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魔法銀の悪魔の救済  作者: 緑名紺
第一章 幸せな幼少期
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8 生まれる前のこと


 

 時間が巻き戻る前の世界、ルギが呪いの殺戮人形にされ、ミシュラのいる塔に向かう道中のこと。

 禍々しい姿のルギの前に立ちはだかる青年がいた。


『待ってくれ。ミシュラは悪くない。家族を奪われて、だから……頼むよ、俺に話をさせてくれ!』


 そう言って食い下がってきた青年に、ルギは躊躇いなく大剣を振り下ろした――。






「本当に? 本当に、ロアート兄さんだったの?」

「うん。顔の傷が同じだった……」


 ミシュラに問いかけられ、ルギは頷いた。とても目を合わせられない。

 自分が人を殺した記憶をまざまざと思い出してしまった。しかもその相手はミシュラの義理の兄、先ほど会った少年だった。


「ごめん……ごめんなさい……」


 この一週間で、ルギを取り巻く世界は大きく変わった。

 こんなに穏やかで満たされる日々は初めてだ。見るモノ全てが眩しくて、出会う者全てが優しい。


 ミシュラにはとても感謝している。

 光の世界に連れ出してくれたし、呪われた姿を忌むことなく接してくれたし、必要なものを惜しみなく与えてくれている。

 もしかしたら自分を利用するつもりなのかもしれない。そう疑う心はあるものの、今のところその兆候もなく、ただただ親切にしてもらっている。


 そんな彼女の家族を殺してしまったことで、自分を見る目が変わるのが怖かった。

 しかし黙っているわけにもいかない。一人で抱え込むには重すぎる。


「そう、そっか……ロアート兄さん……ふふ、変なの。私のこと、嫌ってるだけだと思ってたのにな」


 恐る恐るミシュラの様子を伺うが、その瞳は喜びの感情で揺れているように見えた。


「教えてくれてありがとうね」

「……怒ってない?」

「え、うん。ルギちゃんだって、好きでやったわけじゃないでしょ。もう無くなった未来のことで怒ったり憎んだりしないよ。元はと言えば、私のせいだし」


 ミシュラは怒るどころかご機嫌な様子で、ルギはほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、ますます分からなくなる。


 眼下にある不気味な毒の沼と、ミシュラの可愛らしい横顔を交互に見て、ルギはずっと気になっていたことを尋ねた。


「どうしてミシュラは、世界を滅ぼしたの?」


 ルナーグ家が抱える重い宿命について理不尽に思うことはあるだろうが、こんなに愛の溢れる環境で大切に育てられてきたのだ。戦いに身を投じて、恐ろしい怪物を解放して破滅を齎すような悪魔に成り下がるだろうか。普通なら躊躇うはずだし、挫けるはずだ。


 家族思いの優しくて明るい今の姿が本来のミシュラならば、どのような不幸と悲劇が重なれば、未来で殺し合った恐ろしい悪魔に変わるというのか。


「私だって、滅ぼしたくて滅ぼしたわけじゃない。生きようと戦っていたら、いつの間にかって感じ。いろいろあったんだよ。それこそ、産まれる前から」

「いろいろ……家族に何かあった?」


 その瞬間、ミシュラの顔から笑みが消えた。しかしルギが怯えたのを見て、今度は力なく笑った。


「これから先に起こるいろいろは、きっと変えて見せる。口に出すのも嫌だから、ルギちゃんにはあんまり教えたくないな」


 ごめんね、とミシュラは悪びれもしない様子で髪を耳にかけた。

 お前には関係ないと言われてしまった気がして、ルギは少し寂しかった。


「でも、これまでの“もう起きてしまったこと”なら教えてあげてもいいよ。でも、話はレムに聞いて。生まれる前のことを、私の口から語っても信憑性がないでしょ?」






 翌日、ルギは勇気を振り絞ってレムナンドの小屋を訪ねた。

 既に何度か顔を合わせている。彼は未来での出来事を含め、世界が巻き戻っていることも知っているらしい。ミシュラに随分と信頼されているようだった。


 中性的で端正な顔立ちの耳長族の男だ。ハンナ達には笑顔で応対するのに、ミシュラの前ではやさぐれた態度を取る。彼の二面性というか、本性を見ているルギは、少し緊張していた。


「は? ミシュラのことが知りたい?」

「うん。生まれる前のことはレムに聞けって言われた」


 レムナンドは面倒くさそうにしながらも、ルギを小屋に入れてくれた。


「一人で僕に会いに来るなんて、無防備なことだ」

「……ダメなことだった?」


 ルギにはまだ外の世界の常識が分かりかねていた。屋敷で普通に生活しているつもりでも、たまに突拍子のない失敗をして周囲を困惑させてしまう。頭ごなしに叱られないのは皆が優しいからだが、本当ならレムナンドのように露骨に顔をしかめられるに違いなかった。


「いや、別にいい。良い機会だ。僕もお前とは話をしておきたいと思っていた」

「? なんの話?」

「あいつ、世界を滅ぼしたことを後悔はしているが、反省はしていない気がする。現状、ミシュラが暴走したら止められる存在がいない。僕では敵わないからな」


 きょとんと首を傾げるルギに対し、レムナンドは厳しい表情で言った。


「いいか。ミシュラと仲良くするのは構わない。だが、同情して言いなりになるなよ。あいつが間違ったことをしたら絶対に止めろ」


 レムナンドの言いたいことはルギにも理解できた。

 ミシュラには前科がある。今回は悪魔にならないと言っているが、少なくとも世界を滅ぼす方法は知っているし、実行するだけの力もある。家族を守るためなら、何を犠牲にしても構わないと思っていそうである。


 とても危険な存在だ。

 追随してはいけないし、抑止力が必要だ。


「…………」


 しかしルギは、危険性を理解していても、頷くことができなかった。

 ミシュラとルナーグ家には恩を感じている。敵対して殺し合う関係にはなりたくない。そもそも、呪いで戦闘能力を付与されていない今の自分に、ミシュラを止める力などない。返り討ちにあって終わるだけの気がする。

 返事ができずに困っていると、レムナンドは大きなため息を吐いた。


「分かった。言い直す。ミシュラが間違えないように、よく見ていろ。お前の視線を気にして、ミシュラも暴虐を躊躇うかもしれない」

「見ているだけでいいの?」

「ああ。効果はあるだろう。あいつに良心が残っていれば」


 ルギは曖昧に頷いた。


「さて、ミシュラの出生についてだったか」

「うん」


 レムナンドは「少し長い話になる」と、ルギに椅子を勧めた。


「お前がどれだけの知識を有しているか分からないが……前提としてこの世界は“奇跡”で成り立っている。人々の祈りや英雄の勇気、あるいは愛や友情など、目に見えない心の力が時に計測不能な魔力の増強を齎し、何度も世界を救ってきた。だから、人々は“感情”を何よりも尊重する。心臓は魔力を生み出し、血液に乗せて全身に送り出すだけではなく、感情を司る人体で最も尊い臓器だ」


 予想外の話の切り口に、ルギは思わず自らの胸に手を置いた。心音がやや速い。

 レムナンドの話は「知っている」というよりも、それがこの世界の真理なのだと、本能的に理解できた。


「だが、ミシュラには……心臓がない。正確に言えば、錬金術で造られた“魔法銀の心臓”で動いている。だからあいつは、正確に言えば“人間”ではないのかもしれない。実際、辺境伯の血を引く一人娘だというのに、教会に出生届の受理を拒否されている。ある意味では“奇跡”の申し子だというのに、酷い話だ」

「!」


 レムナンドの口元には笑みが浮かんでいたが、目は全く笑っていなかった。

 最初から話そうか、と仕切り直す。


「ミシュラの母方の祖父、いや、ミレイヤの父と言った方が分かりやすいか? メギスト・メリク公爵と僕は四十年来の付き合いがあって、一緒に錬金術の研究をしていた。“魔法銀”の開発も二人の共同研究だ。メギストは僕の秘密を知っても受け入れてくれる、奇特で貴重な友人だった。だから、娘のミレイヤのことも彼女が幼い頃から知っていて……まぁ、普通に可愛がっていた」


 メリク公爵のことを話すレムナンドの目は、打って変わって優しかった。本当に大切な友人だったのだろうと察せられる。


「ミレイヤは当時の王太子と婚約していた。未来の王妃になるはずだったんだ」


 ムンナリア王国の第一王子イグニスと、メリク公爵家の令嬢ミレイヤの婚約は、幼い頃から決められていた政略結婚だった。

 二人の仲は良好で、強い魔力を次代に引き継ぐ組み合わせとして、周囲からも祝福されていたという。

 しかし十代に半ばになり、王都の魔法学校に入学した後、王子は平民出身の女子生徒・リタと電撃的に恋に落ちてしまった。


「世間一般にはミレイヤが可憐なリタに嫉妬して嫌がらせをして、王子がそれを助けたことが二人の馴れ初めである、などと噂されていた。馬鹿馬鹿しい。ミレイヤは誰よりも美しくて気高い子だった。格下を追いやる下品な行動などしないのに……」

「…………」


 いつの間にかミレイヤは、身に覚えのない悪行の濡れ衣を着せられていた。学校でのいじめだけではなく、「複数の異性とふしだらな関係を持っている」「犯罪行為に手を染めている」など、冗談では済まないような下種な話も広まったらしい。

 仲の良かった高位貴族の令嬢たちも、不自然なほどあっさりと離れていき、ミレイヤは完全に孤立してしまった。


 何かがおかしい。そうは思っても、何もできないまま事態は悪化していった。


 やがてミレイヤは一方的に婚約破棄を言い渡され、「王子に捨てられた惨めな令嬢」として社交界で嘲笑の的になった。メリク公爵家は不当な婚約破棄に抗議をしたが、なぜか当時の国王夫婦は聞く耳を持たず、イグニスとリタの仲を祝福した。


 イグニスとリタが改めて婚約を発表した後、ミレイヤに対する風当たりは一層強くなった。王都の民でさえ「国外に追放すべき」と主張するくらい、ミレイヤはすっかり悪女に仕立て上げられてしまった。


「追い詰められたミレイヤを颯爽と救い出したのが、ジオ・ルナーグだ。求婚して、この領地へ連れ出して世間から守った」


 元々、公爵家と辺境伯家の親交が深かったこともあり、ミレイヤは幼い頃から何度もルナーグの領地を訪れていた。二人は幼なじみのような間柄だったのだ。


「ルナーグ家の役目については聞いているか? ……ああ、そうだ。毒蛇の封印が解ければ、ムンナリア王国は滅亡してもおかしくない。王国にとって重要な血族だ。だから、王家はルナーグ家に対しては強く出られない。まぁ、元々ルナーグ家は、王家の傍系の一族なんだが……」


 何はともあれ、ジオに嫁いだことで、ミレイヤへの中傷は表向き止んだ。同時に醜いルナーグ家の男の妻として、陰で憐れまれて笑われるようにもなった。


「だが、ジオの人柄の良さは、お前も知っているだろう。クズ王子よりも、ジオの方がずっと良い男だ。僕もメギストも、二人の結婚を心から祝福した」


 王太子とリタが結婚して王子が産まれ、国中が喜びに包まれる中、ジオとミレイヤは辺境の地でゆっくりと愛を育んでいった。

 そして約十年前、ミレイヤは子どもを身籠った。


「それがミシュラ?」

「ああ。しかし出産には問題があった」


 王族や高位貴族の子どもは、生まれつきの魔力量が段違いで多く、出産時に母体にかなりの負担がかかる。腕のいい医療魔法士数人の付き添いが必須だったが、辺境ゆえに数が足りなかった。

 それに加え、ちょうどジオが“鎮めの役”を引き継いだ時期で、毒蛇の封印が不安定になっていた。万が一毒の瘴気が漏れ出してはお腹の子に障ると、ミレイヤは数年ぶりに王都にある公爵邸に戻り、出産に備えることになった。

 レムナンドも公爵邸に滞在して、ミレイヤを見守ったらしい。


「時期が最悪だった。ちょうどリタが第二子を身籠ったことが判明して、優秀な医療魔法士が揃って城に詰めてしまっていてな……こちらでも出産に必要な魔法士の数が足りず、不安があった。そんな時、城からの招待状が届いた」


 ミレイヤの出産をサポートするので王城に滞在しないか、という内容だった。

 ムンナリア王家としても、ミレイヤに対して罪悪感があったのかもしれない。あるいはメリク公爵家やルナーグ家との溝を埋めたかったのだろう。

 何より、ルナーグ家の子どもには鎮めの役を継ぐという重要な役目がある。無事に出産できるよう取り計らうのは国として当然の対応だった。


 だがそれは、ミレイヤにとっても公爵家にとっても、屈辱的な提案だった。


『城へ参ります。……この子のためなら』


 ミレイヤは少しでも安全に出産できる方を選んだ。

 何より、将来自分の子どもが王家との確執で苦しむことのないよう、心を無にして全てを水に流すことにした。

 この王国で生きる以上、王家に目の敵にされるのは避けねばならない。


「……だが、ミレイヤの心を引き裂くような悲劇が起こった」


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