わって根に持たれても困るので、不平は飲み込んだ。
「……ヨシ!」
気合を入れ、ミナは洞窟の中を覗き込む。中は外よりわずかに涼しく感じられ、自然と足が奥へと導かれる。
しかし、すぐに立ち込める鼻を突く匂いに顔をしかめ、見えてきた“人型のナニカ”に思わず足を止めて後ずさった。
「あ……あー……え、えぇ?」
ナニカを見て、入口のドラゴンを見る。
ドラゴンは何も言わない。ただ暗い洞窟の中で光る朱色の瞳が、じっとミナを見ていた。
視線を戻す――やはり、死体だ。
「し、死体だぁ……絶対ドラゴンさんの仕業だよね……?」
恐る恐るもう一歩踏み込む。熱気のせいか、死体は腐りかけており、ツンとした臭いが立ち込めている。ゲームや映画ではグロ耐性があったミナでも、リアルな死体は初めてだった。
袖で口と鼻を覆いながらも、どうにか近寄る。損傷は少ない。肉はほとんど腐り落ちているが、鎧や盾、剣は錆びてはいるものの形は残っていた。服は……触りたくもないので見ない。
洞窟の奥には、そんな死体がいくつも転がっていた。ドラゴンが適当にしまい込んだのか、ここで無念のまま命を落としたのか――考えるだけで苦い気分になる。
ミナは聖人ではないので黙祷くらいはするが、仇討ちをする気はなかった。少なくとも、目の前のドラゴンはミナに優しい。
検分を終えて洞窟の入口へ戻ると、ドラゴンが伏せて目を閉じていた。慌てて顔の前まで近寄る。
「えっと、大丈夫?」
ドラゴンは苦しそうに息を吐き、眉間に皺を寄せて小さく丸まっている。習性など知らないが、痛みに耐えているように見えた。
やがて、ゆっくりと瞼が上がる。朱色の瞳と目が合った。
「ぐるる……」
ミナはそっと頬を撫でた。鱗は硬いが、その根元は黄金に輝いている。額からは木の枝のように分かれた角が伸び、美しい赤のドラゴンだった。
――炎に関係するドラゴンだろう。だからこの火山を住処にしているのだと、何となく納得する。
しばらく撫で続けたが、埒が明かない。ミナは腰を上げ、この先どうするか考えながら周囲を見渡した。
ここは山の山頂らしい。灰が積もり、空気は燃えるように熱い。道はあるが、武器も自衛手段もないまま森に入るのは怖い。
「ね、ねえ。少しだけここに住んでもいい?」
「……ぐぁふ」
「いい? いいよね? ……ダメだったら案内しないもんね?」
ドラゴンは低く唸るように鳴いて返事をした。ミナはほっと息を吐き、礼を言う。
「ありがとう。しばらく一緒に過ごそうね」
暑いのだけがネックだが、死ぬほどではない。夢のような世界から落ちて、ドラゴンと火山というファンタジーに放り込まれ、ようやく疲れを意識する。
ドラゴンの頬を撫で、ぽつりと呟く。
「これから、どうしよっかなぁ……」
隣から小さくうめき声が聞こえ、顔を上げるとドラゴンが心配そうにこちらを見ていた。
「んー?」
少し慰められ、間延びした声で返事をする。
「心配してくれるの? ……ひとりぼっちだなぁって思って。私、運動神経悪いし、どうやって生きていこうかなぁ……」
ぽつりと零れた言葉は、少し震えていた。
撫でていた頬がぐっと寄せられる。ミナは気づき、柔らかい微笑みをロディウカルディアに向けた。
泣いてはいない。でも、不安なのは確かだ。未来があまりに不透明だった。
でも――ここには、ミナとドラゴンしかいない。
「慰めてくれてる? ……ん。でかいけどかわいいね」
ミナは嬉しそうに笑い、ドラゴンの頬にぎゅっと抱きついた。「ありがとう」と囁く。
□
何はともあれ、新生活だ。
必要なのは衣食住――どれも足りないから動くしかない。
ミナはドラゴンの居場所を見失わないように気をつけながら、近くの森を見上げて果物がないか探した。幸いいくつか見つけたが、高くて手が届かない。森の木は思いのほか背が高く、育ちも早い。
木登りなんてできないので諦め、すごすごと洞窟へ戻る。ドラゴンは変わらず灰の山にいた。
近づくと瞼を開け、顔を寄せてくれる――かわいい。
「ただいま〜。ご飯、果物があったんだけど背が高くて取れなかったや。明日は川とか探してみようかな」
報告しながら洞窟に入ると、腐臭が幾分かマシになっていることに気づく。あれっと奥を覗き込み、ドラゴンを振り返った。
「これ、ドラゴンさん?」
「ぎゃあぅ」
洞窟の奥では死体が焦げていた。灰にはなっていないが、腐肉は完全に焼き払われている。まさかミナのために火を吐いたのだろうかと、少し恐ろしく思う。
でも――
(……私のためだ)
鼻を押さえて奥に近づかなかったミナを見ての行動だとわかった。胸がじんと熱くなる。
相変わらず浅い息をしているドラゴンだが、その体調でもミナのために動いてくれたのだと思うと、ありがとうの気持ちでいっぱいだった。
「あ、ありがと! ね、明日はドラゴンさんの分のご飯も取ってくるね」
もしかしたら、彼は食事をしていないから弱っているのかもしれない。ミナが持ってくれば、少しは気力を取り戻すだろうか。
少なくとも、明日には川を見つけないとまずい。熱い空気のせいで汗はかくのに、水分をずっと取れていない。このままでは熱中症や脱水になる。
ふうっと息を吐き、洞窟の中で腰を落ち着ける。幸い、地面は座れないほど熱くはなかった。
「また、明日。頑張る……」
気力が尽き、意識が落ちる。
布団もない地面で寝るなんて、ピクニックで居眠りをしたとき以来だが――疲れ果てていれば、案外気にならなかった。




