34 不穏な狩場
開始直後から、ミシュラたちは山に向かって駆けた。
魔力を全身に巡らせて、身体能力を著しく向上させる。
林の中は多少の整備はされているが、道と呼べるほどではなく、木の根や岩を避けて飛び、時には枝に掴まったりしながら強引に前へ進んだ。近頃は屋敷の森で鍛錬をしていたため、こういう動きはお手の物であった。
振り返ればフレインは平然と、カーフは少し焦った様子でついてくる。フレインが先頭だと置いて行かれそうなので、この順番にしてもらった。
――巡回の騎士がいるから、本当はあんまり目立たない方がいいんだけど……。
不審に思われるよりも、狩り勝負に負ける方がミシュラは我慢ならなかった。
「はい、ちょっと休憩しよ」
林を抜け、山の麓に到着した。
カーフは何度も深呼吸をして息を整えている。しかしプライドがあるのか文句は言わなかった。
そのとき、破裂音とともに黄色い閃光が空で爆ぜて煙がたなびいた。ギルベルトとチェカのペアのいる方角だ。
「もう狩りしてるんだ。私はリスくらいしか見つけられなかったけど」
「サルもいましたよ。大した魔力は感じませんでしたが」
黄色の閃光弾は獲物を仕留めた合図である。周囲を巡回している騎士が回収して、林の外まで運んでくれる。
正直に言って、不正し放題のルールだと思った。
巡回の騎士が情報提供したり、獲物の追い込みに協力したら不利になる。最悪の場合、騎士団総がかりで獲物を仕留め、全員の成果の中で最も大きな魔物を審査の時に提出するかもしれない。
狩場で距離を取るように言われている以上、ミシュラには確認のしようがなかった。
「じゃあ登りやすそうで、魔物の気配がありそうなところを探そう」
結局、一番の大物を狩るしかない。
手付かずの山の奥を目指し、ミシュラたちは閃光弾とは反対側の方角へ向かって歩き始めた。
「これ、魔物の巣かな?」
途中、岩場の影に子どもなら出入りできるかも、という細い洞穴があった。穴熊やネズミ、もしくは大蛇の巣かもしれないが、暗くて中の様子が分からない。
覗き込もうとしたミシュラの肩をフレインが掴んだ。
「フレイン、どうしたの?」
「体力の無駄です。やめてください」
「うーん? ……そうだね。もっと大物がいい」
洞穴を無視してしばらく歩き、傾斜が緩やかな場所から山に分け入る。その間にもギルベルトたちは狩りを続けているようで、何発か黄色の閃光弾が上がった。
山の中腹まで、三人は無言だった。
「なんか、山にもあんまり魔物の気配がないね」
「いないことはないですが、臆病な種ばかりですね。逃げられています」
フレインはが小さく息を吐く。
「え、そうなの?」
「お嬢さんの魔力の気配は独特ですし、そちらの聖騎士さんの足音もうるさいです」
「ボクのせいだと言うんですか!?」
その瞬間、近くの木から小鳥が飛び立ち、カーフはバツが悪そうに俯いた。
まさか自分たちが狩りの足を引っ張っているとは思わず、ミシュラは心臓に手を当てた。
ルナーグ家の周りの森では、普通に狩りができていた。しかしそれは毒蛇の怪物の気配によって、ミシュラの独特の魔力の存在感が薄れているせいだとフレインは言う。
魔力を無理矢理抑え込んでいても、臆病な魔物たちは敏感に察知して逃げてしまうようだ。
少しばかり、ミシュラにも焦りが出てきた。
もう制限時間の半分ほどの時間が過ぎているのに、まともに魔物と遭遇できていない。
頼みの綱を潤んだ瞳で見上げる。
「フレインー。私、負けたくない。どうすればいい?」
「……少し周囲を見てきます。二人はここから動かないように」
渋々と言った様子でフレインは先へ進んだ。このまま三人で進んで獲物に逃げられ続けるよりも、多少手間でも一人で狩りをした方が退屈が紛れる。フレインならばそう判断すると思った。
「…………」
残された二人の間に、気まずい沈黙が漂う。
否、正確に言えば、カーフがあからさまに挙動不審になり始めた。腰に差した剣の柄を意識しているのが分かる。
葛藤している様子から見て大丈夫だと思うが、念のためにミシュラは釘を刺すことにした。
「カーフ様。姫様と副団長さんが言っていたよね。絶対に怪我しないようにって」
「な、なんですか、急に」
「殺しなんてもっての外ってこと。教会の大切な聖王女様のお言葉を優先させたって言えば、命令違反にはならないんじゃない?」
「!」
息をのんだカーフにミシュラは軽く微笑む。
やはり暗殺を命令されていたらしい。フレインがいない今は絶好の好機だが、実行するのはお勧めできない。
「そもそも無理だからやめた方がいいよ」
「……またボクを馬鹿にして」
「馬鹿にはしてないよ。カーフ様は器用でも冷酷でもない。たとえ私を殺せても、隠し通せないよ。死体の処理なんてしたことないでしょ? 殺した後に平然としていることも難しいよね? 姫様を悲しませて耐えられる? ううん、それ以前に自分自身を許せなくなるんじゃないかな」
やっぱり無理でしょ、と再度尋ねれば、カーフはプルプルと震えた後、肺の空気を全部吐き出した。そしてミシュラを睨みつける。
「そうですねっ。どうせボクには無理ですよ!」
「ふふ、そんな卑屈な言い方しないで。あなたは何も悪くない。あの神官の命令が正しくないと思ってるから、迷っていたんでしょ? あなたが仕えているのは天上の神であって、神官じゃない」
ゆっくりと歩み寄り、拗ねた様子のカーフの手を取り、自らの首筋に誘う。今後のことも考えて、別方向からも切り崩しておきたかった。
カーフは頸動脈から熱と鼓動を感じ取り、凍りついたように動かない。
「私は、おじい様の起こした“奇跡”によって生きてる。それは神様が、私が生きることを認めてくださっているってことでしょ? それなのにあの神官は私を人間だと認めないし、あまつさえこそこそ隠れて殺そうとしている。なんの権限があって、そんなことをするの?」
「…………」
「何より、それをカーフ様にさせようとするのが卑怯だよ。高潔な聖騎士でありたいという心を無視している。そんな人の命令なんて、聞かなくていいよ」
ミシュラは堂々と詭弁を語った。
教会がミシュラの存在を断じて認めないのは、死者蘇生や心臓の精製を許せば、この世界の秩序が狂ってしまうからだ。
祈っただけで蘇る“奇跡”ならば、こうも問題視はされないだろう。そんな規格外の奇跡は英雄譚やおとぎ話でしか見られない。
心臓が破裂した赤ん坊が、“魔法銀”という特殊な物質を触媒にして蘇生した。神の与えた命の核である心臓を人の手で造る。
そんな“奇跡”が量産できる可能性が生まれてしまうのが問題だった。
――まぁ、魔法銀自体、今となっては誰にも錬成不可能みたいだけど。
処刑前に祖父は魔法銀の材料と錬成方法を提出した。しかし魔法協会が同じように錬成しても、ただの金属の塊でしかなく、どれだけ魔力を流しても自由自在に変形させることはできなかったという。
祖父の命懸けの祝福が魔法銀を完成させたという可能性もあるが、特殊な材料、あるいは錬成工程を秘匿したのかもしれない。だからこそ、唯一それを知るはずのレムナンドは、未だに表立って行動できないのである。みんなが死者蘇生の秘密を欲しがっている。
要するに今のところ、この世で唯一無二、ミシュラの心臓だけが本物の魔法銀だと推定されている。
――奪い合いの争いが起きる前にさっさと殺して、魔法銀そのものを闇に葬ろうっていうなら、分からなくもない。
ある意味ではバヤの感覚は正しいと、巻き戻しを経たミシュラは冷静に考えている。
しかし絶対に口には出さないし、認めない。
「私は、この世で前例のない存在だから、簡単に受け入れてもらえないのも分かる。でも、一方的に殺される筋合いはない。私は家族や大切な人たちと幸せに暮らしたいだけなんだから」
分かってくれたかな、と首を傾げたが、カーフは呆けたままで動かない。
手の甲をくすぐるとようやく我に返って、また大きく距離を取った。可愛い、もとい可哀想なくらい動揺している。
「ぼ、ボクは……あなたのことを――」
その先の言葉を遮るように、破裂音が鳴った。
晴れ渡った青空に、不吉な赤色が広がる。赤い閃光弾は、救援信号である。




