第一章-3
金を払ったものは仕方ない、と渋々ながら諦めを肯定に変える。
恨みがましい気持ちでロディを見るが、当の本人はさっぱり何も気にした様子もなく平然としている。それにたじろぎ、ミナの自意識過剰かと悶々とするが、―――よくよく考えてもおかしいのはロディだと考え直し、自己完結して終わった。
改めて聞くのも自分が嫌がっているようで避けたいし、結局他の選択肢も無い以上、受け入れるしかないのだろう。
気を取り直して部屋を物色するが、驚くほど何もない室内に「こんなものか」と落胆する。
冷たく薄暗い石造りの部屋には、ベッドと机と椅子がふたり分あるだけだった。
面白みもなく、明かり用に渡されたロウソクをテーブルに置き、ベッドに腰掛ける。するとロディが興味津々といった様子でミナの隣に来て、手のひらでベッドを押した。
「へぇ……藁か? これがベッド……」
「ちょっとチクチクするね」
さすがにスプリングがあるはずもないし、羽毛や綿も高級品だろうと想像がつくから贅沢は言わない。地面じゃないだけマシだ。
「そうか? ……そうかもな」
肌が硬いのか、あまり実感がない様子でロディは頷いた。子供のようなその一面に、ミナはふっと笑みをこぼす。
(そうだよね)
改めて、ロディが人間ではないのだという事を少しだけ実感する。
(人間の街も、藁のベッドも、全部初めてなんだよ……)
自分の安全、安心のためにロディをドラゴンの姿から人の形に変えて、森の外に連れてきた。そこに後悔はない。
けれど、それでも他人の人生を変えたのだという漠然とした責任感はあって――だからこそ、ドラゴンでは出来ないことをたくさん経験させてやろうと思った。
そういえば。
詳しい内容は知らないが、明日は満月なので感謝祭という行事があるらしい。特に予定もやりたいこともないのだから、行ってみてもいいかもしれない。
ミナも初めて、ロディも初めてなら、きっと新鮮で楽しいはずだ。
土足文化のようだったが靴を脱ぎ、ミナは早速寝る準備に入る。
風呂はなく、今さら宿の外にあるという井戸から水を汲む元気もない。とにかく今日は歩き疲れたし、早く眠りたかった。
それに、先に寝てしまえば余計な緊張もきっとない。……はずだ。
「もう寝るのか?」
「うん。……明日は昼前に起こしてね」
「ン、分かった。飯は? 食ってないだろ?」
少し考えて、ミナは首を振る。
「疲れたからいいや。持ってきたザクロは明日食べる。……明日は感謝祭らしいから、お店とか見て回ろっか?」
質素な藁のベッドでも、洞窟の地べたで寝ていた体には至福のひとときだ。感触は悪いが、藁の匂いは意外と心地よく、よく眠れそうだった。
「感謝祭、ね。……まぁ、感謝なんてされても困るだろうけど」
ロディが何かを呟く。
そのままミナは、緊張も空腹も感じる前に意識を手放した。
□
「……!!」
目を開けた瞬間、飛び込んできた景色にビクリと体を強張らせる。
ロディの美しい寝顔が目の前にあり、目と鼻の先で整った顔立ちの生き物が静かに息をしていた。しばらく呆然とそれを眺めて、息を吐く。
(し、心臓に悪い……)
口元の涎を拭いながら、呻く。
普段はロディの背が高いせいで顔をまじまじと見る機会は少ないが、改めて見てもやっぱり顔がいい。
目を閉じていると鋭い眼光が隠されあどけなさが際立ち、ただただ「美しい」という言葉が先に浮かんだ。
口元を抑えながらジッと見つめていると、急にパチリと目が開き、視線が交わる。
「…!」
「おはよう」
「ぇっ……あ、お、おはよ…。起きてたの……?」
流れるようにベッドから起き上がり、ぐぐっと伸びをするロディをミナは寝転んだまま見上げる。
髪も服もよれてだらしないのに、顔だけはやけにぴかぴかと光っているみたいに綺麗に見えた。
ベッドから下りて軽く体を動かすロディを見ながら、ミナもゆっくり体を起こす。
(……体が痛い。筋肉痛だ)
顔を顰めながらもなんとか動く。予想はしていたことだった。
「ああ。昼前まで待ってた」
「あ、あ〜…そう……」
なんとも言えない気持ちになって、ミナは押し黙る。
別に、起きたらすぐに起き上がらなきゃいけないわけでも、目を開けなきゃいけないわけでもないけど。何故か騙し討ちされたような気がして、少し納得がいかない。
(櫛が欲しいな)
手櫛で髪を整え、服のシワを伸ばす。結局中に入ってすぐ宿で休んでしまったので、ふたりとも服の替えはなく相変わらずのぼろのままだ。
ミナは事前に受けた説明を思い出し、ロディを外へ誘った。
「ロディ、水を汲みに行こ」
「水?」
「井戸があるんだって。宿屋の人に桶を借りられる」
「へえ?」
部屋を出て一階に降りると、覚えのある店員が朝から元気な様子で桶と布を貸してくれる。どちらもボロいが、まあ仕方ない。
礼を言って、教えてもらった井戸へ向かう途中、ロディが桶を受け取りながら眉をしかめた。
「えっ、何?」
「ミナ、どこか怪我でもしてるのか? 動きがおかしい」
「…………あ。あー……いや、これは筋肉痛」
「きんにくつう」
「ふ、あははっ……運動しすぎただけ。そのうち治るよ」
ロディの拙い物言いに吹き出して、ミナが笑いながらロディの背中を叩くと、ちらとこちらを見て「なるほど」と頷いた。
井戸にはすでに何人かの人が水を汲んでおり、ミナとロディもそれに倣って水を桶に入れ、部屋に戻る。
「先に使う?」
「先に……って、水を? 別にどっちでもいいけど」
「じゃあ先に使おっかな。あっち向いてて?」
「え?」
「……体、拭くから。あっち向いてて」
ロディの体を押して壁際へ追いやり、くるりと後ろを向かせる。
「いいよって言うまでこっち向かないでね」
「……ああ」
戸惑いながら頷くロディは理解しているようには見えなかったが、恥ずかしいから見ないで!とわざわざ言うのも恥ずかしくて、曖昧なまま事を進める。
とは言え同じ部屋のすぐ側にロディが居るのは変わらないし、見られないとは言え恥ずかしいものは恥ずかしいのでさっさと済ませるに限った。
桶の水に浸した布を絞り、火照った顔や体を拭ってさっぱりする。もちろん、ボディソープやシャンプーなどあるわけもない。
服を着て布を水に晒し、「いいよー」と当初とは打って変わって気楽な声で声をかけた。
「ん……そう言えば、人間は他人に裸を見せないんだったな」
「え? まあ、そうね。ドラゴンの時はずっと裸みたいなものだもんね…?」
ミナが体を拭いている間に人間の常識を思い出したのか、ロディが納得したように呟く。
ロディは最初に人型になった時も全裸で、服に対する意識は薄く、今もミナの用意したぼろを無頓着に着ている。
ミナは手招きして、桶の中の布を絞って見せた。
「これで、体を拭くの。汗とか汚れとか……そういうのを落として綺麗にする」
「……ああ、ミナが川でしてたやつ」
「え? …………! っ……!」
かあっと顔が真っ赤になる。
そう言えば、そんなことも、した。と言うか川に初めて連れてきてもらってからも、何度か川へは体を洗いに行ったし、その時ドラゴンだったロディは勿論ミナの裸を見ている。
今更ながらにそんな事に気づいて、バンッとミナはロディの背中を勢いよく叩いた。――しかし、痛みを訴えたのは叩いたミナの方だ。
「って、手がいたい……」
「急に殴るから……大丈夫か?」
「かたい……」
「そりゃ、そうだろ。どうしたんだよ」
ロディは痛む様子なんて欠片もなく戸惑ったようすで、それにもまたミナは「もう!」と理不尽な怒りをぶつけてすぐに「もー……」と項垂れた。
「……?」
「…………人の裸は、見ちゃ行けません」
「は?」
「少なくとも私のはダメ」
「そう、なのか? でも、川ではそんな風には……それに、ミナも俺の裸は見てなかったか?」
それは、確かに。
「…ぐぅ………非常事態は仕方ないとします……」
「ひじょうじたい」
ロディがきょとんと繰り返す。
「だって! あれは! ロディが急に人型になって目の前で裸になったから!」
「うん」
「……な、ったけど……うあ〜〜。よ、よし。今回は、ふたりとも互いに見たのでおあいことします……」
「おあいこ」
「で、でも、ダメ。だめだよ。今後は見るのもダメだけど人の前で裸になるのもダメだからね! おわり!」
あんまりにもロディが素直に頷くので、ごねているミナの方が間抜けに見える。ミナは唸って、過去のことは忘れることにした。
ヨシ! 忘れた!
未来の話をしよう。そう思い、ミナは間違っても自分のような悲しい存在が増えないように釘を刺すが、ロディは真面目に聞いていたかと思えば、突然「ははっ」と笑い出した。
「……わらってる」
「な、なぁに? ……っふ、」
「えー……なんで? そんなにおもしろかった?」
「ん、ンー…あははっ。ミナが楽しそうで、良かったなぁって思って」
「……フーン」
口をもにゅっと歪めて眉をあげる。
褒められたような、からかわれたような。ただしロディは、珍しくとても楽しそうだった。
すっかり毒気を抜かれたミナは肩を下ろし、大きくひとつ息を吐いた。
「感謝祭行こっか。お腹も空いたしね」




