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魔法銀の悪魔の救済  作者: 緑名紺
第二章 それぞれの成長期
29/40

29 社交デビュー

 


 天窓のある広いサロンに、十数名の子どもが集まっていた。

 十歳から十四歳ほどの国内の有力貴族の子息令嬢である。割合的には令嬢の方が多い。日頃からリリトゥナとも交流がある、選ばれた者たちである。

 歓迎の雰囲気はあまりない。優雅なお茶会というには警備がいささか厳重だった。


 壁際で王家に仕える騎士たちが、リリトゥナに礼を取っている。フレインとカーフはその列に加わったが、ただの見学者といった様子で完全に浮いている。


 リリトゥナから紹介を受け、ミシュラとロアートはまず挨拶をした。


「お初にお目にかかります。東部辺境伯の娘ミシュラ・ルナーグと申します」

「ろ、ロアート・ルナーグです」

「本日はこのような素敵な場に皆様とご一緒できましたことを、心から光栄に思います。どうぞよろしくお願いいたします」


 二人は、主催者であるリリトゥナ姫と同じテーブルに席を用意されている。形だけのものではあるが、今回のお茶会では主賓として扱われるということだ。

 それが面白くないのだろう。一部の令嬢はミシュラの全身を値踏みし、粗を探そうとしている。


 ――さすがに子どもの社交場で本気を出すのは大人げなかったかな。


 巻き戻り前の人生では、やる気のないシンプルなドレスで「盛る必要なんてない。ありのままで十分に美しいでしょ?」と喧嘩腰だったが、今回は現在流行中のデザインを最高級の生地で大人っぽく仕立ててもらった。辺境の田舎者らしさはゼロである。ヘアメイクも化粧も微笑みも完璧で、隙などない。

 強いて言えば、緊張一つしていない姿が可愛げなく映るだろうが、隣に立つロアートの初々しさが嫌味を軽減してくれている。


 聖王女リリトゥナの隣に立って、ただの引き立て役にならない程度にはミシュラもまた美しい令嬢だった。少なくてもまだ垢抜けきっていない他の令嬢たちには、何一つ負ける気がしない。

 同性からは羨望と嫉妬の眼差しを、異性からは熱い視線を感じた。


「早速ではありますが、皆様との出会いへの感謝を表したく、兄妹で一曲披露したいと思います。準備いたしますので、少々お時間をください」


 リリトゥナ姫への祝いの歌を強要されるくらいなら、と予めこちらで自己紹介代わりに用意した。ルナーグ兄妹の社交デビューである。

 二人はサロンの隅にあるピアノに向かう。

 ロアートは演奏前から額に汗の玉を浮かべていた。


「兄さん。世界一綺麗なものなぁんだ?」

「わ、分かってる。大丈夫だ」

「うん。頼りにしているからね。私は兄さんの綺麗な音を聴かないと、歌えないんだから」


 深呼吸をしてロアートはピアノの椅子に腰掛けた。


「はっ、任せとけ。俺がお前を歌姫にしてやる」

「え、かっこいい」

「さっさと準備しろよっ」


 雑に追い払われたミシュラは、ピアノの横に立ち、一礼する。

 リリトゥナの期待に満ちた瞳を意識から外し、ロアートと視線を交わす。

 前奏が始まると、サロンにいた全員が息をのんだ。


「――――」


 きらきらした音の粒が跳ねる。相変わらず、ロアートのピアノはどこまでも透き通っていて優しい。

 そして今日はさらに繊細なタッチで、純粋無垢な青い瞳の男の子を思わせる音をしていた。


 天窓から差し込む光が強くなったのは偶然か、あるいは柔らかい音色が呼んだ奇跡かもしれない。


 ミシュラとロアートは練習の時からずっと息が合わなかった。お互いの我がぶつかり、調和がとれず潰し合ってしまった。

 その対策として母に提案されたのが、「世界で一番綺麗なものを頭に思い浮かべなさい」という作戦である。奇しくも“綺麗なもの”のイメージは合致し、我を出す気持ちを抑えられるようになった。


 理不尽な対応をされ、敵意を向けられて、どうにも心がささくれ立ってしまうが、彼を想えば優しい気持ちになれる。

 ロアートのピアノの音は、より鮮明に彼のことを思い出させてくれた。ミシュラに歌い出す勇気をくれる。


「――――」


 ピアノに寄り添うように、ミシュラは“心”を込めて歌った。

 初めての出会いに心が躍り、幸福を感じているかのように。


 リリトゥナやロアートとは違い、ミシュラには音楽で奇跡を起こす力はなかった。もしかしたら一片の感動すら与えられないかもしれない。

 それでも自信を持って、一音も外すことなく、安定した歌声で伸びやかに歌い切った。


「――……」


 最後の一音まで、ロアートの奏でる音色は美しかった。短く簡単な楽曲だったが、そうとは思えない余韻を聴衆に残す。


「素敵……!」


 まず一番にリリトゥナが満面の笑顔で拍手を送った。次いで他の招待客からも熱烈な拍手と称賛の声が。

 緩慢な動作で拍手をする者もいるが、その悔しそうな顔が演奏への評価を決定づけている。


「ご清聴ありがとうございました」


 ロアートと揃って礼をし、席に戻る。

 ミシュラはすぐにリリトゥナに過剰なほどに褒めたたえられた。「今度はわたくしと一緒に歌いましょう!」と社交辞令ではなさそうな勢いで詰め寄られる。

 一方ロアートも、一人の少年にキラキラした瞳を向けられていた。リリトゥナを剥がすことができず、ミシュラは助けに行けない。


「あんたのピアノ、すっげー良かった! 真っ青な空と海が見えた気がする! 爽快だった!」

「ど、どうも……」

「俺はカノン・フェルムボン。ピアノも好きだけど、演奏はヴァイオリン系の弦楽器を中心にやってる。最近は作曲の勉強もしてるんだ。あんたのおかげで新しい旋律を思いついたぜ!」


 ロアートが貴族らしく受け答えできるか心配だったが、相手の方が輪をかけて無作法だった。


 ――ん、フェルムボン? どこかで聞いたことがあるような……。


 ミシュラは首を傾げ、すぐに全身に鳥肌が立った。

 どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、数年後に有名な作曲家になる天才少年だった。

 前回はやる気がなさ過ぎて、招待客の全てを把握していなかった。まさかカノン・フェルムボンがこの場にいたなんて。

 もしかしたらロアートのピアニストとしての輝かしい人生が、今ここから始まるかもしれない。

 ミシュラが聞き耳を立てて手に汗を握っていると、ぴしゃりと水を差すような声が投げかけられた。


「本当に素敵な演奏でしたけれど……知らない曲でしたわ。あなたはご存知?」

「いいえ。多分、古い曲なのだと思います」

「大昔に流行した歌劇の一節じゃなくて? よく分からないけど」


 演奏そのものに文句が付けられないなら、と選曲に難癖をつけようとしている。くすくすと聞こえる笑い声は、「これだから田舎者のセンスは」という嘲笑の色が滲んでいた。


「ええ、おっしゃる通りです。『菫色の園の乙女』という歌劇のオープニングで、主人公の少女が初めての都に感動しながら、人々に元気よく挨拶をするときの歌です。辺境の地から来た私たちにぴったりだと思いまして」

「そうね、そう聞くとあなた方に相応しい楽曲ですこと」


 ミシュラの答えを鼻で笑ったのは、ディヘス侯爵家のポーラという少女だった。

 同年代ではリリトゥナに次いで力を持ち、社交界で台頭していく令嬢だ。とにかく自分より優れた者を許せず、あらゆる手を使って引きずりおろそうとする面倒な性格をしている。

 前回の人生と変わらず目の敵にされることになりそうだったが、今回のミシュラは正面から相手にするつもりはなかった。


 ミシュラの選曲について、取り巻きの令嬢たちと「ダサい」「古くさい」「自分だったら絶対選ばない」と遠回しな表現で馬鹿にしている。


 ――数年後に、羞恥でのたうち回るといい。


 ミシュラが歌った曲は、いずれ大陸全土で大流行する。

 ムンナリア王国の友好国であるヴェクトラン帝国にある劇団。そこに所属する新進気鋭の劇作家が『菫色の園の乙女』を現代風にリメイクし、老若男女問わず感動できる名作と再評価されるのだ。

 帝国で瞬く間に人気の演目となり、やがて大陸中のあらゆる国で上演されるようになる。当然、ムンナリア王国でも。


 ――私もペルシィと観に行ったなぁ。すごく喜んでくれて、頑張ってチケットを手に入れた甲斐があった。


 巻き戻し前の記憶を利用して、流行を先取りさせてもらった。他国発祥の流行を、この国の貴族が左右できるはずもない。この場でミシュラが歌ったことで運命が変わることもないだろう。

 よって数年後には、ミシュラの選曲を馬鹿にした令嬢たちは肩身の狭い思いをする。


 遅延性の罠を仕掛けながら、ミシュラは愛想よく微笑んでいた。自分でも性格が悪いと思いつつ、こういう楽しみでもなければとても付き合っていられなかった。


「じゃあ、今度ウチに来いよ。すっげー良いピアノがあるんだ」

「い、いいのか?」

「もちろん! 一緒に合わせてみたい曲があってさ――」


 女子たちが陰湿なやり取りをしている間に、ロアートとカノンは随分と仲良くなっていた。王女の前だというのに、砕けた口調でやり取りをしている。リリトゥナはミシュラに茶菓子を説明するのが楽しいらしく、全く気にしていないが。


「へぇ、まだ本格的に習い出して、二年経ってないのか! マジでピアノの才能がある」

「いや、俺なんかまだまだだ。今日の演奏が成功したのだって……先生の教え方が良かったからだ」


 ロアートの言葉に、周囲が耳聡く反応した。


 ――これは……良くない。


 ポーラが新しい攻撃材料を見つけたと言わんばかりに口の端を持ち上げた。



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