第一章-7
宿屋で教えて貰った店で下着をひと通り揃え、目的もなくなった2人はぶらぶらと祭りの通りを歩く。
やらなききゃいけない事も何も無く、やりたいことも特に無い。強いて言うならお金を稼がないとそろそろまずかったりもするが、全然働きたくなかったミナはその事を会えて放念していた。
賑やかな通りは人が多く、ミナがよそ見をしてぶつかりそうになったり転びそうになるとロディが慌てて体を支えてやる。ロディの気も知らないでミナは安心して呑気に周囲に気を散らしていた。
買い食いした串肉のゴミを捨てにゴミ捨て場へ行くと、酷い匂いとともに雑多なゴミが乱雑に捨てられている。眉をしかめたロディを笑いながら、ミナはまだマシかもなと前世の中世を思い出した。
確かあれは、道端にゴミを捨てるのが当たり前だった気がする。
それと比べれば道にゴミは落ちているものの酷くは無いし、こうしてゴミ捨て場もある。少し遠目には浮浪者だか貧困民らしき人が見えるが、彼らにしてみればここはオアシスだろう。
ふとミナが足を進めると、ガリッと足元から嫌な音がした。
「んっ?」
慌てて足を上げて見てみると、綺麗な赤い角の装飾品を踏みつけていた。ゴミ捨て場からは離れているし、ゴミとは思えないほど綺麗な装飾品だ。
「んん……落し物?」
慌てて拾い上げると、どうやら角に紐を括った首飾りらしく、赤と黒の混じりあった様な角はツルリとした滑らかな肌触りをしていた。欠けては無いようでほっと息を吐き、何の角だろうと弄ぶ。ミナの手のひらよりも小さいくらいのサイズだ。
周囲を見渡してみるが、人はいない。
「んー、交番なんて無い、よね……?」
手で砂を払って見れば汚れもなく、綺麗に手入れされている。ミナはそのままその紐を腕に通して、ひとまず落とさないように手のひらに握った。
このまま捨てるのも忍びないし、落し物を管理する場所があれば持って行ってもいい。このまま捨てるのは勿体ないので、貰ってしまうのも手だと思った。
「ロディ?」
先程から反応がないロディを振り返ると、ロディは「ん?」といつも通りみたいな顔で小首を傾げた。その装ったような不自然な顔に、足を止める。
「えっ、どうしたの。疲れた?」
「……んー、いや。少し、変な気持ちになって」
「へんなきもち……大丈夫…?」
ロディの顔を覗き込むと、なんとなくどこか気落ちしているように見えて驚く。ミナにとってのロディは大抵なんでもないような顔をしていて、たまに笑ったり、きょとんとしている。
悲しそうな顔なんて本当に珍しかった。
少し迷って、ミナはロディの手を取る。
近寄って、下から顔を覗き込んで心配そうな顔をするミナに、ロディは笑って差し出された手のひらをぎゅうっと握った。
「……んん? なあに」
「慰めようかとおもって……?」
「慰め……俺を?」
「ロディを。手繋ぐの好きでしょ」
尊大なミナの言葉に、ロディはひとつも反論せずに頷いた。事実だったからだ。
指先から感じるミナの体温に気分は上向き、ロディは肩の力を抜いて笑みを浮かべた。
それでもまだ沈んでいるふうに見えて、ミナは少し迷ってからロディの腕を引いた。
「だっこする?」
「え?」
「……嫌ならいい」
「えっ、待って。そんなこと言ってない」
気恥しさと焦りで歩き出したミナをロディが手を握ったまま追いかけ、そのままの勢いでミナをひょいと抱える。誘われたとおりだっこをしてやると、ロディの腕の中にすっぽり収まったミナの体にふ、と笑みが零れた。
「元気出たよ、ありがとう」
「ん」
やっぱりこれで元気でるんだ。
ロディは笑いながらミナの手のひらから先程拾った首飾りを取り、そのまま器用に片手でそれをミナの首にかけた。
ロディを見ると、なんとなく優しい顔をしている。
「これ、何かあるの?」
急に悲しそうになった原因が、拾ったこの角だろうことは予想がついた。見た目は何の変哲もない装飾品だが、何かミナの知らない特別な事があるのかもしれない。
ロディはミナに顔を寄せて、そのまま少しだけ顔を動かして頷くような、擦り寄るような動作をした。
「そうだな……お守りみたいな物だから、きっとミナを守ってくれる」
「……お守り?」
ミナは改めて手の中の角を見つめた。ツルリとした感触がまだ温かい気がして、少しだけ手に汗が滲む。
ムルみたいなすごい人が実際いる訳だし、お守りにも確かに効力はありそうだ。
「これ……なんの角?」
ミナの純粋な疑問にロディは一瞬押し黙り、ゆっくりと細い空気を吐いてから静かにその名前を口にした。
「鬼だよ」
おに、と呟く。
想像したのは節分の赤鬼や青鬼だった。しかしすぐにファンタジーなこの世界ならゲームのような人の姿に角が生えた鬼かもしれないと思い直す。
首にかけられた角を手に取りまじまじと見ても、これがそうなんだ、となんとも実感は薄い。
赤い瞳がまっすぐにその角へと向けられているのを見上げる。親指でそのツルリとした感触を味わいながら指で遊んでいると、視線に気づいたロディが歩きながら喋りだした。
「前に言ったろ、殺したくない奴らがいるって」
突然のロディの言葉に、森を出る前日のことを思い出した。木漏れ日の中の川べりで、ロディのしたい事やしたくない事を聞いた日のことだ。
そんなに昔の事でもないし、もちろん覚えている。
「あ、うん。眷属だっけ?」
「そう。俺の眷属は、鬼なんだ」
「……えっ」
目を瞬いて慌てて手のひらを見る。
鬼が、ロディの眷属。
鬼の角と言われたそれは、つまるところ体の一部だ。それを殺して切り落としたのか、また生えてくるからと本人から売り払われたのかは分からないが、少なくともロディにとって特別なものなのだろう。
言葉を探しながら思い出す。
初めに悲しそうにしていたのは、そのせいだろうか。
「……えっと、鬼の角ってまた生えてくるの?」
「んー、残念。生えてこない」
「…………」
拾った角は綺麗に手入れされている。少なくとも大切にされていたのだろうし、例えこれが非道な方法で作られていても、それを買った人に責があるかは怪しかった。
でも、その鬼はきっと、殺されている。
ミナにはロディの気持ちは分からない。
鬼も、その角というのも、それが装飾品になっているのも。ミナにとっては実感のわかない他人の話だ。
ミナは自分の世界に当てはめてみた。例えばそれは、マンモスを殺して牙を集め、勝手に装飾品にしてる、とかだろうか。
ミナは考えてみて、それは少しだけ悲しいなと思った。人は頻繁に別の種族を消費するし、ミナもその恩恵を得て生きてきた。
忌避感は感じる。けれど、それを批判するのは難しい。
ーーーでも。
でも。鬼がロディの眷属だと言うのなら。それはミナにとって一番身近な出来事だ。今のミナにとっての大切は自身とロディしかいなくて、遠い世界の出来事なんかじゃない。
ロディはミナにとって大切な仲間だし、友達だ。甘やかされている自覚はあれど、ずっと隣にいてくれる特別だった。そのロディの「大事なもの」が奪われたり、傷つけられたりするなら、理由や必要性なんてどうでもよくなる。
正しいとか間違っているとか、他人がどう思うとか、そういうのを全部放り捨てても――ミナはロディと同じ側に立って、一緒に悲しめるし、一緒に怒れると思った。
「眷属って、ロディにとってどんなものなの?」
色々聞きたかった言葉を飲み込んで、結局よく分からなかったそれを、正直に聞く。ロディにとって殺したくないというその鬼のことを、もっと知りたいと思った。
ロディの歩くスピードは変わらない。向かう先は分からなかったが、特に目的地を不安に思うことも無い。
ロディはぼんやりとしながら答える。
「どんな……、部下? なん、なんだろうな。自分の一部、手足、とかか?」
「そっか……仲がいいんだ?」
「いや、今は絶縁中」
「えっ」
予想だにしない返事に声を上げる。まさかの、喧嘩でもしたのかもしれない。
そんな関係中でも、ロディは鬼の角を見ると、やっぱり思うところがあるのだ。
「なんで喧嘩したの?」
「喧嘩、喧嘩か。……損切りをした。俺は、アイツらを見捨てたんだ」
「……ええと」
口をついて出た声を慌てて閉じて、言葉を探しながら分厚い布の上からロディの頭を撫でる。
自嘲するような、自傷するような言葉だ。自分を責めて、後悔している人の言葉だった。
「えっと、……仲直りしに行く?」
わざと、子供みたいな提案をした。
どう見てもロディは悲しそうだし、苦しそうだ。少なくともミナはロディが心の底から鬼を嫌ってそうしたようには思えなかった。
「やっぱり旅の目的って、あった方がいいし。それに私、鬼ってちょっと見てみたいかも」
その上ロディの憂いも晴れるなら、一石二鳥だ。
そう思うと、拾った鬼の角も天啓のように思えたし、道しるべのように感じた。どうせ落し物を届けに行くなら、その人に聞けば鬼のことももっと分かるかもしれない。
ミナがそう提案すると、ロディはミナを抱く手に力を入れて道の隅で立ち止まった。
「ロディ?」
布の隙間から、顔を覗き込む。
「は、…………今更?」
ロディの声とは思えないような、掠れた声だった。覗き込んだミナの顔を、ロディが今気づいたように見上げて影の中で目と目が合う。
いつもすましたような綺麗な顔が、少しだけ歪んでいた。
「ーーー嫌?」
ミナが首を傾げて、そう問いかける。
思い返せば、仲のいい友達と喧嘩した後はずっと後悔と怒りが渦巻いて、それでも、絶縁なんかは望んでいなかった。自分が悪くても相手が悪くても、許したいし許させて欲しかった。
ロディの中にまだその眷属たちとの仲を修復したい気持ちがあるのなら、少しだけ距離を詰めてみるのもいいはずで、そうした方がきっと飲み込める。
ロディはミナの透き通った瞳を見つめて、耐えきれずに目を逸らした。
自分でも、分からなかった。
選択に間違いはなかった。
あの時ロディが彼らを切り捨てていなければ、この世界は既にもっと酷いことになっていただろう。天秤の片側に乗るには、軽い命がそこにはあった。
それを切り捨てたことを、ロディは、間違いだとは思わないし、謝罪する気も無い。
「……ミナ」
抱き込んだミナに顔を寄せて、ロディが呟く。
ミナは呑気そうな声で、「んー?」と間延びした返事を返した。
「会う、だけ。会って、あいつらが今どうしてるか見るだけでも、いいと思うか?」
見て、どうするのだろうか。
ロディの冷静な部分が問いかける。
もう、ロディには何も出来ないのに。
ーーーー頬に冷たい手が触れる。
「いいよ。……そもそも、私が会いたいんだから。だって、ロディはずっと私に着いてくるんだもんね?」
耳鳴りがした。
目の前のミナが、世界から浮き彫りになる。
ロディは瞠目して、目を瞬いた。
「…………あ」
どこかで、彼女のことを見たことがある気がした。
「ロディ?」
「ぇ、……あ。なん、なんだ?」
「もう。とりあえず、角の持ち主を探して、それから考えてみよ」
ミナの提案にロディは頷く。
どぎまぎしているロディを放って、ミナは手元の角をまじまじと見つめて考えた。
この鬼の角は、どんな人のもので、それはどんな思いで大切にされていたのだろうか。
ふと、カバンの横に付けていたアクセサリーが揺れているのを見つける。
露店で買った人魚のウコロを使ったストラップだった。
薄く淡い色合いのそれは、確か人魚の子供のものだと言っていたはずだ。
そう今更思い出して、現実が脳裏を掠める。
それは、自然に抜け落ちたウロコを使ったものだろうか。そうだといい。真実を知ったら、……知らなくても、ミナはそのストラップをもうあの時のようなキラキラとした気持ちでは見れそうに無かった。




