バックトラック 01-01
「これは、まずいんじゃあないかな」
エリカは、カタギリの言葉に驚いてふりむく。
カタギリは、少し蒼ざめた顔に引き攣ったような笑みを浮かべている。
彼は、洒落たサファリジャケットを身につけ、精悍な顔立ちをした良いおとこであった。しかし、今は精彩を欠いた表情をしている。
「ええ、気が付かれましたか」
先頭を歩いていたガイドのロミオが、エリカたちの方をふりむくと溜息まじりに口をひらく。ロミオは大きなゴーグルで顔の上半分を隠していたが、繊細な顎の線と少女のように赤い唇は晒している。
カタギリは、少し戸惑った調子で言葉を続ける。
「こいつはいわゆる、バックトラックってやつだよな」
ロミオは、薔薇色に染まった唇をそっと歪める。
「断言は、できませんが。おそらくは」
話についてゆけず、彼女は途方に暮れたようにあたりを見回す。
そこは、トウキョウ・ベイの地下深くのはずである。しかし、地下世界とは到底思えないような、壮大かつ荘厳な迷宮の中であった。
彼女たちは、トウキョウ・ベイに一夜にして出現した島の地下にあるダンジョンを探索している最中である。しかし、あたりの景色は到底地下とは思えない。
エリカたちが歩いているのは、幅が二十メートルはある大きな橋である。その橋は地下深くに穿たれた溪谷を、渡ってゆくためのものだ。長さは五百メートルを超えるだろうか。
溪谷の見た目は、大自然の山脈を彷彿とさせる。だが、その岩壁をよく見れば決して自然のものではなく、何者かが造り上げたものだとわかった。明らかに自然とは違う加工の跡があり、いかなる工法かはわからないが構築されたものであるとわかる繋ぎ目や組み合わせの跡が見える。
そしてより不思議なことに、頭上は岩盤に覆われているはずなのだが灰色の霞がそれを覆い隠していた。地下であるのに、そこは暗くない。頭上の灰色の霞が淡い光を、放っているためだ。その光は、ダンジョントワイライトと呼ばれているらしい。
エリカは改めてこの迷宮は、訳のわからない謎に満ちていると思う。けれど、彼女のパーティは何も疑問を感じていないようだ。
エリカは少しだけ苛立ちの色を瞳に浮かべ、カタギリとロミオを交互に見る。
「誰かわたしに、状況を説明しようという親切心は持っていないわけ?」
カタギリは、肩から大きなアンチマテリアルライフルを外すとボルトを動かし薬室に弾を送り込む。
そして、ロミオに目を向けたが、ロミオは何やらもの思いに沈んでいる風情なので、小さくため息をつきエリカに向き直る。
「おれたちは、モンスターを追っているつもりだった。しかし、現実に追われていたのはおれたちのほうだったということさ」
エリカは舌打ちしたくなったが、思いとどまる。
「わたしたちは、モンスターの残した痕跡を追ってここまで来たんでしょう?」
カタギリは、ライフルを下に降ろすと二脚を接地させ伏射の体勢を取れるようにする。ポケットからシガリロを取り出し、ジッポーで火をつけた。エリカの表情が凶悪なまでに険しくなったが、気にせず煙を吐き出す。そして照準の調整をしながら、言った。
「こっから先の説明は、専門家に任すよ」
カタギリの言葉に、ロミオは夢から覚めたように頷いて答える。
「モンスターの残した痕跡が、まやかしである事に気がついたという事です」
ロミオが、薔薇の花弁がごとき唇に薄く笑みを浮かべている。エリカは凶暴な光を放つ瞳を、ロミオに向けた。
「じゃあそのブルシットモンスターが、ガッデムシットなフェイクの痕跡をわたしたちに見せてるとでもいうの?」
「おいおい」
カタギリが、紫煙を燻らせながら苦笑する。
「おんなの子の、セリフじゃあないな。それは」
「では、マザーファッカーモンスターがビッグアスからひり出したファッキンフェイクと言い変えるわ」
カタギリは肩を竦め、ロミオがクスリと笑う。エリカは、大きくため息をついた。
「わたし、おんなの子っていう歳じゃあないよ」
「ああ、すまんな。おれくらいの歳になると、若い子はみんな子供に見えちまう」
エリカは、険しい目をカタギリに向ける。
「あなた、そんな歳じゃあないよね。カタギリ」
カタギリは、シガリロの火を地面で消しながら笑みを浮かべる。
「おれはもうすぐ五十だぜ」
エリカは目を丸くしたが、気をとり直し冷笑を浮かべる。
「mRNAを使った身体改造って、やつね」
エリカは、カタギリと出会ったときのことを思い出す。SNS向けエクストリーム系動画の配信者として知られた彼女は、グアムのビーチで休暇をとっていた。その彼女に声をかけダンジョン探索のスポンサーにならないかとビジネスを持ちかけてきたカタギリは、どう見ても三十代前半に見えた。
まあ、見た目は金さえ積めばmRNA薬品のアンチエイジングでなんとでもなる時代ではある。