40 剣士への道 第二歩
その日、サクラバは入山試験のために末寺に降りてきていた。
師範代の許しを得た入門者たちが、二人一組になって一心不乱に打ち合いをしている。気合いを見せようと不必要に大声を出したり、審査を意識するあまり集中を欠いたり、緊張で尻込みしたり、いつものような光景が繰り広げられている。
――そろそろ締め切るべきですかね。
もう十分に才のある若者は集まった。
しかし少しだけ足りない。選ばれた弟子たちはお互いを牽制し合うばかりで、思ったよりも成長が見られない。何か切欠があれば化けそうな者がいるのだが、膠着状態に陥ってしまっている。
龍剣を持つにふさわしいのは、この時代で傑出した剣士だ。かの勇者ヴィントレーのような偉業を成し遂げる者は、凡庸な成長ではなく、爆発的な進化をして歴史に名を残しているはずだ。
直弟子たちにも、そうであってほしい。
「あの子は確か……」
サクラバの目に留まったのは、見覚えのある美しい顔立ちだった。
数か月前の龍剣狙いの襲撃で人質になった少年だ。自傷を顧みず雷状の魔力を放出させ、拘束から逃れていた。
「あの子はルギという名です。面白い子ですぞ」
末寺を取りまとめている老師が目を細めた。揶揄ではなく、純粋に好感を持って薦めているようだ。
確かに、逸材と言えるだけのモノを持っている。真っ直ぐで力強い振りも、相手の荒々しい剣を難なく捌く反射神経も、持って生まれた素質だろう。それでいて丁寧で実直な性格が伺えるような剣筋をしている。
老師曰く、龍剣の継承が目的ではなく、あくまでも強くなりたくて入門してきたらしい。ほとんど素人の状態から、たった数か月でリュード流の型が身についているのだから、やはり努力を怠らない少年のようだ。
話を聞いている間に思い出した。
一時、怪物の封印を司るルナーグ家のご令嬢がリュード流への入門を執拗に希望していた。せめて見学させてほしい、と押し掛けられそうになった時には丁重にお断りしたが、代わりに推薦して寄越してきたのがあのルギという少年だ。嘘か真かは定かではないものの、奇色化した魔物から単身逃げ延びてみせたらしい。
ルナーグ家は尊い家系だ。リュード流の成り立ちを考えれば、無下にはできず、受け入れることにした。
このまま修行を続けていれば、ルギは立派な剣士となって巣立っていくだろう。
剣の才能が、というよりも身体能力があまりにも優れている。彼の目的を果たすこと自体は叶う。
「しかし、宝の持ち腐れですね」
サクラバは惜しいと思った。
ルギは明らかに本気を出せていない。守りは堅いが、攻めあぐねている。圧倒的に思い切りが足りていない。
剣が言っている。相手を斬るのが怖い、手加減を間違えたらどうしよう、と。
ある意味では傲慢だが、サクラバが求めている強かさではない。その僅かな判断の遅れが実戦では命取りになる。
もしも彼がもっと勝ち気で好戦的な性格であれば、一月足らずで本山入りすることもできただろう。
おそらくルギの性格的に、戦うことに向いていないのだ。
「まぁ、対人戦では苦労しておりますな。臆病で心優しい子のようで」
「なんだか含みのある言い方ですね」
老師は声を上げて笑った。
「サクラバ殿。あの子が龍剣の継承者候補にふさわしいかどうか、ぜひ対魔物試験で判断して下され」
「……老師がそこまでおっしゃるのなら」
対人戦の合格者のみで行われる対魔物試験。
その名の通り、山に分け入って遭遇した魔物と戦うより実戦形式に近い試験だ。ようするに魔物狩りである。
サクラバはそこで、老師の言葉の意味を知った。
対人戦での躊躇いがちな動きが嘘のように、ルギはあっという間に魔物を斬り伏せた。まるで人が変わったように容赦がない。
――魔物に家族を殺されたんでしょうか?
気になったサクラバはルギを呼んで、そう問うてみた。
「いえ、あの、俺は昔のことはよく覚えてなくて、分かりません。でも、魔物に襲われたことがあって」
「ええ、奇色化した魔物と遭遇したことがあるそうですね」
「その時、周りの人がたくさん怪我をして、とても怖かったから……少しでも早く倒そうと思うようになりました」
そう言ったルギの瞳には魔物への恐れはなく、ただただ人が傷つくことを厭う色が宿っていた。まるで自分が魔物と戦いさえすれば全てが解決すると言わんばかりだ。
――この子の突き抜けた傲慢さは、面白い。
今までに出会ったことのない性質の人間に、サクラバは可能性を感じた。
「ルギ。あなたを最後の継承者候補として、本山に迎え入れたいと思います。その気はありますか?」
青い瞳がキラキラと輝き、強い肯定の返事があった。
その年相応の愛嬌にサクラバは思わず頬を緩めた。
*
リュード流の門扉を叩いてから早九か月。
ようやくルギは本山へ入ることを許された。
少し悲しかったのは、これまで一緒に生活してきてそれなりに親しくなったと思っていた門下生たちから、たちまち素っ気ない態度を取られるようになったことだ。皆はルギの対人戦の拙さを知っているせいか、「コネか金か」「顔が良いからか」などと皮肉を言ってきた。
ルギ自身もどうして今の実力で本山入りが許されたのかは分からない。ただ、どうしたら本山入りできるかを老師や師範代に相談し、返ってきた言葉通りに毎日研鑽を積んだ。それが功を奏したとしか思えない。
簡単な道のりだとは思っていなかったが、予想していたよりもずっと大変だった。その日々が報われたのだから、これからのことを考えて頑張ると決めた。
――これでエヴァン先輩に会える……。ミシュラに良い報せを送れる。
本山入りの日。
荷物とシュシュの鳥かごを持って、サクラバの後ろをついて本山を登る。階段などは整備されておらず、気を抜くと足を滑らせそうだった。
見られているような不穏な気配を感じる。この山の魔物はさらに強いと老師たちに散々脅されたので、ルギは怯えるシュシュを慰めながら歩を進めた。
サクラバはのんびりとした空気を纏っているが、移動速度は速く、ついていくだけでルギの息は上がっていった。
「これから一緒に生活する弟子たちは、龍剣の継承を争うライバルとなるのですが、あなたにとっては兄弟子に当たります。新入りとして礼儀は弁えてください」
「はい」
「炊事当番はありません。掃除や洗濯も心付けを渡せば下男がやってくれます。あなたの役目は鍛錬に励んで強くなることです。ただ、自分のことを自分でやるということも大切ですので、時間の使い方はお任せします」
「分かりました」
本山での心構えを聞きながら、ルギは我慢できずに尋ねた。
「あの、俺の他には、どんな弟子が」
「そうですね……みんな性格が違います。先入観を持たずに自分の目で確かめてみてください」
結局何も分からなかった。
不安と期待を抱えたまま、ルギは本山の御堂へと足を踏み入れた。
早速自己紹介の時間が設けられた。
「ルギです。今日からよろしくお願いします」
龍剣継承候補の弟子は三名。それぞれが鋭い視線をルギに向けた。
ピリッとした空気を意に介さず、サクラバが朗らかに言う。
「右からスズ、ダリル、トッドです。ルギはスズと同室で生活してもらいます。ここでの決まり事も彼に聞きなさい」
「はい」
スズのことは覚えている。
ルギを人質に取った襲撃犯の男を淡々と斬り、不思議なイントネーションの言葉を使うのが印象的だった。
ダリルとトッドは少し年上の少年で、にやにやとルギのことを見下ろしていた。歓迎されていないことは分かるが、さらに嫌な感じがした。
それよりも気になったのが、弟子の数だ。少なすぎる。目当てのエヴァンがいないことにルギは内心動揺していた。以前試験の時にサクラバの伴をしていた少年もいない。
下男たちも紹介された後、その場は解散になった。
大人がいなくなった途端、ダリルが声をかけてきた。
「おい、スズ。今度は相方が怪我しないようにちゃんと見ていろよ」
「うっさい、カス。消えろ」
煽りを一刀両断に捨てて、スズはルギの腕を引いた。不安になるようなことを言われ、ルギの足取りは重くなる。
「あの二人には気ぃつけや。僕と前に同室だった奴、あいつらのせいで怪我して脱落した」
「え」
「いくら継承争いしてるからて、他人を蹴落として選ばれようとするなんて見苦しいわ。しかも二対一で罠に嵌めて……最悪の卑怯者や」
スズに詳しく聞いたところ、ダリルは帝国貴族の嫡男で、トッドはその従者らしい。二人はスズと仲の良かった弟子を、魔物の巣に誘い込んで大怪我を負わせたのだという。怪我をした少年は命に別状はなかったものの、心が折れてしまい、継承を正式に辞退した。今は麓の町で怪我の治療をしているようだ。
決定的な証拠がなかったため、ダリルたちは破門にならなかった。スズはそれが悔しくて仕方がないらしい。
「弟子の数が少ないのは、あの二人のせいですか?」
「全部が全部そうやない。この山の魔物は強いからな。普通に怪我をして山を下りてった奴もおるけど……あとは、そうやな。あの人の逆鱗に触れて逃げ出したり」
スズの表情が一気に暗くなった。
「あの人?」
「候補者がもう一人おるんや。ダリルたちよりはマシやけど、“超問題児”や」
ルギはその言葉で直感した。
「その人は今どこにいますか?」
「さぁ? 鍛錬サボって勝手に山降りて町で遊んでたりするし、よう分からへん。先生がなんであの人を破門せずにいるのか……まぁ、確かに、エヴァン兄さんは天才やけど」
その瞬間、ルギは泣きそうになった。
リュード流に入門してからずっと聞きたかった名前だ。もしかしたら一生会えないで終わるかもしれないとすら思っていた。
――やっぱりここにいたんだ……!
そのうち会うやろうから覚悟しとき、とスズは肩をすくめる。エヴァンに対してあまり良い感情は持っていないようだ。
それから御堂の中を一通り案内してもらい、最後に自室に戻った。スズとルギの二人部屋である。シュシュが静かにできる鳥だと分かると、この部屋に置いてもいいと言ってもらえた。
「スズさん……あの、ありがとうございます」
「さん付けも敬語も要らん。年そう変わらへんやろ」
実年齢が定かではないルギはおずおずと頷くに留めた。
「かしこまらなくてもええけど、共同生活のルールは守ってもらう。この先リュード流を名乗るつもりなら、だらけた生活はさせへん」
スズはその宣言通り非常に厳しかった。
最強の剣士を目指す生活が始まった。
今までより自由になる時間が増えてスケジュールの組み立てに悩んだルギは、スズの許しを得て一緒に修行をさせてもらうことにした。
結果的に、とても過酷な時間の使い方になった。
朝日とともに目覚め、朝食の時間までずっと険しい山道を走り込む。食事の後は一度部屋に戻って自室の掃除や洗濯を済ます。それが終わったら後は昼食まで筋トレと柔軟運動、剣の素振り、午後はサクラバの指導を受けて実践稽古をしたり、山の奥深くに分け入って魔物を狩ったり、何時間も身動き一つせず瞑想をしたり……。
夕食後は剣の手入れをして、入浴まで終わったら寝るまでの少しだけ息抜きをする。鍛錬中も適度に休憩を取ってはいたが、極限まで肉体に負荷をかけていた。
ルギはスズへの見る目が変わった。
一見して細身だが、凄まじい密度で鍛えられた体をしている。血反吐が出るような努力を重ね、自分に並々ならぬ負荷をかける様に、龍剣への強い執念を感じた。
「なかなか根性あるな、お前」
ヘロヘロになりながらも同じ一日を過ごすルギを、スズもまた見直してくれたようだ。
就寝前の僅かな時間、スズと個人的なことを話す時間があった。
「なんでそこまで頑張るん? そんなに龍剣がほしいんか?」
「ううん。龍剣は……別に要らない」
このようなことを言ったら怒られるかと思ったが、スズは鼻を鳴らしただけだった。
睡魔と戦いながら、ルギは言う。
「俺は、ただ強くなりたい。そうすれば、ミシュラとずっと一緒にいられるから」
「ミシュラ?」
「俺のことを助けてくれた人。俺が一緒にいて邪魔にならないように強くならないといけない。それに今度は、俺がミシュラを……」
助けたい。
ミシュラにとって大切な人であるエヴァンを見守ることでそれが叶うのなら、この地で修行することはルギにとって良いこと尽くしだった。
「ふぅん。ようするに恩返しがしたいんやな。龍剣要らんいうのはムカつくし、他人のために強くなりたいなんて僕には分からへんけど……せいぜい頑張り。僕は絶対負けへん」
「ありがとう。頑張る。スズは、どうして?」
どうしてそんなにも自分を追い詰めてまで、龍剣を求めるのか。
「絶対に僕が継がなあかんねん。エヴァン兄さんにもダリルにも渡したくない」
「?」
「ルギがこの先も脱落せんかったらいつか教えたる。おやすみ」
スズにもいろいろと事情があるらしい。
その芯の強さを尊敬しつつも、頑張りすぎて折れてしまわないかと心配になった。
本山入りして十日後、その事件は起こった。
午後の稽古中、ルナーグの領地に手紙を届けに行っていたシュシュが舞い戻った。つまり、手紙の返事が届いたのだ。いつもよりもずっと帰ってくるのが早い。本山入りをしたという報告をミシュラやロアートも喜んでくれたのかもしれない。
ルギは長距離を移動してくれたシュシュを労わりながら、はやる気持ちを抑えて手紙に手を伸ばした。
「なんだよ、何をそんなに喜んでる?」
珍しくダリルに声をかけられた。それに驚いている間に、後ろから近付いてきたトッドに手紙を奪われる。
「え」
「誰からの手紙? 家族?」
「返して!」
ルギにとって、何よりも大切なものだ。つい大きな声が出た。
弱点を見つけた、と言わんばかりにダリルが嘲笑を浮かべる。
「トッド、こちらに渡せ」
「はい!」
ルギの横をするりと抜けて、トッドがダリルに手紙を渡そうとする。それを阻止しようと腕を掴むと、横から伸びてきたダリルに思い切り突き飛ばされた。
「ふん、厳しい修行中にいい気なものだな。こんなものに囚われているようじゃ、強くなれないぞ?」
ルギが地面に転がって起き上がるまでのわずかな間で、ダリルは手にした手紙の束をびりびりに破いてしまった。
「!」
あまりの出来事にルギの世界は停止した。
「何しとるんや! くだらないことするな!」
代わりにスズが声を上げるが、ダリルたちは一切悪びれた様子を見せなかった。
「こんな簡単に奪われる方が悪いですよ、ねぇ、ダリル様」
「ああ。隙だらけでみっともなかった。同じリュード流門下として嘆かわしい」
ルギは込み上げてくる涙をこらえて、紙片を拾った。そこまで細かく破られたわけではない。繋ぎ合わせれば読めるはずだ。
「恥ずかしい奴!」
「はは、泣きべそかいてますよ!」
風に攫われそうになる紙片を必死に拾い集めていると、ダリルたちが声を上げて笑う。
「――――!」
すると、ルギやスズよりも先に、シュシュがダリルたちに襲い掛かった。主のために一生懸命運んだ手紙を台無しにされたのだから、シュシュが怒るのも無理からぬ話だった。
「なんだこの鳥! 寄るな! くそが!」
ダリルは腰に差していた木剣を振り上げる。シュシュが怯むと、容赦なく剣を振り下ろした。
「やめろ!」
シュシュを庇って、滑り込んだルギのこめかみと肩に木剣がかすめた。
「っ!」
脳が揺れ、痛みに全身が痺れた。血がどくどくと沸き立つのを感じて、ルギは奥歯を食いしばる。
「大丈夫か!? ルギ」
「はっ、たかが鳥のためにご苦労なことだ」
「お前ら……真性のクズやな。恥ずかしいのはお前らの方や」
ルギはシュシュの無事を確認してから抱き上げて、スズに無言で託した。
頭がぼうっとして上手く働かない。体が勝手に動く。
「な、なんだ。何か文句があるのか」
「ダリル様に何かするつもりならオレが――」
立ちはだかったトッドの胸ぐらを掴み、ルギは思い切り自らの魔力を流し込んだ。青白い光が走って、一瞬でトッドは意識を失って崩れ落ちた。
その場に大きな動揺が広がる。ばち、ばち、と電流が走る音が止まない。
「なっ!? ち、近づくな! こんなことをして許されると」
腰を抜かしたダリルを静かに見下ろす。
――俺はいつも間違える。俺がすぐに怒れば、シュシュが危ない目に遭うことはなかったのに。
ルギは瞳から涙を流しながら、ダリルの頭に手を伸ばした。
「ひっ」
たとえようのない恐怖に襲われ、ダリルは身動き一つできなかった。その異様な雰囲気にのまれ、スズもまた一歩も動けない。
ルギを止められる者は誰もいなかった。
「…………」
今からでも遅くないのなら、やり直そう。ミシュラとロアートからの手紙を破り、シュシュを傷つけようとした罰を与えなければ。
「今は止めとけ。こんな奴、別に殺しても構わねぇが、後で面倒くさいことになるぜ」
視界の外から伸びてきた手のひらがルギの両目を覆う。バチン、と滾っていた魔力が行き場を失くして音を立てて拡散した。
「え!?」
目隠しの手が離れると、その少年の艶麗の笑みを目の当たりにした。
「なぁんか、ヤバい奴が入ってきたんだな。可愛い顔してすげぇ魔力」
赤茶色の髪に、エメラルド色の瞳。実に華やかで目を惹く容姿をしていた。ただそこに立っているだけで様になる。
「でも、どうせなら剣で決着つけろよ。なぁ?」
それが、ルギとエヴァン・シャトルとの出会いだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
新連載の準備をするので、しばらく更新頻度が低くなりそうです。
申し訳ありません、よろしくお願いいたします。




