そして火星へ
「……あら? あなた、みっちゃんじゃない? ねえ、みきおくんよね?」
「……え、あ、ああ! 駄菓子屋のおばちゃんですね!」
未だ発車しない列車の窓の外をぼんやり眺めていた男は、通路で立ち止まった老女に声をかけられ、そう応えた。
自分もそうだが、向こうもよく気づいたものだ。あれから何年になる? 子供の頃の面影があったのだろうか、とどこか、しみじみとした気持ち。
「ええ、うふふ、そうよ。駄菓子屋のおばちゃん。でもまあ立派になってねぇ。元気にしてた?」
「ええ、ははは、まあ元気ですね、ええ元気」
「ご家族はどう? ご一緒?」
「ああ、多分、その辺にいるんじゃないんですかね。さっき母と祖母も見かけましたし、妻と、あと娘はまだですけど」
「あらそう、じゃあ、お見送りされたのね。でもすごいわよねぇ火星行きなんて、宇宙飛行士さんね! ふふふ」
「ええ、僕も驚きましたよ。まさか選ばれるなんて……」
「あら不安?」
「まあ、正直……。いや、もう住居スペースはできてるそうだから、別に環境はあまり変わらないんでしょうけど移住ともなると、やっぱり少し寂しいと言うか……」
「ええ、わかるわ。でも選ばれたんだもの。胸を張りましょうよ、ね!
あ! そういえばあなた、ほら、スペースシャトルのおもちゃを持ってなかった!?」
「え、ああ。そう言えば一時期、どこに行くのにも持ち歩いていましたね、はははは」
「そうよね! それで私、聞いたもの。将来の夢は」
「宇宙飛行士」「宇宙飛行士」
「ふふふっ」
「はははっ」
「叶っちゃったわね!」
「ふふっ、そうですね……。そう、胸を張って行きますか!」
「ふふっ! ええ、あ! 列車が動きそうね! じゃあ、またね!」
汽笛を上げた列車。向こうに自分の席があるのだろう、老女は慌ただしく他の車両へと移った。
その快活さに、男は生前もそうだったなと頬が緩んだ。
ふと車両を見渡せば、他にも見た覚えのあるような顔があった。人生で関わりのあった人同士が纏められたのかもしれない。移住の際に寂しくならないように。
まさか地球の天国が満杯になるとは。
男はフッと息を吐き、窓の外を見下ろす。
厚い雲のようなものに覆われ地上は見えないが、聞いた話では人口が増えすぎて、満員電車のようにごった返しているらしい。
その地上の方でも火星の緑地化及び移住計画が進められている。ゆえに火星にも作らざるを得なかった天国。
しかし、それも天国の人口密度を考えればちょうど良かったのだろう。一足先に行けるのは死者の役得ってところだ。
そう思った男は微笑む。
動き出した列車は大気圏を越え、宇宙へ。
目指すは火星。だが、人類の躍進次第ではさらにその先も、いずれは、こんな風に宇宙を旅できるようになるかもしれない。
そう思うと、また頬が緩み、地上で生きる者たちにエールを送らずにはいられないのだった。