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序章-2

 

 流れていた星を掴み取るみたいに。

 浮かんできた泡を口に含むみたいに。

 それは突然で、唐突で、特別な――まるで奇跡みたいな出会いだった。



 目の前に、人間が落ちてきた。


 それ以外に言いようのない現象だ。

 ごうごうと風を裂いて落ちてくるのは人間の女。それがどこから落ちてきたのか、なぜあんな空高くにいたのかはわからない。


 いつの間に人間は空を飛べるようになったのか。

 しかしその様子は、どう見ても自分の意思で空を舞うものではなかった。


 秋の木の葉のような色のスカートが風に翻り、無駄に良い瞳は、少女をしっかりと捉える。声も出せず、目をぎゅっとつむっては時折ちらちらと地面を見て、焦りながら手をばたつかせている。


 距離が縮まり、人間の目にもはっきりと見えるほど近づいたとき、灰に埋もれた土地で頭を上げていた自分とはっきりと目が合った。


「あ」


 少女と一拍、視線が絡む。


 その瞬間、少女は凄い勢いでこちらに手を伸ばした。伸ばす手も、向ける視線も、自分だけに注がれている。明らかに助けを求める動作だった。


 ――人間が、俺に。


 気づけば、目の前に落ちてくるその手が届く距離に迫り、ロディウカルディアは、つい、それを受け止めてしまったのだ。


 巨大な体に見合った大きな手で、掌にすっぽり収まるほど小さな少女をそっと掬い取る。

 さっきまでの凄まじい勢いは嘘のように消え、すとんと驚くほど安全に彼女はロディウカルディアの手の中へ落ち着いた。何らかの力が働いていたのか、衝撃はなかった。おそらく受け止めなくても死にはしなかっただろう。


 少女はゆっくりと体を起こし、目をしぱしぱと瞬かせる。危機的状況のはずなのに、彼女は叫び声もあげず、ぽかんと目を見開くだけだった。


 互いに馬鹿みたいに見つめ合う。

 ロディウカルディアも少女を殺そうとはしなかったが、少女もロディウカルディアに敵意を向けない。


 少女の頭ほどの大きさの瞳と、ロディウカルディアの小指の爪にも満たない瞳が交差する。

 握りつぶそうと思えば簡単に命を絶てる脆い存在を、数秒か数分か、黙って見つめた。


 先に動いたのは少女だった。


「ぇっ…」


 小さく、しかし確かにロディウカルディアに届く声で呟く。そしてゆっくりと周囲を見渡した。

 右を見て、左を見て、再びロディウカルディアへと視線を戻す。

 そして思わず、といった風に掠れた声を上げた。


「おっきー…」


 それが、すべての始まりの日。


 □


 少女は恐る恐る、しかし興味深そうにロディウカルディアの手のひらの上で顔をあげたり、足元に広がる灰の山を眺めたりしていた。


 ちょこまかと動く感触にくすぐったさを覚え、ロディウカルディアが「ぐる」と唸ると、少女はぴょんっと跳ねて固まる。

 だが、何もしてこないとわかると、ほっと息を吐き、まんまるな瞳をきょとんとさせて首をかしげた。


 ――これまでの人間とは、違う。


 異種族を殺し、その血肉を糧にして生きる不浄の存在。普通の人間であれば罵詈雑言を浴びせ、手のひらに剣を突き立てるだろう。

 なのにこの少女は違った。


 なぜ殺さず、こうして彼女の動きを眺めているのか、自分でもわからなかった。

 初めは不可解な状況への戸惑いだった。だが今は――落ち着いてしまっている。


 人間など、さっさと殺してしまえばいい。

 そう思うはずなのに、ロディウカルディアは手のひらの少女を好きにさせ、好ましいと思ってしまった。


 これまで何千何万もの人間をこの手で殺してきた。

 その手のひらの上で、戦闘態勢を取ることなく周囲を不思議そうにゆるゆると眺める存在なんて、こいつだけだ。


 魂の生殺与奪を決めかねる戸惑いの中、ロディウカルディアはただじっと少女を見つめていた。

 そもそも、人間ごときにロディウカルディアがやられることはない。緊急性は低い。


 やがて、少女は小さく、しかしはっきりと声をかけた。


「あの、ありがとう。助けてくれて…」


 その言葉に、ロディウカルディアの巨大な体がびくりと揺れる。

 少女は確かに、ロディウカルディアに礼を言ったのだ。

 まさか穏やかに礼を言われるなんて、思ってもみなかった。


 体が揺れた拍子に手のひらが少し動く。少女は緊張感のかけらもない声で「わあ」と呑気な悲鳴を上げた。


 そして、緩やかな声で続ける。


「ドラゴンさん、ええっと。言葉わかる?」


 自分に向けられた問いだと理解するのに数秒、意味を理解するのにさらに数秒かかった。


 ロディウカルディアはためらいがちに「…ぎゃぁお」と返事をする。

 人間が会話を試み、自分に話しかけるなど、長い生の中で初めてだった。


 だがすぐ思い出す――人間は、ドラゴンの言葉をわからない。

 自分は人間の言葉を解せるが、彼らにはそれができない。


 落胆するロディウカルディアをよそに、少女は気にする様子もなく言葉を続ける。


「あ、わかる? …わかりそう! ね、逃げないからちょっと地面に下ろしてほしいな~…」


 身振り手振りを交えながら伝える少女は、なぜかロディウカルディアが自分の言葉を理解すると疑っていない。

 実際、理解はできる。話すことはできなくとも。


 けれど――地面に下ろしたくなかった。

 下ろせば、手の中の輝きは簡単に消えてしまう。意志ある少女はどこかへ行ってしまうかもしれない。


 少し迷い、葛藤し――結局、ロディウカルディアは大人しく彼女の望みを叶えた。

 手のひらをそっと地面に下ろし、少女を解放する。


 灰の山ではなく、山の端にある洞窟の傍に置いた。ここはかつて火山だった残骸。今は息吹を絶やしつつあるが、まだ地面は熱を孕んでいる。


 少女は少しよろめきながら地に立ち、靴を鳴らし、空を仰ぐ。

 やがて近づいたロディウカルディアに気づいて「あ」と声を上げ、花が小さなつぼみを開くように、微笑んだ。


「ありがと~。ドラゴンさん、優しいね」


 ――多分、人の笑顔というものを初めて見た。


 固まるロディウカルディアに気づかず、少女は屈んで大きな頭に近づき、頬のあたりの鱗をそっと撫でる。

 その時の気持ちは、一生忘れない。


 どうしてなのか、自分でもわからない。

 それでも、嫌悪すべき人間の魂の輝きに目を奪われ、その命を消すのが惜しいと思ってしまった。


 胸の奥でぐつぐつと煮えるブレスを吐き出しそうになり、大声で叫びながら空を飛び回りたかった。

 だが、そのすべてを――小さな「ぐるる」という呻き声に押しとどめる。


 少女が、嬉しそうに「あははっ」と笑う。


 それが、すごく嬉しくて。

 ロディウカルディアはこの少女を、絶対に怖がらせないようにしようと、できるだけ優しく守ろうと、心に決めたのだ。


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