第一章-10
「にぃちゃん、薪、終わった」
「ん? おっ、沢山割ったなぁ〜、手伝いありがとさん」
頭を撫でてやると、にこにこと子供が満足そうに笑う。
自分より幾らか背の低い、白に微かな赤の混じる子供は自分の弟だった。
髪だけでなく、ふくふくとした柔らかい肌に小さな髪で隠れる程度の角は、弟の特別だ。
お前が生まれた日、俺が兄になったとき、俺はお前を幸せにして必ず守ると心に決めたことを覚えてる。
「とうさんは?」
「供え物を用意しに森に潜ってるよ。ほら、明日はあるじ様の命懇の日だろ」
「めいこんの日?」
「あれっ、言わなかったか?」
暗転
村の全員が地面に膝をつき、大きな篝火を囲んでいる。
火は神聖な、あるじ様の偶像だった。
燃え盛る赤い炎を通して、自分達はあるじ様に祈りを捧げる。
覚えのない記憶、知らない懺悔。それでも確かに、心の奥底にはあるじ様への贖罪の思いが灯っている。繋がりの切れた糸の先。寄る辺のない俺たちの、かつての記憶。
「主よ、われらはいまだ御力のもとに在り」
「主よ、幾度となく犯した罪深き過ちを、今一度お赦しください」
「主よ、今度こそ、御許に仕えるため、この命、この祈りを捧げます」
血を、流す。
腕に鈍く光る切っ先を滑らせ、赤く滴る血潮を、燃える炎にくべらせた。
ぽた、ぽたりと血が炎に焼けて、消える。火と煙で燻られた傷口が、痛かった。
暗転
あるじ様の炎が、森を焼いていた。
家は焼け落ち、村は踏み倒され、家族は散り散りになる。
「に、にいちゃんっ!」
いや、弟だけが、自分のそばにいた。
手を強く握り、喧騒と炎から逃げるように森を駆け抜ける。
呼吸がままならず、しかし整える暇もない。
つんのめる弟を助け起こすでもなくとにかく引きずるように走らせ、金属音と汚らしい喧騒から遠ざかって、逃げてーーー
『ーーー!』
汚らしい、人間の言葉だ。
何かを叫びながら、こちらに向かっていた。
引き攣る心臓と呼吸を無視して、弟を見る。
髪は白く、肌は柔らかく、角も見えない弟は鬼としては劣っていると言わざるを得ない。それでも、お前にとってどれだけ非道で残酷でも、俺は決断を躊躇ったりはしなかった。
「か、髪の白いお前なら、人間を騙せる。捕まったら、俺に攫われた子供だと泣きつけ」
弟の顔は、見なかった。
人間に追いつかれる前に、手を握っていた弟を盾のように構え、喚き散らす。
博打みたいなその行動が幸をなして、人間達は足を止めた。
喚き、罵倒し、罵って。
ろくに使えない剣を振り回して、盾にしていた弟を脇に放った。
死ね、死ね、死んでしまえ!!
剣を前に、走る。
腹が、肩が、足が痛くても、とにかく前に走る。一人くらい殺せなきゃ、あるじ様に顔向けできない。
剣が、肉の腹を、突き破った。
俺の血が赤い事が、嬉しかった。
暗転
泣いている。
弟が、泣いている。
身綺麗になった弟が、俺の角の欠片に縋って泣いていた。
人間が弟の背中をさすっている。
人間が。
村を、家族を、自分を壊した人間だ。
その腕の中で、弟が息を殺して泣いていた。
それでいい。
お前が生きていてくれるなら、なんでも良かった。
お前のために、ずっと祈りを捧げているよ。
暗転
「大司教様?」
「……っああ。……待て、っあー……こりゃ、騎士団の奴だな」
「騎士団、ですか」
角を手にした大司教は、数秒固まったあとミナの声に反応してぽろりと手のひらから角を落とした。
すっかり疲れた様子で頭を緩く振り、眉間を親指で指圧している。
過去を見ると言うのは、きっと凄く疲れるのだろう。
「隊服を着てるのが見えた。若い男だったが……髪がところどころ赤かったから、探しやすいと思うぜ」
息をついて、飲みかけだったワインをぐいっと飲み干す。そんなことをすればむしろ体にも喉にも悪そうだったが、大司教はそれで落ち着いたらしくため息を吐いた。
「あ〜生き返った〜〜。マジで今日の仕事終わり。おっさん帰るわ〜」
「えっ、人探しは」
「あぁ? これ以上は無ぇよ。あとはお前さん達の仕事ってこと」
チャリ、と手元の銀貨をポケットに突っ込み、大司教は椅子から立ち上がってワインボトルとグラスを持って背中を向けた。
引き止めるまもなく部屋から出て言ってしまった後ろ姿を見送り、ミナは机の上に残された角を呆然と拾い上げる。
大司教様は悪い人ではないのだろうが、如何せん態度や仕草が聖職者らしく無さすぎる。
欲しかった情報は得られたのかもしれないが、どこか納得いかないような気持ちで言葉を飲み込んだ。
「き、騎士団の人かぁ……」
「会いに行くか?」
少し返事に迷いながらも、ミナの答えは決まっていた。人助けの意思と言うよりは、ここまでしてもらったら最後までやらなきゃ!という使命感だが、それでも「やらない善よりやる偽善」と言う。
角を触って変わりない艶を確かめながら、首にかけなおす。
外に出て日を見るとまだ時間はありそうだし、このまま騎士団とやらに行くことにするのがいいだろう。
立ち上がり、部屋を出て歩いてきた道を辿る。
「あら、お帰りですか?」
道中で背後から声をかけられ、振り返る。そこにはいつの間にか姿を消していたシスターさんが本を片手に佇んでいた。
「お力になれなれたようで安心しました。これも神のお導きでしょう」
「あ、さっきはありがとうございました。……その、騎士団の人に会いたいんですけど、どうやったら会えます、かね? 詰所以外だとありがたいんですけど……」
ミナは内心(運がいい!)と嬉々としながらシスターへ申し訳なさそうに質問をした。やはりミナとしても態度は殊勝な方が好感が持てる。
つまり先に立ち寄ったあの詰所にはいい思い出が無い。騎士団と言えば繋がりはそこくらいしか思い浮かばなかったが、他の選択肢があるのなら知りたかった。
シスターは頬に手を当て悩む仕草をした。
「駐屯所はありますが、普段我々は赴きません。そもそも紹介状などがなければ門前払いが基本でしょう」
「あ、そうなんだ……」
「でも、そうですね……。今回は特別に、大司教様のお名前で書状をお書きましょうか?」
「え? いいですか?」
「ええ、光の導きに従います」
妙に気前のいいシスターはミナとロディを別の部屋に案内し、ソファに座らせた。部屋にはシスターの他に何人か人が出入りして、会話から察するに大司教様への確認をしている。流石に独断ではないらしく安心した。
シスターはその報告を聞きながら、スラスラとペンを走らせて1枚の書状を書き上げた。
そうして真っ白の大事そうな手紙を一通、手渡される。
「これを駐屯所の者に。良いように取り計らってくれるでしょう」
シスターは清らかな笑みでミナを促す。
何故ここまでしてくれるのかはさっぱり分からなかったが、とにかくシスターも、あの酒癖の悪い大司教も親切だ。
ミナはぽかぽかとした心臓をひとなでして、シスターに礼を伝える。
「ありがとうございます。……また、来ます。今度はお祈りをしに」
「ええ、お待ちしております」
教会を出て、教えてもらった通りに駐屯所へと向かう。街の中にあった詰所とは違って、駐屯所は街の外れにあるらしい。




