バックトラック 01-09
ふと気がつくと、マンティコアの赤い顔が目の前から消えている。かわりにあったのは、レザージャケットを纏ったおとこの背中だ。おとこに殴られたマンティコアは、放物線を描き橋の上を飛ぶと落下してバウンドする。
突然エリカの目の前に出現した一輪バイクにまたがるおとこが、言葉を発した。
「待たせてすまんな、これでも急いだんだが」
エリカは呆然としながら、呟く。
「ダンジョン・シーカー?」
「おう」
おとこは、少し首を捻ると鋼の輝きを宿した瞳を見せる。
「あんた、エリカ・ベックだね。後は、まかせろ。それと終わったら、サインをくれ」
ダンジョン・シーカーは、笑みを浮かべる。それは、黄昏の闇を破る陽の光のように穏やかで暖かい。
「おれは、あんたのファンなんだ」
エリカが呆れて口を開いた瞬間、マンティコアが怒りの咆哮をあげて深紅の風となる。同時に、ダンジョン・シーカーの乗る一輪バイクのモーターが獣の雄叫びをあげた。
漆黒の風と深紅の風が、黄昏のダンジョンで交差する。撥ね飛ばされたのは、赤いモンスターであった。ダンジョン・シーカーの回し蹴りを受け、赤いゴムまりのようにマンティコアは橋の上をバウンドして転がる。
ふわりと一輪バイクが、着地した。ダンジョン・シーカーは、バイクから降り橋に立つ。
エリカは、そっと息をつく。あれほど苦戦したモンスターが、子猫のようにあしらわれている。ダンジョン・シーカーは、ひととは思えないレベルの強さだ。むしろ、モンスターの仲間だと思ったほうが納得がいく。
マンティコアは唸り声をあげながら、橋に立ち上がる。その身体が、赤い霞に包まれた。霞は一瞬にして消え、流体金属の装甲に覆われたマンティコアが姿を現す。
エリカは、目をみはる。あれほどの強さをみせたマンティコアは、どうやら全力を出していたわけでは無かったようだ。
「おう、本気を出してくれたようだな」
ダンジョン・シーカーは、楽しげに聞こえる調子で言った。
「あんたは、なにも悪くはない。悪いのは、あんたを襲ったおれたちのほうなんだろうが」
おとこは、そっとため息をつく。
「だが、こうなってしまっては仕方がない。せめて、こちらも全力をつくして戦うよ。敬意を、もってね」
ダンジョン・シーカーは、ベルトのバックルにモバイル端末を装着した。端末は、仄かな光を放っている。突然、端末が鋭い光を点滅させながらアナウンス音声を発した。
『system boot start』
『booted process check ok』
『system boot end 』
『welcom to CHAOSMOS system』
おとこは、カードを一枚取り出すと端末に装着する。端末は点滅しながら、アナウンスを発した。
『accept method "Sonic Hopper"』
『execute method 』
『create instance ok』
『start "Sonic Hopper"』
一瞬、おとこの姿が黒い霞に覆われる。霞はすぐに消え去り、オリーブドラブのバイオスーツに身を包んだダンジョン・シーカーが姿を現した。頭部は、丸いヘルメットに覆いつくされており顔はみえない。目の部分には赤い複眼状のゴーグルがあり、光を放っている。その赤い光に、言い様のない戦慄的なものを感じた。
異形の怪物が、そこにいる。
マンティコアと、変わらぬ怪物。
そして、底知れぬ強さを持つ怪物であった。
装甲で身体を覆ったマンティコアは、静かに空中に浮かび上がる。オリーブドラブの怪物は、赤い瞳を妖星のように輝かせ、顔全体を覆うヘルメットの下部に赤い稲妻のような亀裂を生じさせると、雄叫びをあげながら跳躍する。
エリカは、オリーブドラブの怪物が前に伸ばした足から、三枚のブレードが飛び出すのをみた。そのブレードはドリルのように回転する。
赤い怪物も、オリーブドラブの怪物も、一瞬にして視覚で補足できない速度に加速した。ごぉ、と風が巻き起こりエリカは身体を持ち上げられそうになる。
二つの強大なエネルギーの塊が、ダンジョンの中でハリケーンのように渦巻く。
再び、二つの風が交錯した。爆発が起こったような衝撃波がおこり、エリカは顔面を殴られたように感じる。無数の落雷が荒れ狂ったようなあまりの激しさに、エリカは軽く意識を失う。
エリカが目を開いたときには両者とも、着地していた。オリーブドラブの怪物は、膝をついたままだ。深紅の怪物は後ろ足で、ゆっくり立ち上がる。
その姿を見たエリカは、思わず息をのむ。マンティコアの胸のあたりに、大きな穴があき向こうにあるダンジョンの壁が見える。マンティコアの目は、虚ろであった。
赤い怪物は、ゆっくりと橋の上に沈む。ダンジョン・シーカーは立ち上がると、身に纏ったオリーブドラブのバイオスーツを除装してひとの姿に戻る。